永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1280)

2013年08月01日 | Weblog
2013. 7/31    1280

五十四帖 【夢浮橋(ゆめのうきはし)の巻】 その14

「尼君、御文ひき解いて、見せたてまつる。ありしながらの御手にて、紙の香など、例の、世づかぬまでしみたり。ほのかに見て、例のものめでのさし過ぎ人、いとありがたくをかし、と思ふべし」
――尼君がお文を開いてお見せになりますと、昔どおりの薫のご筆跡で、紙にたきしめた香のにおいなど、この世のものとも思えないほどの香りが匂っています。例の、すぐに心を動かす出過ぎたお側の者たちは、ちらと見ただけで、またとなく結構なと思うことでしょう――

 御文には、

「『さらに聞えむかたなく、さまざまに罪重き御心をば、僧都に思ひゆるしきこえて、今はいかで、あさましかりし世の夢がたりをだに、と、いそがるる心の、われながらもどかしきになむ。まして人目はいかに』と書きもやり給はず」
――「何と申し上げようもない位、さまざまの重い罪を作られたあなたの心は、僧都に免じてお許し申しましょう。今はどうかして、あなたが行方知れずになった当時の夢のような思い出話だけでも、したいものと急かれる気持ちが、われながら歯がゆく思われましてね。まして、人目にはどう映るでしょう」と、感動のあまり思う通りにお書きにもなれません――

「『(法の師とたづぬる道をしるべにておもはぬ山にふみまどふかな)この人は、見や忘れ給ひぬらむ。ここには、行くへなき御形見に見るものにてなむ』などいとこまやかなり」
――「薫の歌(仏道の導師として尋ね求めた僧都の道しるべで、思いもかけず人を恋う山に踏み迷うことです)この人(小君)をお見忘れでしょうね。私としては、行方知れぬあなたのお形見として世話をしているのですよ」などと、詳しくしたためてあります――

「かくつぶつぶと書き給へるさまの、まぎらはさむかたなきに、さりとて、その人にもあるぬさまを、おもひもほかに見つけられきこえたらむ程の、はしたなさなどを思ひみだれて、いとどはればれしからぬ心は、言ひやるべきかたもなし」
――このようにつぶさに書かれた書きぶりは、人違いだとは言い逃れもできないのですが、そうかといって、まったく変わり果てた尼姿を心ならずも薫に見られるならば、その時のきまりわるさなどを思いますと、心は乱れて、ますます晴れやかでない浮舟の気持ちは、何と言いようもありません――

次回は 8/5。 4日までお休みします。