昨日、「海外の捜査官に聞く~取調べの可視化の意義~」院内集会にいってきた。
「取調べの可視化」とは、警察・検察含め取調べにおいて全工程を電子映像データに記録し、供述調書に代わって裁判の証拠とすることを意味するのですが。いうまでもなく。
海外ではもう20~30年も前から導入されているこの制度だが、日本ではまだ最近になってやっと一部だけで運用が始まったばかりである。つーても一部ではまったく意味をなさないので、可視化するならばすべからく全工程可視化すべしとの目的で今も法制化が議論されている。
今回の集会の前日にも国際シンポジウムがあったんだけどそっちは行けなくて院内集会のほうに出ましたが、短い時間でもがっつり興味深いお話を聞くことができた。
ゲストスピーカーはアメリカの元コロラド州デンバー警察署警察官で、各国でこの制度のトレーニングを行っているジョナサン・W・プリースト氏と、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州警察で刑事事件を担当するデイビッド・ハドソン氏。両氏にアメリカ・オーストラリアでいかにして取り調べの可視化がスタートし、結果どのような効果が得られたかを伺った。
>>オーストラリアのケース
かの国ではこの制度は警察内部から自発的に導入された。
原因は、裁判で警察の捜査の不正─不当な拘留・証拠の捏造・被疑者への虐待─が批判され、警察が国民の信頼を失い、裁判所からも疑惑をかけられるようになったことからだった。
1991年から2年の間に30の拘留施設で可視化が始まり、1995年に法制化された。これにより、5年以上の刑が求刑される正式起訴では、電子映像記録なしの供述は証拠として認められなくなった。
ちなみにオーストラリアでは現在、被疑者は合理的理由なしに逮捕されることがなく、逮捕されたならば4時間以内に起訴か不起訴を決定しなくてはならない。裁判所が認めれば12時間まで延長はできる。
警察上層部が政府に強制されずに始めたこの制度だが、初めは警察内部での反発も大きかった。
裁判所は警察を信じるべきだし、録画されていては被疑者は自白などしない、というのが現場の感覚だったが、効果が認められれば支持されるようになっていった。
まず大きな効果は、裁判で被告人が有罪を認めるようになったことと、警察が不正をしていると指摘されることが少なくなったこと。警察に対する国民の信頼が高まり、批判も減った。
このメリットの大きなポイントとしては、被告弁護人が警察が提出した証拠に疑義を申し立てられなくなったため、無罪を主張する方法のひとつ─供述の証拠能力への批判─を封じることができる点である。
また、録音・録画された証拠は裁判官や陪審員に視覚で訴えることができる。被告人が逮捕当時・直後にどんな服装をしていたか、入れ墨をしていたか、薬物や飲酒の影響はなかったか、負傷していないか(虐待の有無の証明)、被告人のボディランゲージなどから、その供述をどのように受取るべきか、それぞれに自分なりの意見を持つことができる。
オーストラリアではこの制度が導入されて既に20年経っているので、当初は躊躇のあった警察内部でも、いまでは90%の捜査官は可視化以前の状況を既に知らない世代に交代している。
現在では、オーストラリアではすべての警察で取調べの録音・録画が行われている。
>>アメリカのケース
アメリカでは1970年代に捜査にビデオが使用されるようになり、70年代末には高性能の録画設備を供えた取調室が警察に設置されるようになった。
導入されたきっかけとしては、より効率的かつ正確な取調べの記録方法を模索・改善する必要があったからだった。
オーストラリアと同じく、導入当初は警察内部に反発があった。それは、警察の捜査の信頼性が疑われているという現実への抵抗感だった。
しかし導入されてからその利点─取調べに臨んでいる被疑者・捜査官双方の態度・ボディランゲージの記録が可能になること、メモを取る時間が不要になるためその時間を徹底的に話しあうことに費やすことができること─が実感されるようになった。
裁判官にとっても、取調べを録画録音が正しい方法であるという認識が広がった。録画を見ることで書面を審査する時間が減り、公判も開かれずに済むことも多くなったからだった。
30年経った今では、すべての捜査官はどこかに必ずビデオがあるところで取調べを行っているし、すべての警察施設に録画設備が設置されている。少なくともプリースト氏は録画設備のない取調室の存在を知らない。
この制度が導入された当初、アメリカの警察内部でも、被疑者はビデオのあるところでは自白はしないんじゃないか、コストがかかる、警察の権限が阻害されるのではないかという反発があった。
だが現在ではもうこの制度のなかった当時には戻れなくなっている。それほどその効果は絶大だった。
アメリカでは被疑者は憲法に保障された権利を守られ、ミランダルールとよばれる黙秘権もある。
一方で、捜査官には法執行機関の職員として、被害者の声を代弁し、本当に罪を犯した人に罪を償ってもらう責任がある。
このためにビデオを使った取調べは重要なツールだし、すべての法執行機関で使われるよう勧めたい。
>>質疑応答「この制度の最大のメリット」
オーストラリア:自白を入手したときとまったく同じ形で裁判に提出できる。
オーストラリアには「100人の真犯人を逃しても、1人の無辜の人を罪人にしてはならない」という原則がある。
アメリカ:捜査を完全に徹底的にできる。正確な情報を残せる。公正な手続きをしていることが証明できる。
1時間の院内集会なのでかなり駆け足な感じだったけど、お二方のお話を聞く限り、20~30年も前から他国では導入されているビデオが日本ではまだ使われていないことは、単に日本の警察の捜査方法の発展を妨げているだけのように思えた。
確かに供述をいちいち文書化するのは大変な作業だし、それをやめて取調べ時間を会話に集中して使えればそれだけ効率も上がるだろう。文書化された供述調書の信頼性を審理するには、そこに書かれた情報以上の証拠能力を評価する時間と技術が必要になる。しかし映像記録にはそれは必要がない。信用に足る証拠があれば、供述の真偽を議論する必要もなくなる。警察と裁判所と裁判員との間に、取調べ内容に対する共通認識を持つことができれば、無用の議論に割く時間も労力も減らせる。
警察にもいいことだらけの制度だということがなかなか認められない理由が、これだけ訊けばどこにもないように感じる。もっとそのことを国民全体に広くアピールするべきなんじゃないかなあ。
逆に、これがどーしてもできないってことは、警察がいつも日常的に「ビデオに記録できない不正な取調べをしている」なんて疑惑を裏づけちゃうことになるんじゃないでしょーかね。
関連レビュー:
『美談の男 冤罪 袴田事件を裁いた元主任裁判官・熊本典道の秘密』尾形誠規著
『冤罪 ある日、私は犯人にされた』菅家利和著
『LOOK』
『日本の黒い夏 冤罪』
『それでもボクはやってない』
『それでもボクはやってない―日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!』周防正行著
『お父さんはやってない』矢田部孝司+あつ子著
『冤罪弁護士』今村核著
『僕はやってない!―仙台筋弛緩剤点滴混入事件守大助勾留日記』守大助/阿部泰雄著
『東電OL殺人事件』佐野眞一著
『アラバマ物語』ハーパー・リー著
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海外ではもう20~30年も前から導入されているこの制度だが、日本ではまだ最近になってやっと一部だけで運用が始まったばかりである。つーても一部ではまったく意味をなさないので、可視化するならばすべからく全工程可視化すべしとの目的で今も法制化が議論されている。
今回の集会の前日にも国際シンポジウムがあったんだけどそっちは行けなくて院内集会のほうに出ましたが、短い時間でもがっつり興味深いお話を聞くことができた。
ゲストスピーカーはアメリカの元コロラド州デンバー警察署警察官で、各国でこの制度のトレーニングを行っているジョナサン・W・プリースト氏と、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州警察で刑事事件を担当するデイビッド・ハドソン氏。両氏にアメリカ・オーストラリアでいかにして取り調べの可視化がスタートし、結果どのような効果が得られたかを伺った。
>>オーストラリアのケース
かの国ではこの制度は警察内部から自発的に導入された。
原因は、裁判で警察の捜査の不正─不当な拘留・証拠の捏造・被疑者への虐待─が批判され、警察が国民の信頼を失い、裁判所からも疑惑をかけられるようになったことからだった。
1991年から2年の間に30の拘留施設で可視化が始まり、1995年に法制化された。これにより、5年以上の刑が求刑される正式起訴では、電子映像記録なしの供述は証拠として認められなくなった。
ちなみにオーストラリアでは現在、被疑者は合理的理由なしに逮捕されることがなく、逮捕されたならば4時間以内に起訴か不起訴を決定しなくてはならない。裁判所が認めれば12時間まで延長はできる。
警察上層部が政府に強制されずに始めたこの制度だが、初めは警察内部での反発も大きかった。
裁判所は警察を信じるべきだし、録画されていては被疑者は自白などしない、というのが現場の感覚だったが、効果が認められれば支持されるようになっていった。
まず大きな効果は、裁判で被告人が有罪を認めるようになったことと、警察が不正をしていると指摘されることが少なくなったこと。警察に対する国民の信頼が高まり、批判も減った。
このメリットの大きなポイントとしては、被告弁護人が警察が提出した証拠に疑義を申し立てられなくなったため、無罪を主張する方法のひとつ─供述の証拠能力への批判─を封じることができる点である。
また、録音・録画された証拠は裁判官や陪審員に視覚で訴えることができる。被告人が逮捕当時・直後にどんな服装をしていたか、入れ墨をしていたか、薬物や飲酒の影響はなかったか、負傷していないか(虐待の有無の証明)、被告人のボディランゲージなどから、その供述をどのように受取るべきか、それぞれに自分なりの意見を持つことができる。
オーストラリアではこの制度が導入されて既に20年経っているので、当初は躊躇のあった警察内部でも、いまでは90%の捜査官は可視化以前の状況を既に知らない世代に交代している。
現在では、オーストラリアではすべての警察で取調べの録音・録画が行われている。
>>アメリカのケース
アメリカでは1970年代に捜査にビデオが使用されるようになり、70年代末には高性能の録画設備を供えた取調室が警察に設置されるようになった。
導入されたきっかけとしては、より効率的かつ正確な取調べの記録方法を模索・改善する必要があったからだった。
オーストラリアと同じく、導入当初は警察内部に反発があった。それは、警察の捜査の信頼性が疑われているという現実への抵抗感だった。
しかし導入されてからその利点─取調べに臨んでいる被疑者・捜査官双方の態度・ボディランゲージの記録が可能になること、メモを取る時間が不要になるためその時間を徹底的に話しあうことに費やすことができること─が実感されるようになった。
裁判官にとっても、取調べを録画録音が正しい方法であるという認識が広がった。録画を見ることで書面を審査する時間が減り、公判も開かれずに済むことも多くなったからだった。
30年経った今では、すべての捜査官はどこかに必ずビデオがあるところで取調べを行っているし、すべての警察施設に録画設備が設置されている。少なくともプリースト氏は録画設備のない取調室の存在を知らない。
この制度が導入された当初、アメリカの警察内部でも、被疑者はビデオのあるところでは自白はしないんじゃないか、コストがかかる、警察の権限が阻害されるのではないかという反発があった。
だが現在ではもうこの制度のなかった当時には戻れなくなっている。それほどその効果は絶大だった。
アメリカでは被疑者は憲法に保障された権利を守られ、ミランダルールとよばれる黙秘権もある。
一方で、捜査官には法執行機関の職員として、被害者の声を代弁し、本当に罪を犯した人に罪を償ってもらう責任がある。
このためにビデオを使った取調べは重要なツールだし、すべての法執行機関で使われるよう勧めたい。
>>質疑応答「この制度の最大のメリット」
オーストラリア:自白を入手したときとまったく同じ形で裁判に提出できる。
オーストラリアには「100人の真犯人を逃しても、1人の無辜の人を罪人にしてはならない」という原則がある。
アメリカ:捜査を完全に徹底的にできる。正確な情報を残せる。公正な手続きをしていることが証明できる。
1時間の院内集会なのでかなり駆け足な感じだったけど、お二方のお話を聞く限り、20~30年も前から他国では導入されているビデオが日本ではまだ使われていないことは、単に日本の警察の捜査方法の発展を妨げているだけのように思えた。
確かに供述をいちいち文書化するのは大変な作業だし、それをやめて取調べ時間を会話に集中して使えればそれだけ効率も上がるだろう。文書化された供述調書の信頼性を審理するには、そこに書かれた情報以上の証拠能力を評価する時間と技術が必要になる。しかし映像記録にはそれは必要がない。信用に足る証拠があれば、供述の真偽を議論する必要もなくなる。警察と裁判所と裁判員との間に、取調べ内容に対する共通認識を持つことができれば、無用の議論に割く時間も労力も減らせる。
警察にもいいことだらけの制度だということがなかなか認められない理由が、これだけ訊けばどこにもないように感じる。もっとそのことを国民全体に広くアピールするべきなんじゃないかなあ。
逆に、これがどーしてもできないってことは、警察がいつも日常的に「ビデオに記録できない不正な取調べをしている」なんて疑惑を裏づけちゃうことになるんじゃないでしょーかね。
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