『許されざる者』
明治13年の北海道。鷲路村で若い女郎(忽那汐里)が開拓民の兄弟(小澤征悦/三浦貴大)に顔を切られるという事件が起こる。警察署長(佐藤浩市)は兄弟に損害賠償として楼主(近藤芳正)に馬6頭を用立てるように命じるが、その裁きに納得のいかない仲間の女郎(小池栄子)らは貯えを集めて兄弟の首に賞金を懸ける。
かつて“人斬り十兵衛”と呼ばれた旧幕臣の十兵衛(渡辺謙)は、明治政府の目を逃れ、幼い子どもと荒れ地を耕す農民として暮らしていたが、はるばる訪ねてきた元戦友の金吾(柄本明)に誘われて賞金稼ぎの話に乗り、アイヌ人の青年・五郎(柳楽優弥)を供に旅立つ。
クリント・イーストウッドの1992年の同名映画のリメイク。
観たのは1週間前なんだけど。
そしてオリジナルの方は観たことないんだけど。
でも・・・・ごめん、なんかあんまり印象に残らなかった。
すっごい頑張ってる。いい映画だと思う。どこにも妥協はしてない。やれることは全部やってる。なのに、イマイチ残らない。響かない。
どうしてだろう?
もちろん欠点はある。主にキャスティングね。とりあえず小澤征悦は鬱憤に任せて女に暴力を振るうような人物にはとても見えない。よくも悪くもそういう狂気のある人物に描かれてるようには見えない。途中まで人違いか何か、別の伏線があるのかとまで思ってしまったよ。
柳楽優弥は完全に空回ってる。確かに新境地は開拓したかもしれない。けど役にも物語にもちゃんとハマってるようには見えなかった。はっきりと浮いてた。本人の頑張りが伝わるだけにこれは観ていてかなりツライ。
それから柄本明は渡辺謙の戦友にしてはじいさん臭すぎる。じいさん臭いのがいけないとはいわない。しかし賞金稼ぎの冒険をするような荒くれ者にしては、好々爺然とし過ぎている。
逆に忽那汐里や小池栄子は非常にハマり役だと思った。ふたりともとくに頑張ってる風には見えない。期待通り、ある意味しっかりそのままのタイプキャストだ。とはいえ実際に画面で観て説得力があるんだから、それはそれで正解なんだと思う。タイプキャストで何が悪い。
オリジナルは観てないけど、イーストウッドの後年の傑作『グラン・トリノ』にも描かれたような、「暴力の醜悪さを美学をもって追求する」というテーマだけは非常に共感できる。
渡辺謙演じる十兵衛は剣の達人というふれこみだが、その技の美しさを描写したシーンはいっさいない。彼が画面で犯す殺人はすべてが、ただただ凶暴で残虐なだけの暴力として描かれている。金吾の銃はなかなかあたらないし、柳楽優弥の剣さばきも鮮やかというにはほど遠い。十兵衛より先に賞金目当てにやってきた北大路(國村隼)の剣も結局はペテンだ。
人が人を傷つけるのに美しいも何もない。大義も正義もない、どこまでいっても殺人は殺人でしかない。その醜さのなまなましい再現性には文句はない。そこは素晴らしいと思う。
にしても、それ以外の要素がね・・・頑張り過ぎてうまくバランスがとれてないっていうかね・・・・ものごつ残念な感じなの。
衣裳もいいし美術もいいし照明もいいしカメラワークもいい。なにしろ巨匠ばっかりだもん。
正直、この映画を諸手を上げて「傑作」といえないことを、ぐり自身が一番残念に思っている。
ホント残念。もったいないね。
ただ、いま、こういう暴力の時代がもう過去のものになったということだけは心からめでたいと思うし、おそらくはこうした暴力の繰返しの結果として、現在の平穏があるのだろうとは思う。
そして、それは誰もが全力で守っていかなくてはならないものなのだろう。
ラストシーンで忽那汐里が決意するように、目の前にある命を、平和を守ることが、生きている人間すべての使命なのだろうということだけは、伝わりました。
明治13年の北海道。鷲路村で若い女郎(忽那汐里)が開拓民の兄弟(小澤征悦/三浦貴大)に顔を切られるという事件が起こる。警察署長(佐藤浩市)は兄弟に損害賠償として楼主(近藤芳正)に馬6頭を用立てるように命じるが、その裁きに納得のいかない仲間の女郎(小池栄子)らは貯えを集めて兄弟の首に賞金を懸ける。
かつて“人斬り十兵衛”と呼ばれた旧幕臣の十兵衛(渡辺謙)は、明治政府の目を逃れ、幼い子どもと荒れ地を耕す農民として暮らしていたが、はるばる訪ねてきた元戦友の金吾(柄本明)に誘われて賞金稼ぎの話に乗り、アイヌ人の青年・五郎(柳楽優弥)を供に旅立つ。
クリント・イーストウッドの1992年の同名映画のリメイク。
観たのは1週間前なんだけど。
そしてオリジナルの方は観たことないんだけど。
でも・・・・ごめん、なんかあんまり印象に残らなかった。
すっごい頑張ってる。いい映画だと思う。どこにも妥協はしてない。やれることは全部やってる。なのに、イマイチ残らない。響かない。
どうしてだろう?
もちろん欠点はある。主にキャスティングね。とりあえず小澤征悦は鬱憤に任せて女に暴力を振るうような人物にはとても見えない。よくも悪くもそういう狂気のある人物に描かれてるようには見えない。途中まで人違いか何か、別の伏線があるのかとまで思ってしまったよ。
柳楽優弥は完全に空回ってる。確かに新境地は開拓したかもしれない。けど役にも物語にもちゃんとハマってるようには見えなかった。はっきりと浮いてた。本人の頑張りが伝わるだけにこれは観ていてかなりツライ。
それから柄本明は渡辺謙の戦友にしてはじいさん臭すぎる。じいさん臭いのがいけないとはいわない。しかし賞金稼ぎの冒険をするような荒くれ者にしては、好々爺然とし過ぎている。
逆に忽那汐里や小池栄子は非常にハマり役だと思った。ふたりともとくに頑張ってる風には見えない。期待通り、ある意味しっかりそのままのタイプキャストだ。とはいえ実際に画面で観て説得力があるんだから、それはそれで正解なんだと思う。タイプキャストで何が悪い。
オリジナルは観てないけど、イーストウッドの後年の傑作『グラン・トリノ』にも描かれたような、「暴力の醜悪さを美学をもって追求する」というテーマだけは非常に共感できる。
渡辺謙演じる十兵衛は剣の達人というふれこみだが、その技の美しさを描写したシーンはいっさいない。彼が画面で犯す殺人はすべてが、ただただ凶暴で残虐なだけの暴力として描かれている。金吾の銃はなかなかあたらないし、柳楽優弥の剣さばきも鮮やかというにはほど遠い。十兵衛より先に賞金目当てにやってきた北大路(國村隼)の剣も結局はペテンだ。
人が人を傷つけるのに美しいも何もない。大義も正義もない、どこまでいっても殺人は殺人でしかない。その醜さのなまなましい再現性には文句はない。そこは素晴らしいと思う。
にしても、それ以外の要素がね・・・頑張り過ぎてうまくバランスがとれてないっていうかね・・・・ものごつ残念な感じなの。
衣裳もいいし美術もいいし照明もいいしカメラワークもいい。なにしろ巨匠ばっかりだもん。
正直、この映画を諸手を上げて「傑作」といえないことを、ぐり自身が一番残念に思っている。
ホント残念。もったいないね。
ただ、いま、こういう暴力の時代がもう過去のものになったということだけは心からめでたいと思うし、おそらくはこうした暴力の繰返しの結果として、現在の平穏があるのだろうとは思う。
そして、それは誰もが全力で守っていかなくてはならないものなのだろう。
ラストシーンで忽那汐里が決意するように、目の前にある命を、平和を守ることが、生きている人間すべての使命なのだろうということだけは、伝わりました。