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なるほど納得の作品でした。こりゃ凄いです。
山の中の全寮制男子中学校、それもミッション系、っつーのが往年のギムナジウム漫画をホーフツとさせますが、作品全体の世界観はアレをそのまま踏襲してますね。巨匠萩尾望都先生が『トーマの心臓』(だったよな)の中で「ここはひとつぶの水雫に映った小宇宙」と云うような比喩をしていましたが、もうモロそんな感じ。
性別も年齢も環境も価値観も、すべてが社会と穏やかに隔絶され閉鎖された、一種の理想郷のなかでたかまっていく思春期特有の「死のパワー」の煌めき。永遠に続くかのようでほんの一瞬で過ぎて行ってしまう少年期の、ずっしりとのしかかるような、べっとりと湿った重み、灼けつくような熱さを帯びた不安感。
こういうのって映画のテーマとしては定番なんでしょうね。そして普遍のテーマでもあるんでしょう。同じテーマの映画はたくさんあるけれど、この映画は完成度と云う意味では一級品です。静かに決定的にカタストロフになだれ込んでいくストーリー展開にも隙がない。
そんななかであえて「ケチ」をつけるとするなら、やはり康夫の人物造型。この子の「音楽」「歌」に対する愛が全く感じられないってとこかな。「革命」にしたってそうじゃないかなぁ。これはこれで意図した描写なのかもしれないけど。
ただまぁ康夫の恐ろしいまでに研ぎすまされた少年美の輝きと、終りを迎えようとする子ども時代との惜別に対する表現者の思い入れはしっかり表現されてます。
この映画は学校を舞台にしながら登場人物は驚くほど少ないんですよね。役名があって聞こえる台詞を話している人物は数える程度で、それ以外はまるで「背景」のような扱いであるにも関わらず、康夫と道夫を通してその世界観は十分に表現されている。変な説明が全く無いのに、独立学院と云う学校の春夏秋冬が奇妙なリアリティをもって観客の心に再現されていくのも、この映画の最大の魅力のひとつだと思います。物語や舞台設定にリアリティはなくても、作品の世界観がしっかりしていればきちんと現実感は再現出来る、ってことなんでしょうか。
そういう意味で云えば、過ぎて行ってしまう少年期への妄執を見事に映像化しきった秀作だと思います。拍手。
ところで巷間では(どこの巷だ)康夫役の藤間宇宙が松田龍平と似ていると云う噂でしたが、作品を観てなるほどなと思いました。確かに面影は似てるとこあります。特に淡い影に翳んだような目鼻立ちや丸い頬の柔らかい曲線、とりわけ視線の定まらない危う気な透き通るような瞳にははっとするものがありました。
とは云えそっくりでもなくて、「似てるな」と思わされる瞬間があると云う程度ですね。少女のような可憐な肢体や子どもらしい天真爛漫な笑顔、役に頭から飛び込んでいくような勢いのある演技なんかは、タイプとしては大沢健(『ぼくらの七日間戦争』『ファンシィ・ダンス』)を思い出させる。いわゆる子役出身の美少年俳優、優等生役者の類型とも云えるかもしれません。
松田龍平は『御法度』に出た15~6の頃でも体格から云っても風貌から云っても既に「可憐な美少年」ではなかった。あのえも云われず淫麼な雰囲気はそもそも彼が備えていたものなのかそれとも惣三郎を演じるなかで身に着いたものなのか、身内から匂って来るような空気をもっているところがあって、そう云う点では明らかにただ造形的に美しいだけの俳優ではないなと思います。
真正面から同性愛を描いた『御法度』でほとんど肌の露出がないにも関わらず、あれだけの凄絶な妖婉さを醸していた松田龍平と、おフロでまっぱで同級生に身体を触りまくられてても(汗)セクシャルな印象の残らない藤間宇宙は、その面においては好対照かも。
演じ方から云っても、松田龍平は感覚的に役をとらえるような、「静」の芝居の役者ですね。決して器用ではないけれどナチュラル。上手下手で云えばきっと藤間宇宙の方がずっとお芝居は上手いです。上手いだけでなく迫力もあります。将来が楽しみです。
なるほど納得の作品でした。こりゃ凄いです。
山の中の全寮制男子中学校、それもミッション系、っつーのが往年のギムナジウム漫画をホーフツとさせますが、作品全体の世界観はアレをそのまま踏襲してますね。巨匠萩尾望都先生が『トーマの心臓』(だったよな)の中で「ここはひとつぶの水雫に映った小宇宙」と云うような比喩をしていましたが、もうモロそんな感じ。
性別も年齢も環境も価値観も、すべてが社会と穏やかに隔絶され閉鎖された、一種の理想郷のなかでたかまっていく思春期特有の「死のパワー」の煌めき。永遠に続くかのようでほんの一瞬で過ぎて行ってしまう少年期の、ずっしりとのしかかるような、べっとりと湿った重み、灼けつくような熱さを帯びた不安感。
こういうのって映画のテーマとしては定番なんでしょうね。そして普遍のテーマでもあるんでしょう。同じテーマの映画はたくさんあるけれど、この映画は完成度と云う意味では一級品です。静かに決定的にカタストロフになだれ込んでいくストーリー展開にも隙がない。
そんななかであえて「ケチ」をつけるとするなら、やはり康夫の人物造型。この子の「音楽」「歌」に対する愛が全く感じられないってとこかな。「革命」にしたってそうじゃないかなぁ。これはこれで意図した描写なのかもしれないけど。
ただまぁ康夫の恐ろしいまでに研ぎすまされた少年美の輝きと、終りを迎えようとする子ども時代との惜別に対する表現者の思い入れはしっかり表現されてます。
この映画は学校を舞台にしながら登場人物は驚くほど少ないんですよね。役名があって聞こえる台詞を話している人物は数える程度で、それ以外はまるで「背景」のような扱いであるにも関わらず、康夫と道夫を通してその世界観は十分に表現されている。変な説明が全く無いのに、独立学院と云う学校の春夏秋冬が奇妙なリアリティをもって観客の心に再現されていくのも、この映画の最大の魅力のひとつだと思います。物語や舞台設定にリアリティはなくても、作品の世界観がしっかりしていればきちんと現実感は再現出来る、ってことなんでしょうか。
そういう意味で云えば、過ぎて行ってしまう少年期への妄執を見事に映像化しきった秀作だと思います。拍手。
ところで巷間では(どこの巷だ)康夫役の藤間宇宙が松田龍平と似ていると云う噂でしたが、作品を観てなるほどなと思いました。確かに面影は似てるとこあります。特に淡い影に翳んだような目鼻立ちや丸い頬の柔らかい曲線、とりわけ視線の定まらない危う気な透き通るような瞳にははっとするものがありました。
とは云えそっくりでもなくて、「似てるな」と思わされる瞬間があると云う程度ですね。少女のような可憐な肢体や子どもらしい天真爛漫な笑顔、役に頭から飛び込んでいくような勢いのある演技なんかは、タイプとしては大沢健(『ぼくらの七日間戦争』『ファンシィ・ダンス』)を思い出させる。いわゆる子役出身の美少年俳優、優等生役者の類型とも云えるかもしれません。
松田龍平は『御法度』に出た15~6の頃でも体格から云っても風貌から云っても既に「可憐な美少年」ではなかった。あのえも云われず淫麼な雰囲気はそもそも彼が備えていたものなのかそれとも惣三郎を演じるなかで身に着いたものなのか、身内から匂って来るような空気をもっているところがあって、そう云う点では明らかにただ造形的に美しいだけの俳優ではないなと思います。
真正面から同性愛を描いた『御法度』でほとんど肌の露出がないにも関わらず、あれだけの凄絶な妖婉さを醸していた松田龍平と、おフロでまっぱで同級生に身体を触りまくられてても(汗)セクシャルな印象の残らない藤間宇宙は、その面においては好対照かも。
演じ方から云っても、松田龍平は感覚的に役をとらえるような、「静」の芝居の役者ですね。決して器用ではないけれどナチュラル。上手下手で云えばきっと藤間宇宙の方がずっとお芝居は上手いです。上手いだけでなく迫力もあります。将来が楽しみです。
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