『ボウリング・フォー・コロンバイン』
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『華氏911』も映画としておもしろかったけど、ぐりはどっちかといえば『ボウリング〜』の方が好きだ。
『ボウリング〜』の方が問題がより複雑で、より身近だからだ。少なくとも、全米ライフル協会会員でもあるマイケル・ムーア自身も含めたアメリカ市民にとって、という意味だけど。
『華氏911』における「敵」はやはりどうしても「国家」であり「政府」という「他者」にみえる構図になってしまっている。でも、アメリカの銃犯罪の敵はアメリカ市民自身であり、銃から市民を守るのも市民なら、銃で市民を脅かすのもまた市民だ。アメリカ人は自ら恐怖と敵をつくりだし、自分でつくったものに怯え、憎しみあっている。これこそが自由の国アメリカの偉大なる矛盾そのものだ。
途中からなんだか『スーパーサイズ・ミー』と展開が似てくるのが不謹慎な?ェらおかしかった。
誰にも食べきれないほどの量のファーストフードが現実に不必要なのと同じように、ごく当り前の市民生活に銃なんて必要ない。あるだけ危険を招く無用の長物だ。ではなぜアメリカにはこれほど銃が氾濫しているのか。国内紛争中でもないのに、人口3億人の国に2億丁の銃はどう考えても多すぎる(ちなみにアメリカと同じく一般市民の銃所持が認められているカナダは銃700万丁/人口3000万人、狩猟用が多い)。しかもその多くは、犯罪発生率の高い都市部ではなく郊外の一般家庭に置かれている。一体なんのために?
アメリカ人に聞けばみんな「自分の命は自分で守る、それがアメリカの文化だ」という。しかし罪もない人々が年間1万人以上も銃犯罪で命を落とす事実を前にして「文化」なんてユルイことをいってる場合じゃない。家族や財産を守るために一般市民に売られている銃でだって、学校や銀行を襲うことはできる。「敵」から故郷を守るために民兵の訓練を受けた若者が、暴力事件やテロ行為に走らないとは限らないのと同じだ。
アメリカで銃犯罪が多発するのは銃が氾濫しているからではない。もちろん違う。
しかし、もしアメリカ社会がもっと銃規制に前向きなら、銃犯罪以外の犯罪も防げるようになるかもしれない。銃はある意味でアメリカ人の幻想の象徴だからだ。強くありたい、守られていたい、安心していたい、銃があれば大丈夫、というアメリカ人の幻想。実際には銃があったってそんなものなにひとつ保証なんかされない。確実なものなんて何もない。
平和な市民生活を守るのは、暴力ではなく平和でしかない。平和はお金では買えない。ましてスーパーマーケットの銃売り場なんかでは手に入らない。
そのことを、説教くさく観念的な答えを一方的に押しつけるのではなく、それでいてわかりやすく現実的に導き出したこの映画は、やっぱりいいドキュメンタリーだと思う。社会派ドキュメンタリー=真面目くさって理屈っぽい映像ジャンルという垣根を思いきりよく吹っ飛ばした上で、幅広い当事者それぞれにきちんと取材をして信憑性のあるインタビューをとるスタイルによって、ドキュメンタリー映画の社会的地位をめざましく向上させたという意味でも、功績の大きい作品だといえるし、そういう社会的・映画史的側面はべつにしても、ぐりは個人的に好きな映画です。ハイ。
ところでぐりはチャールトン・ヘストンの出演作って1本も観たことない(爆)。てか全米ライフル協会会長(現在は退任)って以外なんもしらんよ。このヒトについて。
ダレ?(爆)
無知でスイマセン。
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『華氏911』も映画としておもしろかったけど、ぐりはどっちかといえば『ボウリング〜』の方が好きだ。
『ボウリング〜』の方が問題がより複雑で、より身近だからだ。少なくとも、全米ライフル協会会員でもあるマイケル・ムーア自身も含めたアメリカ市民にとって、という意味だけど。
『華氏911』における「敵」はやはりどうしても「国家」であり「政府」という「他者」にみえる構図になってしまっている。でも、アメリカの銃犯罪の敵はアメリカ市民自身であり、銃から市民を守るのも市民なら、銃で市民を脅かすのもまた市民だ。アメリカ人は自ら恐怖と敵をつくりだし、自分でつくったものに怯え、憎しみあっている。これこそが自由の国アメリカの偉大なる矛盾そのものだ。
途中からなんだか『スーパーサイズ・ミー』と展開が似てくるのが不謹慎な?ェらおかしかった。
誰にも食べきれないほどの量のファーストフードが現実に不必要なのと同じように、ごく当り前の市民生活に銃なんて必要ない。あるだけ危険を招く無用の長物だ。ではなぜアメリカにはこれほど銃が氾濫しているのか。国内紛争中でもないのに、人口3億人の国に2億丁の銃はどう考えても多すぎる(ちなみにアメリカと同じく一般市民の銃所持が認められているカナダは銃700万丁/人口3000万人、狩猟用が多い)。しかもその多くは、犯罪発生率の高い都市部ではなく郊外の一般家庭に置かれている。一体なんのために?
アメリカ人に聞けばみんな「自分の命は自分で守る、それがアメリカの文化だ」という。しかし罪もない人々が年間1万人以上も銃犯罪で命を落とす事実を前にして「文化」なんてユルイことをいってる場合じゃない。家族や財産を守るために一般市民に売られている銃でだって、学校や銀行を襲うことはできる。「敵」から故郷を守るために民兵の訓練を受けた若者が、暴力事件やテロ行為に走らないとは限らないのと同じだ。
アメリカで銃犯罪が多発するのは銃が氾濫しているからではない。もちろん違う。
しかし、もしアメリカ社会がもっと銃規制に前向きなら、銃犯罪以外の犯罪も防げるようになるかもしれない。銃はある意味でアメリカ人の幻想の象徴だからだ。強くありたい、守られていたい、安心していたい、銃があれば大丈夫、というアメリカ人の幻想。実際には銃があったってそんなものなにひとつ保証なんかされない。確実なものなんて何もない。
平和な市民生活を守るのは、暴力ではなく平和でしかない。平和はお金では買えない。ましてスーパーマーケットの銃売り場なんかでは手に入らない。
そのことを、説教くさく観念的な答えを一方的に押しつけるのではなく、それでいてわかりやすく現実的に導き出したこの映画は、やっぱりいいドキュメンタリーだと思う。社会派ドキュメンタリー=真面目くさって理屈っぽい映像ジャンルという垣根を思いきりよく吹っ飛ばした上で、幅広い当事者それぞれにきちんと取材をして信憑性のあるインタビューをとるスタイルによって、ドキュメンタリー映画の社会的地位をめざましく向上させたという意味でも、功績の大きい作品だといえるし、そういう社会的・映画史的側面はべつにしても、ぐりは個人的に好きな映画です。ハイ。
ところでぐりはチャールトン・ヘストンの出演作って1本も観たことない(爆)。てか全米ライフル協会会長(現在は退任)って以外なんもしらんよ。このヒトについて。
ダレ?(爆)
無知でスイマセン。
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