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まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

大大阪を実感する建物群

2025-04-14 12:36:00 | 建築まち巡り近畿 Osaka, Kansai

TDA大阪研修の最終日は自由散策。昨日のグラングリーン見学があまりに寒くて、風邪気味でしたが、せっかくの大阪です。

少しでも歩いてみようと思い、宿のある難波周辺から散策開始。

(下写真)まずは、高島屋東別館。もともとは松坂屋大阪支店として建てられました。1928年から1934年、1937年と増築されたそうです。ちょうど

大阪が人口や工業生産額で日本一の都市として繁栄を極めた時期ー大大阪時代ーと一致します。今日見て回る建築群はちょうどその時期のものです。

高島屋東別館は重要文化財です。設計は鈴木禎次、施工は竹中工務店。

(下写真)立派なアーケードがあります。

 

中に入ると、デザインの基調はアールデコ。

細部もアールデコですね。

アメリカで大流行したギザギザ模様のアールデコです。楽しいです。大阪の人たちも、このデパートで華やかな雰囲気を

堪能したのではないでしょうか。建築の役割の一つは、市民に楽しく心地よい環境を提供することです。当時の建築家は

アールデコデザインでみんなに喜んでもらおうと思っていたのだと推測します。

(下写真)堺筋を少し北に歩くと大阪日本橋キリスト教会。1925年、山中茂一という方の設計です。

ちなみに1937年に御堂筋が開通するまでは堺筋が大阪の南北方向のメインストリートでした。御堂筋の拡幅整備は大大阪時代を

象徴する都市整備だったようです。驚くことに、従前は幅6m、それを市長関一が44mに拡幅したのです。今は文字通り大阪の顔、

シンボルロードになっています。

 

(下写真)堺筋から御堂筋に歩いていくと心斎橋大丸。ヴォーリズの設計で1922年竣工・・・だったのですが近年建て替えられたとのこと。ただ、外壁保存

の上、内部の装飾はできるだけ残すようにしたそうです。百貨店建築の最高峰とも言われていたようですが、うまく保存部分を残してくれただけでもありがたく思います。

外観はゴシックの基調にアラベスクな雰囲気も。自由ですね。

 

 

こういうところはアールデコでまとめています。

中がどれくらい元のままかはわかりませんが、華やかな雰囲気は継承しているのではないでしょうか。

(下写真)アラベスク?アールデコ?。楽しくなります。

(下写真)こちらはアラベスク調ですね。

(下写真)華やかな雰囲気は巧みに継承しているようです。

次は北方向、船場の方へ歩きます。原田産業、1928年。歴史様式をベースにしてはいますが、玄関の位置など、歴史的な形式にとらわれない

精神が読み取れます。ここでもモダニズムの時代はすぐそこまで来ているという思いがします。

中に入ると、「見学期間がありますので、その時にぜひいらしてください」との丁寧な対応。仕事中に、見学者が入り込むのでしょう。自戒。

(下写真)最後はすぐ近くにある農林会館。1930年。元は三菱商事の大阪支店。

 

(下写真)今のオフィスビルとは違い、ある種の形式に則って作られています。用途がどうのという以前に、しっかりとした建築はこうあらねば

ならないという、形式があったのだと思います。それを打破したのが機能主義を標榜するモダニズム建築。ただ最近は、機能とは別に空間の形式

を発想するという設計スタイルも多いように思います。考えてみると、日本建築は八畳間とか床の間・書院など機能とはひとまず別の形式がありそれ

をうまく使いこなしていたわけです。いろいろ考えさせられます。

 

 

高谷時彦 Tokihiko TAKATANI

建築・都市デザイン architecture/urban design

設計計画高谷時彦事務所 TaK studio

 


安藤建築と中之島の公共建築群

2025-04-11 20:12:06 | 建築まち巡り近畿 Osaka, Kansai

TDA大阪研修の2日目は午後からグラングリーン見学です。梅田の大阪駅北に最近完成オープンしました。見学と講演会をアレンジしてくれた先生方からのおすすめに従って午前中は中之島の公共建築群見学。

(下写真)まずは安藤忠雄氏の子どもの森図書館。中之島には民間の方の寄付による公共建築がいくつかあります。住友家や伝説の相場師の寄付ですが、いよいよ安藤氏もその仲間入り。ご自身が寄贈した建物です。素晴らしい行動力ですね。

本があると、建築の素材感が後ろに下がり、空間そのものの構成が前に出てきます。建築家のつくる空間そのものの良しあしが出ます。さすが安藤さんはうまいです。本と書棚を使って居心地の良い空間を作り上げるのは、司馬遼太郎記念館でも体験しました。間違いないですね。

(下写真)安藤さんには、子供たちが、空間を使い切る様子が、製図版に向かっているときにすでに見えているのでしょうか。

納得して外に出ます。(下写真)安藤さんと同じように地元大阪の人が寄贈した、中央公会堂。岡田信一郎の設計です。1918年にできています。ネオルネサンス様式にバロック的要素が加味されているとのこと。

中央のアーチと両翼の塔という堂々たる構え。ただアーチを日本の柱がささえているというのも、理に合わない。柱頭も基壇部のイオニア式に対して、少し複雑で(私には)よくわからない不思議な形状。相当自由にやっていると考えていいのでしょうか。

(下写真)中の公会堂ホールは圧巻です。セセッション風?イスラム風?

音響がいいかどうか知りませんが、空間体験としては忘れられない時間が過ごせそうです。

(下写真)公会堂の対面には大阪図書館。住友家の寄贈で、野口孫市の設計です。1904年。こちらはコリント式のオーダーを持つ柱が、謹厳とした雰囲気を作っています。図書館とはそういうものだったのでしょう。

 

 

ちょっと優しいバロックですね。

見上げると圧倒されます。

 

(下写真)御堂筋に戻ると、日銀大阪支店。東京と同じくこちらも辰野金吾。1903年。

 

道に迷ってはいけないので御堂筋を外れないように北上し、梅田を目指します。

(下写真)ふと、右手を見ると不思議な建物。建物名は、曽根崎変電所と読めます。

ネット検索すると市電への給電施設として1936年につくられています。RC3階建て。

表現主義的ブルータリズム?面白い。時間があれば、外部をぐるりと見てみたい建物です。しかしそんな余裕はありません。グラングリーンに向かいます。曽根崎だから梅田はすぐそばのはずです。

高谷時彦 Tokihiko TAKATANI

建築・都市デザイン architecture/urban design

設計計画高谷時彦事務所 TaK studio

 


ヴォーリズの教会から金光教へ歩く

2025-04-11 18:22:37 | 建築まち巡り近畿 Osaka, Kansai

中之島美術館を見た後は、淀屋橋駅経由で難波に向かいます。TDA大阪研修の初日は難波ひろば見学です。集合時間に間に合うように移動です。とはいえ、この道筋では若干の寄り道をせざるを得ません。まずはヴォーリズ設計の大阪教会(下写真)。礼拝以外での見学はできませんが、パンフレットを外に置いてくれています。1922年の献堂、100年を超えています。

ロマネスク的な雰囲気を漂わせる塔(下写真)。

パンフレットによると煉瓦はフランドル積み(下写真)。先ほど見た大阪倶楽部(安井武雄)もそうですが、レンガでいろんな表情を出せることに感心します。さまざまな工夫が風景に深みをつくり出しています。

続いてすぐ近所の江戸堀コダマビル(下写真)。前掲の『生きた建築大阪』(橋爪伸也、倉方俊輔他)によると1935年竣工です。設計者は岡本工務店、ヴォーリズの大阪教会の施工をした会社です。

瓦などからスパニッシュな印象がありますが、バルコニーの柱頭など日本的な意匠も混じっています。形式は一定程度踏まえているものの、自由な個人の工夫のあとが見られます。この時期の建物を見る楽しみにもなります。

 

(下写真)もともとはお店ではなく綿布商の本宅です。町家と同じ都市住宅です。

(下写真)開いていませんでした。残念。

(下写真)駅に向かって歩いていくと、不思議なお屋敷?お寺?神社?そういえば何年か前にも遭遇しました。金光教の教会です。千鳥破風が印象的です。

(下写真)みちを挟んで反対側にはモダニズム建築として、会議施設があります。なかなかいい雰囲気をつくっています。だんだん思い出しました。ネット検索すると日建設計、竹中工務店のコンビです。

(下写真)電柱がなければ、相当印象が変わります。ここから見ると教会の屋根は形状という点では比翼入母屋造と共通する特徴を持ちます。

(下写真)淀屋橋駅に急がないといけませんが、最後に山内ビル。1930年、山内香法律特許事務所として建てられました。

(下写真)入り口にちゃんと名前が残っています。ファサードはスパニッシュの要素もありますが、入り口はアールヌーボ―ですね。

 

(下写真)この建物は土佐堀川の方から見ると、さらに面白い表情です。表現主義的な伸びやかなラインと、シンメトリーにこだわらない動きのあるバランス。歴史主義建築に感じられる垂直方向の構築性ではなく面という要素を自由に組み合わせ構成していく感覚が見え隠れします。モダニズムはすぐそこにあるように思えます。

高谷時彦 Tokihiko TAKATANI

建築・都市デザイン architecture/urban design

設計計画高谷時彦事務所 TaK studio


今橋ビルディングから中之島へ

2025-04-07 17:34:40 | 建築まち巡り近畿 Osaka, Kansai

大阪倶楽部を堪能した後、今橋ビルヂング。

(下写真)もともと消防署(1925築、RC造)で消防車がいた場所をお店にしているとのこと(この記事も「橋爪伸也ほか2015、2018『生きた建築大阪1』、『生きた建築大阪2』 株式会社140B」から適宜引用させていただきました)。軒などは歴史主義的、全体としてはアールデコ的な造形ということになるんでしょうが、様式でくくり切れない時代に来ていると感じます。もちろんモダニズム建築の自由さとは質の違う自由ですが、設計者がそれぞれ思い思いの工夫を凝らす時代だったのだと思います。

お店のダル・ポンピエーレというのはイタリア語で消防士のことだそうです。にくいネーミングです。

ここから北方面中之島方面に向かうと、土佐堀川に面して、三井住友銀行大阪本店ビル(下写真)。

大迫力。もともとは住友の本社です(19261期、19302期、SRC)。

今橋ビルと同時期ですが、こちらはイオニア式オーダーを持つ、古典主義建築。とはいえ、玄関周り以外は、シンプルなオフィスビルの表情(下写真)。外壁は高砂の竜山石(黄、凝灰岩)とイタリア産トラバーチンを混ぜた擬石ブロックだとのこと。装飾を排して規格化を進めています。モダニズム建築に通じる合理的な思考がうかがえます。

土佐堀川を渡って、中之島に入ります。まずはダイビル本館。ダイビルというのは大阪ビルということだそうです。住友と同時期の建築、1925築RC造です。こちらも玄関がすごい(下写真)。一部本社機能を持つ貸しビルとして建てられました。設計は渡辺節。担当者に若き日の村野藤吾がいたという話はよく聞きます。ロマネスクが基調となっているとの解説ですが、こうなると、歴史主義の○○様式といった捉え方は難しいように思います。足元廻りは素晴らしい彫刻作品です。

インカやマヤの影響はあるのでしょうか。

この建物は、中にも入れました。1、2階はレストラン街になっています。原形を尊重して建て直しているのです。ダイビルのビジネスモデルは「建てたビルは長期にわたって保有する」ということだそうです。サステイナブルですね。

天井は、復元でしょうか。飲食街、あるいは貸しビルとして生きた建物です。

外に出て、振り返ると驚きます(下写真)。こんなごっついのが上に載っていたんですね。

新しくできた中之島美術館を目指します。黒く抑制されたファサード、入ってみたくなりますね(下写真)。

(下写真)無料ゾーンが限定されており、この建築の見どころである積層するパサージュが堪能できなかったことが残念です。私の写真も不出来です。

高谷時彦 Tokihiko TAKATANI

建築・都市デザイン architecture/urban design

設計計画高谷時彦事務所 Tak Studio

 

 


大阪倶楽部(安井武雄1924)

2025-04-03 17:24:11 | 建築まち巡り近畿 Osaka, Kansai

TDA(NPO法人景観デザイン機構)の大阪研修の初日は難波広場に午後集合。午前中のあき時間を利用して淀屋橋周辺の建築巡りをしました。

まずは大阪倶楽部。1924年竣工、安井武雄の「自由様式」だそうです(橋爪紳也、倉方俊輔ほか2015『生きた建築大阪』株式会社140B、及び1階ホールの掲示パネル説明を適宜引用しています)。

(上写真)全景。

(下写真)正面から見ると、イタリアの都市建築であるパラッツォ風。設計者は「南欧風の様式に東洋風の手法を加味せるもの」と解説しています。

軒回りペディメントの位置にある装飾は、インドのアショカ王由来のサーンチ―遺跡から引用しているそうです。また玄関ポーチ脇の自立柱もインド風とのこと。自由ですね。

(下写真)こんな感じ。

(上写真)外壁レンガ(建物はRC)の多彩な表情には驚きます。

(上写真)開口部廻りのディテールも繊細です。メダリオンにはOとCを組み合わせたロゴがあります。おそらく大阪Oと倶楽部Cの組み合わせでしょうか。

(上写真)アーチと組み合わせた窓もあります。

(上写真)中に入ると当時のままのようです。

(上写真)会員用のクラブ室です。

(下写真)エントランスホールには泉盤も残っています。

(下写真)中心にいるのは邪鬼とのこと。

(下写真)ホールには、現建物の前の大阪倶楽部の写真が展示してありました。

(上写真)木造3階建て。設計は野口孫市、長谷部鋭吉の住友コンビなんですね。野口孫市の大阪図書館は翌日見る予定です。

残念ながら、部屋の中には入れませんでしたが、外観やエントランスホールは体験できました。確かに安井武雄が自由に造形をしています。20世紀初頭のこの時期は、世界中でいろいろなスタイルの建築が花開いた時期だと思います。日本においても、ヨーロッパの歴史様式建築を学び受容する時代は終わり、1920年には分離派宣言、その後はインターナショナルスタイルも加わり、かなり自由な造形の時代だったのだと思います。ちなみに大阪倶楽部の10年前にグロピウスのファグス工場、大阪倶楽部とほぼ同時期にバウハウス(デッサウ)が竣工しています。世界中でいろんな新しい試みがなされ、建築としては面白い、刺激的な時代だったのでしょう。

高谷時彦 Tokihiko TAKATANI

建築・都市デザイン architecture/urban design

設計計画高谷時彦事務所 STUDIO TaK