『英国王のスピーチ』
第一次世界大戦後のイギリス。
ヨーク公アルバート王子(コリン・ファース)は幼い頃から吃音に悩んでいたが、父ジョージ5世(マイケル・ガンボン)が崩御して即位した兄エドワード8世(ガイ・ピアース)が、離婚歴のあるアメリカ人女性シンプソン夫人(イヴ・ベスト)との結婚のためわずか1年で退位してしまう。
迫りくる戦争の影のもと、アルバートが王位を継承。ジョージ6世を名乗ることになり・・・。
2010年度アカデミー賞で最多7部門を受賞した。
観ている間じゅう、気になって気になってしょうがないことがあった。
ぐりの周辺には、吃音症の人はほとんどいない。でも絶対にその話し方には聞き覚えがある。誰だっけ?全然思い出せないなあ・・・超気になるやんけ・・・とかなんとか、ずーっと考えていた。
なぜか。
劇中、ヨーク公は吃音症にひどく悩み、ひたすら孤独に苦しむが、他人にとっては本人が思うほど重大なことじゃないってことが実にうまく描かれてるんだよね。ぶっちゃけ誰も大して気にはしていない。気にしてるのは本人だけで、家族も、気にしてる本人がかわいそうだから気にしてる。
つまり、ぐりにとっても、思い出そうとしても思い出せないくらい、ほんとはどうでもいいことなんだけど、本人は超しんどい。とにかくしんどい。だから孤独なのだ。
観終わってしばらく経って、吃音症の人をひとり思い出した。
学生時代のバイト先の雇い主が、重度の吃音症だったのだ。雇われているのはぐりひとりだったので、ふだんは毎日オフィスにふたりっきりである。外回りもランチもふたりっきり。わりとおしゃべりな人だったが、なにしろめちゃくちゃ吃っているので何を話すのもひどく時間がかかる。ぐりはそれを聞き取るのに精一杯で、口を挟む余裕はほとんどない。映画のヨーク公なんかよりずっと深刻な吃音だったのだ。
仕事は海外とのやり取りも多かったので、彼はちょくちょく英語で電話をかけていたが、不思議なことに英語は驚異的に流暢だった。ネイティブ並みとまではいかないにしても、まったく吃ってはいなかった。映画の中で、ヨーク公が歌えば吃らないというのとなんとなく共通している。
そーいや英語でビジネスレターとか書かされてたなアタシ。今思うとめっちゃヘンな汗出て来そうですけど。
オフィスが例の新宿公園の目の前で、いっつも近所をなんかおもしろそーな人がいっぱいウロウロしてたのをよく覚えている。
昔話はさておきまして。
映画はびっくりするくらい淡々としている。基本は完全にタイムクロノジカルに進行する。たとえばヨーク公の吃音は幼児期の体験に起因しているらしきことが彼自身の口から語られるのだが、回想シーンはいっさい出てこない。
言語療法士のローグ(ジェフリー・ラッシュ)は患者の過去に同情はするが、その悲劇性を映画ではあえて強調するまいとしているようにも思える。
一方で、チャーチル(ティモシー・スポール)やシンプソン夫人、大主教(デレク・ジャコビ)のキャラクターが必要以上にカリカチュアライズされてたりするのがなんだかおかしい。
登場人物はとにかく多いけど、本筋はヨーク公とローグの吃音治療なので、彼らはあくまでもその背景の書き割りに過ぎない。そのわりにはやたら主張が激しいのはなにゆえか。味?
全編ほとんどが室内のシーンなのだが、美術装飾が凝っていてどのシーンも非常に美しい。
暗くじめっとしたライティングもリアルだし、カタストロフが微妙に盛り上がらないところもなんだかイギリスっぽい。
とりあえずものすごく真面目な映画なんだよね。真面目過ぎてちょっと融通が利かないというか。
ところで、冒頭では30歳の設定で最後は43歳のヨーク公のビジュアルがまったく変わらないのはなんでですか。彼だけじゃなくて王妃(ヘレナ・ボナム・カーター)やローグも変わんないんだよね。そこはちょっと不自然だったかな。
第一次世界大戦後のイギリス。
ヨーク公アルバート王子(コリン・ファース)は幼い頃から吃音に悩んでいたが、父ジョージ5世(マイケル・ガンボン)が崩御して即位した兄エドワード8世(ガイ・ピアース)が、離婚歴のあるアメリカ人女性シンプソン夫人(イヴ・ベスト)との結婚のためわずか1年で退位してしまう。
迫りくる戦争の影のもと、アルバートが王位を継承。ジョージ6世を名乗ることになり・・・。
2010年度アカデミー賞で最多7部門を受賞した。
観ている間じゅう、気になって気になってしょうがないことがあった。
ぐりの周辺には、吃音症の人はほとんどいない。でも絶対にその話し方には聞き覚えがある。誰だっけ?全然思い出せないなあ・・・超気になるやんけ・・・とかなんとか、ずーっと考えていた。
なぜか。
劇中、ヨーク公は吃音症にひどく悩み、ひたすら孤独に苦しむが、他人にとっては本人が思うほど重大なことじゃないってことが実にうまく描かれてるんだよね。ぶっちゃけ誰も大して気にはしていない。気にしてるのは本人だけで、家族も、気にしてる本人がかわいそうだから気にしてる。
つまり、ぐりにとっても、思い出そうとしても思い出せないくらい、ほんとはどうでもいいことなんだけど、本人は超しんどい。とにかくしんどい。だから孤独なのだ。
観終わってしばらく経って、吃音症の人をひとり思い出した。
学生時代のバイト先の雇い主が、重度の吃音症だったのだ。雇われているのはぐりひとりだったので、ふだんは毎日オフィスにふたりっきりである。外回りもランチもふたりっきり。わりとおしゃべりな人だったが、なにしろめちゃくちゃ吃っているので何を話すのもひどく時間がかかる。ぐりはそれを聞き取るのに精一杯で、口を挟む余裕はほとんどない。映画のヨーク公なんかよりずっと深刻な吃音だったのだ。
仕事は海外とのやり取りも多かったので、彼はちょくちょく英語で電話をかけていたが、不思議なことに英語は驚異的に流暢だった。ネイティブ並みとまではいかないにしても、まったく吃ってはいなかった。映画の中で、ヨーク公が歌えば吃らないというのとなんとなく共通している。
そーいや英語でビジネスレターとか書かされてたなアタシ。今思うとめっちゃヘンな汗出て来そうですけど。
オフィスが例の新宿公園の目の前で、いっつも近所をなんかおもしろそーな人がいっぱいウロウロしてたのをよく覚えている。
昔話はさておきまして。
映画はびっくりするくらい淡々としている。基本は完全にタイムクロノジカルに進行する。たとえばヨーク公の吃音は幼児期の体験に起因しているらしきことが彼自身の口から語られるのだが、回想シーンはいっさい出てこない。
言語療法士のローグ(ジェフリー・ラッシュ)は患者の過去に同情はするが、その悲劇性を映画ではあえて強調するまいとしているようにも思える。
一方で、チャーチル(ティモシー・スポール)やシンプソン夫人、大主教(デレク・ジャコビ)のキャラクターが必要以上にカリカチュアライズされてたりするのがなんだかおかしい。
登場人物はとにかく多いけど、本筋はヨーク公とローグの吃音治療なので、彼らはあくまでもその背景の書き割りに過ぎない。そのわりにはやたら主張が激しいのはなにゆえか。味?
全編ほとんどが室内のシーンなのだが、美術装飾が凝っていてどのシーンも非常に美しい。
暗くじめっとしたライティングもリアルだし、カタストロフが微妙に盛り上がらないところもなんだかイギリスっぽい。
とりあえずものすごく真面目な映画なんだよね。真面目過ぎてちょっと融通が利かないというか。
ところで、冒頭では30歳の設定で最後は43歳のヨーク公のビジュアルがまったく変わらないのはなんでですか。彼だけじゃなくて王妃(ヘレナ・ボナム・カーター)やローグも変わんないんだよね。そこはちょっと不自然だったかな。