野に撃沈2

多摩地区在住の中年日帰り放浪者。(k10D→k7→k30→)k‐5Ⅱsを忍ばせ、人気のない野山や公園、路地裏を彷徨い歩く

釜石宮古を駆け抜ける

2011-09-12 | 旅行

 花巻から釜石線に乗って釜石へ、釜石からはバスで陸中山田を経由して宮古へと慌ただしく駆け抜けてきた。大震災から半年、その爪痕と復興の兆しを個人的な記憶に残しておきたかった。ただそれだけだった。

 

 18きっぷを使ってほぼ一日かけて昨夜新花巻まで辿り着いた。釜石線は本数が少ない。早起きして7時前の電車にやっと駆け込んだ。

 

 乗ってからほぼ一時間。窓外にはまだ朝靄が晴れない。初秋の朝の光のなか稲穂を垂れ始めた水田が輝いている。

 

 2時間近くかかって釜石駅に到着。駅周辺はすっかり片づけられていて、余りにも日常的で普通の景色に逆にたじろいでしまう。

 

 川岸の緑にも津波の痕跡はなく、水鳥たちがのんびりと水面を漂っている。

 

が、跨線橋を超えて港近くの市街地に入っていくと風景は一変した。そこには未だ癒しきれない震災の爪痕があちこちに残されていた。

 

 4台の被災車両が此方をねめつけている。

 

 

 保育園とある。園児たちは津波を逃れられたのだろうか。(後で調べてみると、ほとんどの園児たちは被災をまぬかれたが、保護者に引き取られた後、2名の園児が津波の犠牲になったという。)

 

 この赤い旗は遺体の発見された場所を示すものだという。

 

 

 がれきが撤去され、整然とした風景が妙に虚しく切ない

 

 

 

 

 人は理で己の人生を組み立て、利によって行動していく。が、自然はそんなことに全く無頓着で、圧倒的に理不尽である。

 

 

 

 釜石グランドホテル

 

 市街を突き抜けると港が急に眼の前に出現する。湾内はきれいに整備されてはいるものの、停泊している船は異常に少ない。

 

 

 

 大きな交差点ではいまだ信号が設置されておらず、警官による交通整理が行われていた。

 

 再開の見通し立たない三陸鉄道

 

 整地された住居跡地に残された小さな仏像。胸が詰まってしまい見続けることができない。

 

 

一日数便しかないバスに乗って釜石駅前から陸中山田へ。着いたのは三陸鉄道の船越駅前。本州最東端の駅とある。もちろん今は営業していないので、レールには赤錆が浮き出て周囲に人気は全くない。

 

 

 川に沿った辺りに瓦礫が集められている。

 

 

 鯨と海の科学館。大きな建物が瓦礫で埋め尽くされようとしている。

 周囲一帯には生活感は全く感じられない。ただ数台の重機だけが動き回っていた。

 

 再びバスに乗って宮古へ。宮古駅前には人の往来と賑わいが感じられる。

 

 駅前から浄土ヶ浜方面へと歩いていくと、様相が一変してくる。

 

 

 

 住居跡地に寄せ集められたノートやアルバムが痛々しい

 

 

 津波の一薙ぎが人々の生活を一瞬にして瓦礫に変えてしまった。

 

 解体OKや、撤去OKの標示があちらこちらに目立つ

 

 

 パトロールの警官が2名、挨拶をくれて通り去って行った。

 

 

 

 浄土ヶ浜の遊覧船の港までやってきた。もちろん遊覧船は営業されていない。小高い岬の突端にある展望地まで登っていくと、眼下に宮古の港が一望された。

 

 やはり港に停泊している船は少ない。 

 

 

 浄土ヶ浜の風景は以前のまま。

 

 

 この後は宮古駅に引き返してから、言葉にできぬ何かを土産に山田線に乗って盛岡まで帰った。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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