落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

さらば受験

2006年05月26日 | book
『国語教科書の思想』石原千秋著
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前にも書いたことがあるが、ぐりの学校時代の得意科目は国語。他には美術・歴史・生物も得意だったけど、成績では国語だけは誰にも負けなかった。小中を通して5段階評価で5以外はとったことがないし、高校の10段階評価でも9以下に落ちたことはない。試験でも常に学年で600人中20位以内、全国模試でも当時の偏差値は国語だけ70〜80台だった。センター試験は現役と一浪の2度とも満点。
といっても授業そのものをマジメに聞いていた覚えはない。授業で何を勉強したかもほとんど記憶にない。覚えているのは、中学時代に産休代理で来た非常勤講師の男の子を古典漢文の授業で挙げ足をとってはいじめていたことや、芥川龍之介の『羅生門』を読書感想レポートでボロクソ書いて職員室でバカウケしたことくらいだろうか。
だからぐりの国語の成績がよかったのは、ひとえに年間100冊以上の本を読み、小学3年生から新聞3紙と父が購読していた週刊誌を読みあさっていた活字中毒によるものだと思う。
勉強そのものはハッキリいって大の苦手だったので、国語力があっただけで他の科目も助けられていたようなものだ。ビバ活字。活字さまさまである。

この石原氏という著者は大学教授であり高校の国語教科書の編集委員でもある。この本では小学校・中学校・高校の教科書をこてんぱんに“批評”しているが、自ら書いている通りまさに「天に唾する」行為だ。というか当事者だからこそここまで書けるのだろう。第三者にはなかなかこれほどボロカスいえません(笑)。
もうホントにボロカスですから。ほぼ極論っす。ところどころそんなんほとんどいいがかりでは?と思われるフシもなくもない。それくらい手厳しい。石原氏自身の政治思想もやや偏ってるようである。
じゃあここに書かれていることがウソか?間違っているか?というとそうではない。ひとつの視点として、非常に鋭く、的確な意見だろうと思う。極論だからこそ、そう思える。うまい主張だ。
ただ、ぐりの学校時代は遥か昔のことだし学校にいくような子どもも身近にはいないので、正直な話、石原氏のいう授業の現状がいまひとつぴんとこないところもある。彼のいうような学校/教師には子どもたちに対する愛情や、教育に対する情熱が完全に干涸びてしまっているようにしか思えない。果たして現実はどうなのだろう。

とはいえ、この本は教育に携わる人・学校に通う子どもをもつ人には必読の一冊には違いない。
教科書は教育現場における地図であって、船ではない。地図を使ってどこへいくのか、何のために旅するのかを決めるのは教師であり、子どもたちだ。国語なら国語の楽しさ、その美学を互いに共有し国語力という感覚を養うのが教育であって、国語という教科の理屈や試験の方法論を一方的に教え込むのはただの調教でしかない。
地図が不完全でも、行き先と目的がわかっていればどうにか旅はできる。逆に、行き先も目的もわからなければ、地図があっても旅にはならない。船だって乗っただけではどこにも行けない。
そのことをハッキリと指し示す本でもある。おもしろかったです。

中学教科書に誤記208か所