野に撃沈2

多摩地区在住の中年日帰り放浪者。(k10D→k7→k30→)k‐5Ⅱsを忍ばせ、人気のない野山や公園、路地裏を彷徨い歩く

休日の神代植物公園スナップ

2011-09-26 | 公園

  

 

 三連休の最終日、調布にある神代植物公園を訪ねた。

 大芝生のパンパスグラス

 

 少しは期待していたバラ園は全く空振り。唖然として噴水を眺めるばかり。この様子では秋バラが見られるのは10月の中旬以降だろうか。

 

 

 仕方なく大温室の中へ。

サガリバナもほとんど散ってしまっていた。

 

 

 名前のわからない花が二つ

 

 

 温室を出てバラ園の周りを散策しようとすると、この前の台風15号の影響で通行禁止になっている小道が多い。仕方なくいったん園を出て水生植物園の方へ行くことにした。

 

 多くのカメラマンを引き付けていたのが田んぼ脇の彼岸花。 

 

 

 ちょっと高台に上がると小さなソバ畑がある。この間の台風でも倒されなかったようだ。

 

 

 再び深大寺の茶店通りを抜けて本園に戻った。椿園や梅園へ行く橋は完全閉鎖、ほかにもところどころ通行禁止にされているところが多い。花の少ないこの時期、それに加えて園内の3割近くが立ち入れないのだから、せめて500円の入園料を半分ぐらいにしてほしいものだ。

 

 野草園のところにひっそりと咲いていた、タヌキマメ。

 

 同じ野草園の中にナンバンギセルも見つけた。

 

 

 お終いははアザミに来ていたキアゲハ

 

 

 明日からは福島の山をいくつか登ってきます。 この辺で。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


小下沢から景信山へ

2011-09-23 | ハイキング

 小仏峠へと至る裏高尾の道を途中日影沢分岐を過ぎたあたりで右に折れる。その先は小下沢(こげさわ)へと続く道になる。小仏や日影沢の林道と違ってハイカーの数が少ないのが良い。花や鳥の声を聴きながら静かな林道歩きを楽しむことができる。早春のアズマイチゲやハナネコノメに会いたくてここ数年何度も通い続けている場所だが、秋にはまだ一度も来たことがない。今日はいったいどんな花に会えるのだろうか楽しみだ。

 車も通れる林道なのだが、すぐ先は行き止まりなので車を見かけることはほとんどない。

 

 

 ハグロソウがまだたくさん咲いていた。

 

 何とかミズヒキの花の紅白を撮れた。思ったより蕊が長いのだ。

 

 ノブキも多く咲いていた。ノブキの名は葉が蕗の葉に似ていることから。

 

 ミズヒキとノブキのコラボレーション。ちょっと戯れにダンスをしているようだ。

 

他にはレモンエゴマやフジカンゾウが目につく。

 

 大きな草に絡まっているのはヤブマメ

 

 ツユクサも随分と花期が長い花だ。

 

 これもゲンノショウコのツーショット。

 

 日当たりのよい林道ではないのでツルボはこの株だけ。

 

 

 沢沿いに目立つのはミゾソバとツリフネソウ

 

 

 カラスノゴマは珍しいシナノキ科の花。同じ科にはボダイジュやモロヘイヤなどがある。

 

 道端に何気なく咲いているのだが、下向きに咲く姿が何とも愛らしい。

 

 奥の方まで歩いてきたら、だんだんとキバナアキギリが目立ってきた。 

 

 

 左はキンミズヒキとわかるのだが、右の花はさて何の花だろう。アキノタムラソウに似ているが……。

 

 トウダイグサの仲間

 

 30分ほどで景信山の登山口となっている野営場に着いた。

 

この右手を登っていく。少し登っただけで山の植物へと植相が変わっていく。

 

ヤマホトトギスそれともヤマジノホトトギス。ネットで探していたら、こんなサイトがありました。

 

 それにしても花の同定は奥が深い。

 

 ジャコウソウはしそ科の仲間、これにもよく似たタニジャコウソウという花がある。

 

 

 大きく巻いて小沢に別れを告げる。のぼりが急になってきた。オオバショウマはキンポウゲ科の花で蕗のような大きな葉が特徴の花。

 

 

 

 ツルリンドウはリンドウ科の中では地味な方で、花よりも真っ赤な実の方がよく目立つ。

 

 登りの途中でよく目立ったのはシモバシラの花。こんなにたくさん群生しているなんて、今度は厳冬期に冬のシモバシラを見に来ることにしよう。

 

 こちらの方の花はアキノタムラソウで良いだろう

 

 この花の同定も私にはちょっと荷が重そうだ。ヒメジソそれともイヌコウジュそれともヤマジソ。うーんわからない。

 

  花の同定に頭を悩ませながら登ってきたら、視界が急に開けた。もう頂上についてしまったようだ。

 

 ヤマハギが風に揺れている。

 

 今日は休日ではないので頂上の売店は休業。

 

シラヤマギクやノダケが秋日を浴びて心地良さ気に咲いている。

 

 

 

 遥か遠方に都心が望める。よく見るとひときわ細長く高いスカイツリーも見えた。

 

 ちょうどお昼時、ここの隅っこでお昼を頂くことにしよう。目の前にはススキと秋の草花の控えめなお花畑。残り少ない今年の花蜜を争って蝶たちが忙しげだ。

 

 セセリチョウとキアゲハ

 

 

 アカトンボもいる。いずれもこの秋で命を終える者たちが今このひと時を精一杯生きている。

 

 

 この後は白沢峠、堂所山と巡って、開場峠へと下り小下沢まで戻った。いい低山歩きだった。

この辺で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


三峰神社

2011-09-18 | 旅行

 秩父の奥地、標高1100mの地に三峰神社はある。元来が不信心者の私は、神社詣でや寺社仏閣めぐりは敬遠する性質なので、ここを雲取山の登山口としてしか知らなかった。

少し階段を上った先にあった、守衛所のような建物。昔は警官が常駐していたとあった。 

 

 

 遥拝殿

 

 奥秩父の山並みが望める

 

 階段の下にあった狛犬。ここの神社の狛犬はすべて狛狼。この奥秩父一帯に伝わる狼信仰の現れで、かって登った両神神社もそうだった。

 

 随身門

 

 

摂末社。全国各地の三峰神社にゆかりの深い神社を集めたもの。

 

すべて著名な神社の名がつけられている。一つ一つ丁寧に手を叩き、参拝している人もいた。

 

 これはその中でも大きい伊勢神宮を模した神社

 

 苔のはがれた顔がりりしい狛狼

 

 

 

 拝殿

 

 

 ご神木。手を当て頬ずりしている人が多い。神木のパワーを頂けるのだとか。

 

 

 

 

 

 

 神楽殿

 

 

 

 

 豪勢な飾りのついた本殿

 

 

正面は社務所。その隣には興雲閣という建物があって食事や日帰り入浴までできる。

 

御神籤などのグッズが売られているのはほかの神社と同じ、地酒の売られているコーナーもあったのには驚いた。

 

 小教院、コーヒーハウスという表示が書いてあった。

 

 その裏手に縁結びの木があるというので歩いて行ってみた。

  二種類の木が抱き合って立っているだけ。

 

 クマよけの鈴が紐で括り付けられたその先には奥宮があった。狛狼が群れで祀られているのには珍しい、初めて見た。

 

 少し戻った先の二対の狛狼。紫色の涎掛け(のようなもの)がちょっと粋だ。

 

 

 遥拝殿の隣にあった空手家大山倍達の碑。ここで山籠もりの修業を何度もしたのだとか……。ここでゴッドハンドを授かったのか。

 

 手を挙げて気さくな様子を見せているのは、当山の創始者とされる日本武尊像。名の割にはちょっとチャチイと感じるのは、不信心者の故だろうか。

 

 三峰神社は最近では有数なパワースポットとして持て囃されているそうで、確かに鄙には稀な妙齢の女子を少なからず見かけた。が、そもそも生きるパワーを他のものに求めるのは、人の生き方として少し安易に過ぎるように思われる。神頼みは最後の最後にして、まずはもっと努力しようよというのは益体もない老人の戯言か。

 

 この辺で。

 

 

 

 

 

 


初秋の秋田駒ヶ岳に登る

2011-09-15 | 登山

お盆が過ぎてしまうと田沢湖駅から秋田駒ヶ岳8合目までのバスは土日だけの運行になる。

 このことを知らなかった私は、田沢湖駅前のバス停で途方に暮れてしまった。がまだ時間はたっぷりあるしと、気持ちを入れなおして登山口までのバスに乗った。

 

 少し歩き始めたところで、大曲在住の親切なおじさんの車に拾ったもらった。2時間の登りを覚悟していたが、僅か十数分で8合目についた。

 

天気予報は晴れだったのだが、8合目はガスがかかっていた。おじさんに何度もお礼を言ってから登り始めた。(後で親切なおじさんとは男女岳の頂上で再会した。)

 

 登山路はすでに秋の花がほとんどで、よく目立つのはウメバチソウの花だ。

 

 ヨツバヒヨドリも多い

 

 ヤマトリカブト

 

 シラネアザミに似ているが……

 

 ノコンギク

 

 夏の終わりから秋にかけてはキク科の花が多いのだが、いずれも同定が難しい。 

 

 オヤマリンドウ

 

 30分ほどで片倉展望地。眼下に8合目の駐車場が見える。

 

 

 コケモモの真紅の実

 

 シロバナトウウチソウ

 

 

 オヤマソバ

 

 ネバリノギランもところどころ見かけた。

 

登り始めて一時間弱、ガスの中に阿弥陀池が見えてきた。

 

 手前を右に折れ、まず男岳に登る。

 

 ツリガネニンジン

 

 ミヤマママコナ

 

 

 

 男岳頂上までは15分ほどの登りで着いた。

 

 束の間ガスが晴れ、眼下に阿弥陀池が現れた。

 

 再び阿弥陀池に降りる。ガスは時には晴れることもあるが、またすぐに周囲を蔽ってしまう。

 

 

 

 今度は向かい側の男女岳(おなめだけ)に登る。 

浄土平

 

 ヤマハハコ

 

ミヤマリンドウ

 

 

 池の向こうのガスが晴れると、岩手山が見えてきた。

 

 

 弱りかけていたバッタ

 

 

 まだ昼を過ぎたばかりなのだが、帰りの林道歩きも考えて、小休止の後下山を始めた。

再び片倉展望地。ガスはずいぶん晴れてきた。

 

 8合目手前の見晴らしの良いところで昼食にした。

  

 八合目からは林道沿いの山野草を期待したのだが、思ったより収穫は少なかった。 

 

 

 

 

左上からエゾシオガマ、トモエシオガマ。左下はオオカメノキの実、マイヅルソウの実

 

 サラシナショウマの花がたくさんのチョウを集めていた。

 

 クジャクチョウ

 

 八合目から登山口まではたっぷり一時間半かかった。登山口近くまで来たところで田沢湖が見えてきた

 

 この辺で。

 

 

 

 

 


釜石宮古を駆け抜ける

2011-09-12 | 旅行

 花巻から釜石線に乗って釜石へ、釜石からはバスで陸中山田を経由して宮古へと慌ただしく駆け抜けてきた。大震災から半年、その爪痕と復興の兆しを個人的な記憶に残しておきたかった。ただそれだけだった。

 

 18きっぷを使ってほぼ一日かけて昨夜新花巻まで辿り着いた。釜石線は本数が少ない。早起きして7時前の電車にやっと駆け込んだ。

 

 乗ってからほぼ一時間。窓外にはまだ朝靄が晴れない。初秋の朝の光のなか稲穂を垂れ始めた水田が輝いている。

 

 2時間近くかかって釜石駅に到着。駅周辺はすっかり片づけられていて、余りにも日常的で普通の景色に逆にたじろいでしまう。

 

 川岸の緑にも津波の痕跡はなく、水鳥たちがのんびりと水面を漂っている。

 

が、跨線橋を超えて港近くの市街地に入っていくと風景は一変した。そこには未だ癒しきれない震災の爪痕があちこちに残されていた。

 

 4台の被災車両が此方をねめつけている。

 

 

 保育園とある。園児たちは津波を逃れられたのだろうか。(後で調べてみると、ほとんどの園児たちは被災をまぬかれたが、保護者に引き取られた後、2名の園児が津波の犠牲になったという。)

 

 この赤い旗は遺体の発見された場所を示すものだという。

 

 

 がれきが撤去され、整然とした風景が妙に虚しく切ない

 

 

 

 

 人は理で己の人生を組み立て、利によって行動していく。が、自然はそんなことに全く無頓着で、圧倒的に理不尽である。

 

 

 

 釜石グランドホテル

 

 市街を突き抜けると港が急に眼の前に出現する。湾内はきれいに整備されてはいるものの、停泊している船は異常に少ない。

 

 

 

 大きな交差点ではいまだ信号が設置されておらず、警官による交通整理が行われていた。

 

 再開の見通し立たない三陸鉄道

 

 整地された住居跡地に残された小さな仏像。胸が詰まってしまい見続けることができない。

 

 

一日数便しかないバスに乗って釜石駅前から陸中山田へ。着いたのは三陸鉄道の船越駅前。本州最東端の駅とある。もちろん今は営業していないので、レールには赤錆が浮き出て周囲に人気は全くない。

 

 

 川に沿った辺りに瓦礫が集められている。

 

 

 鯨と海の科学館。大きな建物が瓦礫で埋め尽くされようとしている。

 周囲一帯には生活感は全く感じられない。ただ数台の重機だけが動き回っていた。

 

 再びバスに乗って宮古へ。宮古駅前には人の往来と賑わいが感じられる。

 

 駅前から浄土ヶ浜方面へと歩いていくと、様相が一変してくる。

 

 

 

 住居跡地に寄せ集められたノートやアルバムが痛々しい

 

 

 津波の一薙ぎが人々の生活を一瞬にして瓦礫に変えてしまった。

 

 解体OKや、撤去OKの標示があちらこちらに目立つ

 

 

 パトロールの警官が2名、挨拶をくれて通り去って行った。

 

 

 

 浄土ヶ浜の遊覧船の港までやってきた。もちろん遊覧船は営業されていない。小高い岬の突端にある展望地まで登っていくと、眼下に宮古の港が一望された。

 

 やはり港に停泊している船は少ない。 

 

 

 浄土ヶ浜の風景は以前のまま。

 

 

 この後は宮古駅に引き返してから、言葉にできぬ何かを土産に山田線に乗って盛岡まで帰った。