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シルディ・サイババ(第三十章 前置き)

2011-10-13 | シルディ・サイババ

慈悲の住処であり、帰依者に愛情深い、優しいサイに頭を下げよう。彼はダルシャンのみで、帰依者の世俗の幻影(サンサール)による恐れを取り去り、苦難を打ち砕いてくれる。そもそも彼はニルグン(無形)であるが、彼のバクタたちの信仰の為に彼は形を取ってくれたのである。バクタたちの解脱や自己認識を与えることが聖者の使命であり、最高の聖者であるサイにとってその使命は避けられないものである。

 

彼の足に避難する人々の罪は打ち砕かれ、彼らは確実に進歩するのだ。彼の足を思い浮かべて、ブラーミンたちは聖なる土地から彼の元へやって来て、彼の前で聖典を読みガヤトリマントラを唱える。弱く、何の取り柄もない私たちはバクティの何たるかを知らないが、他の全ての人が去ってもサイだけは私たちを見捨てないということをよく知っている。彼が祝福した者たちは計り知れない強さを手に入れ、非現実と現実と知識を区別するようになる。

 

  サイは帰依者の望みを全て知っていて同時にそれを叶えてくれる。だから帰依者たちは望むものを手に入れ感謝するのだ。だから私たちは彼に救いを求めその前にひれ伏すのだ。私たちの欠点を全て忘れ、彼にあらゆる心配事から私たちを自由にしてもらおう。苦難を乗り越えようとサイを思い浮かべ祈る者は、彼の恩寵で心の平安を得るだろう。

 

  慈悲の大海であるサイはヘマドパントに恩恵を与え、その結果が本書サイ・サッチャリタである。そうでなければどんな資格で彼はこの仕事を為しえたというのか?だがサイが全ての責任を負ったので、ヘマドパントは負担に感じることもなく、心配をすることもなかった。知識の力強い光が彼の言葉とペンに霊感を与えている時に、彼が疑いを持ったり不安に感じる必要がどこにあるだろう?サイは彼が成し遂げたこの本の執筆という形の奉仕を受け取った。これは彼の過去世での功徳によるもので、彼は自分が幸運で祝福されていると考えている。

 

  次の物語は単なるお話ではなく、純粋な甘露である。それを飲んだ者はサイの偉大さと彼があまねく遍在していることを理解するであろう。これについて議論したり批判したい向きは本書を読むべきではない。ここで求められているのは議論ではなく、究極の愛と信仰心である。博学で信仰深い信者たち、または自らを聖者の僕であると考える人々は、こうした物語を好み評価するが、そうでない人々はただの作り話だと考えるだろう。幸運なサイのバクタたちはサイのリーラがカルパタル(願いの叶う木)だと知るだろう。サイ・リーラの甘露を味わうことで、無明のジヴァには解脱が、家長には満足が、大望を抱く人にはサーダナが与えられるだろう。それでは本章の主題に入ってゆこう。

 

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