水子供養と アセンションに向けての意識改革ブログ

命の大切さとともに
ライトボディのことや
意識改革 霊的なことについて
かなりディープな内容になります

厄介な人が教えてくれたこと

2014-08-03 07:33:15 | スピリチュアル
相談員のお役をする中で、色目を使う人がいると前の日記に書いたけど、
ずっと、その人を心で裁いていた。

すると、左手の人差し指が痛くなった。
左は男を指す。
人に怒りを飛ばすと自分に返る。
わたしも母も、結果がものすごく速く出てしまう。きっと、そのことだなと思った。

父が、高校生の時の古いビデオテープをダビングしてくれた。
そこの中で、わたしはドラムを叩いていた。
その中に、かつて好きだった人が映っていた。
3年間、ずっと好きで、振られてもずっと好きだった。
このライブの映像の時にはもう吹っ切れていたみたい。


久しぶりに観る顔に、あれだけ好きだったのに、
ただただ懐かしくて、ほんわーと嬉しい気持ちいっぱいで観た。
大好きな弟たちを観ている感覚。

そして、観ているうちに、その人への感謝の思いが、
ずーっと湧いて出た。


そこに居てくれたから、わたしも楽しかったなぁ。
そこに居てくれたことに、感謝だったなあ。

・・・


ここで、一つの線が繋がる。



「想われる、慕われることの、辛さ」



わたしも今、すごく厄介である。
輪を乱してはいけないから、余計なことが出来ない。

この時も、バンドを組んだ時も、そのずっと前からも、
とても優しい人だったから、もてていたし、想われるということの辛さや重さを
この人はずっと抱えていたのかもしれない。。


この人の、あの時の気持ちを、
わたしは今、体験しているんだ・・。


とはいえ、ただ思いをかけていただけだったから
生活に迷惑をかけていたわけではないけれど、
それでも、敏感な人は重たいはず。



「もてる」ということが、嬉しいという風潮もあるけれど、
もてるということは、辛い時もあるのではないかな。。


それを、
今の、あの厄介な人が教えてくれている。


そう思った時、「厄介」を外そうと思った。

厄介ではない。
わたしの厄介だった面を、教えてくれた。


そんな人だったのかもしれない。


この世は鏡だらけ。

そう思うと、謙虚にならざるを得ない。


勉強になりました。。