『天使の分け前』
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暴力事件で有罪判決を受け、社会奉仕活動を課せられたロビー(ポール・ブラニガン)。
じきに生まれてくる子のために今度こそ更正しようと努める彼だったが、周囲の環境がなかなかそれを許さない。あるとき、民生委員のハリー(ジョン・ヘンショウ)にウィスキー蒸留所の見学に連れて行ってもらったのを機にテイスティングの才能に目覚め・・・。
イギリスの国民的映画監督ケン・ローチによるハートフル・コメディー。
教育の機会もなく生育環境にも恵まれず、大人になっても仕事もない不況の街で苦しむ若者たちの物語、というとどうしても重くて暗い話を想像してしまうのですが。
この映画は違います。あくまでファンタジー。あくまでフィクション。
「天使の分け前=the angels' share」とは樽から蒸発して失われる毎年2%のウィスキーのことをさす言葉なんだけど、そもそも犯罪を犯した若者が、人生リセットするために盗みをするなんて設定自体が既に突っ込みどころ満載です。
でもたぶん、これはやたらに加熱するヴィンテージ・ウィスキー信仰への皮肉もこめられてるんだろうね。未来を担う若者には仕事もなくじゅうぶんな行政支援もないのに、たかが酒に日本円でウン千万が飛び交うなんて、やっぱなんかちょっとおかしい。現に類いまれな才能を得たロビーは、ウィスキーの質は完全に理解できても、自分ではそれをおいしいとも思わず、価値も感じていない。彼にとってそれは単なるカネでしかない。カネさえありゃなんでも解決するってもんでもないんですけど。決して。
逆説的には、社会の底辺から逃れてやりなおすことの難しさ、その非現実性を表現するには非常にうまいアプローチでもあると思う。
人は彼らに、まじめに働けばいいことがある、昔の仲間とは関わるな、自立すれば必ずやりなおせるなどと簡単にいうけれど、それは決して事実ではない。どんなにまじめに働いていても不測の事態は起こるし、故郷に留まっている限りは地域内の確執からは逃れようがない。自立なんか誰にだってできることじゃない。人間は誰もがどこかで支えあっている。家庭にも頼れず、ろくな友人もいない、病気や事故などのアクシデントのときに気兼ねなく助けてくれる受け皿もない、孤独な若い人にとって、それはまじめに努力さえすればなんとかなるなどという生易しいものではない。
いやなるよ、オレはどうにかしてきたよ、という人はたくさんいるだろう。でもそれは、どこかで支えてくれた人がいたのを気づかなかったか、いまはその存在を忘れているだけなのだ。どうにか自立できた人は、それだけの環境に恵まれた幸運なだけの人だ。
ひとりでなんだってやって成功できるほど、人間は完璧じゃない。そういう思い上がりを傲慢とか独りよがりというのではないだろうか。
ロビーは最後には幸運をつかむけれど、彼と、彼の新しい家族の幸せを心から願う。
子どもの誕生で自らの罪の重さを知ったロビー。そのときの気持ちを、一生忘れないでいてもらいたいと思う。
それ以上に、社会から見捨てられ、置き去りにされている多くの人に、もっとたくさんの人の目が向けられることを願う。
それにしてもウィスキーにン千万ってやっぱヘンだよね・・・ぐりはウィスキーほとんど飲まないので、マジ意味不明でした・・・ごめん。
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暴力事件で有罪判決を受け、社会奉仕活動を課せられたロビー(ポール・ブラニガン)。
じきに生まれてくる子のために今度こそ更正しようと努める彼だったが、周囲の環境がなかなかそれを許さない。あるとき、民生委員のハリー(ジョン・ヘンショウ)にウィスキー蒸留所の見学に連れて行ってもらったのを機にテイスティングの才能に目覚め・・・。
イギリスの国民的映画監督ケン・ローチによるハートフル・コメディー。
教育の機会もなく生育環境にも恵まれず、大人になっても仕事もない不況の街で苦しむ若者たちの物語、というとどうしても重くて暗い話を想像してしまうのですが。
この映画は違います。あくまでファンタジー。あくまでフィクション。
「天使の分け前=the angels' share」とは樽から蒸発して失われる毎年2%のウィスキーのことをさす言葉なんだけど、そもそも犯罪を犯した若者が、人生リセットするために盗みをするなんて設定自体が既に突っ込みどころ満載です。
でもたぶん、これはやたらに加熱するヴィンテージ・ウィスキー信仰への皮肉もこめられてるんだろうね。未来を担う若者には仕事もなくじゅうぶんな行政支援もないのに、たかが酒に日本円でウン千万が飛び交うなんて、やっぱなんかちょっとおかしい。現に類いまれな才能を得たロビーは、ウィスキーの質は完全に理解できても、自分ではそれをおいしいとも思わず、価値も感じていない。彼にとってそれは単なるカネでしかない。カネさえありゃなんでも解決するってもんでもないんですけど。決して。
逆説的には、社会の底辺から逃れてやりなおすことの難しさ、その非現実性を表現するには非常にうまいアプローチでもあると思う。
人は彼らに、まじめに働けばいいことがある、昔の仲間とは関わるな、自立すれば必ずやりなおせるなどと簡単にいうけれど、それは決して事実ではない。どんなにまじめに働いていても不測の事態は起こるし、故郷に留まっている限りは地域内の確執からは逃れようがない。自立なんか誰にだってできることじゃない。人間は誰もがどこかで支えあっている。家庭にも頼れず、ろくな友人もいない、病気や事故などのアクシデントのときに気兼ねなく助けてくれる受け皿もない、孤独な若い人にとって、それはまじめに努力さえすればなんとかなるなどという生易しいものではない。
いやなるよ、オレはどうにかしてきたよ、という人はたくさんいるだろう。でもそれは、どこかで支えてくれた人がいたのを気づかなかったか、いまはその存在を忘れているだけなのだ。どうにか自立できた人は、それだけの環境に恵まれた幸運なだけの人だ。
ひとりでなんだってやって成功できるほど、人間は完璧じゃない。そういう思い上がりを傲慢とか独りよがりというのではないだろうか。
ロビーは最後には幸運をつかむけれど、彼と、彼の新しい家族の幸せを心から願う。
子どもの誕生で自らの罪の重さを知ったロビー。そのときの気持ちを、一生忘れないでいてもらいたいと思う。
それ以上に、社会から見捨てられ、置き去りにされている多くの人に、もっとたくさんの人の目が向けられることを願う。
それにしてもウィスキーにン千万ってやっぱヘンだよね・・・ぐりはウィスキーほとんど飲まないので、マジ意味不明でした・・・ごめん。