癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


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NO502・・・地震2

2016-04-18 | 悟り

湯布院が大変だと、報道されているようですが、現地にいますと、湯布院のどこが大変なのって感じです。郵便局に用事があったので下に降りたら、確かに観光客は少なく静かだったのですが、スーパーも開いているし、コンビニも営業しているし、何も困ってないのに、一体どうなってんのって思っているところです。

 

まあ~自分は世捨て人みたいな生活をしているので、危機感がないのかも知れませんが、今のところ本当に本当に平常運転中です。断水になっても、下の谷に降りれば天然のミネラルウオーターが湧き出ていますし、玄米は蓄えていますし、ガスが止まってもプージャ用の薪は一年分は在庫を確保しているし、炭も備蓄しているので不安感はゼロです。

 

今後地震がひどくなって家屋倒壊なんて事になったら、与那国島(会員の方は意味は分かると思います)に移転するだけだと思い、インターネットで下調べしているところです。これは、これで夢があり、わくわく感一杯です。もちろん何回も小さな地震は起こっていますが、物は考えようです。

 

「杞憂・きゆう」って言葉がありますが、この意味は「何時も空を見上げている人がいて、何時かきっと空が落ちて来ると」心配していたそうです。ありえないことを心配する言葉だそうです。

 

心配しても、しなくても、起こる時は起こるし、まして天災(神の災い)ですから、すべてを神にお任せすればよいだけです。人生も同じです。いくら健康に気をつけても交通事故に合うかも知れないし、気を付けようが無いのが人生です。自分で守れるのは、魔に刺されないように魂の浄化を怠らないくらいでしょうか?ですから、一生は神の掌の中で弄ばれていると言うのでしょう。

 

日も暮れて来ました。こわ~いこわ~い夜が迫ってきています。まあ~私は今晩も高いびきで寝ます。が、朝起きたら屋根の下敷きかもと思う方は、眠れない長~い夜になるでしょうね。死とは肉体の死であって、魂の死ではないのですから、万が一、私に何かあっても悲しまないで下さい。人間一週間位食べなくても死にはしません。体の浄化の為の地震かな位にしか思ってないのです。

 

心配して頂いている方には申し訳ないのですが、大げさに考えない人生を送っていますので、悪しからず。しかし、感謝はしているところです。心配するだけ損をした等とは思わないでください。これは、これで暖かい声を頂き、十分感謝しているのです。が、甘えるのが下手で済みません。久しぶりに声を聞く人もいて、昔のインド時代を懐かしく思い出しています。昔の友を思い出させる為の地震かも知れません。それでは、また。

 

 

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