落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

高雄への旅

2020年06月14日 | movie
『燕 Yan』

父(平田満)の頼みで台湾・高雄に住む実兄(山中崇)を訪ねた燕(水間ロン)。兄弟は両親の離婚で日本と台湾に離れ、以来23年間一度も会っていなかった。
父からあらかじめ連絡を受けていながら自分を避ける兄に腹をたてる弟だったが…。
『新聞記者』や米津玄師の『Lemon』のPVの撮影で知られる今村圭佑の初監督作品。

回想シーンの多い映画だ。
幼少のころ、若く美しい母(一青窈)との甘い思い出、言葉や習慣が違うことでいじめられた苦い思い出、どうして自分の家庭がよそと違っているのかわからなくて、家族につらくあたった悲しい思い出。
観ていてとても苦しくなる。
私自身はダブルではないが大陸にルーツをもつことで、どうしても周りに馴染めないまま生きてきた。それは忘れようとしても忘れられるものではなく、影のように常にぴったりと背後についてくる。そしてことあるごとに「お前はどっちなんだ」「お前は偽物だ」と囁きかけてくる。うるさくてしょうがない。どっちだって誰にも何の迷惑もかけてないっつの。

そういう心持ちを、誰かと共有しようと思ったことはいままで一度もない。家族とも友人とも話しあう機会がなかった。どうしてかはわからない。
ずっと喉の奥に引っかかった魚の小骨のような不快さと不安が、もはや自分のアイデンティティと化していたのかもしれない。劇中の燕の無口さに、ふとそう感じる。
おそらく燕は、実の父とも、再婚で家に来た義母(長野里美)とも、実母や兄や己のアイデンティティの話をしてこなかったのではないだろうか。できなかったのではないだろうか。
もしそうしてしまったら、自分が母や兄に見捨てられたのではないかという思いこみが現実化してしまいそうで、自分が見捨てられるような何かをしでかしてしまったことを知るような気がして、恐ろしかったのではないだろうか。
それは思い出の中の母親像が美化されていくのに比例して、自分の中で時を追うごとに肥大化していったのではないだろうか。

撮影監督の監督作品らしく(自分で撮影もしている)、映像が非常に美しい映画だ。
溢れるような光に満ちた回想シーンに揺らぐ風、湿った熱気が滲んでくるような緑色の影に煙る高雄の小路、夜の青い闇が目にみずみずしい。セリフは最小限しかなく(トニーという兄の友人(テイ龍進)がいちばんよく喋っている)、繊細な映像のつなぎ合せで登場人物たちの心の内を丁寧に丁寧に表現している。昨今のとにかくよく喋る映像作品に慣れてしまった感覚からすると却って新鮮なぐらいである。
だからストーリーはものすごく単純でどこにも曲がったところはないのに、最後の主人公の涙に、素直にするっと共感してしまう。父からの頼まれごとなどはほんとうはどうでもよくて、その涙のために、きみはここまで旅してきたんだよねと。

主演の水間ロンくんは中国出身ということで中国語のセリフが非常に自然です。といっても大陸の北京語と台湾の人が話す北京語は結構ニュアンスが違うのだが、ちゃんと台湾風になってました。流石です。
にいちゃん役の山中崇氏のやさぐれ具合がまた生々しかったですね。子役の南出凌嘉くんがめちゃめちゃ清々しかっただけに、台湾に来てずいぶんいろいろあっただろう23年間が一目で感じられるのが素晴らしい。
舞台挨拶がある回を観たんだけど、この方、画面と実物が全然違うんだよね。実物はどっちかというと愛くるしい子犬みたいな印象の人なんだけど、作品の中ではそっくりその役の人にしか見えない。毎回そこにビックリします。「映画が公開できて、それがお客様に観てもらえることがほんとうにありがたいことだと知った」と語っておられたが、ホントそうだよね。私は何がしんどいって映画館や美術館に行けない、行きたくても全部閉まってるってのがいちばんしんどかったですもん。
衣装や美術や照明にもずいぶん凝っていて、映像美に真面目にこだわった作品だという印象を受けました(よくある「一見映像美」なのじゃなくて、真剣にこだわってる。そこ結構大事です)。

燕くんは高雄に旅したことで、それまで抱えてきたいろいろなものから自分を解放することができたけど、観客席から観ているとどうしても「それは映画の中だから」と思えてしまう。
私にもいつか、そんな日が来るといいなと思ってしまった。
劇中、日本占領時代に日本語教育を受けた高齢者が日本語で燕くんに語りかけてくるシーンがあった。北京語が話せない彼と燕くんは日本語で会話する。己が日本人なのか、台湾人なのか、中国人なのか、偽物なのか本物なのか、迷い思い惑う人はたくさんいる。だからなんだよ、どっちだっていいじゃないか、と誰もがいえる世の中が、ほんとうは誰にとっても暮らしやすいはずだと思うんだけどね。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿