落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

21センチのバレエシューズ

2018年06月02日 | movie
『タクシー運転手 ~約束は海を越えて~』

1980年5月20日、ソウル。11歳の娘を男手ひとりで育てるタクシードライバーのマンソプ(ソン・ガンホ)は、滞納した家賃10万ウォンを稼ぐため、光州までドイツ人のユルゲン・ヒンツペーター(トーマス・クレッチマン)を乗せていく。
折しも光州はクーデターに抗議する市民と戒厳軍が衝突し、電話も通じず外部との交通は軍の検問に絶たれた孤立状態にあった。
光州事件を初めて海外で報道したジャーナリストの実話を通じて、韓国民主化運動の歴史の1ページを描く。

いまも全容がわかっていないといわれる光州事件。私もさっぱりわかってません。
これまでにも事件を映像化した作品は観たことあったけど、この『タクシー運転手』は他とはちょっと違う作品になったんではないかと思う。
まず視点ががっちり整理されている。犠牲者の正確な総数どころか発端すら判然としない事件の真相には、善悪含めいっさい触れることなく、あくまでも街の外からやってきた無教養な労働者マンソプ個人の視点にしぼりきってある。彼はただお金がほしい。ひとり娘のもとに無事に帰りたい。ヒンツペーターはスクープがほしい(車で片道4時間前後の距離を昼から日帰りで取材する予定だった)。このふたりの言葉の壁を挟んだ精神戦が、光州市内の惨状を見て恐怖し、やがて虐待される同朋の姿に心震わせる韓国人と、軍部のあまりの暴虐に怖気づく外国人記者として、徐々に交錯していく。
この丁寧だけれどストレートな内面描写が、ひたすら混乱し催涙弾の煙に霞む幻のような光州の風景を背に、くっきりと浮かび上がって来る構図が実に見事です。

そして、この事件の何が間違っていたかというポイントがたったひとつに絞られている点。
事件のきっかけは皆さまご存知軍事クーデターへの反発だが、そうした前後の経緯などはごっそり排除して、単純に「軍隊が暴力で国民を制圧するなんておかしい」というところしか描かない。そんなの誰がどう観てもおかしい。途中、私服軍人がマンソプをつかまえて「アカ」「国民の敵」などと暴力をふるう場面があるのだが、よしんばマンソプがアカだろうが(違うけど)国民の敵だろうが(違うけど)、それでいきなり暴力をふるうのは完全に間違っている。理由はどうあれ、暴力は、ヘンだ。
マンソプは「デモなんかやったって何にも変わらない」「学生ならまじめに学校に行けばいいのに」「韓国は住みやすいいい国」としか考えていないガッチガチのノンポリ庶民の兵役経験者だが、その彼の“常識”にてらして、軍隊はそんなことしない、するべきでないというとにかくニュートラルな判断に、観客誰もがするっと素直に共感できる構成になっている。しかもあざとくない。うまいです。

実話を基にしているが、映画化されるまで実在のタクシードライバーがみつからなかったこともあり、マンソプ個人の人物設定はフィクションになっている。映画の中のマンソプには娘がいて、貧困にあえぐ彼は成長期のわが子に満足に靴さえ買ってやれない。しかたなく少女は靴のかかとを踏んで履いているのだが、この靴が、ものすごく象徴的なモチーフとして描かれている。
軍の制圧現場に散らばる、無数の靴。病院に運びこまれた犠牲者の足元に転がる靴。
靴はひとりでに持ち主の身体を離れていったりしない。だから置き去りにされた靴は、そこにいたはずの人の不在に強烈な不安感を抱かせる。この靴を履いていた人は無事なのか、生きているのか、いまどこにいるのか、その靴が履き慣らされていればいるほど、履いていた人のパーソナリティが濃い影のように靴の上に映る。
映画を観ていて、ふと、東日本大震災の瓦礫撤去や海岸捜索の現場でみつけた何足もの靴のことを思いだす。災害という自然の暴力の現場ではしょっちゅう靴がみつかるのだが、持ち主の特定につながる情報がなければそのまま廃棄処分されるきまりになっていた。かかとや内側に名前など持ち主を判別できる手がかりがないか探しながら、どうかこの靴の持ち主が生きていてくれますようにと祈ったものだった。

映画全体としては庶民派コメディをベースに娯楽作風にまとめて、一見して政治色を綺麗に取り払ってあるが、随所に愛国とは何かを問うセリフがさりげなくちりばめられていて、そういうシナリオの絶妙なバランス感覚にものすごいセンスを感じました。守銭奴マンソプと、アジアではなんでもお金で解決できると思っているアングロサクソン外国人ヒンツペーターのすれ違いを経たラストシーンなんか、心の底から唸ってしまうほどうまい。
かつ画面構成やライティング、衣装やメイクにいたるまで余計なものがまったくなく、すべての要素に妥協というものが感じられない。それでいて、ちゃんと笑って、ちゃんと泣ける。
韓国映画の底力を、改めて痛感する作品でした。
それにしてもこの邦題というかサブタイトルのダサさは・・・イタタタタ。

関連レビュー:
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『光州5・18』
『ユゴ 大統領有故』
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