落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

ペンキの中身は誰のもの

2013年08月10日 | movie
『バウンド』
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アパートの改装工事の仕事先で、マフィアの恋人ヴァイオレット(ジェニファー・ティリー)に出会ったコーキー(ジーナ・ガーション)。
ふたりは一目で惹かれあい、ヴァイオレットは自由のない生活から逃れるために、恋人のシーザー(ジョー・バントリアーノ)が保管している組織の大金を横取りする計画をコーキーに持ちかける。
『マトリックス』シリーズで知られるウォシャウスキー兄弟の監督デビュー作。

最近あまり行かなくなったけど、少し前まで毎年東京近郊の映画祭にしらみつぶしに通っていたときがある。
映画祭で上映される映画は商業作品であると同時に芸術作品でもあり、社会的なメッセージ性が強かったり、ふつうに劇場公開される映画に比べて世界観が幅広い。映画祭にあわせて世界中の映画人が集まり、ふつうではちょっと聞けない話を聞くこともできる。
誰だったかちょっと失念してしまったけど、映画は世界中の価値観に触れる旅だといった人がいた。今までを振り返ってみれば、確かに人生で大切なことはみんな、世界の映画から教わった気がする。

そういう映画祭の中でもいちばん古くから通ったのが東京国際レズビアン&ゲイ映画祭。初めて行ったのはちょうど20年前だったと思う。
ぐりの記憶が正しければアジア圏で最大の同性愛映画に特化した映画祭で、ドキュメンタリーからクラシック映画からエンターテインメント作品までさまざまなジャンルの映画が観られる。ここ数年は行ってないけど、何年経っても忘れられない傑作に何本も出会ったし、大袈裟でなく、一生を左右するような運命に巡りあったのもこの映画祭だった。
大好きな映画祭ではあるけど、行くたびちょっと残念なことがあった。出品作品がゲイ映画に偏りがちで、しかもレズビアン映画の方のクオリティがどうしても見劣りしてしまうこと。
この映画祭に限らず、おそらく映画全体の中でもレズビアン映画というジャンルにカテゴライズされる作品は、ゲイ映画に比較してもかなり少ないと思う。どうしてなのかはよくわからない。いろいろな人に聞いてみたけど、同性愛者人口においてもゲイよりもレズビアンが遥かに少ないからじゃないかとか、映像制作者にレズビアンよりゲイの方が多いからじゃないかとか、いまひとつ直接的な理由は聞けなかった。

そういうなかでこのレズビアン映画はおもしろいよ、と必ず勧められるのが『バウンド』。
やっと観てみたけど、うん、おもしろかった。普通に。
1996年の作品だけどいま観ても古さは感じないし、全編ほぼアパートの隣り合った二部屋だけで展開するサスペンスという設定もオシャレだ。登場人物も限られているし、映画というより舞台劇にすごく近いです。音楽もやたらに大袈裟だし、登場人物の芝居もものすごくわざとらしくて、そういうところも戯曲調。
ストーリーだけをみればたわいもない話で、女ふたりが女を武器にしてマフィアを相手に茶番を演じてカネを騙しとろうと企む、たったそれだけの物語だ。それを、弱い立場の者が頭脳で強い者を欺くという側面を強調して、観ている者にカタルシスを与える効果を前面に出してある。ハリウッド映画らしいエンターテインメント作品だ。

考えてみれば、昔はなんでウォシャウスキー兄弟がレズビアン映画を?と思ったけど、その後に兄のラリーはトランスジェンダーをカミングアウトして、今はラナと名乗っている。
ウォシャウスキー兄弟といえばどうしてもアクションやスペクタクル映像ばかりがウリの、罪のない娯楽映画ばっかりというイメージがあるけど、是非とも誰をもうならせる性的少数者映画─ゲイもレズビアンもトランスジェンダーも含めた─の傑作で、世界をアッといわせてほしいもんですな。

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