五色八重散椿(ゴシキヤエチリツバキ)
学名: Camellia japonica 'Goshiki-yae-chiritsubaki 開花期: 3月中旬~4月 最大樹高:2~4m
白地に紅の縦絞りが基本色で、淡い紅色、薄い桃色に赤の絞り、白覆輪、桃色一色など、五色に咲き分ける珍しい椿です。
八重咲き中~大輪咲きです。 通常、椿は、花弁が丸ごと地面に落ちるのですが、花弁が離れ、花が一枚一枚散り落ち
ばらばらに散る椿です。椿は日本固有の花木で、もともと日本の気候や土壌に適応した形質をもっている植物なので
育てやすい樹種の1つです。
五色八重散椿は、椿寺の有名なツバキです。
【通称「椿寺」と呼ばれる京都市北区・大将軍の地にある「地蔵院」。
例年3月下旬頃に見頃を迎える五色八重散椿は、1本の木に濃淡様々な色合いの花が見られる名木です。
散り際も花びらが1枚ずつ散り美しいと、豊臣秀吉も愛した椿の木で、現在は2代目の木が京都市の市指定天然記念物に
指定されています。美しい椿の花とともに、忠臣蔵の名セリフが有名な義商・天野屋利兵衛の墓所など
境内の見所をご紹介されています。
この椿はもともと豊臣秀吉が天正15(1587)年に北野大茶会を催した際お世話になったお礼にと地蔵院に献木されたもの。
初代は残念ながら昭和50年代に枯れてしまいましたが、現在はその2世にあたる椿が見事な花を咲かせます。
2世といってもこの木の樹齢はすでに約120年。京都市の指定天然記念物に指定されているとても見事な椿の木です。
この椿の大きな特徴の1つは、1本の木に白に近い淡い色の花から赤に近い色や絞り(混合色)などバリエーション豊かな
花が咲くことです。また地蔵院の椿はかなりな大輪の花を咲かせることでも知られています。
もう1つ五色八重散椿の大きな特徴には、花が散るとき花弁が1枚ずつ散っていくという点があります。
普通の椿の花が散る際は、花が花首から丸ごと落下します。庭園の足元を彩る散った椿も大変美しいとは思いますが
戦国時代や江戸時代の武将達には打ち首を連想すると敬遠されることもありました。
この五色八重散椿は散り際も良い、と豊臣秀吉も気に入って愛したと伝わります。
京都「椿寺・地蔵院」には義商・天野屋利兵衛の墓所もあります。
五色八重散椿の成長はかなり遅いです。去年はピンクも咲きましたが、今年は、薄いピンク系ばかりでした。
椿寺のツバキも120年位経っていても、写真で見ると、軒下ぐらいの大きさです。
安土桃山時代、朝鮮に出兵した加藤清正が蔚山城(うるさんじょう)から持ち帰ったとされています。
椿の花は首からボトリと落ちる花とされ、昔、武士は首が落ちるので縁起が悪いとして、屋敷にツバキを植えなかったそうです。
ぱらぱら散るチリツバキが珍重され、武家も好んでこれを植えるようになったことがあったそうです。
現在では地方で名所になっている場所も沢山あります。我が家にもあるぐらいですから。まだ、10年弱です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/74/30c753bd3f86dfb2f37343321f2e4b88.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/c5/59ba1ba89c8f64954ea0cf8e075edd34.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/73/f98d16fef8e21ddde07e7b7b603b7ca8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/43/d28e19e12e5d79407c67b14edd0fbd01.jpg)
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学名: Camellia japonica 'Goshiki-yae-chiritsubaki 開花期: 3月中旬~4月 最大樹高:2~4m
白地に紅の縦絞りが基本色で、淡い紅色、薄い桃色に赤の絞り、白覆輪、桃色一色など、五色に咲き分ける珍しい椿です。
八重咲き中~大輪咲きです。 通常、椿は、花弁が丸ごと地面に落ちるのですが、花弁が離れ、花が一枚一枚散り落ち
ばらばらに散る椿です。椿は日本固有の花木で、もともと日本の気候や土壌に適応した形質をもっている植物なので
育てやすい樹種の1つです。
五色八重散椿は、椿寺の有名なツバキです。
【通称「椿寺」と呼ばれる京都市北区・大将軍の地にある「地蔵院」。
例年3月下旬頃に見頃を迎える五色八重散椿は、1本の木に濃淡様々な色合いの花が見られる名木です。
散り際も花びらが1枚ずつ散り美しいと、豊臣秀吉も愛した椿の木で、現在は2代目の木が京都市の市指定天然記念物に
指定されています。美しい椿の花とともに、忠臣蔵の名セリフが有名な義商・天野屋利兵衛の墓所など
境内の見所をご紹介されています。
この椿はもともと豊臣秀吉が天正15(1587)年に北野大茶会を催した際お世話になったお礼にと地蔵院に献木されたもの。
初代は残念ながら昭和50年代に枯れてしまいましたが、現在はその2世にあたる椿が見事な花を咲かせます。
2世といってもこの木の樹齢はすでに約120年。京都市の指定天然記念物に指定されているとても見事な椿の木です。
この椿の大きな特徴の1つは、1本の木に白に近い淡い色の花から赤に近い色や絞り(混合色)などバリエーション豊かな
花が咲くことです。また地蔵院の椿はかなりな大輪の花を咲かせることでも知られています。
もう1つ五色八重散椿の大きな特徴には、花が散るとき花弁が1枚ずつ散っていくという点があります。
普通の椿の花が散る際は、花が花首から丸ごと落下します。庭園の足元を彩る散った椿も大変美しいとは思いますが
戦国時代や江戸時代の武将達には打ち首を連想すると敬遠されることもありました。
この五色八重散椿は散り際も良い、と豊臣秀吉も気に入って愛したと伝わります。
京都「椿寺・地蔵院」には義商・天野屋利兵衛の墓所もあります。
五色八重散椿の成長はかなり遅いです。去年はピンクも咲きましたが、今年は、薄いピンク系ばかりでした。
椿寺のツバキも120年位経っていても、写真で見ると、軒下ぐらいの大きさです。
安土桃山時代、朝鮮に出兵した加藤清正が蔚山城(うるさんじょう)から持ち帰ったとされています。
椿の花は首からボトリと落ちる花とされ、昔、武士は首が落ちるので縁起が悪いとして、屋敷にツバキを植えなかったそうです。
ぱらぱら散るチリツバキが珍重され、武家も好んでこれを植えるようになったことがあったそうです。
現在では地方で名所になっている場所も沢山あります。我が家にもあるぐらいですから。まだ、10年弱です。
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