2013. 7/27 1278
五十四帖 【夢浮橋(ゆめのうきはし)の巻】 その12
「とばかりためらひて、『げにへだてあり、と思しなすらむが苦しさに、ものも言はれでなむ。あさましかりけむありさまは、めづらかなることと見給ひてけむを、さて現し心も失せ、魂など言ふらむものも、あらぬさまになりにけるにやあらむ、いかにもいかにも、過ぎにし方のことを、われながら、さらにえ思ひ出でぬに、』」
――(浮舟は)しばらくためらっておいでになって、「ほんとうによそよそしいとお恨みのご様子が辛くて、何も申し上げられません。私が見つけられた時の、ひどい有様は、どんなにか怪しくお思いになったことでございましょう。そのまま正気も失せ、魂とかいうものも、変わっていまったのでしょうか。何もかも昔の事は一向に思い出せませんのに…」――
「『紀伊守とかありし人の、世のものがたりすめりし中になむ、見しあたりのことにや、と、ほのかに思ひ出でらるることある心地せし。そののち、とざまかうざまに思ひ続くれど、さらにははかばかしくも覚えぬに…』」
――「先日、紀伊の守とかいう方が世間話をしておられたその中に、もと私が住んでいました辺りかしらと、かすかに思い出されることがあるような気がいたしました。それからというもの、あれやこれやと考え続けていますが、いっこうに思い出しませんのに…」――
つづけて、
「『ただ一人ものし給ひし人の、いかで、とおろかならず思ひためりしを、まだや世におはすらむ、と、そればかりなむ心に離れず、悲しき折々侍るに、この童の顔は、ちひさくて見し心地するにも、いと忍びがたけれど、今さらに、かかる人にも、ありとは知られでありなむ、となむ思ひ侍る…』」
――「ただ一人おいでになる母上が、なんとかして私を仕合せにしたいと並々ならず心配して、心を込めて育ててくださったので、今でも生きていらっしゃるかと、そればかりは忘れることはなく、悲しく思う事が折々ございます。この子の顔を今日見ますと、幼い頃に見たような気がしまして、まことに堪え切れぬ思いでございますが、今となっては、こうした弟などにも、生きているとは知られずに居たいと、そう思うのでございます…」――
さらに、浮舟は、
「『かの人もし世にものし給はば、それ一人になむ、対面せまほしく思ひ侍る。この僧都ののたまへる人などには、さらに知られたてまつらじ、とこそ思ひ侍れ。かまへて、ひがごとなりけり、と聞えなして、もてかくし給へ』とのたまへば、『いと難いことかな。僧都の御心は、聖といふ中にも、あまりくまなくものし給へば、まさに残りては聞え給ひてむや。のちに隠れあらじ。なのめに軽々しき御程にもおはしまさず』など、言ひ騒ぎて、『世に知らず心強くおはしますこそ』と、皆言ひ合はせて、母屋の際に几帳立てて入れたり」
――「母上が、もし生きておいでならば、その方お一人にはお目にかかりとうございます。この僧都の御文にあります御方(薫)には、決して知られたくございません。是非ともお人違いであったとお答えになって、お隠しくださいませ」とおっしゃいます。妹尼は、「それは難しいことです。あの僧都のお心は、真正直すぎるほどでいらっしゃるので、きっと何もかも申し上げておしまいになるでしょう。後ですっかり分かってしまいますよ。また大将殿にしましても、こうした事情をなまじ隠しておけるような、軽いご身分ではいらっしゃいませんしね」などと、うるさく言って、「世にも珍しい気の強い方ですこと」などと、他の尼たちも言いながら、母屋の端に几帳を立てて、小君を招じ入れました――
では7/29に。
五十四帖 【夢浮橋(ゆめのうきはし)の巻】 その12
「とばかりためらひて、『げにへだてあり、と思しなすらむが苦しさに、ものも言はれでなむ。あさましかりけむありさまは、めづらかなることと見給ひてけむを、さて現し心も失せ、魂など言ふらむものも、あらぬさまになりにけるにやあらむ、いかにもいかにも、過ぎにし方のことを、われながら、さらにえ思ひ出でぬに、』」
――(浮舟は)しばらくためらっておいでになって、「ほんとうによそよそしいとお恨みのご様子が辛くて、何も申し上げられません。私が見つけられた時の、ひどい有様は、どんなにか怪しくお思いになったことでございましょう。そのまま正気も失せ、魂とかいうものも、変わっていまったのでしょうか。何もかも昔の事は一向に思い出せませんのに…」――
「『紀伊守とかありし人の、世のものがたりすめりし中になむ、見しあたりのことにや、と、ほのかに思ひ出でらるることある心地せし。そののち、とざまかうざまに思ひ続くれど、さらにははかばかしくも覚えぬに…』」
――「先日、紀伊の守とかいう方が世間話をしておられたその中に、もと私が住んでいました辺りかしらと、かすかに思い出されることがあるような気がいたしました。それからというもの、あれやこれやと考え続けていますが、いっこうに思い出しませんのに…」――
つづけて、
「『ただ一人ものし給ひし人の、いかで、とおろかならず思ひためりしを、まだや世におはすらむ、と、そればかりなむ心に離れず、悲しき折々侍るに、この童の顔は、ちひさくて見し心地するにも、いと忍びがたけれど、今さらに、かかる人にも、ありとは知られでありなむ、となむ思ひ侍る…』」
――「ただ一人おいでになる母上が、なんとかして私を仕合せにしたいと並々ならず心配して、心を込めて育ててくださったので、今でも生きていらっしゃるかと、そればかりは忘れることはなく、悲しく思う事が折々ございます。この子の顔を今日見ますと、幼い頃に見たような気がしまして、まことに堪え切れぬ思いでございますが、今となっては、こうした弟などにも、生きているとは知られずに居たいと、そう思うのでございます…」――
さらに、浮舟は、
「『かの人もし世にものし給はば、それ一人になむ、対面せまほしく思ひ侍る。この僧都ののたまへる人などには、さらに知られたてまつらじ、とこそ思ひ侍れ。かまへて、ひがごとなりけり、と聞えなして、もてかくし給へ』とのたまへば、『いと難いことかな。僧都の御心は、聖といふ中にも、あまりくまなくものし給へば、まさに残りては聞え給ひてむや。のちに隠れあらじ。なのめに軽々しき御程にもおはしまさず』など、言ひ騒ぎて、『世に知らず心強くおはしますこそ』と、皆言ひ合はせて、母屋の際に几帳立てて入れたり」
――「母上が、もし生きておいでならば、その方お一人にはお目にかかりとうございます。この僧都の御文にあります御方(薫)には、決して知られたくございません。是非ともお人違いであったとお答えになって、お隠しくださいませ」とおっしゃいます。妹尼は、「それは難しいことです。あの僧都のお心は、真正直すぎるほどでいらっしゃるので、きっと何もかも申し上げておしまいになるでしょう。後ですっかり分かってしまいますよ。また大将殿にしましても、こうした事情をなまじ隠しておけるような、軽いご身分ではいらっしゃいませんしね」などと、うるさく言って、「世にも珍しい気の強い方ですこと」などと、他の尼たちも言いながら、母屋の端に几帳を立てて、小君を招じ入れました――
では7/29に。