永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(78)

2015年11月01日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (78) 2015.11.1

「さて、そのころ、帥殿の北の方、いかでにかありけん、ささの所よりなりけりと聞きたまひて、この六月所とおぼしけるを、使ひ、持てたがへて、いま一所へ持ていたりけえり。取り入れて、はたあやしともや思はずありけん、返りごとなどきこえてけり、と伝へ聞きて、かの返りごとを聞きて、所たがへてけり、いふかひなきことを、またおなじことをもものしたらば、伝へても聞くらむに、いとねじけたるべし、いかにこころもなく思ふらんとなんさわがるる、と聞くがをかしければ、かくては止まじと思ひて、前の手して、
<山彦のこたへありとは聞きながらあとなき空を尋ねわびぬる>
と浅縹なる紙に書きて、いと葉繁う付きたる枝に、立文にしてつけたり。」
◆◆さて、そのころ、帥殿(源高明)の奥方(愛宮)さまは、どうしてお分かりになったのでしょうか、これこれのところからであったと、お聞きになって、私が六月まで住んでいた邸へとお思いになったのに、使いの者が間違えて、もう一人のお方(時姫ももとへ)のところへ届けてしまったのでした。そちら(時姫方)では受け取って別に変だとも思わなかったのでしょうか、お返事を差し上げたと人づてに私の耳にも入りましたが、奥方(愛宮)さまの方では、お返事を聞いて、届け先を間違えてしまった、とるに足りない歌なのに、また同じ歌を(作者の方に)贈ったならば、前の歌を人づてにでも耳にしてしているだろうに、とても具合が悪いであろう、二番煎じを贈った場合、なんとたしなみのないことだと思うだろうと、途方にくれていらっしゃるとのこと、私もこのままではお気の毒と思って、前回と同じ筆跡で、
(道綱母の歌)「お返事を頂きましたと耳にいたしましたが、どちらへまいりましたのやら、山彦のように虚しく空に消えてしまいましたので、探しあぐねております」
と、薄藍色の紙に書いて、とても葉のいっぱいついた枝に、立文にして結びつけました。◆◆


「また、さし置きて消え失せにければ、前のやうにやあらんとて、つつみ給ふにやありけん、なほおぼつかなし。あやしくのみもあるに、など思ふ。ほどへて、たしかなるべき便りをたづねて、かくのたまへる。
<吹く風につけて物おもふあまたのたく塩の煙はたづねいでずや>
とて、いとになき手して、うす鈍の紙にて、松の枝につけたまへり。
御かへりには、
<あるる浦に塩の煙は立ちけれどこなたにかへす風ぞなかりし>
とて、胡桃色の紙に書きて、色かはりたる松につけたり。」
◆◆今度もまた、使いの者が手紙を置くなり姿を消してしまったので、今度はそうようなことになってはと、慎重にしていられるのであろうか、やはり音沙汰がなく、こちらが変なことばかりするのでなどと思っていると、しばらくして、間違いなく届くようなつてを捜し当てて、こんな歌をくださったのでした。
(愛宮の歌)「あなたからのお便りに、嘆き悲しんでいる尼の私は早速お返事をいたしましたが、それをまだ捜し出していただけないのでしょうか。海人の炊く塩の煙のようなとりとめもないその歌を」
と、素晴らしい筆跡で、薄鈍色の紙に書いて、松の枝につけてよこされました。
お返事には、
(道綱母の歌)「あなたの悲しいご心情を託された歌をくださったと伺いましたが、お邸からたった煙を私のもとに届ける風がなかったとみえて、あいにく私のもとには届きませんでした。」
という歌を、胡桃色の紙に書いて、赤茶けた松につけて差し上げたのでした。◆◆


■ささの所より=これこれのところ。先の長歌が作者からであること。

■手紙の行き違い=兼家には北の方が二人いると世間では思われていた? 使いは時姫方に届けたので、こんな行き違いが起った。ただあのような長歌を歌えるのは道綱母だと、愛宮には
分ったのである。