nokoの花図鑑

「みんなの花図鑑」に1か月あまり投稿していました。みなさまの投稿写真を見て刺激を受け、花の写真を撮りつづけます。

セイヨウアブラナが満開😍です 春だよーと言いたいが 今日は大雨です🤣

2024年02月29日 | nokoの花図鑑

何日か前から、河原の菜の花が、キレイでした。今年は特別気になります。

忙しく、中々カメラを持って出ることが出来ず、やっと昨日(2月28日)確定申告書の提出を終え帰りに撮影できました。

生憎の空模様!菜の花といえば青い空なんですが、こればかりは仕方ありません。

遠くからはキレイ!でも近くに行くとガッカリっていう事もありますので、先送りできません。

今日はまさに満開でした。途中で見たカワズザクラも満開でしたが一時に開きました。

車を止め川に下りて行きます。整備され河川敷にも駐車場があります。

上流も下流も菜の花がずらりと咲いています。4・500mはありますでしょうか?満喫しました。

菜の花の園芸種は種を蒔き育てたことがあります。お正月頃から咲き便利は良かったのですが、他のお野菜と交配し

菜の花独特の縮れた葉がなくなっていきます。ブロッコリー・ハナッコリーなどと交配するのでしょうね。

 

今日の菜の花は大きく園芸種に近い感じです。背丈は1mを肥えています。環境の良いところで伸び伸びと育っています。

形態から見てセイヨウアブラナのようです。

つるりとした、丸っこい葉が茎を巻き込むようについています。

              葉・茎の色も浅ネギ色に近い感じです。花も立派です。花が大きく園芸種の花菜のようです。

「菜の花と呼ばれるのはアブラナが美しい花をつけたときの状態です。アブラナは、日本では古くから野菜として、

また油を採取するために栽培されてきた作物です。

実はアブラナは、その成長過程で名前が変わるのです。

・若い葉を食用とするとき→アオナ

・花をつけているとき→ナノハナ

・花のあとに種子ができたとき→ナタネ(食用、鑑賞用、灯油の原料)」   「 」内はサイトより

 

今日(2月29日)大雨が降っています。昨日、撮影して良かったです。橋は佐波川の土橋です。

 

 

 

 

 

 

下流から上流に登っています。右側は中洲です。上流に向かって!

 

 

 

 

 

 

上流の方から歩いてこられました。ゆっくりなのでワンちゃんに合わせておられるのかと思いました。

 

ゴールデンレトリバー。4歳だそうです。ワンちゃんが合わせて歩いていたのででしょうか?

何かあるとおやつをあげられていました。ゴールデンレトリバーは優しい犬ですよね。

 

 

 

ミキサー車などが入り大工事が始まっていました。セイヨウアブラナはこの辺りから土橋までです。

 

 

 

 

 

 

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カマキリの産卵とジュズサンゴ

2024年02月26日 | 蝶他昆虫

我が家で、カマキリが産卵しているのを見つけました。

ずっと、見ているうちに、ビデオを撮ってみました。お蔵入りにしていましたが、今回、PowerPoint にしてみました。

器用に動かしている2本の部分は何でしょうか?尾須 かと思い調べましたが、結果的には、色々調べましたがやはり、分かりませんでした。

あの動きの機能は凄かったです。

ジュズサンゴが写っていましたので、賑わいに出させていただきました。毎年、こぼれ種で出る花です。

カマキリの産卵とジュズサンゴ (右下の全画面でお願いします!戻るはEscキークリックです。)

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今年は満開🌸 植松八幡宮の樹齢400年のウメです 🌸

2024年02月23日 | カメラ散策

植松八幡宮のウメは、昨年、撮影をしたときから、今年の開花を気にかけていました。

何しろ樹齢400年の老木を24・5年前に移植しましたので…かなり弱った状態でした。

昨年は2枝の先に花が咲いただけです。(2月16日・ウメノキゴケのブログでUP

今年はと2月15日に訪問し、びっくりしました。木全体に咲いていました。この梅はヤバイという事です。

寒肥が与えられた跡もありました。大切に育てられたみたいです。

ところが1mにも及ぶ新枝が全体に多数、空に向けて立ち並んでいます。

よく見ると二つに分かれている大きな木にはツボミガが付いていました。

 

 

右側の、細い方の枝には、ツボミがありません!

瀕死の状態に見えた、梅がここまで元気に育ち、檀家の方もさぞお喜びのことでしょう。

 

昨日(2月21日)2度目の訪問です。お天気が悪くカメラをもたず、スマホでの撮影です。

またまたびっくりしました。伸びていた枝にビッシリ花が咲いていました。一回り大きくなっていました。

先週のウメは散り始めています!

 

唯、下の方は咲いていましたが、右側の、小さな別れた木は、そのままの状態でした。

 

植松八幡宮は寛喜(かんぎ、かんき)3年は1229年~1232年までの4年間の鎌倉時代の元号ですが、

この時代に豊後国の地から遷座したと書いてあります。

 

その後、佐波川改修工事伴い旧社地西方二百米のこの地に再度遷都し現在の位置に鎮座しています。

石碑には平成8年(1996年)「佐波川改修工事伴い旧社地西方二百米のこの地に再度遷都を

森厳の保持に努めた ・・・」と書かれています。

 

↓へ 今年、2月15日の ウメの開花です!

 

 

 

 

 

雨が降り始めるような状態で

↓へ 2月22日 撮影です 同じようなお天気でした。

 

 

手前、右側の細い枝は花が付いていませんでした。梅の剪定は花後ですので伸びた枝は剪定されるでしょう。

 

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防府天満宮のしだれ梅です!今年は早くも、見事に咲いていました ♬

2024年02月21日 | カメラ散策

ブログを始めてからは、防府天満宮に行くことも多くなりました。最近は梅の時期に行くことが多いです。

今年は前回UPの泰雲寺の、あくる日(2月14日)に行きました。今年、2回目の天満宮のウメです。今日は暖かく

しだれ梅の開花を楽しみに行きました。水曜日でしたが近くの駐車場は一杯です。

帰られる方も結構いるので、少し待ってみました。案の定、すぐ駐車出きました。

梅園から入ると、前回の2月2日よりは、かなりキレイに開いていました。

本堂へのなだらかな道を降りていきます。小さな橋を渡るとしだれ梅の多い梅園です。

色も濃いピンクのものが多くとてもキレイです。良い時期に来たと思いました。

多く撮影しましたがかなり減らしました。

 

菅原道真が大宰府の天満宮への途中、防府天満宮の地に寄られ随分気にいられたとのことです。

この場所は、後ろに山を控えた、高台にあり見晴らしも良く、その当時は海がすぐ近くまで広がりすばらしい

景色であった事でしょう。この地に住まいを構えたいと望まれたそうです。

 

梅の撮影です 入口から 殆ど、撮影順です(2月13日)

 

 

やはり天満宮のウメにもウメノキゴケが付いていました。後ろに山を控え58段の大石段の高さに楼門があり、

その奥に、本殿があります。梅園は楼門の右側、しだれ梅に囲まれた、太鼓楼も…その上段に参集殿

その奥に広い梅園と、大石段を登ると、ウメに導かれたように広い梅園へと続いています

まさに梅にとっては澄んだ空気の元、地衣類と一緒に侘び錆の環境を作っていますね。

 

1段下りて…太鼓橋を渡って シダレモモです

 

楼門です

 

 

 

↑の ここでハンミョウに出会いました!

↓は 楼門の左前です 後ろに立って石碑を見ておられるのは、令和2年2月2日、鈴木淳先生・悠木圭子先生・八代亜紀さん

が来訪され八代亜紀さんの歌手生活50周年のお祝いとして、両先生の作詞作曲のヒット曲「なみだ恋」の歌碑を見て

おられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学名:Prunus mume、  英名:Japanese apricot[  科名:バラ科  属名:サクラ属の落葉高木、

 

 

 

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山口市泰雲寺の 梅は ウメノキゴケに覆われながらも、花を見ることができました

2024年02月20日 | カメラ散策

2月13日から3日間、梅の開花を見て回りましたが、1回目の2月13日は泰雲寺のウメです。

泰雲寺のウメは開花を期待するより、元気に咲いるかどうかが気になるお寺です。

駐車場から見た時3本の木に、梅が沢山付いているのを見て安堵しました。キレイに剪定され、手入れをされた状態です。

ウメノキゴケは、相変わらずでしたが、これだけ付けば、処理が大変です。高圧洗浄をするのも、遅きに逸した感じです。

消毒もいいそうですが…ウメノキゴケが生えてしまうのは、「樹木の生長が停滞気味だから」ですので、樹勢が回復して

樹皮の新陳代謝が良くなると生えてきにくくなります。」と書かれていますので樹木活力剤や肥料などを使って樹勢の

回復に努めるというのも一つの対策として有効だと言えるそうです。

1番の原因は地衣類は空気なキレイなところに繁殖しやすいそうですので、こればかりはどうしようもありません。

2つ目の気になることは気絶ヤギが元気でいるかどうかという事です。

行ったときは姿が見えませんでしたが、車が入ったのに、気が付いたのでしょうか、出てきてくれました。

私が写真撮影するときは元の場所に戻っていたみたいですが、車に戻るとまた出てきてくれました。

気絶をされると、困るので大きな声は出せません。(笑)

 

泰雲寺について(ネットより)

応永十年(1404)、大内盛見が建立。開山は石屋真梁。寺号は闢雲寺といった。

永享元年(1429)、教弘が当主の時、三世・覚隠永本が、現在の場所に移した。

慶長十四年(1609)、小早川隆景の十三回忌に、その法名をとって泰雲寺と名を改めるとともに、隆景夫妻の菩提寺となる。

(参照:泰雲寺様リーフレット、『周防国と陶氏』)

大内氏の氏寺は基本的には禅寺、京都五山を中心とする臨済宗だが、必ずしもこれに限られるということではなく

例外もあるそうです。大内教弘と夫人の菩提寺は曹洞宗だった。

開山は石屋真梁禅師。 江戸時代までは門派600カ寺の総本寺として、代々輪住(末寺、門派の僧侶が一年交代で

住職を務める制度)が行われてきたが、度重なる火災のため、復興が追いつかず…と書かれていますが、広大な場所の

手入れは良く行き届いています。

全て2月13日 撮影です

 

↓へ ほぼ、撮影順です

 

 

 

 

 

 

 

 

南天の実が大きく 見事でした

 

 

 

 

出てきてくれました!

 

「もう帰るの!」といっています

 

 

 

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