竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

白梅に昔むかしの月夜かな   森 澄雄

2019-02-27 | 今日の季語


白梅に昔むかしの月夜かな   森 澄雄

朧月夜ではないだろう。春とはいえ、梅の頃の夜はまだ寒いので、月は冬のそれのように冴えかえっている。冷たい月光を浴びて、梅もまたいよいよ白々と冴えている。夜は人工のものを隠してくれるから、さながら「昔むかしの」月夜のようだ。古人も、いまの自分と同じ気持ちで梅を見たにちがいない、作者はいつしか、古人の心持ちのなかに溶けこんでいく……。そんな自分を感じている。それにしても「昔むかし」とは面白い言葉だ。「荒城の月」のように「昔の光」と言ってしまうと「昔」の時代が特定される(この場合はそれでよいわけだ)が、「昔むかし」とやると時代のありかは芒洋としてくる。ご存じのように英語にも同様の表現があり、なぜこういう言い方が必要かということについては、落語の『桃太郎』でこましゃくれたガキが無学の父親にきちんと説明している。もっとも、桃太郎が活躍した時代を必死に突き止めて見事に特定した学者もいるというから、こうなるとどちらが落語の登場人物なのかわからなくなってくる。『四遠』(1986)所収。(清水哲男)

【梅】 うめ
◇「白梅」 ◇「野梅」(やばい) ◇「飛梅」(とびうめ) ◇「臥竜梅」(がりゅうばい) ◇「枝垂梅」 ◇「老梅」 ◇「梅林」 ◇「梅園」
バラ科の落葉高木。古く中国より渡来。百花にさきがけて開く花は、五弁で香気が高く、古来春を告げる花として、和漢の詩人、画家に、その清香、気品を愛されている。万葉時代は花といえば埋めであった。花の色は白・紅・薄紅、一重咲・八重咲など多様。

  例句         作者

梅林の高さに夕日落ちんとす 吉原一暁
白梅の空は産湯の匂ひかな 石母田星人
灰捨てて白梅うるむ垣根かな 凡兆
借景の天城嶺も暮れ梅月夜 小川斉東語
梅咲くといそいそ灯る湯島坂 植村通草
我れ去れば水も寂しや谷の梅 渡辺水巴
白梅のあと紅梅の深空あり 飯田龍太
白梅や老子無心の旅に住む 金子兜太
此谷の梅の遅速を独り占む 高浜虚子
うつしみといへる言葉や梅咲いて 菊地一雄

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春の雨郵便ポストから巴里へ   浅井愼平

2019-02-23 | 今日の季語


春の雨郵便ポストから巴里へ   浅井愼平

作者は、ご存知のカメラマン。雨降りの日に投函するとき、傘をポストにさしかけるようにして出しても、ちょっと手紙が濡れてしまうことがある。私などは「あっ、いけねえ」としか思わないが、なるほど、こういうふうに想像力を働かせれば、濡れた手紙もまた良きかな。この国のやわらかい「春の雨」が、手紙といっしょに遠く「巴里(パリ)」にまで届くのである。彼の地での受取人が粋な人だったら、少しにじんだ宛名書きを見ながら、きっと日本の春雨を想像することだろう。そして、投函している作者の様子やポストの形も……。手紙の文面には書かれていない、もう一通の手紙だ。愼平さんの写真さながらに、知的な暖かさを感じさせられる。本来のウイットとは、こういうものだろう。手紙で思い出した、昔のイギリスでのちょっといい話。遠く離れて暮らす貧しい姉弟がいた。弟の身を気づかう姉は、毎日のように手紙を出した。しかし、配達夫が弟に手紙を届けると、彼は必ず配達夫に「いらないから」と戻すのだった。受取拒絶だ。当時の郵便料金は受取人払いだったので、貧しい彼には負担が重すぎたのだろう。ある日、たまりかねて配達夫が言った。「たまには、読んであげたらどうでしょう」。すると弟は、封筒を日にかざしながら微笑した。「いや、いいんですよ。こうやって透かしてみて、なかに何も入っていなかったら、姉が元気でやっているというサインなのですから」。イギリスは、郵便制度発祥の地である。『二十世紀最終汽笛』(2001・東京四季出版)所収。(清水哲男)

【春の雪】 はるのゆき
◇「春雪」
春になって降る雪。冬の雪と違い、溶けやすく、降るそばから消えて積もることがない。大きな雪片の牡丹雪になることが多い。

句              作者
弥陀ヶ原漾ふばかり春の雪 前田普羅
元町に小さな画廊春の雪 野木桃花
吾子抱けば繭のかるさに春の雪 小室善弘
春雪に火をこぼしつつはこびくる 橋本鶏二
琴の糸煮てゐる比良の春の雪 大川真智子
忘恩の春の雪降り積りけり 上田 操
春の雪よき想ひ出と問はるれば 梶山千鶴子
湯屋までは濡れて行きけり春の雪 来山
手鏡の中を妻来る春の雪 野見山朱鳥
春雪をふふめば五体けぶるかな 加藤耕子
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大寒の朝は大股三千歩  たけし

2019-02-21 | 入選句



昨日の朝日新聞栃木俳壇に入選句が掲載された

入選が秀句という限りではないと理解はしているものの

やはり嬉しくもあり励みにもなる



入選者にも馴染の名前がならんでいる

なかには句会や大会でお会いした方も・・



なによりもワイフが「パパ 載っているわよ」の弾んだ声が面映ゆくも嬉しい

短冊や色紙の作成にはいつも協力してもらっている



掲句は24才になる孫との朝の散歩のワンシーン

毎週金曜日の朝7時から1時間ほどのウオーキングを一緒にしている

彼は大学院の修士生でAIの研究をしている

帰途、マグドナルドでコーヒーブレイクが定番



そこで1週間のあれやこれやをお互いに話すのだが

最近これは彼の優しい気遣いだと気が付いた



なかなかの余生ではないかとニンマリしている
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書道部が墨擦つてゐる雨水かな  大串 章

2019-02-20 | 今日の季語


書道部が墨擦つてゐる雨水かな  大串 章

雑誌の月号表示を追い越すように、季節がどんどん進んでいく今日この頃、ならばと時計を二ヶ月ほど逆回転させても罰は当たるまい。季語は「雨水(うすい)」で春。根本順吉の解説を借用する。「二十四節気の一つ。陰暦正月のなかで、立春後15日、新暦では2月18、19日にあたる。「雨水とは「気雪散じて水と為る也」(『群書類従』第19輯『暦林問答集・上』)といわれるように、雪が雨に変わり、氷が融けて水になるという意味である」。早春の、まだひんやりとした部室だ。正座して、黙々と墨を擦っている数少ない部員たちがいる。いつもの何でもない情景ではあるのだが、今日が雨水かと思えば、ひとりでに感慨がわいてくる。表では、実際に雨が降っているのかもしれない。厳しい寒さがようやく遠のき、硯の水もやわらかく感じられ、降っているとすれば、天からの水もやわらかい。このやわらかい感触とイメージが、部員たちの真剣な姿に墨痕のように滲み重なっていて美しい。句には派手さも衒いもないけれど、まことに「青春は麗し」ではないか。こうしたことを詠ませると、作者と私が友人であるがための身贔屓もなにもなく、大串章は当代一流の俳人だと思っている。「書道部」と「雨水」の取りあわせ……。うめえもんだなア。まいったね。俳誌「百鳥」(2002年4月号)所載。(清水哲男)

【雨水】 うすい


二十四節気の一。陰暦で正月の中頃。陽暦で2月18、19日ごろ。「雨水がゆるみ、草木の芽が萌え出るころ」の意。

例句   作者

扁桃腺赤々として雨水かな 仲原山帰来
雨水とは辞書を頻りに繰る一日 澁谷 道
水をもて土を癒しぬけふ雨水 辻 美奈子
亡命は雨水の頃に夜の闇に 小野元夫

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雀の子拾ひ温さを持て余す  勝井良雄 

2019-02-18 | 今日の季語




雀の子拾ひ温さを持て余す   勝井良雄

春に孵化する子雀は巣立ちしても暫くは親雀の世話を受けながら育ってゆく。生存競争に負けない様に精一杯首を出して親の餌を奪い合う宿命を負っている。身を乗り出し過ぎて巣からこぼれる事もしばしばである。ここで休話閑題。遠い記憶で会社が終身雇用・護送船団で成立していた頃の話し。工場の雨どいにあった巣から子雀が落ちた。拾ったはいいがどうしよう、こちらの手からパンくずなど食べては呉れない。これを経理の女子事務員が見事に解決育ててしまった。彼女は様々な難関を乗り越えていった。ピンセットを親の嘴に仕立てて見事に捕食させたし、右手で算盤や帳簿を扱い左手の掌で子雀を温め続けた。やがて机から机へ飛び跳ねる頃庭の繁みに返すといつしか親子軍団に打ち解けて見分けがつかなくなった。あの時母性本能は凄いなとつくづく思った。来客時の給仕の時など一時的に預かる事があったが、やはり生物のほんのりした温みが感じられたのを覚えている。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣)所載。(藤嶋 務)

【雀の子】 すずめのこ
◇「子雀」 ◇「雀の雛」 ◇「黄雀」 ◇「親雀」 ◇「春の雀」
雀の雛鳥。雀の卵は親鳥に抱かれて約12日間で孵る。

例句             作者
雀子と声鳴かはす鼠の巣 芭蕉
子雀にきざはし浅し禰宜が沓 木村蕪城
我と来て遊べや親のない雀 一茶
ふるさとは穂麦に溺れ雀の子 富安風生
雀の子一尺とんでひとつとや 長谷川双魚
子雀のこゑも日暮れとなりにけり 青柳志解樹
雀の子家に入り来てけろりとす 角川源義
黄昏るゝ天が重たし雀の子 百合山羽公
子雀のへの字の口や飛び去れり 川崎展宏
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冴え返る小便小僧の反り身かな  塩田俊子

2019-02-17 | 今日の季語



冴え返る小便小僧の反り身かな  塩田俊子

季語は「冴(さ)え返る」で春。暖かくなりかけて、また寒さがぶりかえしてくること。暖かい日の後だけに、余計に身の引き締まる感じがする。その寒さを誰にもわかってもらえるように表現するには、自分の体感以外の他の何かに取材しなければならない。暖かいときにはいかにも暖かそうな感じに写り、寒くなればまことに寒そうだという客観的な対象が必要だ。そうでないと、ただ「おお寒い」で終わってしまって、冴え返る感じは伝わらない。真冬と同じことになる。その意味から、掲句の作者が対象に「小便小僧」を選んだときに、すでに句はなったというべきか。あのおおらかな真っ裸の幼児の銅像は、たしかに寒暖の差によって表情が変わって見える。裸の姿が、見る者の肌と体感を刺戟してくるからだろう。しかも、小僧は「反り身」だ。人間「反り身」になるときには、たとえ威張る場合にせよ、当人の懸命さを露出する。だからなおさらに、句の小僧が冴え返った寒さに耐えていると写るのだ。以下余談。真夏だったが、一度だけブリュッセルで元祖・小便小僧を見たことがある。イラストレーターの友人と二人で、パリからアムステルダムを鈍行列車で目指す途中、気まぐれにブリュッセル駅で降りちゃった。で、見るなら「小便小僧だな」ということになったが、さて、西も東もわからない。ガイドブックなんて持ってない。おまけに言葉もしゃべれない。折よく通りかかった警官に、イラストレーターが得意の絵を描いて差し出したところ、彼はたちまち微笑した。「ついてこい」とばかりにウインクしたから、ついて行った。「ここだ」と彼が指さして再びウインクしたので、思わず英語で礼を述べた。そしたら、そこはトイレなのでした。……という「冴えない」実話は、もう何度か書いたことである。『句集すみだ川』(金曜句会合同句集・2002)所収。(清水哲男)

【冴返る】 さえかえる(・・カヘル)
◇「凍返る」(いてかえる) ◇「しみ返る」 ◇「寒返る」 ◇「寒戻る」 ◇「寒戻り」
余寒がきびしいさま。春になって、いったんゆるんだ寒気が、寒波の影響でまたぶりかえすこと。

例句               作者

冴え返る身に黒服のたたみ皺 鍵和田?子(ゆうこ)
冴返る虹いくたびも日本海 黒田杏子
物置けばすぐ影添ひて冴返る 大野林火
冴え返る空を歩いてきたりけり 平井照敏
柊にさえかへりたる月夜かな 丈草
冴返る日の東京に帰りけり 渋沢渋亭
山がひの杉冴え返る谺かな 芥川龍之介
黒板に残す数式冴返る 小野恵美子
冴え返る山国に星押し出さる 雨宮抱星
葱の香のすくりと寒の戻りかな 三田きえ子
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暮色もて人とつながる坂二月  野沢節子

2019-02-15 | 今日の季語


暮色もて人とつながる坂二月  野沢節子


二月。春も間近だ。気分はそうであっても、まだまだ寒い日がつづく。この句は、そのあたりの人の心の機微を、実に巧みにとらえている。すなわち、夕暮れの坂を歩いている作者は、そこここの光景から春の間近を感じてはいるのだが、風の坂道はかなり寒い。ふと前を行く人や擦れ違う見知らぬ人に、故なく親和の情を覚えてしまうというのである。これが花咲く春の夕刻であれば、どうだろうか。決して、心はこのようには動かない。浮き浮きした心は、むしろ手前勝手に孤立する。自己愛に傾きがちだ。(清水哲男)

【二月】 にがつ(・・グワツ)
1年の2番目の月。如月。月初めに立春となるため、陽暦でも春にはいるが、実際の感覚としては一段と寒気のきびしい季節。

例句             作者

こもりゐて減らす二月の化粧水 宍戸富美子
指吸うて母を忘れし二月かな 板垣鋭太郎
大葬や二月の雨を両頬に 宇咲冬男
音立てゝ砥石水吸ふ二月かな 岸田雨童
詩に痩せて二月渚をゆくはわたし 三橋鷹女
波を追ふ波いそがしき二月かな 久保田万太郎
唇の荒れて熱ひく二月かな 鈴木真砂女
面体をつゝめど二月役者かな 前田普羅
日があれば二月の葦とぬくもれり 蓬田紀枝子
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冬うららそうか卒寿もわるくない たけし

2019-02-14 | 入選句


冬うららそうか卒寿もわるくない たけし

昨日の朝日新聞、栃木俳壇に掲句が石倉夏生先生の選を頂いた
古希を超え喜寿は目前だ

つい最近までは老醜をふりまく齢の前の終末を望んでいたが
老齢にも慣れてきて
日常もそれなりに楽しくなってきている

傘寿、米寿、卒寿と際限ない老後がある
この調子だと高齢になるのもまんざらでもない

冬うらら 人生の春夏秋冬を思えば
「冬うらら」そうか卒寿もたのしみになってくる


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耕人は立てりしんかんたる否定  加藤郁乎

2019-02-07 | 今日の季語


耕人は立てりしんかんたる否定  加藤郁乎

土とともに生きるのは容易なことではない。農家の子供だった私には、よくわかる。いかに農業が機械化されても、同じことだ。春先、田畑をすき返す仕事はおのれの命運をかけるのだから、厳粛な気持ちを抱かざるを得ない。春の風物詩だなんて、とんでもないことである。この句は、土とともに生きてはいない作者が、土とともに生きる人の厳粛な一瞬と切り結んだ詩。かつての父母など百姓の姿も、まさに「しんかんたる否定」そのものとして、田畑に立っていたことを思い出す。いまどきの人の安易な農業嗜好をも、句はきっぱりと否定している。(清水哲男)

【耕】 たがやし
◇「耕」 ◇「耕す」 ◇「春耕」(しゅんこう) ◇「耕人」 ◇「耕牛」(こうぎゅう) ◇「耕馬」(こうば) ◇「耕耘機」
田返すの意。冬の間手入れをしない田や畑の土を起こして、植え付けの準備をする。かって、春の野良には、営々として鋤鍬をふる人や、牛や馬にすきをひかせて、着々と土を鋤起こして行く真剣な姿が見えたが、今では機械化され大分様子が違ってきた。
例句 作者
耕人に余呉の汀の照り昃り 長谷川久々子
遠目には耕しの鍬遅きかな 福永鳴風
耕やせば土のぬくみの戦友くる 奥山甲子男
春耕や熊野の神を住まはせて 鈴木太郎
気の遠くなるまで生きて耕して 永田耕一郎
耕して天にのぼるか対州馬 角川源義
耕していちにち遠き父祖の墓 黛 執
月山の雪振り向かず耕せり 吉田鴻司
耕してふるさとを捨てぬ一俳徒 大木さつき
春耕の振り向けば父き消ゆるかな 小澤克己
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牡丹雪紺碧の肉天奥に 大原テルカズ

2019-02-06 | 今日の季語


牡丹雪紺碧の肉天奥に 大原テルカズ


春先にひらひらと舞う牡丹雪。大きな雪片が牡丹の花びらに似ているのでこの名がついたのだろう。「牡丹」という言葉に触発されて雪でありながら紅が連想され不思議に美しい。牡丹雪が降ってくる空は重たい灰色の雲で覆われてはいるが、その奥に青空の一部が覗いている。説明してしまえばそれだけだが、この句は景を描写しているのではない。仕掛けられた言葉の連想の背後には作者の存在が光っている。「紺碧の肉」は青空の表現としては異質であるが、内面の痛みを読み手に感じさせる。牡丹雪を降らせる雲の切れ目は彼自身の心の裂け目なのだろう。「彼が秘かに貯えてきた多くの財宝─幼なさ、卑しさ、愚かさ、古さ、きたならしさ、ひねくれ、独り、独善、恣意と彼が呼ぶところのもの」を俳句に結晶させた。と、句集の序文で高柳重信が述べている。戦後の混乱の暮らしの中で彼自身が掴み取った精神の履歴が、従来の俳句に収まらない言葉で表現されている。「ポケットからパンツが出て来た淋しい虎」「血吐くなど浪士のごとしおばあさん」作者にとって俳句は混乱した現実を自分に引き寄せる唯一の手段であり、句になった後はもはや無用と振り返ることもなかっただろう。『黒い星』(1959)所収。(三宅やよい)

【淡雪】 あわゆき(アハ・・)
◇「牡丹雪」 ◇「綿雪」 ◇「沫雪」(あわゆき) ◇「泡雪」(あわゆき) ◇「たびら雪」 ◇「かたびら雪」

春に降る柔らかで消えやすい雪。積もっても溶けやすい。「牡丹雪」「綿雪」「かたびら雪」などと言う。

例句 作者
淡雪のかかりてゐたる和合石 伊藤通明
淡雪や訪はむに誰もやや遠く 岡本 眸
淡雪のうしろ明るき月夜かな 正岡子規
淡雪やかりそめにさす女傘 日野草城
午までをなぐさまんには雪淡 野澤節子
東京を濡らしてゐたる牡丹雪 鈴木五鈴
人形となる竹積めり牡丹雪 ほんだゆき
淡雪のつもるつもりや砂の上 久保田万太郎
綿雪やしづかに時間舞ひはじむ 森 澄雄
牡丹雪さはりしものにとゞまりぬ 橋本多佳子
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立春の大口あけし旅鞄 後藤信雄

2019-02-05 | 今日の季語


立春の大口あけし旅鞄 後藤信雄

立春と旅のつながりはむしろ類型的。この類型感を「詩」に押し戻すのは「大口あけし」だろう。鞄というものの手触りが伝わりユーモアも感じられる。また、意外に意識されないのが一句の文字数。この句は十文字である。文字数が多いと散文的な、冗漫な印象につながり、少ないと句が凝固して締まった印象になる。十文字は後者。『冬木町』(2010)所収。(今井 聖)


立春】 りっしゅん
◇「春立つ」 ◇「春来る」 ◇「立春大吉」(りっしゅんだいきち)

二十四節気の一。陰暦1月の節で陽暦の2月4日頃。その前日が節分。暦の上ではこの日より春となる。

例句 作者
雨の中に立春大吉の光りあり 高浜虚子
春立つ日鯨見に行く話かな 鈴木智子
立春の雲置く山や父癒えよ 鈴木五鈴
見慣れつつ今日立春の川の幅 鵜沢よしえ
立春のこんにゃくいつか煮えて 桂 信子
立春をきのふに夜の雨降れり 児玉喜代
立春の米こぼれをり葛西橋 石田波郷
立春やポンプ井戸より水飛び 大野朱香
立春や月の兎は耳立てゝ 星野 椿
むらぎもの心に遠く春立ち 大野林火

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抑留地読み止しを繰る冬籠り  たけし

2019-02-03 | 入選句


抑留地読み止しを繰る冬籠り  たけし

本日の朝日俳壇で大串章先生の選を頂いた
三席という評価で次の短評があった

シベリア抑留記であろうか。
独り黙々と読み耽る。

若年次に読んだ抑留記の印象が鮮烈で
冬の星空を見ると脳裏に蘇る
なんとか一句をものにしたいと
何度も作句のトライをしたが
今回初めて入選した

捨てきれない句材での作句は添削はむろんだが
見方や季節を飛ばすことで
新しい表現になる
今回のこの句になるまで下記のように
改作してきた



日脚伸ぶ記憶遺産の抑留記 2015/11/15
籐寝椅子手に読み止しの抑留記 2017/8/11
冬隣風国の記憶に抑留記 2017/11/2
冬隣読み止しのまた抑留記 2018/11/3
冬北斗国の記憶に抑留地 2017/11/16
抑留を語らぬ父と冬北斗 2018/11/28

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