間違いだらけの水子供養を正す
私たちの血肉(心身)のなかには、はるか遠く久しい間にくり返されてきた過去世-生命が誕生して以来のいのちが、流れ続け、受け継がれています。
私たちの生命は、宇宙の「よくしたい」という陽(+)の気と「よくなりたい」という陰(-)の気が互いにバランスを保った結果(中性+-)、
宇宙の「良心」のあらわれ(現象)として誕生したものです。
このよくしたいという行動的な陽の気を男子の先祖とし、よくなりたいという受動的な陰の気を女子の先祖とします。
この宇宙の両端の気根を代表する男と女がお互いに相い寄りあうので、男女の交わりが誰に教えられるともなく行われるのです。
私たちの生命は「無量の寿(いのち)」といわれるくらいに長い歴史を積み重ねて今日現在に至っているのです。
原因(先祖)があって縁(父母)があり結果(子供)が出来ます。
この関係は人類誕生以来くり返しくり返しいつの世にもそれそれが因となり、縁となり、果となる普遍の原理です。
ところで、現代社会でのさまざまな「供養の儀式」は、すべてが母の胎内から生れ出た
「陽の生命(先祖)」に対するものです。この世に生を受けた者の、死に対して私たちは、敬いをもって供養をいたします。
その生と死は、すべて男女の結合から生じます。
男と女の結合に至る理由はどうであっても、「男の気」と「女の気」の調和が保たれたときに、はじめて宇宙自然の天と地の良心=両親とに同化され、
この自然の摂理の証しとして、新しい生命が芽生えます。
このように、本来、私たちの力のまったく及ばない生命のドラマのなかで、母の胎内で葬り去られた「陰の生命」があり、これも立派な尊い先祖です。
ところが、母の胎内からこの世に生まれ出て、陽の目を見た「陽の先祖」だけをもっぱら供養してきたというのが、おおむね今日に至るまでの実情でした。
しかし、胎内で死んだり、闇から闇へと人工的に葬り去られた小さないのちの存在に目をつむって、正しい供養をしていない。
「陰の生命」=「陰の先祖」こそ、水子霊なのです。
私たちが自分の意志の力で芽生えさせ得なかった小さな生命ですが、この生命を中途で絶つことは、人間の意志で出来るのです。
親が行った子殺し、罪にならぬ堕胎という殺人、人工流産という殺人により「水子霊」、つまり「陰の先祖」の供養は、まったく忘れられているのです。
ここに先祖供養のまちがいがあります。
今日までの宗教家は、「陽の先祖」のみを供養し、闇から闇に葬られた
「陰の先祖」である「水子の霊」の供養を忘れていたのですから、供養のバランスは最初から崩れているのです。
片手落ちの先祖供養ばかり行っていたため、供養されなかった「水子の霊」は病気や交通事故、
事業不振などで私たちに片手落ちの供養を正すよう教え続けているのです。
救いを呼ぶ水子霊
佐藤玄明 著
私たちの血肉(心身)のなかには、はるか遠く久しい間にくり返されてきた過去世-生命が誕生して以来のいのちが、流れ続け、受け継がれています。
私たちの生命は、宇宙の「よくしたい」という陽(+)の気と「よくなりたい」という陰(-)の気が互いにバランスを保った結果(中性+-)、
宇宙の「良心」のあらわれ(現象)として誕生したものです。
このよくしたいという行動的な陽の気を男子の先祖とし、よくなりたいという受動的な陰の気を女子の先祖とします。
この宇宙の両端の気根を代表する男と女がお互いに相い寄りあうので、男女の交わりが誰に教えられるともなく行われるのです。
私たちの生命は「無量の寿(いのち)」といわれるくらいに長い歴史を積み重ねて今日現在に至っているのです。
原因(先祖)があって縁(父母)があり結果(子供)が出来ます。
この関係は人類誕生以来くり返しくり返しいつの世にもそれそれが因となり、縁となり、果となる普遍の原理です。
ところで、現代社会でのさまざまな「供養の儀式」は、すべてが母の胎内から生れ出た
「陽の生命(先祖)」に対するものです。この世に生を受けた者の、死に対して私たちは、敬いをもって供養をいたします。
その生と死は、すべて男女の結合から生じます。
男と女の結合に至る理由はどうであっても、「男の気」と「女の気」の調和が保たれたときに、はじめて宇宙自然の天と地の良心=両親とに同化され、
この自然の摂理の証しとして、新しい生命が芽生えます。
このように、本来、私たちの力のまったく及ばない生命のドラマのなかで、母の胎内で葬り去られた「陰の生命」があり、これも立派な尊い先祖です。
ところが、母の胎内からこの世に生まれ出て、陽の目を見た「陽の先祖」だけをもっぱら供養してきたというのが、おおむね今日に至るまでの実情でした。
しかし、胎内で死んだり、闇から闇へと人工的に葬り去られた小さないのちの存在に目をつむって、正しい供養をしていない。
「陰の生命」=「陰の先祖」こそ、水子霊なのです。
私たちが自分の意志の力で芽生えさせ得なかった小さな生命ですが、この生命を中途で絶つことは、人間の意志で出来るのです。
親が行った子殺し、罪にならぬ堕胎という殺人、人工流産という殺人により「水子霊」、つまり「陰の先祖」の供養は、まったく忘れられているのです。
ここに先祖供養のまちがいがあります。
今日までの宗教家は、「陽の先祖」のみを供養し、闇から闇に葬られた
「陰の先祖」である「水子の霊」の供養を忘れていたのですから、供養のバランスは最初から崩れているのです。
片手落ちの先祖供養ばかり行っていたため、供養されなかった「水子の霊」は病気や交通事故、
事業不振などで私たちに片手落ちの供養を正すよう教え続けているのです。
救いを呼ぶ水子霊
佐藤玄明 著