まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

新幹線ホームからまちを考える?

2022-10-23 13:23:12 | 建築・都市・あれこれ  Essay

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庄内の大学に通うため、最近は新幹線を使うようになりました。新幹線ホームからは意外なものが見えます。まず、第一に紹介するのは頭端式ホーム(下写真)。東京駅は新幹線の終着駅でもあります。バラストが盛られた向こうにオーバーランする車両をとめるため?の車止めがあります。

私は、四国の高松で生まれ育ちました。瀬戸大橋ができるまでは、駅(高松駅)には四国各地からの線路が集まってきており、まさに終着駅の趣きがありました。乗客は、頭端式のホームで列車をおりて、連絡船乗り場まで、場内の階段を駆け上がるのです。みんな無口で先を急ぎます。一方その間に貨物列車はそのまま連絡船の中に滑り込んでいきます。

私にとっての「駅」というと終着駅のイメージとなります。映画の「終着駅」ローマ駅もそうですし、子供のころ親戚を訪ねて乗った琴電の琴平駅も頭端式でした。数年に一回の楽しみであった大阪旅行でも印象に残っているのは阪急梅田駅です。何本もの電車が並んで止まっている終着駅の風景です。

 

ホームから見えるもう一つの風景は、下写真の東京中央郵便局です。アルミカーテンウォールとガラスのファサード(立面)が並ぶ中に、異彩を放っています。隣に見える東京駅の異彩さとはちょっと質の違うものです。丸ビル、新丸ビル、東京海上ビルなどほとんどの建物がスクラップとなっていく中で、東京駅と中央郵便局(こちらは一部ですが)は残されました。壊されたものと残ったものと何が違うのでしょうか。考えてしまいます。

中央郵便局は1931年、吉田鉄郎の設計でできました(以下阿部聡子氏の論文(2022アクセス)を参照しています)。

柱梁の構造体を素直に表現して、白いタイル張り。モダニズム建築です。1931年竣工というとコルビュジェのサボア邸と同じです。当時の日本の状況である「日本趣味」に走ることなく、現代的な材料で、機能を素直に形にしていることから逆に日本的な印象をもたらしたことはブルーノタウトや岸田比出刀氏の指摘の通りだと思います。建設当初から賞賛の対象となっていた、反対側のファサードはなくなってしまいましたが、それでも雰囲気はよくわかります。

私のお気に入りは煙突です。灯台のようなフォルム、周りの建物のように高さを競っているのではなく、あくまでもファサード全体のバランスの中で、きっちりその役割を果たしています。端っこをぎゅっとしめています。

新幹線ホームから眺めると大勢の人が屋上に見えます。思い立って、帰りに少しだけ寄り道しました。木口タイルですね。新幹線ホームからは分かりませんでしたが、ファサードを特徴付けている水平要素、庇の出隅にはラウンドコーナーを持つ役物タイルが使われていました。こういうディテールが優しさを生みます(水は切れないでしょうが・・・・)。ベンチのデザインにも、建築の持っている雰囲気への気遣いがあるとさらに良かったのではないかと思いました。決して似たものをつくって欲しいということではありません。吉田デザインにどこかで呼応するというありかたもあったのではないかという思いです。

 

屋上からは丸の内側の広場が一望(下写真)できます。歩行者デッキがなく、余計なシェルター類も目立たない「広場」という風景をデザインしていることが

よく理解できます。大変秀逸なデザインだと思います。

参考にした資料

阿部聡子 「「東京中央郵便局」再考」東京大学総合博物館ニュースVol.18/Number1

https://www.um.u-tokyo.ac.jp/web_museum/ouroboros/v18n1/v18n1_abe.html(2022.10.23アクセス)


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