まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

請戸小学校震災遺構は何が起こったのか伝えてくれます

2024-05-05 19:10:25 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

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東日本大震災伝承館を見終えて、食事の場所を探しに隣の建物に入ると、食堂はお休みでした。その様子を見ていたのでしょうか、係の方が話しかけてきてくれました。「お店はあるけど営業できていないんです。ひとがいないんですよ」。避難困難区域が解除されて「100世帯くらい暮らしていますが、元の町の人が戻ってきたのは30件くらいしかないんです」。そういう状況なんですね。ここはまだまだ被災中なのです。

係の方が親切におっしゃるには「復興支援で岐阜県から来てくれた浅野撚糸の工場に食堂があります。あの赤い屋根を目印にしてください」とのこと。行ってきました(下写真)。会社ごと支援しているんですね。

続いて、請戸小震災遺構を目指しました。

浪江町立請戸小学校は、犠牲者が一人もいなかった奇跡の小学校です。地震発生直後から近く(といっても結構遠く見えますが)の山に全員で避難したのです。本当に良かったと思います。

すさまじい出来事を彷彿させる展示ばかりです。

ものすごいエネルギーだったことが伝わります。

2階の床ギリギリ迄津波が来たようです。

アルミサッシは、障子(可動の部分)が跡形もありません。

建物の、表側も裏側も関係なく、水の力が及んだことが分かります。

この小学校から犠牲者が出なかったことは本当に幸いでした。長く伝えていかないといけないと思います。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/urban design

設計計画高谷時彦事務所

 


東日本大震災伝承館へ

2024-05-05 18:07:35 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

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東日本大震災・原子力災害伝承館は、忘れてはならない大切な事柄を受け継いでいく場所です。重い事実を伝えるわけですが、建物自体は大変軽快でさわやかなものです。地元福島出身の渡部和生さんの設計です。氏の作品は、いくつか拝見しました。分かり易い空間構成をとりながら、部分は丁寧に作り込んでいく・・というスタイルで、学ぶところの多い建築ばかりでした。朝早く訪れたのでもやの中の写真となりました。海が近いせいです。春になるといつももやが出ていた、自分の生まれ故郷、高松の海辺近くを思い出しました。

木の竪羽目板を外壁に用いており、優しい印象もありますが、ディテールがしっかりしているので、大変シャープで「きちんと整った」感じも持ちます。木を使うだけではなく、どう使うのかが大事なのだと思います。

足元も、巾木部分にレンガのような質感のものがちらりと見えます。こだわっていますね。

エントランスのラウンジです。右手方向に海があり(堤防があるのと少し距離があるので直接は見えませんが)、海まで広い芝生がひろがっています。その景色を横長の窓で切り取っています。残念なことに展示物でうまく写真が撮れません(展示のせいではありません。写真の腕ですね)。

巾木のおさまりもきれいです。この辺りは、広くないので、広報展示がなくてもいいのではないかという気がします。

とはいえ、広報を含む展示が主役です! ということで最初の展示室に入ります。らせんのランプウェイですね。青山スパイラルを皆さん思い出すと思います。曲面壁にプロジェクションするという発想がユニークです。

この展示ホールはいいと思ったのですが、この形状が、内部のほかの部分と関連性を持っていないことや、外観にほとんど表現されていないのが、残念な気がしたのですが、そのあたりは設計意図としてどうだったのでしょうか。下写真は円形の展示ホールの外観ですが、もう少しスパイラルの形態を表象することもできたのではないか・・と思ってしまいます。

展示物の一部です。水素爆発を起こした、あとの原発です。復旧にはまだまだ数十年を要するでしょう。

展示室を出ると、エントランスラウンジの上部に戻ります。分かり易いですね。

エレベーター廻り。きれいですね。

階段のおさまり。面白い。

屋上もあるんですね。見そびれました。周りは復興記念公園になるようです。公園ができた時に、また見に来たいと思います。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/urban design 

設計計画高谷時彦事務所


豪農の別荘:蛇の鼻御殿

2024-05-05 16:38:23 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

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本宮映画劇場を見た後、すぐ近くにある蛇の鼻公園に連れて行ってもらいました。市の公園ではなく、何と、地元の豪農の別邸だったところだそうです。池もあり絶景です(下写真)。

さらに驚くのは、贅を凝らした別荘建築、蛇の鼻御殿。

明治37(1904)年に出来上がったそうです。10年前には日清戦争での勝利。日本で、いわゆる近代和風建築が多くつくられた時期です。このころまでは、景気も良かったのだと思います。

破風玄関には多くの装飾があります。

中も贅の限りを凝らしています。残念ながら部屋の中には入れませんが、解説によると材料などはすごく高価なものだらけのようです。

私は、残念ながら贅とは縁のない人間ですが、この建物では例えば床柱は琵琶、床板は欅一枚板、落とし掛けは黒柿、そして天井は屋久杉といった具合です。

廊下、階段廻りは黒柿のように見えます。

面白いディテールもありました。雨戸のレールの敷居は、フラットバーの竪使いです。いいですね。

忘れるところでした。この豪邸を建てたのは、歌手の伊藤久男さんのお父さん。伊藤久男さんは何と言っても「イヨマンテの夜」・・・まず若い人にはわからないでしょうが。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/urban design

設計計画高谷時彦事務所


本宮映画劇場は大正昭和の歴史を語る映画館

2024-05-03 16:45:09 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

 私たちが設計した鶴岡まちなかキネマのX(Twitter)をみていると、時々、本宮映画劇場が登場します。懐かしい外観を見て、思わずフォロー。その本宮映画劇場を訪問する機会に恵まれました。

(下写真)玄関側外観です。木造三階建。日本建築の翼廊を持つ左右対称形という点では銀座歌舞伎座のような・・・あるいは石造「風」基壇をもつバロック的な構えにも見えますが様式建築の持つ約束事に従うそぶりは全くなく、自由に、壁の凹凸をつけたり、愉しくファサードをつくっています。

(下写真)後ろに廻ってみると、全体の構成が良く分かります。正面の作り(ファサード)は洋風ですが、日本の伝統的な芝居小屋の作り方でできていることが分かります。劇場の本体は三角屋根、切妻屋根です。小屋組みは洋なのか和なのか、わかりませんが、おそらく木造のキングポストトラスではないでしょうか。館主は「東大の先生が合掌形式になっているといっていた」とおっしゃっています。

 下左写真は四国は愛媛の内子座ですが、左右に出っ張り部分を持つ玄関側の作り方の基本が共通していることが分かります。正面側の屋根が中央部分と左右の二つから構成されていることも同じです。また後ろにある客席部分が本宮劇場と同じ切妻屋根であることも確認できます。下右写真はお隣高知の梼原座ですが、これも同じように、正面側に左右対称の出っ張りを持ち、背後の劇場本体部分は三角の切妻屋根です。

 以上のような、木造の芝居小屋の中身に対して、中央の屋根をアーチ型にしたり、壁の下部に基壇をつくったりと、「ハイカラ」な洋風のファサードを付けたのでしょう。それは建設された大正3(1914)年という時代を反映しています。建て主は小松茂藤治さん、当初は「歌舞伎座兼公会堂」だたそうです。立派な棟札も拝見しました(下写真)

 中に入ります(下写真)。立派なスクリーンと舞台です。昭和の映画館風ですが芝居小屋に欠かせないプロセニアムもちゃんとついています。。後程紹介する現館主の田村さんが子供のころ、経営していたお父様が、1945年に映写機を備え付け、本宮映画劇場にしたそうです。両袖には桟敷席があったかもしれませんが、今は壁でふさがれています。

劇場ですから、舞台上の吊り物機構も備えられるようになっています。ブドウ棚のようなものも見えます(現在舞台にあがることはできません)。

床は土間になっていました。客席を振り返ります(下写真)。1階だけで200席前後はあると思います。さらに後ろには2階、3階席があったと田村さんが解説してくれました。写真が貼ってある壁をはがしてみたいものですが。今は2階への階段も閉鎖中です。天井も面白い装飾がされています。私は、このタイプの天井を見るのは初めてのような気がしますが、類似のものがあるようにも思います。

館主の田村さんが、「今日は気分が乗ったので、映画を少しだけみせようか」ということになりました。あとで見せてくれる常設の「映写機は無理だから、プロジェクターを使うよ」ということでした(下写真)。

美空ひばりと林与一主演の映画予告編でした。封切り当時の映画を見たかもわかりません。子供のころは、毎週映画館に行っていましたし、一度に2本か3本見ていた(3本建て上映)ので、何を見たのかよく覚えていません。残念です。

劇場から去りがたい気分でしたが、田村さんはそのあと映写室を見せてくれました(下写真)。煙突付きの映写機の横に立っておられます。

 

何と、カーボンアーク35mm映写機です。初めてまじかに見ました。今は、古い映写機といってもキセノンランプ製ですから、大変貴重なものです。アークの火花を出す炭素棒もセットしてあります。高密(高光)工業のROYALという映写機のようです。

何と、炭素棒も実物が置いてあります。現役です。もちろん初めてみます。

2本を近づけて放電するときの光を光源にするのです。当然ですが放電で段々ちびていくので、常に調整が必要です。下の写真は使用後の短くなった炭素棒です。

 

映写室の隅にはフィルムを巻き取ったりする機械(何と呼ぶのでしょうか)やフィルムをつなぐスプライサーもありました。映画「ニューシネマパラダイス」の世界です。

最後に記念写真もお願いしました。

先ほど1945年に映写機を入れて映画館にしたと言いましたがその後、本宮映画劇場は1963年に閉館したそうです。現館主の田村さんは長く映画館とは離れ別の仕事をしていましたが、定年後、復活させたそうです。

田村さんは、「私はあと30年大丈夫」とおっしゃっていましたので、これからも、時々は上映してもらえることと思います。ただ、「映画館」として営業するのは大変そうです。例えば映写室は、私もまちなかキネマを設計したので分かりますが、もともと防火性能確保のため規定が厳しく、今の状態はいわゆる「既存不適格建築」です。ほかにも、現行法規への適合などを含め、いろいろ大変なことがありそうです。

とはいえ、30年といわずその先にも、何とか残っていって欲しいものです。

また機会を見つけて見学したい建物です。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/urban design

設計計画高谷時彦事務所