落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

おしえてよ亀次郎

2017年08月27日 | movie
『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』

アメリカ統治下で公然と米軍の圧政に抵抗し、祖国復帰のために行動し続けた瀬長亀次郎の伝記映画。
TBSアナウンサーの佐古忠彦氏が長年の沖縄取材をベースにしたドキュメンタリー番組を、追加取材を加えて映画化。

米軍基地問題に揺れる沖縄。
ある事情で数年前からこの問題に関わっていて現地も何度か訪問してきたけれど、知れば知るだけ、この問題の複雑さと根深さにため息が出てしまう。
太平洋戦争末期、“本土の捨て石”とされ地獄のような地上戦の舞台となり、県民の4人にひとりが犠牲になった悲劇の地は、直後に開始された基地化のなかで、強引な土地接収と人権蹂躙に苦しめられ続けてきた。基地開発事業や周辺のサービス業など一定の経済効果もみられた一方で、先祖からたいせつに引き継いだ農地を奪われ、騒音や事故・テロ・犯罪や環境汚染など生活上の危機に脅かされ、苛酷な戦争体験から平和を願う人々の心の自由は完全に無視されることになった。

しかし今日、沖縄以外の場所でこの問題が語られるとき、前後左右の経緯からは切り離された政治対立や感情論ばかりが拡大されてしまいがちである。そして当事者以外には理解しにくい“地域の問題”に、どこかですりかえられてしまう。感覚としてのわかりにくさだけでなく、経済面や国際安全保障などの社会情勢に対する敏感さの壁も、やたら無駄に強調されがちな気がする。
それは何かの意図によるものなのか、それともこの問題のもつ歴史の長さによるものなのか。

この映画では、瀬長亀次郎という稀有なリーダーその人ひとりにモチーフを絞ったうえで、かつパーソナルな人情論に安易に依存することなく、彼がいったい何とどう戦い続けたのかを、戦後から本土復帰までを中心にまとめている。
マジでものすごく綺麗にまとまっています。もう無茶苦茶わかりやすい。観てて超スッキリするね。しかも見応えもがっちりあります。
何が気持ちいいって、ぜんぜん情緒的じゃない。沖縄が直面している問題はほんとうにほんとうに過酷で、伝わりやすくしようとすればするほどついつい情緒的な表現に傾きやすくなってしまう。怒りや悲しみといった感情に流されれば流されるだけ、第三者にとって、その現状に抵抗する行動の根拠が響きにくくなる。犯罪被害者の感情が、第三者に同情はされても理解はされないのと似ている。
この作品では、人々の感情も必要最低限度踏まえたうえで、ただ状況を変えるため、民主主義を前に進めるためだけに闘った亀次郎の姿勢を、本人の日記や周囲の沖縄人とアメリカ軍側と双方の記録をもとに丁寧に綴っている。説得力はMAXです。
民主主義とは何かを考えるとき、これからはこの映画のことを思い出してみようと思う。たとえばこんなとき、亀次郎さんならなんというだろう。亀次郎さんならどうするだろう、という風に。

逆に、ここに直接的には描かれなかった部分が妙に気になってくる作品でもある。
同じ日に鑑賞したドキュメンタリー『ZAN~ジュゴンが姿を見せるとき~』に登場した名護市辺野古地区の住民は、大浦湾で工事が進められている新しい滑走路の設置を「条件つきで容認」していると発言している。
ここで重要なのは、米軍基地に「反対」はしていなくても「賛成」ではない、複雑な市民感情がいったい何に基づいているかという背景ではないかと思う。メディアの表にたつのは主に反対派の人々の声だが、なぜかそれを否定する材料に使われがちな、“基地経済”とそれに連なる「賛成派もいるはず」という憶測に支えられた、もっともらしい“逆”側の声。
ところが、はっきりとした賛成派、容認派の人々の存在は実際にはなかなか目に見えない。目に見えないのに「当事者以外の人間にとってもっとも斟酌すべき重要な意見」として認識され、これ以上第三者が介入・追求すべきではないのではないかという“思考停止”装置の役割を果たしてしまっている。

経済的・国際安保の面のみをトリミングし「基地がないとこまる」という細切れの声によって基地賛成派の存在をつくりだし、あるいは補強し、コミュニティを引き裂いているのはいったい誰なのか。
ほんとうは平和がいちばん、基地なんてないほうがいい、でも基地がないと(経済的に)不安だから反対できない、まわりの人の気持ちを考えると簡単に反対とはいえない。ひとくちに「反対ではない」とまとめようとしても、そこにはそれぞれにさまざまな事情がある。
ひとつだけいえるのは、沖縄は沖縄の人たちのものであって、米軍のものでもなければアメリカのものでもなく、日本本土の持ち物でもないということだけははっきりしている。
であるなら、答えはひとつしかないのだ。それを亀次郎は訴え続けた。
そのたったひとつの答えを、巧みに複雑化する力がある。その力をこそ明確に見定めなければ、真の民主主義を実現することなど到底できはしない。

亀次郎は不屈の沖縄を愛した。だが米軍基地問題は沖縄の問題ではない。
戦争で大きく傷ついた日本経済は朝鮮特需で息を吹き返し、経済大国への道を歩き始めた。その朝鮮戦争を米軍基地という犠牲によって支えたのが沖縄なのだ。その犠牲は休戦後64年を経た今も続いている。
このことを、日本の多くの人々が知らないか、知っていても知らないふりをしている。
いくらなんでも、あんまりではないですか。
そこに、沖縄への差別がある。ないなんて、いえないのではないだろうか。

沖縄から伝えたい。米軍基地の話。Q&A Book【一括ダウンロード】 (沖縄県)

関連記事:
公開講座「東京で考える沖縄・辺野古」 第5回 なぜレイプが繰り返されるのか?
『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』 矢部宏治著
『怒り』
『ハブと拳骨』
『ひめゆり』