竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

黄葉はげし乏しき銭を費ひをり (石田波郷)

2018-09-13 | 



黄葉はげし乏しき銭を費ひをり (石田波郷)

紅葉 (秋の季語:植物)
     紅葉(もみじ・こうよう) 黄葉(もみじ) もみぢ
     濃紅葉(こもみじ) もみいづる もみづる
     照葉(てりは) 照紅葉(てりもみじ) 


● 季語の意味・季語の解説

 晩秋、野山を彩る紅葉(もみじ)は、雪月花、時鳥(ほととぎす)とともに五箇の景物と称され、和歌、文芸、芸術の中で重んじられてきた。
 紅葉は日本人の愛でる自然美の代表的なものである。

  障子しめて四方の紅葉を感じをり (星野立子)

 楓(かえで)など赤くなるものは“紅葉”、銀杏(いちょう)など黄色くなるものは“黄葉”と書き、ともに「もみじ」と読む。

 日照時間の長い夏、樹木の葉は光合成を行うためのクロロフィル(葉緑素)をたっぷり持っており、緑色に見える。
 しかし、秋も深まり日が短くなると、葉は光合成をやめるため、クロロフィルは分解されていく。
 すると、もともと葉の中にあった、カロテノイドと呼ばれる色素が目立ち始め、葉は黄色く色づく。
 これが「黄葉」である。

  黄葉はげし乏しき銭を費ひをり (石田波郷)

  黄葉描く子に象を描く子が並び (稲畑汀子)

 また、樹木の中には、自らが葉に蓄えた糖分を光と反応させて、アントシアニンと呼ばれる赤い色素を生み出すものも存在する。
 こうして作り出されるのが「紅葉」である。

  紅葉焚くことも心に本を読む (山口青邨)

  紅葉すと靴濡らすまで湖に寄る (山口誓子)

 特に深く色づいたものは、濃紅葉(こもみじ)と表現することもある。

  濃紅葉に涙せきくる如何にせん (高浜虚子)

 アントシアニンは、有毒な活性酸素を発生させる青い光をよく吸い取り、樹木を守ると考えられている。
 秋の葉が赤く見えるのは、アントシアニンが青系統の光を吸い取って、赤系統の光を外に反射させるからである。

 「もみいづる」「もみづる」といった動詞は、このように木々の葉が赤や黄に染まっていく様子を表現する言葉である。

 そして、赤や黄に染まった葉は、明るく輝いて見えるため、これを照葉(てりは)、照紅葉(てりもみじ)と言う。

 ところで、紅葉と言う季語は、夕紅葉、谿紅葉(たにもみじ)、紅葉川、紅葉山、紅葉寺、紅葉宿などのように、他の語とよく結びついて俳句に用いられる。
 上手な結びつきを思いつくと、心に残る佳句が生まれやすい。

  この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉 (三橋鷹女)

  紅葉寺重文百雪隠を遺す (安住敦)

  月までの提灯借るや紅葉宿 (高野素十)

 また、実際に色づく木々の名を冠して、桜紅葉、柿紅葉、漆紅葉(うるしもみじ)、柞紅葉(ははそもみじ)、櫨紅葉(はぜもみじ)、檀紅葉(まゆみもみじ)、葡萄紅葉、銀杏紅葉などと表現することも多い。

  柿紅葉マリア燈籠苔寂びぬ (水原秋櫻子)

 単に「紅葉」とした場合は、「楓(かえで)」を指す。
 「花」と言えば「桜」を指すのと同じである。

● 古今の俳句に学ぶ季語の活かし方

 何といっても、紅葉はその色で人の心を惹きつけます。
 絵画を描くようなつもりで、鮮やかな赤や、赤・黄・緑の彩りを俳句に表現してみましょう。

  もみぢ葉のおもてや谷の数千丈 (岡田千川)

  山口もべにをさしたる紅葉かな (杉木望一)

  たに水の藍染かへて紅葉かな (中川乙由)

  手浸せり紅葉散り敷く冷泉に (凡茶)

 また、紅葉の美しさは、人の心にしみてきて、胸のあたりを少し痛くします。
 つまり、紅葉は愛し(かなし)という感情を見る者に抱かせます。
 次の蕪村の二句からは、「愛し」がよく伝わってきます。

  ふた葉三葉ちりて日くるる紅葉かな (与謝蕪村)

  山暮れて紅葉の朱を奪ひけり (与謝蕪村)
      朱=あけ。赤色のこと。

 そして紅葉の美しさは、常に寂しさを帯びています。
 それは、紅葉がまもなく散って落葉となり、やがては朽ちていく定めを負っているからにほかなりません。
 寂しさを感じる紅葉の俳句を三つ紹介します。
 私は、一句目の蓼太の句が大好きです。

  掃く音も聞えてさびし夕紅葉 (大島蓼太)

  山彦の我れを呼ぶなり夕紅葉 (臼田亜浪)

  濃紅葉やいつもひとりで笛吹く子 (凡茶)
      濃紅葉=こもみじ。赤が濃くなった紅葉。


参照 http://haiku-kigo.com/article/169207091.html

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山は暮れて野は黄昏の薄かな (与謝蕪村)

2018-09-12 | 



山は暮れて野は黄昏の薄かな (与謝蕪村)


薄(すすき) (秋の季語:植物)
     芒(すすき) 尾花(おばな) 花薄・花芒(はなすすき)
     薄野・芒野(すすきの) 薄原・芒原(すすきはら) 
季語の意味・季語の解説
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 「すすき」は「薄」とも「芒」とも書く。
  
 花穂は始め褐色で横に開くが、やがて白色となってすぼみ、風に吹かれると動物の尾のように見えるようになる。
 ゆえに、薄は尾花(おばな)とも呼ばれる。

 野、山、道端など、至る所に生え、昔から人々の暮らしとも関わりが深い。
 
 例えば、月見においては、団子や里芋とともに薄が供えられる。
 なぜ薄が月に供えられるかには諸説あるようだが、うっかり触れると手を切ってしまうような鋭い歯を持つため、魔除けとして用いられているとも言われる。

 月見に用いた薄を軒に吊るすと、向こう一年間、病気をしないとの言い伝えもある。

 また、薄は萱葺き(かやぶき)屋根の資材とされた。
 なお、萱(かや)とは、屋根を葺く(ふく)のに用いられる草の総称であり、薄のほか、菅(すげ)、茅(ちがや)なども含まれる。


季語の用い方・俳句の作り方のポイント
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 広々とした薄原(すすきはら)に出ると、はじめはその美しさに目を奪われます。
 しかし、風に揺られる薄の穂を眺めていると、なんだか徐々に静かな気持ちになってきて、やがて、淋しさに襲われます。

 薄を季語に俳句を詠む場合は、はじめ美しい景が読む人の頭に浮かび、あとから、そっと淋しさが忍び寄るような、そんな句を創ろうと心掛けています。

 蕪村などに俳諧を学んだ大魯と、私の句を紹介します。

  眼の限り臥しゆく風の薄かな (吉分大魯)
      臥しゆく=ふしゆく。
 
  立ち枯れの鳶薄野を見渡せり (凡茶)
      鳶=トビ。

  薄野を去る一本の薄かな (凡茶)

 最後に蕪村の名句を紹介します。

  山は暮れて野は黄昏の薄かな (与謝蕪村)

 この句もそうですが、「菜の花や月は東に日は西に」や「春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな」など、広々とした景色を詠んだ蕪村の句には心を奪われます。


参照 http://haiku-kigo.com/article/164383152.html  

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鶺鴒がたたいて見たる南瓜かな (小林一茶)

2018-09-10 | 


鶺鴒がたたいて見たる南瓜かな (小林一茶)

南瓜(かぼちゃ) (秋の季語:植物)
     カボチャ なんきん 唐茄子(とうなす)
     ぼうぶら ぼうぶり 栗南瓜
季語の意味・季語の解説
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 東南アジアのカンボジアは、ポルトガル語で「カンボジャ」と呼ばれる。
 日本における「かぼちゃ」の呼び名は、この「カンボジャ」に由来すると言われる。

 かぼちゃは漢字で「南瓜」と表記するが、南方のカンボジア方面から持ち込まれた瓜なので、「カンボジャ→かぼちゃ」と名付けられたようだ。

 ただし、かぼちゃの本来の原産地はアメリカ大陸で、大航海時代以降に世界に広まった。
 日本に伝わったのも16~17世紀(戦国時代から江戸時代前期)ごろと最近であるが、江戸時代のうちに庶民生活に浸透し、俳句にも多く詠まれた。

  鶺鴒がたたいて見たる南瓜かな (小林一茶)
      鶺鴒=せきれい。

 かぼちゃにはぼうぶら・ぼうぶりの別名もあるが、これもポルトガル語に由来し、瓜を示す「アボボラ」が訛ったとされる。

  ぼうぶりの這うてくぼむや藁の軒 (亀計)
      藁=わら。

 かつて日本で栽培されるかぼちゃの主流は、菊座、黒皮、ちりめんなどの名のつく「日本かぼちゃ」であったが、近年は「西洋かぼちゃ」が主流になった。
 「西洋かぼちゃ」はほくほくとして美味いため、栗南瓜とも呼ばれる。

 なお、ハロウィンに用いられるオレンジ色のかぼちゃはヘポカボチャと呼ばれる種で、ズッキーニと同じ種類である。 

季語の用い方・俳句の作り方のポイント
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 どっしりとした南瓜(かぼちゃ)は、野菜の中で最も存在感・安定感のある形をしていると言えます。
 ゆえに、その存在感・安定感をうまく誇張した俳句が多いようです。

 まずは、南瓜の形に「をかし」を見出した俳句を見てみましょう。

  ころげじと裾広がりに南瓜かな (溝口素丸)

  絵手紙とおんなじ南瓜届きけり (凡茶)

 次は、南瓜の存在感・安定感をうまく引き出しつつ、物言わぬ南瓜に「あはれ」を感じた俳句を見てみましょう。

  ずつしりと南瓜落ちて暮淋し (山口素堂)
      南瓜=ここでは「とうなす」と読みます。

  ぼうぶらや斯も荒にし志賀の里 (勝見二柳)
      斯も=かくも。 志賀=琵琶湖南西の地方名。かつて皇居が置かれた古都。

 最後に、南瓜の存在感・安定感に、少し怖さのようなものを感じて詠んだ私の俳句を紹介します。

  夜の爪飛んで南瓜に弾かるる (凡茶)

参照 http://haiku-kigo.com/article/230737903.html

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里古りて柿の木持たぬ家もなし (松尾芭蕉)

2018-09-09 | 



里古りて柿の木持たぬ家もなし (松尾芭蕉)

柿 (秋の季語:植物)
     渋柿 樽柿 さわし柿 干し柿 ころ柿 吊るし柿
     甘柿 きざわし(木淡) こねり(木練)
     熟柿(じゅくし) 木守・木守柿 串柿 

季語の意味・季語の解説
==============================
 柿の原産地は中国と考えられているが、日本における栽培の歴史も古い。
 日本の柿栽培は有史以前に始められていたらしく、古事記や日本書紀の中に記述が見られる。

 柿は日本人の食生活・食文化に最も浸透した果物である。
 晩秋、ある程度古くからある集落を歩くと、枝もたわわに実がなっているのを、あちらこちらで見かける。
柿には様々な種類があるが、口の中で渋み成分のタンニンが溶け出す「渋柿」と、タンニンが口の中でも溶けない「甘柿」の2種類に大きく分けられる。

 このうち渋柿は、渋抜きをしてからでないと食べられないが、渋抜きの方法もいろいろある。
 いくつか例を挙げてみよう。

  ・「樽柿」は、空いた酒樽に渋柿を納め、アルコール分によって渋みを抜いたもの。
  ・「さわし柿」は、柿を塩水につけて温めたり、焼酎を振りかけて何日か置いて渋みを抜いたもの。
  ・「干柿(干し柿)」は、渋柿を天日に干して渋みを抜いたもので、「ころ柿」「吊し柿(吊るし柿)」とも言われる。

 いずれの方法も、日本人が大切に守っていきたい生活の知恵である。

 一方、甘柿は木になっているうちに熟し、枝からもいですぐに食べられるため、「きざわし(木淡)」「こねり(木練)」などと呼ばれる。
 
 なお、熟柿(じゅくし)は、よく熟れてやわらかくなった柿で、秋季の独立した季語として扱われることが多い。

 また、収穫後に木の枝に一つだけ残された実は木守(きまもり)・木守柿(きもりがき・こもりがき)と呼ばれ、こちらは独立した冬季の季語として扱うのがふさわしい。

 最後に、串柿とは、十個の柿に串を通してから干したもので、正月に橙(だいだい)とともに鏡餅に添える。
 鏡餅を三種の神器の「鏡」、橙を「玉」、串柿を「剣」に見立てているらしい。


季語の用い方・俳句の作り方のポイント
==============================
 柿は古くから日本で栽培され、私たち庶民の食生活・食文化の中で重要な位置を占めています。

  里古りて柿の木持たぬ家もなし (松尾芭蕉)
      古りて=ふりて。古びての意味。

 日本人は、渋柿から樽柿、さわし柿、干し柿などを作る生活の知恵を身につけ、また、渋柿を品種改良して甘柿を生み出すなどして、柿を庶民生活になくてはならない果物にしてきました。
 
 そのためか、柿を季語に詠んだ俳句には庶民の生活感あふれる句も多いようです。
 参考にしましょう。
 
  まさかりで柿むく杣が休みかな (水田正秀)
      杣=そま。きこりのこと。

  バラードをかけ柿もぎを眺めをり (凡茶)      

 また、葉の落ちた木の枝になる柿の実も、皿の上の、控え目だけれど深みのある甘さを持つ柿の実も、心にしみるような秋のかなしみを胸に抱かせます。
 
 しみじみとした一句を詠んでみましょう。

  甲斐がねの入日まばゆし柿の照 (小島大梅)
      甲斐がね=甲斐が嶺。

  柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺 (正岡子規)


参照 http://haiku-kigo.com/article/170053696.html

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犬の塚狗子草など生えぬべし (正岡子規)

2018-09-08 | 




犬の塚狗子草など生えぬべし (正岡子規)


ねこじゃらし (秋の季語:植物)
     ねこじやらし 猫じゃらし 猫じやらし
     狗尾草・犬ころ草(えのころぐさ・ゑのころぐさ)
     狗子草・犬子草(えのこぐさ・ゑのこぐさ)
     紫狗尾 金狗尾 浜狗尾

季語の意味・季語の解説
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 ふさふさした花穂(かすい)を猫の前で揺らしてやると、獲物と間違えて、手を出してきてかわいらしい。
 そのため、ねこじゃらしの俗称がつけられている。

 正しい呼称は「エノコログサ」であるが、これは、花穂が犬(狗)の尾に似ていることに由来する。
 つまり、「犬っころ草」が転じてエノコログサ(狗尾草)、エノコグサ(犬子草)となった。

 道端、空き地など、身の回りのどんな場所にでも生え、なじみ深い。

 穂の出始めは緑色をしているが、秋も深まると色づき、ワインレッドになるもの(紫狗尾:ムラサキエノコロ)や黄金色になるもの(金狗尾:キンエノコロ)もある。

 また、海岸付近に生える浜狗尾(ハマエノコロ)は、内陸のエノコログサよりも穂が短い。

 この季語を旧仮名遣いの平仮名で俳句に用いる場合は、ねこじやらし、ゑのころぐさ・ゑのこぐさと表記する。



季語の用い方・俳句の作り方のポイント
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 工場や商店の跡地、過疎地の路傍などにねこじゃらし(狗尾草:えのころぐさ)が群れているのを見つけると、なんとなく寂しさを覚えます。
 俳句においても、ねこじゃらしの句にはどことなく「あはれ」があります。

  犬の塚狗子草など生えぬべし (正岡子規)
      狗子草=えのこぐさ。

 ただ、ねこじゃらしのふさふさとし花穂は、やはり「おかしみ」があります。
 そのため俳句には、ねこじゃらしを親しみをこめてからかうように、あるいは可愛がるよう詠んだ作品が多く見られます。
 いくつか見ていきましょう。

  香にふれよ菊のあたりのゑの子ぐさ (加藤暁台)

 この句の主役は、高貴な菊ではありません。
 言うまでもなく卑近なゑの子ぐさ(ねこじゃらし)です。

  女郎花ゑのころ草になぶらるる (野童)

 この句では、ゑのころ草(ねこじゃらし)はクセのある脇役となり、主役の女郎花(おみなえし)をよく引き立てています。

  よい秋や犬ころ草もころころと (小林一茶)

 一茶の句は、常に小動物や草花への愛情にあふれています。

 最後に現代の俳句を二句。

  七草にもれて尾をふる猫じやらし (富安風生)

  月曜の空撫でてみるねこじやらし (凡茶)

参照 http://haiku-kigo.com/category/7332496-1.html
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釣鐘のいぼの落ちたる松露かな (椎本才麿)

2018-09-07 | 


釣鐘のいぼの落ちたる松露かな (椎本才麿)

茸(きのこ) (秋の季語:植物)
     茸(きのこ・たけ) 菌(きのこ) 木の子 くさびら
     茸山(きのこやま・たけやま)

季語の意味・季語の解説
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 学生時代に描いた茸.jpg秋、雨の多い時期になると、湿った土や朽ちた木などに茸がたくさん生える。
 山国では、この茸を狙って、地元の人々が茸狩りに出かける。

 ただし、茸の中には、毒鶴茸(ドクツルタケ)のような食べると死に至ることもある危険な猛毒菌も存在するので、素人だけで茸狩りに行くのは危険。
 慣れるまでは、必ずベテランを同伴することが大切だ。

 かつて、松茸、網茸(アミタケ)、初茸(ハツタケ)、松露(ショウロ)など、土に生える茸はくさびらと呼ばれ、木に生える椎茸、舞茸(マイタケ)、滑子(ナメコ)、栗茸(クリタケ)などの木の子と区別された。

 土に生える茸は人工栽培が難しく、現在、研究段階である。
 これに対し、木に生える茸は、人工栽培が比較的しやすく、季節を問わず、賞味することができる。

 なお、一般にシメジとして流通している茸は、実は、平茸(ヒラタケ)など木に生える茸であり、本当の湿地(しめじ)は土に生える。
 この土に生える湿地を食さない限り、よく言われる「匂い松茸、味しめじ」の本義は理解できない。

 茸は、それぞれの土地の方言で親しまれていることが多く、筆者の地元では花猪口(ハナイグチ)を“じこぼう”、正源寺(ショウゲンジ)を“こむそう”と呼んで、よく取りに行く。

 ちなみに、右上の絵は、学生時代にスケッチした茸。
 上から、タマゴタケ、ハツタケ、ハナイグチ。


季語の用い方・俳句の作り方のポイント
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 茸は愛嬌のある形をしています。
 ですから、愛嬌のある俳句が出来あがるようです。

  釣鐘のいぼの落ちたる松露かな (椎本才麿)
      松露=しょうろ。軸に傘の乗る形はしておらず、丸い形をしている。

  初茸やひとつにゑくぼひとつづつ (雲津水国)
      初茸=はつたけ。分厚い傘を持つが、中央がへこんでいる。

  扇にてしばし数へるきのこかな (小林一茶)

 読み手がくすりとほほ笑むような一句が生まれるとしめしめですね。

 さて、次は私の俳句を紹介。
 天然の茸には、その茸が育った山の、落ち葉の香りが凝縮されています。

 そういう茸を、気心の知れた仲間と食べると、その土地への愛着と敬意が深まる気がします。

  呑兵衛も下戸も訛れりきのこ鍋 (凡茶)
      呑兵衛=のんべえ。酒好きのこと。  下戸=げこ。酒の苦手な人。      




参照 http://haiku-kigo.com/category/7332496-1.html
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去年の蔓に蕣かゝる垣根かな (山口素堂)

2018-09-06 | 



去年の蔓に蕣かゝる垣根かな (山口素堂)
      

朝顔 (秋の季語:植物)
     朝顔・蕣・朝皃(あさがお) あさがほ
    ● 季語の意味・季語の解説

 竿、垣根、格子窓(こうしまど)などに左巻きの蔓(つる)を絡め、晩夏から初秋にかけて藍、紺、白、紅、空色などの花を咲かせる。

  去年の蔓に蕣かゝる垣根かな (山口素堂)
      去年=こぞ  蕣=あさがお

  蕣に垣ねさへなき住居かな (炭太祇)
      蕣=あさがお  住居=すまい

 アジア南部原産で、日本へは奈良時代から平安時代にかけて中国から輸入された。

 もともとは、牽牛子(ケンゴシ)と呼ばれる種から漢方薬をとるための植物であったが(ゆえに牽牛花という呼称が今も用いられる)、江戸時代に入ると、もっぱら鑑賞用に栽培されるようになった。

 それ以前は、桔梗(ききょう)や木槿(むくげ)が朝顔と呼ばれていたと考えられるが、牽牛子の花の美しさ、朝早く開いて昼前にはしぼんでしまう儚さが日本人の心をとらえ、この花が朝顔と呼ばれるようになった。

 鑑賞花になってから速やかに庶民の日常に溶け込んだらしく、江戸時代から生活感あふれる句が多い。

  朝皃にほのかにのこる寝酒かな (杉山杉風)

  朝顔に釣瓶とられてもらひ水 (加賀千代女)

 アサガオ 牽牛花(けんぎゅうか)

● 古今の俳句に学ぶ季語の活かし方

 朝顔には、紺、藍、紫、白、紅、ピンク、空色など、様々な色のものがあります。

 ただし、朝顔の色に焦点を定めた俳句の多くは、紺または藍の朝顔を素材としているようです。

 紺や藍の持つ落着きと深みが、日本人の心を捉えるのでしょう。

  朝がほや一輪深き淵の色 (与謝蕪村)

  朝顔の紺の彼方の月日かな (石田波郷)

  堪ゆることばかり朝顔日々に紺 (橋本多佳子)

  朝顔の藍やどこまで奈良の町 (加藤楸邨)

 上の楸邨の俳句を読んでいただけるとわかると思うのですが、この朝顔の紺・藍は、長い歴史を経て風格を帯びた古い町の風景と、よく調和するようです。

  朝顔や小橋の多き小京都 (凡茶)

 また、朝顔の紺・藍は、まだ光の弱い早朝の空の灰紫色と、本当に相性の良い色だと思います。

  朝顔や濁り初めたる市の空 (杉田久女)
     初め=そめ

  朝顔や一本の塔失せし空 (凡茶)

 さて、朝顔は、江戸時代に鑑賞花となると速やかに市井に普及し、庶民の日常風景の中に溶け込みました。

 そのため、朝顔は、生活感のある、人間臭い俳句を詠むのに適した季語となっています。

  郵便の来て足る心朝顔に (富田木歩)

  朝顔の庭より小鯵届けけり (永井龍男)

  朝顔やすでにきのふとなりしこと (鈴木真砂女)

 また、朝早く開いて昼前にはしぼんでしまう朝顔は、儚さ、寂しさを象徴し、時には人の死を意識させる花としても、俳句に詠まれます。

  朝顔やおもひを遂げしごとしぼむ (日野草城)

  朝顔に手をくれておく別れかな (富安風生)

  朝顔や百たび訪はば母死なむ (永田耕衣)
      百=「もも」と読む。

  朝顔や子でありし日は終りし筈 (中村草田男)
      筈=はず

  朝顔や掃除終れば誰も居ず (中村汀女)

 
参照 http://haiku-kigo.com/article/296121981.html
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虫なくや我れと湯を呑む影法師 (前田普羅)

2018-09-05 | 



虫なくや我れと湯を呑む影法師 (前田普羅)


虫 (秋の季語:動物)
     虫の声 虫の音(むしのね) 虫集く(むしすだく)
     虫鳴く 虫時雨(むししぐれ) 虫の夜 虫の闇
     虫の秋 昼の虫

● 季語の意味・季語の解説

 俳句において「虫」と言えば、秋に草むらで鳴く虫たちの総称である。

 リリリリと鳴く蟋蟀(こおろぎ)、リーンリ-ンと鳴く鈴虫、チンチロリンと鳴く松虫、チョンギースと鳴く螽蟖(きりぎりす)、スイッチョンと鳴く馬追(うまおい)などは、全て単独で秋の季語であるが、「虫」という季語はこれらの虫を全て含んでいる。

  其中に金鈴をふる虫一つ (高浜虚子)
      其中=そのなか。

 虫の声は、オスたちが求愛のために翅(はね)を摺り合わして鳴らすもので、「虫時雨(むししぐれ)」とは、そうした虫の声が幾種類も重なりあって、とても賑やかになっている様子をさす。
 また、「虫集く(むしすだく)」も同様の意味である。

  虫時雨銀河いよいよ撓んだり (松本たかし)
      撓んだり=たわんだり。

  虫しぐれ吾子亡き家にめざめたり (谷野予志)
      吾子=「あこ」と読む。わが子。  






虫なくや我れと湯を呑む影法師 (前田普羅)  
● 古今の俳句に学ぶ季語の活かし方

 「虫」を季語に俳句を詠む場合、私は、虫の声の背後にある「閑かさ」を味わい深く表現するように努めます。
 先人の句を鑑賞する時も、その作品に描かれた「閑かさ」を楽しみます。

 次の二句に描かれている閑かさは、ほんのり淋しさを帯びています。

  虫なくや我れと湯を呑む影法師 (前田普羅)

  虫鳴くや離れにて剪る明日の供花 (凡茶)
      離れ=はなれ。母屋から離れている家。 供花=くげ。仏さまや亡くなった人に備える花。

 次の三句は、閑かさが美しく表現されていると思います。

  虫啼くや草葉にかかる繊月夜 (三宅嘯山)
      啼く=なく。 繊月夜=ほそ月夜。

  窓の燈の草にうつるや虫の声 (正岡子規)

  虫鳴き満ち灯影々々に団欒あり (福田蓼汀)
      団欒=「まどゐ(まどい)」と読む。

 次の二句の閑かさには、畏れのようなものを感じます。

  啼かぬもの浅間ばかりよ虫の秋 (吉川英治)

  水注いで甕の深さや虫時雨 (永井龍男)

 次の三句には、虫の声の中で閑かさを感じている人物の、心の落着きのようなものが表現されています。

  本読めば本の中より虫の声 (富安風生)

  参照 http://haiku-kigo.com/category/7337848-1.html
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赤蜻蛉飛ぶや平家のちりぢりに (正岡子規)

2018-09-04 | 


赤蜻蛉飛ぶや平家のちりぢりに (正岡子規)
      ※ 源平合戦において、源氏は白、平家は赤の旗を掲げた。

赤とんぼ (秋の季語:動物)
     赤蜻蛉 赤トンボ 秋茜(あきあかね)

● 季語の意味・季語の解説

 赤とんぼとは、赤い色をしたトンボの総称である。
 秋茜(アキアカネ)、深山茜(ミヤマアカネ)など、様々な種類がある。

  

 オスの方がより鮮やかな赤色をしており、メスは黄色っぽい。
 蕪村の次の俳句は、赤に染まりきっていないメスの赤とんぼに愛しさを覚えて詠んだ句かもしれない。

  染めあへぬ尾のゆかしさよ赤蜻蛉 (与謝蕪村)

 夕日や紅葉と同じ色をしている赤とんぼは、秋の訪れを切々と感じさせてくれる。
 江戸時代の俳人たちも、赤とんぼを見かけると、胸にせまってくるものがあったようだ。

  盆つれて来たか野道の赤蜻蛉 (沢露川)

  秋の季の赤とんぼうに定まりぬ (加舎白雄)



● 古今の俳句に学ぶ季語の活かし方

 秋という季節は、木々や野の草が赤く色づいていく季節です。
 ですから、赤とんぼは、夏の青さを、秋らしい赤に変えていくための色素を運んできた、秋の遣いのようにも思えます。

  秋風をあやなす物か赤とんぼ (松岡青蘿)
      あやなす=美しく彩る。

 赤とんぼは、その赤い色とともに、音の無い静かな飛翔によっても秋の訪れを切々と感じさせ、心の中をしみじみとした情感で満たします。

 心の中に生じたその情を直接的な表現は用いず、目に映る景を上手に詠むことで、間接的に表現できたら成功です。

  夕汐や艸葉の末の赤蜻蛉 (小林一茶)
      夕汐=ゆうしお。 艸=くさ(草)。

  生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉 (夏目漱石)

  赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり (正岡子規)

  赤とんぼみな母探すごとくゆく (細谷源二)

  赤とんぼ離れて杭のいろの失せ (上野泰)

  会津なり顔にぶつかる赤とんぼ (藤田湘子)    

  さすりけり赤蜻蛉ゐし農馬の背 (凡茶)

  シーソーの持ち上げてゐる赤とんぼ (凡茶)

参照 http://haiku-kigo.com/category/7337848-1.html

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蓑虫の音を聞きに来よ草の庵 (松尾芭蕉)

2018-09-03 | 



蓑虫の音を聞きに来よ草の庵 (松尾芭蕉
      庵=いお。粗末な家のこと。



蓑虫(みのむし) (秋の季語:動物)
     鬼の子 鬼の捨子 蓑虫鳴く ミノムシ
季語の意味・季語の解説
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 ミノガ(蓑蛾)類の幼虫。
 オオミノガ、チャミノガなどの種類がいる。

 食べ余した枯れ葉、小枝、樹皮などをねっとりとした糸で絡め、袋状の巣を作って木の枝や民家の軒先にぶら下がる。
 その巣が蓑(みの)に似ているため、蓑虫(みのむし)の名がついた。

 春、オスは羽化して蛾(ガ)となり、蓑を離れるが、メスは一生を蓑の中で過ごす。

 江戸時代から多くの俳人が用いた秋の季語であり、「蓑虫鳴く」という副題もある。
 ただし、実際の蓑虫は鳴いたりはしない。
 どこからともなく聞こえてきた物悲しい音が、淋しそうに風に揺られる蓑虫の声のように感じられたのであろう。

 あるいは、低木や民家の垣根に暮らす鉦叩(カネタタキ:コオロギ科の昆虫)の声を、蓑虫のものと誤認したという説もある。

 蓑虫には「鬼の子」「鬼の捨子(すてご)」という異名がある。
 清少納言も『枕草子』の中に、「蓑虫いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似てこれもおそろしき心あらむとて、親のあやしき衣ひき着せて…」などと書いている。

 代表的な蓑虫である「オオミノガ」は植木などを食い荒らすため、長らく害虫として駆除の対象とされてきた。
 しかし、近年は絶滅危惧種に指定される昆虫となっている。

 1990年代の半ばに日本で生息するようになった「オオミノガヤドリバエ」という外来の昆虫に寄生されたことが原因らしい。
 このハエは、もともと中国あたりで蓑虫退治のために大量に使われたものらしいのだが、どのように日本にやってきたかは不明とのこと。

 蓑虫を見かけない秋を想像すると、なんだか気味が悪くなる。


季語の用い方・俳句の作り方のポイント
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 蓑虫が実際に鳴くことはありません。
 しかし、昔から俳人は、秋の静けさの中に、蓑虫の声を聞き取ってきました。

 きっと、どの鳴き声も、淋しく、心にしみるものだったに違いありません。

 私たちも、蓑虫の鳴く声を積極的に俳句に詠んでいきましょう。
 江戸時代の句を三つ紹介します。 

  
  みのむしはちちと啼く夜を母の夢 (志太野坡)
      啼く=なく。

  みの虫や啼かねばさみし鳴くもまた (酒井抱一)

 また、蓑虫の姿を見ると、深まる秋のかなしさに、胸がしめつけられるような気になります。
 このしみじみとした趣を俳句に表現したいものです。

  みのむしや笠置の寺の麁朶の中 (与謝蕪村)
      笠置の寺=かさぎのてら。京都にある真言宗智山派の寺。  麁朶=そだ。たきぎ等に用いる切り取った木の枝。 

  蓑虫や納屋の灯落つる水たまり (凡茶)

 ところで、蓑虫は葉や枝に替わる適当な大きさのものがあれば、なんでも蓑として着こんでしまいます。
 ですから、昔の子供は、蓑を剥ぎ取った蓑虫を色とりどりの紙くずや糸の中に置き、カラフルな蓑を作らせて遊んだようです。
 何か変わったものを蓑に用いている蓑虫を詠むと、面白い句になるかもしれません。

  蓑虫や恋占ひの紙縒り着て (凡茶)
      紙縒り=こより。

 最後に、蓑虫に愛おしさを感じて詠んだ私の句を一つ紹介します。

  蓑虫や風上で蒸す饅頭屋 (凡茶)


参照 http://haiku-kigo.com/category/7337848-1.html
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掃きとりて花屑かろき秋うちは 西島麦南

2018-09-01 | 


掃きとりて花屑かろき秋うちは 西島麦南


秋団扇(あきうちわ) (秋の季語:生活)
     秋うちは(秋うちわ) 秋扇 団扇置く 捨て団扇 忘れ団扇

季語の意味・季語の解説
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 秋になって使われなくなった団扇を秋団扇(あきうちわ)と呼ぶ。
 単に団扇(うちわ)とすれば夏の季語。

 古くから使われる季語に「秋扇(あきおうぎ)」があるが、これより、生活感が強い。

 団扇置く、捨て団扇、忘れ団扇などの副題も「あはれ」を感じさせる。

季語の用い方・俳句の作り方のポイント
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 クーラーの普及したこの時代に、夏の季語として団扇(うちわ)に注目するということだけを見ても、俳人というのは特異な表現者です。

 ただ、それに飽き足らず、涼しくなってあまり見向きもされなくなった「秋」の団扇にも詩情を抱き、それを季語として積極的に詠んでいこうというのですから…

 俳句はなんとも懐の深い文芸です。

 秋団扇が俳人に詠ませようとするもの…
 それはやはり「 あはれ 」であると思われます。 


 嫁がせて秋の扇を使ひけり 沢 ふみ江
 
 捨てられぬ扇文箱の中に在り 大森扶起子
 
 出囃子にそつと畳める秋扇 寺井芳子
 
 語り部のときどき使ふ秋扇 日下野仁美
 
 信濃にもパリにも行きし秋扇 松本恍昭

 やせぎすの猫の踏みゆく秋団扇 (凡茶)

 掃きとりて花屑かろき秋うちは 西島麦南
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