124 正月寺に籠りたるは (136)その1 2020.2.9
正月寺に籠りたるは、いみじく寒く、雪がちに氷りたるこそをかしけれ。雨などの降りぬべきけしきなるは、いとわろし。
◆◆正月に寺に籠っているときには、ひどく寒く、雪も積もりがちに冷え込んでいるのこそおもしろい。雨が降りそうな空模様は、とても良くない。◆◆
初瀬などに詣でて、局などするほどは、くれ階のもとに、車引き寄せて立てるに、おびばかりしたる若き法師ばらの、足駄といふ物をはきて、いささかつつみもなくおりのぼるとて、何ともなき経の端をよみ、倶舎頌をすこし言ひつづけありくこそ、所につけてはをかしけれ。わがのぼるはいとあやふく、かたはらに寄りて、高欄おさへて行くものを、ただ板敷きなどのやうに思ひたるもをかし。「局したり」など言ひて、沓ども持て来ておろす。
◆◆初瀬などに参詣して、尾籠のお部屋の準備などをしている間は、くれ階のそばに車を引き寄せて立っていると、ちょっと帯くらいをした若いお坊さんたちが、足駄というものを履いて、少しも恐れる様子もなく上り下りしながら、これといった決まっていないお経の片端を口にしたり、倶舎頌をすこし唱えて歩いているのこそ、場所が場所だけにおもしろい。自分が上るのは、ひどく危なっかしくて、片側によって高蘭を抑えながら行くのに、あのお坊さんたちは、まるで板敷きを歩くように思っているのもおもしろい。坊さんが「お部屋の準備ができました」などと言って、いくつもの履物を持ってきて、私どもを車から降ろす。◆◆
■くれ階(くれはし)=階段のついた屋根のある長廊下。
■倶舎頌(くしゃのじゅ)=「具舎」は『阿毘達磨具舎論』の略。「頌」は字句を一定して誦しやすくするもの。
衣うへさまに引き返しなどしたるもあり。裳、唐衣などこはごはしく装束きたるもあり。深沓、半靴などはきて、廊のほどなど沓すり入るは、内わたりめきて、またをかし。
◆◆着物を上の方に裾をはしょって着ている者もある。裳や唐衣などゴワゴワしているのを四角張ってきている者もある。深沓、半靴などをはいて、廊のあたりなどを、摺り足でお堂に入って行くのなどは、宮中めいていて、これもまたおもしろい。◆◆
■深沓(ふかぐつ)=下部を革でつくり、上部は薔薇錦をつけ細い革緒で締めた沓をいう。
■半靴(はうくわ)=木を浅く掘り、黒漆で塗った沓。深沓の頸を短くした形のもの。
内外などのゆるされたる若き男ども、家ノ子など、また立ちつづきて、「そこもとは落ちたる所に侍るめり。あがりたる」など教へ行く。何者にかあらむ、いと近くさし歩み、さいだつ者などを、「しばし、人のおはしますに、かくはまじらぬわざなり」など言ふを、「げに」とてすこし立ちおくるるもあり、また聞きも入れず、「われまづとく仏の御前に」と、行くもあり。局に行くほども、人のゐ並みたる前を通り行けば、いとうたてあるに、犬防ぎの中を見入れたる心地、いみじくたふとく、「などて月ごろも詣でず過ぐしつらむ」とて、まづ心もおこさる。
◆◆表向き、外向きなど両方の出入りを許されている若い男たちや、その縁の子弟などが、またずうっと、「そこのところは低くなっているところでございます。そこのところは高くなって…」など女主人に教えながら行く。何者だろうか、女主人にひどく近寄ったり追い越して行く物を、「しばらく待て、高貴な方がいらっしゃるのに、こんなに近寄ってはならないことだ」などと言うのを、「なるほど」と言って、少し下がって歩く者もいるし、また耳にも止めないで、「自分がまず先に仏の御まえに」と行く者もある。
お籠りの部屋に行く間も、人が並んで座っている前を通って行くので、ひどく疎ましく思っているのに、それでも、ぎの内側の内陣を覗いた気分は、たいそう尊く「どうして、この何か月も間お参りしないで
来てしまったのだろう」と思われて、なによりも先に信心の気持ちを自然におこすようになる。◆◆
■また=「あまた」の間違いか。
■犬防ぎ(いぬふせぎ)=仏堂の内陣と外陣とを仕切る作り付けの格子。内陣には本尊が安置されている。
正月寺に籠りたるは、いみじく寒く、雪がちに氷りたるこそをかしけれ。雨などの降りぬべきけしきなるは、いとわろし。
◆◆正月に寺に籠っているときには、ひどく寒く、雪も積もりがちに冷え込んでいるのこそおもしろい。雨が降りそうな空模様は、とても良くない。◆◆
初瀬などに詣でて、局などするほどは、くれ階のもとに、車引き寄せて立てるに、おびばかりしたる若き法師ばらの、足駄といふ物をはきて、いささかつつみもなくおりのぼるとて、何ともなき経の端をよみ、倶舎頌をすこし言ひつづけありくこそ、所につけてはをかしけれ。わがのぼるはいとあやふく、かたはらに寄りて、高欄おさへて行くものを、ただ板敷きなどのやうに思ひたるもをかし。「局したり」など言ひて、沓ども持て来ておろす。
◆◆初瀬などに参詣して、尾籠のお部屋の準備などをしている間は、くれ階のそばに車を引き寄せて立っていると、ちょっと帯くらいをした若いお坊さんたちが、足駄というものを履いて、少しも恐れる様子もなく上り下りしながら、これといった決まっていないお経の片端を口にしたり、倶舎頌をすこし唱えて歩いているのこそ、場所が場所だけにおもしろい。自分が上るのは、ひどく危なっかしくて、片側によって高蘭を抑えながら行くのに、あのお坊さんたちは、まるで板敷きを歩くように思っているのもおもしろい。坊さんが「お部屋の準備ができました」などと言って、いくつもの履物を持ってきて、私どもを車から降ろす。◆◆
■くれ階(くれはし)=階段のついた屋根のある長廊下。
■倶舎頌(くしゃのじゅ)=「具舎」は『阿毘達磨具舎論』の略。「頌」は字句を一定して誦しやすくするもの。
衣うへさまに引き返しなどしたるもあり。裳、唐衣などこはごはしく装束きたるもあり。深沓、半靴などはきて、廊のほどなど沓すり入るは、内わたりめきて、またをかし。
◆◆着物を上の方に裾をはしょって着ている者もある。裳や唐衣などゴワゴワしているのを四角張ってきている者もある。深沓、半靴などをはいて、廊のあたりなどを、摺り足でお堂に入って行くのなどは、宮中めいていて、これもまたおもしろい。◆◆
■深沓(ふかぐつ)=下部を革でつくり、上部は薔薇錦をつけ細い革緒で締めた沓をいう。
■半靴(はうくわ)=木を浅く掘り、黒漆で塗った沓。深沓の頸を短くした形のもの。
内外などのゆるされたる若き男ども、家ノ子など、また立ちつづきて、「そこもとは落ちたる所に侍るめり。あがりたる」など教へ行く。何者にかあらむ、いと近くさし歩み、さいだつ者などを、「しばし、人のおはしますに、かくはまじらぬわざなり」など言ふを、「げに」とてすこし立ちおくるるもあり、また聞きも入れず、「われまづとく仏の御前に」と、行くもあり。局に行くほども、人のゐ並みたる前を通り行けば、いとうたてあるに、犬防ぎの中を見入れたる心地、いみじくたふとく、「などて月ごろも詣でず過ぐしつらむ」とて、まづ心もおこさる。
◆◆表向き、外向きなど両方の出入りを許されている若い男たちや、その縁の子弟などが、またずうっと、「そこのところは低くなっているところでございます。そこのところは高くなって…」など女主人に教えながら行く。何者だろうか、女主人にひどく近寄ったり追い越して行く物を、「しばらく待て、高貴な方がいらっしゃるのに、こんなに近寄ってはならないことだ」などと言うのを、「なるほど」と言って、少し下がって歩く者もいるし、また耳にも止めないで、「自分がまず先に仏の御まえに」と行く者もある。
お籠りの部屋に行く間も、人が並んで座っている前を通って行くので、ひどく疎ましく思っているのに、それでも、ぎの内側の内陣を覗いた気分は、たいそう尊く「どうして、この何か月も間お参りしないで
来てしまったのだろう」と思われて、なによりも先に信心の気持ちを自然におこすようになる。◆◆
■また=「あまた」の間違いか。
■犬防ぎ(いぬふせぎ)=仏堂の内陣と外陣とを仕切る作り付けの格子。内陣には本尊が安置されている。