落穂日記

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燃える髪

2017年11月27日 | book
『関東大震災』 吉村昭著

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小池都知事の追悼文とりやめがきっかけでにわかに世間の注目をあつめた関東大震災直後の朝鮮人虐殺問題。
都知事は「追悼碑にある犠牲者数などについては、さまざまなご意見がある」などとし、虐殺の事実について否定も肯定もしなかったために、もともととりやめを求めた人々の見解を却って補強してしまう結果になった(意図してかどうかはとりあえず別として)。
この前後のネット上でのやりとりをみていて痛感したのは、虐殺の事実を否定する人々の「日本人はそんなことしない」という盲信にも似た感情論の巨大な壁だった。
従軍慰安婦問題にしても強制連行にしても何にしても、戦前の日本が犯した過ちが議論になるたびに立ちはだかる、この壁。

では果たして、いまを生きるわれわれは「日本人」を、「日本」をどのくらい知っているのだろうか。
正直にいって、私は全然自信がない。
日本人ではないものの、日本に生まれ日本の一般の教育機関で学び、友人の多くが日本人、日本で働いて納税し健康保険も年金も払い、投票も欠かさずしているけど、じゃあどれくらい日本を知っているのかと問われれば、「知っています」と胸を張って公言できるほどの知識があるとは思えない。たとえば万葉集や古今和歌集や源氏物語は読破したけど(学生時代です念のため)、平家物語や東海道中膝栗毛は読んでいない。茶道も華道も剣道も柔道もやったことがない。外出すればどこでも好んで社寺仏閣を鑑賞するものの、仏式や神式の冠婚葬祭の作法などはろくに理解していない(うちの親族の冠婚葬祭は儒教式)。高校時代は世界史選択だったので、日本の歴史にもあまり明るくはない。

だから、「日本人はそんなことしない」の壁の前に、違和感はあっても反論すべき明確な根拠がなかった。
一般論として「いやするでしょ」と簡単にツッコむことはできても、「どうして『日本人であっても非常事態下では非人間的になってしまうことがある』といえるのか」というところまでは合理的な説明がつかない。
なぜならその「非常事態」が果たしてどれほどの非常事態だったかを、具体的には認識できていないからだ。
関西地方出身の私にとって、学校の社会科の授業以上に関東大震災について知る機会はほとんどなかった。1923年9月1日11時58分に発生した大地震とその直後におきた火災で10万人以上の人が亡くなったことや、これを契機に社会的に防災への意識や対策が進んだ一方で、言論統制や軍国主義が大きく進行した一面があったことくらいしか、学んだ記憶がない。

この吉村昭の『関東大震災』の初版は1973年刊行。震災からちょうど50年後のことだから、当時はまだ生存者が多く存命だったころだと思う。公的な記録とともに、実際に震災を生き延びた人々の体験談も過不足なく収録されている。
それらの一字一句のすべてが、94年前の「非常事態」がどれほどの地獄絵図だったかを、生々しく訴えてくる。
まさしくそれは、文字通り、業火と熱風の渦巻く地上の地獄だったのだ。
災害避難時の携行品は必要最小限。地震のときは火の元を確かめる。どこでもとにかく頭をまもらなくてはならない。いまでは小学生でさえ知っている最低限の防災意識が浸透していなかった時代、行政にさえ災害対応マニュアルすらなく危機管理意識という概念もなかった社会で、自分自身と家族の命と財産を何よりも優先しようと誰もが死に物狂いになってしまったら、日常ではまもられて当たり前の秩序など瞬時に吹き飛んでしまう。
よしんば火災や地震の被害からは命拾いできても、食糧難や物価の上昇、トイレ不足やゴミ問題など生存者の心を疲弊させる状況が続いたことは、つい最近もわれわれが経験した出来事によく似ている。

6年前の震災以後、何度か被災した地域に足を運び、さまざまな方々のお話をうかがい、自分でも驚くような経験をなんどもして、非常事態下で人間がいかに非人間的になれてしまうかを(いくらかは)知っているつもりではいたけど、やっぱりまだ、日本という国が発展途上の未成熟な小国だった時代はさすがに状況が違っていたのかもしれないと、あらためて思う。
だからといって罪もない多くの人びとを虐殺した罪が相殺されるわけではない。それでも、災害時に起きた数多くの凄惨な出来事のなかでも突出して残酷だったそれらの事件の周囲の状況を知ることは、「どこのどんな人間をも人間でなくしてしまうだけの環境」が簡単に現出し得る事実を、じゅうぶんに知ることでもあるのではないだろうか。

その一方でやはり、関東大震災のころの日本といまの日本には、こわいくらいたくさん共通点があることも、重要な点だとも思う。
隠蔽や事なかれ主義や官僚主義が、防災や災害復興に対してどれほど障害になるものか、もう90年以上も前にこの国はすでに経験していたのだ。
そしていままたそれを、きれいに繰り返しなぞっている。
災害は避けようがない。起こってしまったことはとても悲しいことだけれど、どんなに悔いてももう取り返しがつかない。
だが災害後に人間が引き起こす二次災害三次災害は、より成熟した社会であれば決して引き起こされるべきでない。
それなのに、この本を読んでいると、いまのこの国で誰かがそのことを一度でもちゃんと学んだようにはとても思えない。
ぜんぜん、進歩したような気がしないのだ。

44年前の著作なので、研究途上の面もあり現在判明している事実と異なっているところもなくはなかったけど、災害によって、平常時には決して目には見えない、人間の、社会の何が明らかになるのかを知るためにも、必読の書ではないかと思います。


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