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【書評187】   七五調の謎をとく   坂野 信彦 著   大修館書店   1996年10月

2024-05-09 07:42:38 | 書評
 本書は24.05.07.≪【書評186】 日本文化の核心/松岡正剛著:講談社現代新書≫ 第7講(型・間・拍子)の中で触れられていたので読んでみた。構成は次の三章立て。
 【1】音律の原理 【2】音律の実相 【3】音律の源流。 ・・・各章の字面だけではわかりにくいので要点を示す。

*【1】日本語を発声する際の表現は2音を基本単位とした整数倍であり、<七>音句は発話・発声の終わりで1拍休む(=4+3+1)。<五>音句では発話の前に1拍息を入れて休む(=1+4)。
   従い、あらゆる表現の原型は八音&四音(=2X2)の組み合わせリズム(=音律)であり、ここに日本語固有な『拍』が『音節』と絡み【拍節構造】をつくる。
*【2】<七七調と七五調><五七調と五五調>の組み合わせから記紀歌謡・萬葉集・長歌・短歌・今様・都都逸・俳句・川柳へと変化型が生まれ、明治に試みられた新体詩でも様々な詩人が音律の
   ヴァリエイションを創った。然し、その基本に横たわるのはリズムのある文を読む「律読」であり、如何なる形式も「律読」になじまぬ散文に聞こえるとすたれていった。
    この限りにおいて、字余り・破調は「律読」に叶うか否かが評価のポイントとなった。
*【3】<七音>→<四三音・三四音>に分解する「律読」もあるが、短歌の結句(=最終の七音部)に<四三音・三四音>を用いるのは平安以降、特に古今和歌集のあたりから忌避された。
   その背景を著者は、歌作りの担い手が萬葉以前の平民(私)から平安以降の貴族(公)に移ったためではと推論する。これは破調や字余りを遠ざける傾向とも呼応するものだろう。
   同時に、<四三音・三四音>を結句に用いない流れは、「歌」として声に出して吟じ合う習慣(=読唱)が宮廷和歌から今様・都都逸・俳句に広がっていく歴史とも一致する。
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 本書は小李のような短歌に興味を抱き実作を楽しむ輩には勉強になる。と同時に、この解説が『七五調の謎をとく』とのタイトルにふさわしいか?と些か首を捻ってしまった。 何故なら、
音律構造の解析と類型化は確かに日本語での詩的表現の歴史を通覧するうえで有益な解説だが、なぜ日本人は<七&五>のリズムに魅力を覚え、二千年近くも続いているのか?の謎に迫ってはいない。
 卑近な例だと宴会や祭りの締めでやる<三三四三!>の手拍子。これも休みを含む<3+1><3+1>&<4+3+1>とみれば四音リズムの繰り返し。萬葉に始まる音律の好みは今も不変。

 著者は冒頭部分でほんの少しだけ中国大陸での【五言/七言絶句・律詩】の影響と<五七調>の関連を示唆したり、朝鮮半島では三音・三拍が律文の基本構造らしいとは触れているが、そこまで。
言うまでもなく、仏教や漢字伝来のはるか以前から、ヤマト民族の言語は漢民族・モンゴル&朝鮮民族の言語構造及び発音とは特性が違う。古墳時代、先進地域であった大陸と朝鮮半島から文物の輸入を
続け、広く学んでいたヤマトが、どういう経緯で(七&五)のリズムに落ち着いたのか? 日本語音に残る南方海洋民族言語の影響は?縄文文化を伝承するアイヌ民族の歌謡との関係性はどうなのか? 

 幸い、アイヌの古謡は金田一博士らが知里幸恵氏から採取した『アイヌ神謡集』に残っている。 では、アイヌ民族に伝わる歌唱(=ウポポ)と弥生以降のヤマト歌謡の関連はどうなのか?
音楽に近づけてみるなら、欧州で発達した音楽の特徴である<三拍子=3/4, 6/8 etc.>は日本に無い。4拍子の小節内で3拍目に強拍を置く歌い方・弾きかた、これも日本人には想像すらつかない。
民謡・長唄・小唄には一見、三拍子に聞こえるものもあるが、ここにもやはり1拍の休みは前後に組み込まれており、四音リズムであることに変わりはない。

 そこに踏み込んでこそ(謎をとく)に近づけたのではないか? 無論、小李が知らないだけで世には此のあたりを掘り下げた別の研究があるのかもしれないので、探してみよう。
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