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落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

スカーレット・レター

2005年05月23日 | movie
『スカーレット・レター』
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ぐりは昔、この映画の台詞に登場するハリウッド映画『スカーレット・レター』の公式HPを、本編を観ないでつくったことがあります。
その頃、まだインターネットが今ほど一般に普及してなかった頃、ある映画配給会社のインターネット事業に携わる部署にいて、かなりたくさんの映画やビデオの公式HPを、1本も観ずに、ひとりでつくってました。観る時間もなかったし、配給部からビデオが届けられることも試写に呼ばれることもなかった。だから、書面の資料だけをもとに原稿を書いて、デザインを考えてました。
日本の映画会社なんてそんなものです。観客ナメきってます。
ちなみにこの『スカーレット・レター』は戦前につくられた『緋文字』のリメイクですが、ぐりはこちらも観ていません。ナサニエル・ホーソーンの原作も読んでいない。

今回の韓国版『スカーレット・レター』、いろんな意味で期待を裏切る作品です。
まずヒロイン役のイ・ウンジュの自殺の原因とされたラブシーン。ぜんっぜん、どーっちゅーことなかったです。
本当にこれがもとで彼女が死んだとすれば、世間には他にもっと首を括らにゃならん女優がごまんといる筈です。すんごい乱暴な云い方だけど。それくらい、煽情的でも刺激的でもない、ごく自然な、ストーリーに副った、エモーショナルなシーンでした。肌の露出だって全くなんてことないです。だからコレを自殺の話題に騙されてエロ映画と思って観に行った男性は相当裏切られた気分になると思います。

それから主演ハン・ソッキュのキャラクター。
ハン・ソッキュと云えば韓国の国民的スターだけど、ぐりはこれまでに『八月のクリスマス』(コレ日本でリメイクしたんだってねー。絶対観ないね)しか観てません。『グリーンフィッシュ』も『シュリ』も『カル』も『二重スパイ』も観ていない。理由は『八月のクリスマス』がすごく良かったから、そのイメージを自分のなかで壊したくなかったのかもしれない。ってのは後づけの言い訳ですね。要するに流行りモノに興味が持てないだけです。
『〜レター』の彼は妻(オム・ジウォン)とその友人である愛人(イ・ウンジュ)を天秤にかけて放蕩するエリート刑事。やたらに髪をかきあげる仕種が嫌みったらしい、かなりイヤな男です。以前ぐりの知人の韓国人男性が「あんな普通の、男前でもなんでもないやつが大スターだなんて許せない」とぷんすかしてましたが(純粋な言いがかりですねこりゃ)、逆にこの役をビョン様とかヨン様とかドン様がやってたらシャレにならないだろうなと思います。そういうところがハン・ソッキュの役者としての魅力なんだと思う。どこにでもいそうな、ごく普通の男、どんな人物にでもすっと溶けこめる柔軟性のある容貌と落ち着いた演技。

そしてストーリー。
物語の冒頭、ある写真館の主が鈍器で撲殺され、ハン・ソッキュが事件を担当することになる。まず主の美貌の妻(ソン・ヒョンア)が疑われ尋問されるが、なかなか真相は見えて来ない。この事件の捜査と、主人公の不倫の顛末が並行して描かれる、つまりラブ・サスペンスなんですね。
ところが、この映画の圧巻はクライマックス(以下ネタバレを含みますのでこれからご覧になられる方はお読みにならないことをオススメします)。
ハン・ソッキュとイ・ウンジュが誰もいない郊外の湖畔に車を停め、開いたトランクに座ってセックスをしてると何かの拍子にトランクが閉じてしまい、ふたりは狭いトランクに閉じこめられてしまう。狭いし、空気は薄くなってくるし、おまけに愛人は身重の身体である。絶体絶命のピンチである。
ここからが長い。最初は冗談なんか云いあって笑ってるふたりも時間が経つにつれて余裕がなくなり、ヒステリックになっていく。そんなキツイ辛いシーンが延々と続く。こんなシーンがこんなに長く続くなんて、まず日本映画ではあり得ないと思う。画面的に退屈だから。確かに画面的には退屈だが、精神的には非常に濃い。ハッキリ云ってこの映画のメインはイ・ウンジュのハダカでも歌声でもないしまして殺人事件の解明でもない、この苛酷な密室シーンであると断言出来る。それほど濃いのだ。

そんな生きるか死ぬかの状況で、愛人はとんでもない告白を始める。
ぐりが今回いちばん裏切られたのはこの告白です。愛人と妻が友人なのは構わない。妻が愛人との関係にこだわるあまり主人公との結婚を選ぶのも構わない。でも、妻と愛人の間に肉体関係をもたせるのは完全に蛇足だと思う。女同士の抜き差しならない友情には必ずしも肉体関係は必要ない。主人公と愛人はまる2日もトランクの中にいたのだ。もっと丁寧に告白をさせて、肉体関係抜きでの濃密な女同士の関係の歴史をしっかりと描いた方が絶対によかったと思う。それをあっさりとセックスで片づけてしまったことで、却って物語が安っぽくなってしまっている。そこはかなり惜しまれる部分である。


主人公の家や愛人のマンションがやけに豪華だったり、妻の職業がチェロ・ソリストで愛人はジャズシンガーだったり、前半の雰囲気は妙にバブリーなのでついサスペンスタッチのメロドラマかと思って観てたけど、終わってみたらなかなかどうして、二枚腰三枚腰でたたみかけて来る、相当にガッツのある映画です。
それを象徴するのが写真館の妻の最後の台詞。「愛していれば許されるのか?」。愛さえあれば何もかもチャラになるなんて考え方は男のエゴである(あるいは女のエゴ)。言葉にしてしまえば陳腐だけど、恋愛中の人間は誰もがつい何でもかんでも愛するがゆえに許されたいと思ってしまう。本当はそんなものは愛ではないのだ。ただの依存、ただの責任転嫁なのだ。
ハン・ソッキュもそうだけど、イ・ウンジュの演技が凄かったです。すっごいなりきってました。かえすがえすも才能が惜しまれます。こんなに一生懸命やってたのに、彼女は自殺と云う形で、自分のして来た努力を、作品を否定してしまった。

渋谷で公開2週めの日曜と云うのにガラガラだったのはなぜでしょー。やっぱ韓流ったって四天王とか出てなきゃダメなのかね?まぁぐりはゆっくり脚伸ばして観れてよかったけどさー。