落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

イニスフリー

2006年05月06日 | movie
『ミリオンダラー・ベイビー』
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000AC8OV0&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

またしても私事で恐縮なのだが、ぐりの父は十代の頃にボクシングをやっていた時期がある。といっても札付きの喧嘩屋だった彼にとってボクシングはおいしいテクニックを盗む“勉強”でしかなく、前後して柔道や空手もかじったそうだ。それでも彼の心に残ったのはボクシングだけだったようで、ぐり自身も幼いころちょくちょく父といっしょにボクシング中継をTV観戦したのをよく覚えている。当時はゴールデンタイムや日曜の夕方など、子どもがみられる時間帯でもボクシングを放送していた。他の格闘技では祖父が好きだった相撲くらいしか観なかった。
正直にいってぐりには格闘技の魅力はまったくわからない。ましてや最近流行りのショーアップされた異種格闘技の世界などはまるっきり理解の外だ。なのになぜか今も、TVでたまたまボクシング中継をやっているのを見かけるとつい目がとまる。何の理屈もなく、美しいスポーツだと思ってしまう。それがただただシンプルでストイックな、孤独な人間同士のぶつかりあいの儀式だからだろうか。自分でもわからない。

クリント・イーストウッドの監督作品ではこれまでに『ミスティック・リバー』『真夜中のサバナ』『パーフェクト・ワールド』しか観ていないが、『〜リバー』と『〜サバナ』は全然ダメだった。世間の評価は別として、ぐりの趣味ではなかった。『パーフェクト〜』はわりと好き。『〜ベイビー』もいい作品だと思う。確かに名作だ。
観ていて何度も何度も涙が出た。序盤、30代を過ぎたマギー(ヒラリー・スワンク)がぐんぐん技術を身につけていくのが却って悲愴に感じられて仕方がなかった。彼女の挑戦が最初から危険過ぎることは誰の目にも明らかだ。夢に目が眩みわずかな可能性に幸運の輝きを見いだす者には、そんな危険など眼中にもないだろう。果たして彼女はどんどん強くなり、無敵のファイターへと成長していく。しかし彼女がしているスポーツがボクシングである以上、常に大事故の危険はつきまとう。彼女が強くなり高みへの階段を一歩のぼるごとに、その悲劇は着実に近づいてくる。おそらくフランキー(イーストウッド)はそのことをどこかで知っていたのだ。無骨で不器用で言葉を知らない男だが、ただ単純に年をとっているだけではない。それまでにも幾人もの選手を育て世に送り出し、そして失ってきた彼にとって、彼女の悲劇もまた過去に繰り返されてきたドラマと似たり寄ったりの挿話だったかもしれない。だからこそ彼は、彼女のトレーナーを固辞していたのだろう。

劇中、フランキーがマギーにイェーツの「イニスフリーの湖島」を読んで聞かせるシーンがある。アイルランドを代表する大詩人ウィリアム・バトラー・イェーツの作品の中でも最もよく知られた詩の一節だ。
世俗を捨て静かな湖の島でひとりマメを育て蜜蜂を飼って暮したいという夢想を詠った素朴なこの詩が、これほどの深い感動を喚びおこすのはなぜだろう。そもそもボクシングジムを経営するフランキーが毎週教会に通い、イェーツを読み、ゲール語のリングネームをヒロインに与えたのはなぜなのか。
彼には理解しあうことのできない娘がひとりいた。彼女は映画の最後まで画面には登場しない。マギーの家族は2度登場するが、彼らも彼女をひとかけらも理解してはいなかった。不幸だが決して珍しい家族像ではない。表面的には彼らほどの決裂はなくても、どうしても理解しあえない家族というのはどこにでもいる。
フランキーとマギーは二度と触れあうことのできない家族を互いの中に求めていたのだろう。悲しいがふたりはふたりなりに理解しあってはいた。それはそれでハッピーなのかもしれない。
とても勝手な解釈だが、ぐりはそう思う。


「The Lake Isle of Innisfree」

I will arise and go now, and go to Innisfree,
And a small cabin build there, of clay and wattles made;
Nine bean rows will I have there, a hive for the honeybee,
And live alone in the bee-loud glade.

And I shall have some peace there, for peace comes dropping slow,
Dropping from the veils of the morning to where the cricket sings;
There midnight's all a-glimmer, and noon a purple glow,
And evening full of the linnet's wings.

I will arise and go now, for always night and day
I hear the water lapping with low sounds by the shore;
While I stand on the roadway, or on the pavements gray,
I hear it in the deep heart's core.


「イニスフリーの湖島」

明日にでも行こう あのイニスフリーへ
そして小さな小屋を建てよう 泥と萱で
マメの畝をここのつ 蜜蜂の巣箱をひとつ
蜂の羽音のなかでひとり暮そう

そこでなら私は安らぐだろう 安らぎはゆっくりとやってくるのだ
蟋蟀のすだく朝靄の滴りのように
夜は更けても朧に明るく 昼はまばゆく
夕暮れは胸赤鶸が舞い飛ぶだろう

明日にでも行こう 夕に日に
私には聞こえる 湖の水の音 岸にくだける波のさざめき
道に佇んでいても 灰色の舗道の上でも
あの水音は 胸の奥底に聞こえている
(ぐり訳)