落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

昭和歌謡大全集

2003年12月07日 | movie
昭和歌謡大全集
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専門学校生のスギオカ(安藤政信)は、ある日偶然見かけた“オバサン”に欲情しナンパしようとして「変態!」となじられたことに腹をたて、咄嗟にナイフで彼女を殺してしまう。殺されたヤナギモトミドリ(内田春菊)のオバサン仲間・ミドリ会(樋口可南子・岸本加世子・森尾由美・細川ふみえ・鈴木砂羽)は犯人に復讐することにし、スギオカの仲間の少年たち(松田龍平・池内博之・近藤公園・斉藤陽一郎・村田充)との間に復讐合戦が始まる。

あんまり期待せずに観たんですが、大爆笑でした。
設定がオタク少年VSオバサンとなってるけど、さっぱり誰もオタクっぽくもないしオバサンぽくもないです。要はストーリーとかリアリティとかは一切放棄しちゃって、昭和歌謡と復讐合戦と云うメインテーマだけを一生懸命描くことで、すっきりと笑えるコメディに仕立ててある。アタマ良いです。
ただ殺しあいは殺しあいなので正直笑っていいものかどうかちょっと迷いましたが、観ちゃうとダメっすね。笑っちゃいます。でも何がおかしいのかは上手く説明出来ない。まぁ観れば笑えますよ。ハイ。
たぶんコレをリアルにオタクっぽい役づくりをしたり、オバサンらしいキャスティングで撮ってたら全然笑えなかったでしょーね。それだけは云えます。しかしまぁ殺しあいがこんなに笑える物語になっちゃうってのが不思議です。

アララトの聖母

2003年12月07日 | movie
アララトの聖母
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『エキゾチカ』『スウィートヒアアフター』で知られるアトム・エゴヤン監督が自らのルーツを描いた意欲作。
著名な映画監督でアルメニア難民のサロヤンは第一次世界大戦中に起きたアルメニア人大虐殺を映画化するにあたり、事件の生存者でアメリカの画家アーシル・ゴーキーを作中に登場させることを思いつき、やはりアルメニア人の美術史家アニに協力を求める。アニには息子がいたが、彼の父親は革命運動の中で殺され、二度めの夫は謎の転落死を遂げると云う過去があった。アニの息子ラフィは何のために父が生き、死んだのかを理解出来ないまま、映画制作に助手として参加する。

アルメニアってどこよ?と云う方も大勢いらっしゃるでしょう。さらにアルメニア人大虐殺なんて云ってもほとんどの日本人は知らないと思います。
と云うのは、事件の舞台であり当事者であるトルコ政府が、未だにこの事件を事実として認めていないからです。現在、トルコがEUに加盟出来ないのはこのためだと云われています。
アルメニアは紀元前9世紀頃まで起源を遡る由緒ある国で、黒海の南東部アルメニア高地に位置し、キリスト教を国教とする国でした。しかし西洋と東洋の境にあたるこの地域は周辺諸国の度重なる侵略を受け、19世紀にはトルコ領アルメニアとロシア領アルメニアに分断されていました。イスラム教を国教とするトルコ領でアルメニア人はひどい迫害を受けるようになり、第一次大戦中ロシアからの侵攻を恐れたトルコ政府によって1915年から1922年の間に150万人のアルメニア人が虐殺されると云う悲劇が起こりました。他のアルメニア人は西欧諸国や北米に逃れ、こうしてトルコ国内のアルメニア人とその文化は完全に失われてしまいました。

ぐりも恥ずかしながらこの事件のことを全く知りませんでした。上記の簡単な説明も作品資料からの受売りです。この映画が観たかったのは、エゴヤン作品のファンだからです。
エゴヤン監督はそれまでのプロフィールでは“エジプト系カナダ人”となっていたので、最初この作品の紹介を読んで「アルメニア?エジプト人じゃないの?」と怪訝に思いました。監督自身の顔もよく見たことなかったし、エゴヤンと云う変わった姓がどこの言葉なのかも分からなかったので。
今作の資料を見ると、監督のご両親がアルメニア難民で、監督はエジプトで生まれ、小さい時にカナダに移住されたそうです。

監督はインタビューで「僕はこの作品でトルコを糾弾したい訳ではない」と発言していますが、作品を見るとなるほどその意味がよく分かります。この作品には、事件が直接的に描かれている部分が全く無いからです。
登場人物の多くはアルメニア人ですが、そのほとんどが実際には事件を経験・目撃してはいません。映像に描かれる事件はサロヤンの映画、劇中劇です。つまり、テーマである事件そのものと作品の間にはかなり大きな距離がある。意図して距離を置いて事件を描いている。距離を置くことで、冷静に、感情を交えずニュートラルに、事実を、その意味を、観客に問おうとしている。
作中、アララト(アルメニアの山)に旅行したラフィが、トロント空港の税関で税関検査官に向かって映画の内容を説明するシーンがあります。検査官はラフィの持ち込んだフィルム缶を開封させようとし、ラフィは制作中の映画の素材で未現像だから開封出来ないと主張する。
検査官は勿論アルメニア人虐殺事件のことなんて知らないので、ラフィの話を半信半疑で聞いている。この検査官の視点が、映画を観ている我々の視点と重なって、徐々に事件の全容が解明されていく仕掛けになっています。

エゴヤン作品の特徴でもありますが、この映画も登場人物が非常に多く、全体の構成も複雑です。観た後で、他人にこれこれこういう映画だったと説明するのは非常に難しい。
だから簡単にまとめちゃいますが、どんな理由があろうとも、ひとつの文明、ひとつの国、ひとつの民族がまるごと全部失われてしまうなんてことは決して赦されることではない。家族を、故郷を、祖国を奪われた人々の深い悲しみと絶望は決して癒されることはないし、その悲劇は決して忘れ去られてならない。
当り前のことだけど、つい他人事と思いがちな人間でも、この作品を観ればその真理が分かる、そう云う映画でした。
この作品が撮影されたのは一昨年の5月と云うことですが、その後に起きた9.11のことを思うと、イスラム教VSキリスト教と云う当初は意図されていなかっただろう側面が気になってしまうぐりでした。
ちなみに事件の詳細はこちらのサイトに紹介されています。興味のある方はどうぞ。