落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

アララトの聖母 続き

2003年12月12日 | movie
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先日の日記に『アララトの聖母』と云う映画の感想を書きましたが、たった今、この映画の超強力かつ決定的な暗喩に気づいて我ながらビックリしました(マニアックな話ですしネタバレなので、興味のない方・作品を御覧になってない方はお読みにならないことをオススメします)。今まで気づかなかったアタシってやっぱ鈍いのかな?

物語のラスト、空港の、照明を落とした暗闇の税関検査室で、フィルム缶を開封するシーン。 ラフィは密封された缶の中身を、未現像のフィルムだと信じている。本当は何が入っているのか知らないにも関わらず。 なので開封するにあたって、感光したら映像がダメになってしまうので照明を消して欲しい、手で触ればフィルムだって分かるから、と説明する。 検査官は云われた通り照明を消して、暗闇の中で缶を開ける。検査官はそこにヘロインが入っているのではと疑っている。 開封した缶を前に、検査官は中身についてラフィに訊ねる。ラフィはフィルムだと答える。そう信じているからと。

実はこのやりとりが、この作品でいちばん大事なことを意味してたんじゃないかと、今、気づいた訳です。1週間経って。遅まきながら。
つまり、アルメニア人大虐殺を缶の中身に喩えたんじゃないでしょうか。事件そのものは実際で起こったことでありながら世界の人々から忘れ去られようとしている。たとえ忘れ去られようとも、誰にも知られていなくても、事件が事実であると云うことは変わらない。
どんなにトルコ政府が事件を無かったことにしようとしても、缶の中身はフィルムだと信じようとしても、検査室が暗闇であってもヘロインはヘロイン、事実は事実であり、それは誰にも変えようがない。
たとえ、缶の中身をフィルムだと信じたラフィが罪を問われること無く帰れたとしても、彼がヘロインを運んだ事実は変わらない。


こんなことにこんなに時間が経って気づくぐりも相当鈍いですが、云ってみればこの深さがエゴヤン作品のスゴイとこなんじゃないかと、改めて感じ入ります。
そうだよね?
違うかなぁ。あーもっかい観たい。もう北海道と福岡でしかやってないけど。
うーん(←感動している)。