『彼女の名はサビーヌ』
フランス映画界を代表する女優サンドリーヌ・ボネールのひとつ年下の妹サビーヌは自閉症。
子どものころ、家族が彼女の障碍に気づかなかったために必要な治療とケアを受けられず、28歳になって入院した精神病院で大量の薬物を投与された結果、5年後の退院時には症状が極度に悪化してしまっていた。
姉自らが妹を題材に綴ったドキュメンタリー。
10〜20代のサビーヌ。
すらりとしなやかな肢体、豊かな茶色の巻き毛を長く垂らし、見はったように大きな目を輝かせた魅力的な美少女。踊ったり跳んだり泳いだりお喋りしたり、ピアノも弾く。少々エキセントリックではあるが、元気でかわいい女の子だ。
そして現在、38歳のサビーヌ。
入院時に体重が30kgも増え、容貌はまったくの別人になっている。目は虚ろで、話し方はごくゆっくりになり、内容にもまるで広がりはない。身体の動きは緩慢で、すぐに疲れたといって横になりたがり、思い通りにいかないことがあると暴力をふるい、自分の手を噛んだりする。
映画はこの「ふたりのサビーヌ」の間を行き来する。
いずれの映像にも、それを撮る姉の深い慈愛の情がみちている。素人目にも明らかに症状が悪化し、人格が退行しているサビーヌだが、おそらく家族にとってはどんなサビーヌもサビーヌなのだ。その気持ちはよくわかる。ぐりにも妹がいるからかもしれない。ぐりの妹はふたりとも姉よりずっとしっかりした社会人でサビーヌのような厄介ところは全然ないけど、どんな妹でもいつでもかわいいと思う気持ちは世界共通なんだろうと思う。
それだけに、どうしてかわいい妹がこうなってしまったのか?という姉の疑惑と静かな憤りが、より強く伝わってくる。
確かに自閉症という病気は定義が難しく、治療も困難な病だとはいわれている。症状は千差万別だし、治癒する方法は今のところない。しかし薬物で症状を抑制するだけの治療は介護を容易にはするが、患者自身の将来に果たしてどれほど役に立つのだろうか。
作中にサビーヌと同じ施設に入所しているオリビエという患者の母親が登場し、ビタミン剤と間違えて息子のてんかんのクスリを誤飲したエピソードを語るくだりがある。実は彼女と同じような経験がぐりにもある。
ぐりは20代半ばにうつ病になり、しばらくの間かなりたくさんの抗精神薬を服用していた。抗うつ剤や睡眠導入剤、精神安定剤はもとより、その副作用を抑えるためのクスリも併用していた。多かったときで10種類以上の錠剤を、朝昼晩と寝る前に飲んでいた。なかなか効果が出ずにしょっちゅうクスリを替えていたので、飲みきれないクスリが家のクスリ箱にどんどん溜まった。
その後うつ病が治ってから、疲れているのに眠れないある晩「そういえば眠れるクスリがあったっけ」と思い出して古い睡眠導入剤を軽い気持ちで持ち出した。あのころは効かなくて困ったくらいなのに、魔法のようにすーっと眠りに入ることができた。ところが勤務先からの電話で目が覚めたらまる1日以上時間が過ぎていて、デスクの女性に「今日は休むの?」と訊かれて青くなった。効き過ぎて起きられなかったのだ。目が覚めた後も妙にハイな状態でわけもなく笑いが止まらず、思考力もろくに働かなかった。まわらない頭で「クスリってこえーなあ」と思ったのをよく覚えている。あのとき飲んだのがほんとうに睡眠薬だけだったのか、ちょっと自信はないんだけど。
つまり抗精神薬のたぐいは脳のある機能を阻害して、病気によって暴走している脳の活動を緩和させることで症状を抑えている。確かにクスリで一部の症状は消えてなくなるが、それはその脳の機能を奪っているということにもなる。習慣的に服用していれば恒久的にそれが失われてしまうか、退行してしまうというリスクは避けられない。
そもそもクスリと名のつくものはみんな毒でもある。役に立つ面もあれば怖い面もある。それだけに頼った治療は、どんな病人にとっても危険なものかもしれない。
日本では1000人にひとりからふたりの割合で発症するといわれる自閉症。全然珍しい病気ではない。
しかしこうした障碍をもつ人々の存在はフランスでも日本でも社会から隠され、いなくてもよい者、健康な人には関わりのない人々として、隔離された生活を余儀なくされている。
こうした社会の無関心が、自閉症も含めた発達障碍への無理解と、福祉制度の不備を助長しているとしたらどうだろうか。どんな障碍をもった人でも安心して平和に暮す権利があり、その家族にも心安らかに介護にとりくめる環境が必要とされているのに、それを、無関心と無理解が奪っているとしたらどうだろうか。
サビーヌがどんな状態でも家族にとってかわいい子であるのと同じように、誰にとっても家族は愛しい。報いられて当然のその愛を阻む権利など、誰にもない。
ないはずなんだけど。
関連レビュー:
『非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎』
『累犯障害者─獄の中の不条理』 山本譲司著
『福祉を食う―虐待される障害者たち』 毎日新聞社会部取材班著
『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』 佐藤幹夫著
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子どものころ、家族が彼女の障碍に気づかなかったために必要な治療とケアを受けられず、28歳になって入院した精神病院で大量の薬物を投与された結果、5年後の退院時には症状が極度に悪化してしまっていた。
姉自らが妹を題材に綴ったドキュメンタリー。
10〜20代のサビーヌ。
すらりとしなやかな肢体、豊かな茶色の巻き毛を長く垂らし、見はったように大きな目を輝かせた魅力的な美少女。踊ったり跳んだり泳いだりお喋りしたり、ピアノも弾く。少々エキセントリックではあるが、元気でかわいい女の子だ。
そして現在、38歳のサビーヌ。
入院時に体重が30kgも増え、容貌はまったくの別人になっている。目は虚ろで、話し方はごくゆっくりになり、内容にもまるで広がりはない。身体の動きは緩慢で、すぐに疲れたといって横になりたがり、思い通りにいかないことがあると暴力をふるい、自分の手を噛んだりする。
映画はこの「ふたりのサビーヌ」の間を行き来する。
いずれの映像にも、それを撮る姉の深い慈愛の情がみちている。素人目にも明らかに症状が悪化し、人格が退行しているサビーヌだが、おそらく家族にとってはどんなサビーヌもサビーヌなのだ。その気持ちはよくわかる。ぐりにも妹がいるからかもしれない。ぐりの妹はふたりとも姉よりずっとしっかりした社会人でサビーヌのような厄介ところは全然ないけど、どんな妹でもいつでもかわいいと思う気持ちは世界共通なんだろうと思う。
それだけに、どうしてかわいい妹がこうなってしまったのか?という姉の疑惑と静かな憤りが、より強く伝わってくる。
確かに自閉症という病気は定義が難しく、治療も困難な病だとはいわれている。症状は千差万別だし、治癒する方法は今のところない。しかし薬物で症状を抑制するだけの治療は介護を容易にはするが、患者自身の将来に果たしてどれほど役に立つのだろうか。
作中にサビーヌと同じ施設に入所しているオリビエという患者の母親が登場し、ビタミン剤と間違えて息子のてんかんのクスリを誤飲したエピソードを語るくだりがある。実は彼女と同じような経験がぐりにもある。
ぐりは20代半ばにうつ病になり、しばらくの間かなりたくさんの抗精神薬を服用していた。抗うつ剤や睡眠導入剤、精神安定剤はもとより、その副作用を抑えるためのクスリも併用していた。多かったときで10種類以上の錠剤を、朝昼晩と寝る前に飲んでいた。なかなか効果が出ずにしょっちゅうクスリを替えていたので、飲みきれないクスリが家のクスリ箱にどんどん溜まった。
その後うつ病が治ってから、疲れているのに眠れないある晩「そういえば眠れるクスリがあったっけ」と思い出して古い睡眠導入剤を軽い気持ちで持ち出した。あのころは効かなくて困ったくらいなのに、魔法のようにすーっと眠りに入ることができた。ところが勤務先からの電話で目が覚めたらまる1日以上時間が過ぎていて、デスクの女性に「今日は休むの?」と訊かれて青くなった。効き過ぎて起きられなかったのだ。目が覚めた後も妙にハイな状態でわけもなく笑いが止まらず、思考力もろくに働かなかった。まわらない頭で「クスリってこえーなあ」と思ったのをよく覚えている。あのとき飲んだのがほんとうに睡眠薬だけだったのか、ちょっと自信はないんだけど。
つまり抗精神薬のたぐいは脳のある機能を阻害して、病気によって暴走している脳の活動を緩和させることで症状を抑えている。確かにクスリで一部の症状は消えてなくなるが、それはその脳の機能を奪っているということにもなる。習慣的に服用していれば恒久的にそれが失われてしまうか、退行してしまうというリスクは避けられない。
そもそもクスリと名のつくものはみんな毒でもある。役に立つ面もあれば怖い面もある。それだけに頼った治療は、どんな病人にとっても危険なものかもしれない。
日本では1000人にひとりからふたりの割合で発症するといわれる自閉症。全然珍しい病気ではない。
しかしこうした障碍をもつ人々の存在はフランスでも日本でも社会から隠され、いなくてもよい者、健康な人には関わりのない人々として、隔離された生活を余儀なくされている。
こうした社会の無関心が、自閉症も含めた発達障碍への無理解と、福祉制度の不備を助長しているとしたらどうだろうか。どんな障碍をもった人でも安心して平和に暮す権利があり、その家族にも心安らかに介護にとりくめる環境が必要とされているのに、それを、無関心と無理解が奪っているとしたらどうだろうか。
サビーヌがどんな状態でも家族にとってかわいい子であるのと同じように、誰にとっても家族は愛しい。報いられて当然のその愛を阻む権利など、誰にもない。
ないはずなんだけど。
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