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落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

目を閉じて楽しい事を考えなさい

2013年06月15日 | movie
『インポッシブル』

2004年、マリア(ナオミ・ワッツ)とヘンリー(ユアン・マグレガー)は3人の息子─ルーカス(トム・ホランド)、トマス(サミュエル・ジョスリン)、サイモン(オークリー・ベンダーガスト)─を連れてクリスマス休暇を過ごすためにタイ・プーケットのカオラックを訪れる。
実際にスマトラ島沖地震で被災したスペイン人一家の体験を映画化。ナオミ・ワッツは本作でゴールデングローブ賞とアカデミー賞を受賞している。

2011年3月11日に東日本大震災が起きてから今日まで、あの地震と津波を忘れたことは一度もない。
いつもいつも、何を見ても何を聞いても、何も見なくても何も聞かなくても、常に東北のこと、被災した地域のこと、人々のことを考えている。
問わず語りにあの混乱の日々のこと、絶望的な体験のことを話してくれた人たちの言葉を考える。帰っては来ない日々の思い出を語る人もいる。その寂しさ、悔しさ、悲しさ、切なさ、つらさ、苦しさを考える。
あれから2年経ったけど、震災はまだ終わっていない。いつ終わるとも知れない長い長い「復興」という苦難の運命を背負わされた人たちの苦悩を考える。

その意味で、この映画の主人公マリア一家の津波は既に終わっている。
なぜなら彼らは被災地域の住人ではないからだ。設定では日本に住んでいるイギリス人一家ということになっていて、プーケットにはあくまで旅行者として訪れている。生活の基盤と災害は無関係だから、被災地を離れてしまえば、あとは自分のもとの生活に戻れる。
だからこそ映画にできたのだろうという気がする。災害は簡単にフィクションで再現できるものではない。リゾートに家族旅行に来た異邦人の一時の体験という形だからこそ、シンプルに、コンパクトに、それでも驚くほどリアルに、9年前の災害を再現できたのだ。
他には何も登場しない。役名のある登場人物も純粋にこの一家のみとなっている。そこまで限定してあるからこそ、忠実に、誠実に災害を表現できたのだろうと思う。

別の意味で、この映画は津波の話ではなく、家族の話だ。
ホテルのプールで津波にさらわれた一家は散り散りになりながらも、必死に互いを探し求め、持てる勇気のすべてを振り絞り、最後まで希望を捨てずに被災地の混乱に立ち向かっていく。
だが彼ら全員がもともと勇敢な人間だったわけではない。臆病なマリアとトマス、神経質なヘンリー、打算的で生意気盛りのルーカス、まだ5歳でなにひとつひとりではできないサイモン。
そのひとりひとりが、それぞれに愛する人と再会したい、支えあいたい、いっしょにいたいというひとつの思いで堅く結びつきあい、その思いによって強くなっていく。
「ひとりになってしまったと思ったときが一番怖かった」「ひとりじゃないとわかって怖くなくなった」という台詞に考えさせられる。自分ならこんなとき、いったい誰のそばにいたいと願うのか、思いつかなかったからだ。

津波の映像がむちゃくちゃリアルで、とくにショッキングだったのは引き波の水中でかき回されるマリアの映像。
東北で聞いた話でも「まるで洗濯機のなかでかき回されるよう」と表現されていたけど、その洗濯機の中身は人間だけではない。地上から引き剥がされバラバラに破壊されたあらゆるものが、無防備な人間の身体と一緒に凄まじいエネルギーで暴力的に引きずり回される。抵抗のしようもない。
観ているだけで呼吸もできなくなるような、生々しく恐ろしい映像だった。正直にいって、まともに画面を観ているのもつらかった。そんな津波に飲み込まれながらも生還した人にとって、その体験の前と後では、おそらく生きる意味が、自らの存在意義がまったく違ってしまうのだろうということがひしひしと感じられる。
自分で体験したいとは絶対に思わないけど、これまでに観た津波の「水面」の映像とはまったく違った、フィクションならではのリアリティを感じました。