竹とんぼ

先達の秀句を味わいながら
自得の一句を求めて多作多捨です
古希すぎの晩学で楽しみながらの遅々緩歩です

清瀧や浪に散りこむ青松葉  芭蕉

2017年07月16日 | 一茶鑑賞
清瀧や浪に散りこむ青松葉




季語:青松葉ー夏  出典:笈日記  年代:元禄7年(1694年:50才位)
清瀧の清冽な流れに、風に吹かれて松の青葉が散り込んでいく、の意。

死の三日前、大坂の病床での改案である。
大坂の園女亭での発句「白菊の目に立てて見る塵もなし」の「塵なし」など類
想の難があるとし、「是れも亡き跡の妄執と思へば・・・」と語って改めたとい
われている。
 
初案は「清滝や波に塵なき夏の月」とあり、落柿舎滞在中の吟である。
初・改案とも清滝の清涼感が主題となっている。

流伴鑑賞
波に散りこむ青松葉
の措辞に感動する
初案の平明さも良いが芭蕉はもの足りなかったのだろう
初案も改案も句碑が残っている
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蟻の道雲の峰よりつづきけん 一茶

2017年07月08日 | 一茶鑑賞
蟻の道雲の峰よりつづきけん



季語:雲の峰ー夏  出典:おらが春  年代:文政2年(1819年:56才位)
今、目前に蟻の列が続いている。
この蟻の列は、あのはるかな入道雲から
続いてきているのであろうか、の意。

流伴鑑賞
おそらくは列の最後尾が見えない蟻の列に遭遇したのだろう
最近は見ないが私も子供のころに
どこまでこの蟻の列が続くのだろうと
その最後尾を探した覚えがある

あの雲の峰からとはさすがに一茶か・・・
蟻も雲の峰も夏の季語だが
この場合はやはり雲の峰が主だ
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蝉鳴くや我が家も石になるやうに 一茶

2017年07月07日 | 一茶鑑賞
蝉鳴くや我が家も石になるやうに




季語:蝉ー夏  出典:七番日記  年代:文化10年(1813年:50才位)
蝉の激しく鳴きたてる声を聞いていると、
自分の住む家そのものが黙し凝結して
石になってしまうような感覚に襲われる、の意。

流伴鑑賞
上記の句意に明らかだが
一茶のこの時の年齢は50才の老境である
蝉の声には抗えない強さがある
諸行無常、我家が石になるとは
一茶はすでに悟りきっていたのではなかろうか
ものの哀れを超えている
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湖へずり出しけり雲の峰  一茶

2017年07月06日 | 一茶鑑賞
湖へずり出しけり雲の峰



季語:雲の峰ー夏  出典:八番日記  年代:文政3年(1820年:57才位)
湖上にもくもくと成長した真っ白な入道雲が壮大なばかりにわき出てきた情景。
(如風訳:湖上に湧き立った入道雲が、湖面に映し出されて大きくなっていく、の意。)

流伴鑑賞

句意は簡明だがなか、なかそのまんまには詠めない
中七を「ずりいだし」との音で読まないといけない
これが入道雲の沸きあがる光景を助長して余韻を生んでいる
漂白の旅人は感性が研ぎ澄まされる
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大蛍ゆらりゆらりと通りけり 一茶

2017年07月05日 | 一茶鑑賞
大蛍ゆらりゆらりと通りけり



(季語:蛍ー夏  出典:おらが春  年代:文政2年(1819年:56才位)
夏の世の闇の中を大きな蛍が悠々と光って飛んでゆく、の意。

流伴鑑賞
この句を詠んだ一茶は56才
蛍は黄泉路への案内の灯りともいわれる
いつもの蛍よりも大ぶりの蛍
一茶は己の来し方を振り返り
長くない命を思い
蛍に魂のように感じたのではないだろうか
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大の字に寝て涼しさよ淋しさよ 一茶

2017年07月04日 | 一茶鑑賞
大の字に寝て涼しさよ淋しさよ




季語:涼しー夏  出典:七番日記  年代:文化10年(1813年:50才位)
我が家では大の字に寝ころんでも、誰に気兼ねすることなく、涼しさを味わえる一方、
独り身の淋しさもかんじることである、の意。

流伴鑑賞
一茶がこんなにも自分の感情を
あからさまに訴えていることに驚くが
おそらくは
さびしさよ の措辞は
さぶしいよ との感情ではなく
ひとつの到達した悟りの境地
満ち足りた充足感なのだろうと思うのは私だけか?
寂しさは人を本物にする
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夏山や一足づつに海見ゆる 一茶

2017年07月03日 | 一茶鑑賞
夏山や一足づつに海見ゆる




季語:夏山ー夏  出典:享和句帖  年代:享和3年(1803年:40才位)
夏山をのぼりつめてゆくと、
頂近くなって、
一足ごとに青々と光る海がだんだん見えてくる、の意。

流伴鑑賞
内陸から山道をきて峠を越えたのであろう
眺望は一気に変化する
ここからは一歩づつ海に向かって歩くのだ
海風も潮の香も感じられる
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やれ打つな蠅が手をすり足をする 一茶

2017年07月02日 | 一茶鑑賞
やれ打つな蠅が手をすり足をする




季語:蠅ー夏  出典:八番日記  年代:文政四年(1821年:58才位)
蠅たたきで蠅を打とうとすると、蠅がしきりに手足をすり合わせるのを見て、
人間が手をすり合わせて命乞いをするさまに見立て、
はっとして打つのを思いとどまった、の意。

流伴鑑賞

蠅は手足の触覚で触れたものの正体を判断するのだという
手足を擦るのは
命乞いどころか
次の獲物を確かなものにするために
手足を研いでいるのが本当らしい
一茶はだまsれたか


一茶の真骨頂を感じる句だ
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しづかさや湖水の底の雲の峰 一茶

2017年07月01日 | 一茶鑑賞
しづかさや湖水の底の雲の峰





季語:暑さー夏  出典:寛政句帖  年代:寛政4年(1792年:29才位)

湖水の彼方に沸き出た真っ白な入道雲が、青々とした湖水の底に影を映して動かない。
あたりはしんとして、炎熱の中に静かさが感じられる、の意。

流伴鑑賞

真夏の海、湖、沼、池に映る雲を詠んだ句は数多だが
この景を「しずけさや」と詠った句を他に知らない
真夏の灼ける日差しの中、舟に乗っての旅の途中なのだろうか
日を避けるものも乏しく
ただじりじりと暑さに耐えるのみなのであろう
水底の雲もじっと耐えているようだ

このしずけさは、声を出す気も抑えてしまう
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うつくしや年暮れきりし夜の空 一茶

2016年11月18日 | 一茶鑑賞
うつくしや年暮れきりし夜の空



今年もいよいよ暮れていく。
なんと美しい夜空であるよ。〔季語〕年の暮

63歳のときの、(一茶調ではない)この句を辞世とみたい。
同じ年、「ばせを(芭蕉)忌と申すも只(たった)一人哉」。
江戸後期、芭蕉への敬愛を忘れていない。

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おとろへや榾折りかねる膝頭   一茶

2016年11月17日 | 一茶鑑賞
おとろへや榾折りかねる膝頭



自分も年を取ったものだ。
若いときには膝頭(ひざがしら)で薪(まき)を折っていたものだが、
もうできない。〔季語〕榾

風呂を沸かす榾が膝頭で折れない
一茶はまたここで老いと貧しさ
孤独を感じている
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椋鳥と人に呼ばるる寒さかな   一茶

2016年11月15日 | 一茶鑑賞
椋鳥と人に呼ばるる寒さかな



故郷の柏原を出てきたものの、
あいつはこの寒い冬に、のこのこと出稼ぎにいく、
まるで椋鳥だなどと人が陰口をたたく。
寒さがますます身にしみる。〔季語〕寒さ

江戸者は田舎から江戸へ出た出稼者や旅人を、
“椋鳥/むくどり”とさげすみ、わらいました。
花のお江戸で、気が利かなくて、
薄ボンヤリとしていて、品のない方言を話し、
まるっきり垢ぬけしていなかったからでしょう。
一茶も、そうした中で、荒奉公をして来たわけです。
やがて、江戸俳壇で存在感を示すようになった
一茶ですが、相変わらずの極貧生活者/
行脚・俳諧師であり、自分を椋鳥に例え、
強い疎外感を感じていたようです。
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ともかくもあなたまかせの年の暮  一茶

2016年11月13日 | 一茶鑑賞
ともかくもあなたまかせの年の暮




あれこれ考えたところでどうにもならない。この年の暮れも、
すべてを仏さまにお任せするよりほかにない。〔季語〕年の暮


この句は、毎年、年の暮れになると思い出します。浄土真宗の門徒の家に生まれ、念仏者としても知られる、俳人小林一茶の一句です。この句の“あなたまかせ”というのは、他人まかせとういう意味ではなく、“あなた”とは阿弥陀如来様のことを指しています。
どんなに裕福であっても、貧乏であっても、おごることなく、卑屈になることもなく、ありのままに年を越していきましょうという意味ですから、とらわれの無い年の送り方です。
 
「ともかくもあなたまかせ」と阿弥陀如来様の救いにすべてお任せしている自分だから、私の人生は、何があっても心配のない人生というのです。
 
つまり、ただ人任せにして何もしなくていいというのではなく、自分の命の帰る場所を心得え、本当におまかせのできる救いをしっかりと心に持っているからこそ、どんな苦しみや悲しみに出合っても、人生を安心と安堵の中に生きていけるのです。そうゆう意味で「あなたまかせの年の暮れ」と、詠んだのではないでしょうか。
 
また、一茶は五十一歳で結婚をし、長男が生まれますが、生後一ヶ月で、病のため我が子を失います。次に生まれた長女もまた、一年で病死します。
 
そんな波乱万丈の人生の中で、死んだ我が子を仏として浄土へ生まれさせ、仏となった我が子と一緒に、私を見守り導いてくださっている阿弥陀如来様がいてくださると、心からその救いにおまかせをしている姿がうかがえます。
 
思うようにならない人生だからこそ、悲しみや苦しみの尽きない人間だからこそ、自らの力に頼るのではなく、如来様のご本願にお任せをしていくのが、本当の念仏者なのです。
 
年の暮れに一年を振り返った時、たくさんの方々のお蔭で今私が生きている事への感謝と、いつでも私の傍で、浄土へ生まれていく道を照らし続けていてくださる、阿弥陀如来様への報謝のお念仏とともに、新しい年を迎えていきたいものです。
http://www.ryuutokuji.com/blog/2014/10/post-71.php
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づぶ濡れの大名を見る炬燵かな   一茶

2016年11月11日 | 一茶鑑賞
づぶ濡れの大名を見る炬燵かな 



冷たい雨が降るなか、
大名行列がずぶ濡れになって通り過ぎていく。
何と大変なことだ。
障子の隙間からのぞき見ている
こちらは暖かい炬燵の中だというのに
権威への反発を、小気味よい諧謔で表す。。〔季語〕炬燵
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次の間の灯で膳につく寒さかな   一茶

2016年11月09日 | 一茶鑑賞
次の間の灯で膳につく寒さかな



一人旅の宿では、
部屋に灯りさえもつけてくれないので、
次の間からほのかにもれてくる灯りをたよりに膳に向かう。
何ともわびしいことだ。〔季語〕寒さ

寛政3年(1791年)、29歳の時、故郷に帰り、
翌年より36歳の年まで俳諧の修行のため
近畿・四国・九州を歴遊する。
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