goo blog サービス終了のお知らせ 

落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

へヴィー級でいこう

2006年02月04日 | movie
『白バラの祈り─ゾフィー・ショル、最期の日々』
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000GQMKI8&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

サブタイが「最期の日々」となってるけど、ホントに最期の数日間だけのお話。
‘白バラ’とは第二次大戦下のミュンヘンで反ナチ活動に参加した学生グループのこと。活動期間は1942年から翌年にかけての半年余りで、メンバー6人全員が処刑されている。ゾフィー・ショルは当時21歳、紅一点の女子大生。43年に在籍中の大学で反ナチのビラをまいた容疑で逮捕され、5日後に文字通り「断頭台の露と消えた」少女である。
映画には彼女が問題のビラをつくった日のことと、逮捕されてから殺されるまでの6日間が描かれている。

たった6日間の物語であり、うち5日間のシーンは全てが取調室や留置場、裁判所などといった室内でのほぼ1対1の会話劇なので、内容がひどく濃い。台詞のないシーンがほとんどまったくない。
ときおり、それら狭い空間の窓から晴れた冬の空をじっと見上げるヒロインの姿が、まるでフェルメールの絵のように静かに挿入される。空は白バラの若者たちが叫んだ「自由」の象徴なのかもしれない。
それ以外のシーンはすべてが激しい台詞の応酬に終始している。結論はわかっている。ゾフィー(ユリア・イェンチ)も含めたメンバー全員は結局ろくな裁判も受けられずに殺されてしまった。その2年後にはドイツは無条件降伏しナチス政権は崩壊した。ヒロインたちは弱者ではあったが、負けはしなかった。そのことは時代が証明した。
だがその「勝利」を死ぬまで信じ続けることは、ふつうの人間にとって決して容易なことではない。でもゾフィーはごくふつうの女の子だったのだ。頭の回転が早く冷静沈着ではあるが、とくに自己顕示欲が強いとかとりたてて弁説さわやかとかそういうことはない。そんなごくふつうの女の子─‘政治的’にみれば生まれたての子鹿のようにかよわい存在─が、政治犯としてとらえられ殺された。そこに、ナチス政権の不安定さが象徴されているようにも思える。
映画には台詞も含め表情も含め、よけいなものがいっさい描かれない。ものすごくストイックでシンプルな映画だ。意図してヒロインをヒロイックに演出したりはしていない。むしろ「どこにでもいるふつうの女の子」らしさが素朴に表現されているだけだ。

作品全体を通してみると、こうしたシンプルさが却って物語のメッセージ性を強調しているような気がする。
戦争で解決することなんかなにもない。ドイツ人だろうがユダヤ人だろうが人間はみんな同じではないのか。言論の自由も信仰の自由もない平和などありえない。
もうそれは時代が証明した。さっきも書いたように。それなのに、世界中でまだ同じことを飽かず繰り返しているひとたちがいる。60年も前、「どこにでもいるふつうの女の子」がいえたことなのに。
一体われわれ人間は何をやっているのか?

こちらもオスカー候補。同じ外国語映画賞の他の候補作では『戦場のアリア』がGWに公開予定。コレも第二次大戦中の出来事を描いた映画だそうです。
白バラのことは最近になっていろいろ本が出ているそうなので、これから読んでみたいと思います。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。