はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

「題詠100首2006」について(6)

2006年11月05日 23時33分29秒 | インターミッション(論文等)
(承前)

 さて、宴は今年も終わった。
 しかし、メロディーはまだまだ鳴り響いている。

 僕個人で言えば、題ごとに投稿歌を鑑賞している「鑑賞サイト」を、まだあと半分以上残している。
 正直、こちらのほうはゴールにたどり着けるか、微妙なところだ。
 しかし、焦って雑な読みはしたくないので(荒い読みは仕方ないにしても)、マイペースで行けるところまで行ってみようと思う。

 そして、主催者の五十嵐きよみさんに、重ねて感謝の念を捧げたい。
 新方式を導入したとはいえ、今回も、五十嵐さんの労苦は並大抵のものではなかったはずだ。
 そして、もし来年も「題詠100首2007」を開催してくださるのなら、これに勝る喜びはない。
 「題詠マラソン2004」から出発し、このイベントに年々育てられてきた、いち短歌初級者(そろそろ初心者とは言えなくなってきた)からの、わがままなお願いと思ってください。

 そしてそして、このイベントで知り合えた、本当にたくさんの方々。
 宴は終わっても、日常は続きます。
 そして、短歌は日常に根ざすものであると、中村は愚考します。
 このブログ「はいほー通信 短歌編」も、続けられる限り、ここにあります。
 ぜひ、これからも今まで以上のおつきあいを、どうぞよろしくお願いします
(ふかくふかくあたまをさげる)。

(了)

「題詠100首2006」について(5)

2006年11月04日 22時00分13秒 | インターミッション(論文等)
(承前)

 参加者1人ひとりが一国一城の主となったことは、参加者相互の、またその周辺の人たちとのコミュニケーションをも一気に加速、増大させることとなった。
 鑑賞サイトの充実、感想・批評のやりとり、参加者間で独自に行われる数々の歌会…。
 それらは、「ネット歌人」と言われる人々にとって、同士を発見する場であり、互いの力量を研鑽する機会でもあった。

 僕自身も、これまでふれ合う機会や手段のなかった多くの歌人たちと、意見を交換し、共感し、励まし合ってきた。
 その課程で、自分の持つ「実力」と言われるものも、わずかだが進歩したように思う。

 「題詠100首2006」がスタートして9ヶ月。その間に、「ブログ」形式はあっという間にインターネット界を席巻した。
 その多くが、正直言って従来のBBSやホームページと同様の使われ方をされているのを見るにつけ、「ブログ」という形式が、このようなイベントにかくも合致する物であることを見抜いた、主催者五十嵐きよみさんの慧眼に、驚嘆せざるを得ない。

(この項つづく)

「題詠100首2006」について(4)

2006年11月03日 22時22分09秒 | インターミッション(論文等)
(承前)

 また、もう一つの特色は、2005年後半あたりから急速に一般化した「Web Log=ブログ」を媒介にしたことである。
 参加者個人個人に、簡易ホームページである「ブログ」を持たせ、それを主たる発表の場にさせるという方式は、インターネット歌会の概念を変える物と言ってよいだろう。
 また、「ブログ」の特色である「コメント」「トラックバック」という機能も充分に利用し、参加者の間に一大ネットワークを作り上げた。
 それらは、参加者を単なる受け身の存在とするのではなく、
「全員でこのイベントを運営しているのだ」
という意識を持たせることとなった。
 また、もっと広い意味で言えば、「ブログ」というコミュニケーション方式、あるいはインターネットという媒介を、より多くの人に体験してもらうきっかけともなった。
 実際、このイベントに参加するために、初めて自分のブログ(=ホームページ)を持った、という人も少なからずいるはずである。

(この項つづく)

「題詠100首2006」について(3)

2006年11月03日 00時03分18秒 | インターミッション(論文等)
(承前)

 そういったことが推察されただけに、今年(2006年)、「題詠マラソン」が「題詠100首2006」となって開催されたことは、本当にうれしいことだった。

 主催の五十嵐きよみさんは、〈少人数の運営〉というデメリットを逆手に取り、個人で開催することによってローカル性を強調し、より自由を得るというメリットに変換させたのである。

 つまり、今までは、少人数ではあっても合同で運営されるイベントであったために、自然に公的な雰囲気が発生し、参加者からの数多くの意見や質問に対して、(それがかなり理不尽なものであったとしても)ある程度の対応や回答の義務を負っていた。
 それが個人運営となったことにより、言葉は悪いが、
「気に入らないのなら、参加しなくてもいいですよ」
と言えるようになったわけだ。

(この項つづく)

「題詠100首2006」について(2)

2006年11月02日 06時08分13秒 | インターミッション(論文等)
(承前)

 この「題詠マラソン」は2003年に、歌人である五十嵐きよみ、水須ゆき子、兵庫ユカ、荻原裕幸の四氏が企画されたもので、その時の参加者は162人。
 100の題を織り込んだ短歌を、1年のうちに、会場である掲示板に順次投稿していくという、壮大なイベントだった。

 インターネットの普及により、「ネット歌人」と呼ばれる人々が増え、あちこちで歌会が催されていたが、その中でもこの「題詠マラソン」は、業者などの後ろ盾のない一般人が企画する物としては、規模も内容も飛び抜けていた。
 僕が参加したのは、次年度の「題詠マラソン2004」からだったが、参加者は倍増し375人。ちなみに「同2005」では563人にまでなった(この年は、僕は恥ずかしながらリタイア)。

 ちなみに、「題詠マラソン」と題したイベントは、この「2005」で一応休止となる。
 スタッフの方々の体調不調などが主な理由とのことだった。
 しかし、年々膨れあがっていく参加者と、それに応じて大規模化していくイベントの維持運営が、少数の人々では難しくなった、ということも大きいのではないだろうか。

(この項つづく)

「題詠100首2006」について(1)

2006年11月01日 06時19分13秒 | インターミッション(論文等)
 宴は、今年も終わった。

 「題詠100首 2006」が、10月31日をもって終了した。
 今年の3月1日から数えて8ヶ月間、参加者の一人として100首の短歌を投稿し、300人を超える人々の作品を、出来る限り鑑賞してきた。
 この壮大なイベントをたった一人で企画し、運営された、歌人の五十嵐きよみさんに、まず何よりも深く感謝したい。どうもありがとうございました。

 そもそも、この「題詠100首」の前身「題詠マラソン」は、僕が短歌と直接ふれ合う機会をくれた、忘れることの出来ないイベントだ。
 僕が短歌に興味を持ったきっかけは、まず2冊の本『短歌はプロに訊け!』(穂村弘 東直子 沢田靖彦著/本の雑誌社)と『短歌パラダイス』(小林恭二著/岩波新書)だった。
 おそらく同じ入り方をした方は、非常に多いと思われる。それほどこの2冊は、短歌素人にとって衝撃の書だった。

 何回も読み返しているうちに、自分でも言葉をこねくり回して、短歌の真似事をし始めてみた。
 作ってみれば、見てもらいたくなるのが人情である。で、どこか発表の場はないかとインターネットの検索を繰り返しているうちに、目にとまったのが「題詠マラソン」の文字だった。

(この項つづく)