蜻蛉日記 上巻 (6)
「かくて、あるやうありてしばし旅なるところにあるに、ものして、つとめて、『今日だにのどかにと思ひつるを、便なげなりつれば、いかにぞ。身には山がくれとのみなむ』とある返へりごとに、ただ、
<おもほえぬかきほにをれば撫子の花にぞ露はたまらざりける>
など言ふほどに、九月になりぬ。」
――こうしているうちに、事情があって(物忌みなどで方たがえ)しばらく別のところに移っていたところに、あの人が来て、翌朝、(兼家歌)「せめて今日くらいはゆっくりしたいと思ったが、どうも迷惑そうだね。どうしたのか私を嫌って山にでもかくれたのかね」と言ってきた返事に、ただ
(道綱母歌)「手折った撫子の花に露が留まらないのとおなじように、あなたは来てもすぐに帰ってしまいます」こんなふうにしたためているうちに9月になりました。――
蜻蛉日記 上巻 (7)(8)
「つごもりがたにしきりて二夜ばかり見えぬほど、文ばかりある返りごとに、
<きえかへり露もまだひぬ袖のうへに今朝はしぐるる空もわりなし>
たちかへり、返りごと、
<おもひやる心のそらになりぬれば今朝はしぐると見ゆるなるらん>
とて、返りごと書きあへぬほどに、見えたり。」
――月末ごろに二夜つづけて訪れがなく文だけがきた返事に、
(道綱母歌)「つづけて二夜もお出でにならず死ぬ思いの私の涙も乾かぬうちに、今朝は時雨までふりそそぐ空、辛くてなりません」
折り返しの返事に、
(兼家歌)「あなたを思うあまり、心がうわの空になったので、うわの空の空から私の涙が時雨となって降るとみえたのでしょう」
とあって、その返事を書く間もなく、あの人が来たのでした――
「また、ほどへて、見えおこたるほど、あめなどふりたる日、『暮れに来ん』などやありけん、
<柏木の森の下草くれごとになほたのめとやもるをみるみる>
返りごとは、みづから来て紛らはしつ。」
――それからまたしばらく訪れがなく、雨が降ってきた日「夕方、伺おう」と文があったでしょうか。
(道綱母歌)「(身分の高いあなたを頼りに生きる)柏木の森の下草のような私に、なおも頼めとばかりおっしゃるのですか。いつもいつも待ちぼうけですのに」
この返事は、あの人が直接やって来て、うやむやにごまかしてしまった。――
「かくて十月になりぬ。ここに物忌みなるほどを心ものなげに言ひつつ、
<なげきつつかへす衣の露けきにいとど空さへしぐれそふらん>
かへし、いと古めきたり。
<思ひあらば乾なまし物をいかでかはかへす衣のたれも濡るらん>
とあるほどに、わがたのもしき人、陸奥国へ出で立ちぬ。」
――こうして十月になりました。私の方で物忌みのため籠っていますと、逢えないもどかしさをこのような歌で言ってきて、
(兼家歌)「逢えぬ嘆きをかさねて、夢でなら逢えるかと衣を裏返して着たが涙に濡れて、それに加えてどうして時雨まで降るのか」
私の返事は、あまりぱっとしない歌になってしまったが、
(道綱母歌)「わたしへの思ひ(火)さえあればすぐ乾くでしょうに。どうして裏返しした衣がお互いに濡れるのでしょう」
こんなふうに過ごしているうちに、私の頼みとする父親が陸奥の国に任官となって出立することになりました。――
■物忌(ものいみ)=忌み (ものいみ)とは、ある期間中、ある種の日常的な行為をひかえ穢れを避けること。斎戒に同じ。
具体的には、肉食や匂いの強い野菜の摂取を避け、他の者と火を共有しないなどの禁止事項がある。日常的な行為をひかえることには、自らの穢れを抑える面と、来訪神 (まれびと)などの神聖な存在に穢れを移さないためという面がある。
民間においても、同様の作法が行われていた。祭りの関係者は祭りの前一定期間は歌を歌わない、肉食をしない、下肥を扱わない、などという習慣が行われていた。
「かくて、あるやうありてしばし旅なるところにあるに、ものして、つとめて、『今日だにのどかにと思ひつるを、便なげなりつれば、いかにぞ。身には山がくれとのみなむ』とある返へりごとに、ただ、
<おもほえぬかきほにをれば撫子の花にぞ露はたまらざりける>
など言ふほどに、九月になりぬ。」
――こうしているうちに、事情があって(物忌みなどで方たがえ)しばらく別のところに移っていたところに、あの人が来て、翌朝、(兼家歌)「せめて今日くらいはゆっくりしたいと思ったが、どうも迷惑そうだね。どうしたのか私を嫌って山にでもかくれたのかね」と言ってきた返事に、ただ
(道綱母歌)「手折った撫子の花に露が留まらないのとおなじように、あなたは来てもすぐに帰ってしまいます」こんなふうにしたためているうちに9月になりました。――
蜻蛉日記 上巻 (7)(8)
「つごもりがたにしきりて二夜ばかり見えぬほど、文ばかりある返りごとに、
<きえかへり露もまだひぬ袖のうへに今朝はしぐるる空もわりなし>
たちかへり、返りごと、
<おもひやる心のそらになりぬれば今朝はしぐると見ゆるなるらん>
とて、返りごと書きあへぬほどに、見えたり。」
――月末ごろに二夜つづけて訪れがなく文だけがきた返事に、
(道綱母歌)「つづけて二夜もお出でにならず死ぬ思いの私の涙も乾かぬうちに、今朝は時雨までふりそそぐ空、辛くてなりません」
折り返しの返事に、
(兼家歌)「あなたを思うあまり、心がうわの空になったので、うわの空の空から私の涙が時雨となって降るとみえたのでしょう」
とあって、その返事を書く間もなく、あの人が来たのでした――
「また、ほどへて、見えおこたるほど、あめなどふりたる日、『暮れに来ん』などやありけん、
<柏木の森の下草くれごとになほたのめとやもるをみるみる>
返りごとは、みづから来て紛らはしつ。」
――それからまたしばらく訪れがなく、雨が降ってきた日「夕方、伺おう」と文があったでしょうか。
(道綱母歌)「(身分の高いあなたを頼りに生きる)柏木の森の下草のような私に、なおも頼めとばかりおっしゃるのですか。いつもいつも待ちぼうけですのに」
この返事は、あの人が直接やって来て、うやむやにごまかしてしまった。――
「かくて十月になりぬ。ここに物忌みなるほどを心ものなげに言ひつつ、
<なげきつつかへす衣の露けきにいとど空さへしぐれそふらん>
かへし、いと古めきたり。
<思ひあらば乾なまし物をいかでかはかへす衣のたれも濡るらん>
とあるほどに、わがたのもしき人、陸奥国へ出で立ちぬ。」
――こうして十月になりました。私の方で物忌みのため籠っていますと、逢えないもどかしさをこのような歌で言ってきて、
(兼家歌)「逢えぬ嘆きをかさねて、夢でなら逢えるかと衣を裏返して着たが涙に濡れて、それに加えてどうして時雨まで降るのか」
私の返事は、あまりぱっとしない歌になってしまったが、
(道綱母歌)「わたしへの思ひ(火)さえあればすぐ乾くでしょうに。どうして裏返しした衣がお互いに濡れるのでしょう」
こんなふうに過ごしているうちに、私の頼みとする父親が陸奥の国に任官となって出立することになりました。――
■物忌(ものいみ)=忌み (ものいみ)とは、ある期間中、ある種の日常的な行為をひかえ穢れを避けること。斎戒に同じ。
具体的には、肉食や匂いの強い野菜の摂取を避け、他の者と火を共有しないなどの禁止事項がある。日常的な行為をひかえることには、自らの穢れを抑える面と、来訪神 (まれびと)などの神聖な存在に穢れを移さないためという面がある。
民間においても、同様の作法が行われていた。祭りの関係者は祭りの前一定期間は歌を歌わない、肉食をしない、下肥を扱わない、などという習慣が行われていた。