竹とんぼ

先達の秀句を味わいながら
自得の一句を求めて多作多捨です
古希すぎの晩学で楽しみながらの遅々緩歩です

水鳥や枯木の中に駕二挺  蕪村

2016年12月01日 | 蕪村鑑賞
水鳥や枯木の中に駕二挺




冷たい水面に、水鳥たちが泳いでいる。
対岸の冬木立の中には、
かごが二挺乗り捨てられていて、
辺りには誰もいない。〔季語〕水鳥

冬木立に乗り捨てられたかの籠が二挺
川には水鳥がただ静かに泳いでいる
一幅の絵画のようだ
人の営み そして自然の営み
音のない静寂の中にある動きは読者の感性しだいということなのだろう
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おとろへや榾折りかねる膝頭   蕪村

2016年11月30日 | 蕪村鑑賞
おとろへや榾折りかねる膝頭




自分も年を取ったものだ。
若いときには膝頭(ひざがしら)で薪(まき)を折っていたものだが、
もうできない

〔季語〕榾

囲炉裏や竈(かまど)でたく薪(たきぎ)。掘り起こした木の根や樹木の切れはし。ほたぐい。ほたぎ。 [季] 冬。 《 -煙顔をそむけて手で払ふ /池内友次郎 》
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水鳥や提灯遠き西の京   蕪村

2016年11月29日 | 蕪村鑑賞
水鳥や提灯遠き西の京




暗い池のほとりにたたずむと、
水鳥の音がかすかに聞こえてくる。
はるか西の京あたりに目を向けると、
提灯の明かりが動いており、
れも遠くかすかである。〔季語〕水鳥


寒い冬の夜、きっと宵の口だろうが、
すでにあたりは真っ暗である。
池では鴛鴦が夫婦で休みはじめているのだろう!
はるか西の京では人がまだ提灯を持って動いているようだ。
暗と明・・・なんとも幻想的な風景が浮かぶ。
http://blogs.yahoo.co.jp/mtada33/13355709.html
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宿かせと刀投げ出す吹雪かな

2016年11月27日 | 蕪村鑑賞
宿かせと刀投げ出す吹雪かな






外は吹雪。
旅人が家にころがりこんできて、
宿を貸してくれというより早く
、刀を投げ出して腰を下ろしたことだよ。〔季語〕吹雪
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楠の根を静かにぬらす時雨かな  蕪村

2016年11月24日 | 蕪村鑑賞
楠の根を静かにぬらす時雨かな







大木となった楠の木。
その根元を時雨が静かに濡らしている。
と森閑とした風景だよ。〔季語〕時雨

空かきくらし、さっと来る走り雨を、時雨という。江戸版画、広重の世界の味である。
 時雨はかすかな通り雨であるから、その雨脚は地面に近く、ちらちらとして降るのである。
 この時雨の楠は、決して陰暗な感じを与えるものではない。時雨には日の照り添うこともあって、寂しい中に一種、華やかな「におい」を伴っているものである。その点、香木の楠を持ってきたことが利いている。
 そのうえ、楠は、外側から眺めれば「樹塊(じゅかい)」とでも形容したいほどであって、葉は隙間なく茂っているので、まっすぐに降る時雨では、根元の土はなかなか濡れない。ただ「磐根(いわね)」とでもいうべき太根が、地面に半ば姿を現しながら、幹の地点から八方へ走っている。これの褐色の鱗(うろこ)状の肌が、しだいに濡れ色にかわってゆくだけである。
 このような楠の特性が、降るともなく降り、濡らすともなく濡らす、時雨の特性をあらわすにはふさわしいのである。
 この句は、楠そのものを的確に描きながら、おのずから時雨の広い気分へ展がっていっている。伝統的な時雨の観念にとらわれることなく、写実を押し進めていながら、「叙情の潤い」もゆたかである。
http://blog.goo.ne.jp/t-hideki2/e/1412f17e15288319326f759bf09f6467
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うづみ火や終には煮ゆる鍋のもの   蕪村

2016年11月22日 | 蕪村鑑賞
うづみ火や終には煮ゆる鍋のもの




火鉢の炭は灰にうずまっている。
その上にかけてある小さな鍋はいつ煮えるとも分からないが、
まあそのうち煮えるだろう。〔季語〕うづみ火

実景を詠みながら、
何かを暗示しているように感じられる句だ
。奥に浮かび上がるものがある。
「鍋のもの」と大づかみに言ったところが眼目。
大根か。芋か。悠々と「煮ゆる」のである。(村松二本)
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葱買うて枯木の中を帰りけり 蕪村

2016年11月21日 | 蕪村鑑賞
葱買うて枯木の中を帰りけり





町で買ったねぎをぶら下げて、葉の落ち尽くした冬木立の中を一人で帰ってきたことだよ。〔季語〕葱・枯木


枯木の中を通りながら、郊外の家へ帰って行く人。

そこには葱の煮える生活がある。

貧苦、借金、女房、子供、小さな借家。

冬空に凍える壁、洋燈、寂しい人生。

しかしまた何という沁々とした人生だろう。

古く、懐かしく、物の臭いの染みこんだ家。

赤い火の燃える炉辺。台所に働く妻。父の帰りを待つ子供。

そして葱の煮える生活!

この句の語る一つの詩情は、こうした人間生活の「侘び」を高調している。

それは人生を悲しく寂しみながら、同時にまた懐かしく愛しているのである。

芭蕉の俳句にも「侘び」がある。

だが蕪村のポエジイするものは、一層人間生活の中に直接実感した侘びであり、

特にこの句の如きはその代表的な名句である。

(萩原朔太郎「郷愁の詩人与謝蕪村」より)

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斧入れて香におどろくや冬木立   蕪村

2016年11月20日 | 蕪村鑑賞
斧入れて香におどろくや冬木立




冬木立の中にやって来て、
枯木と思って斧を打ち込んだ。
ところが、新鮮な木の香りが匂ってきて驚いた。〔季語〕冬木立

外見からは枯れてしまったように見える冬樹
斧を打ち込むと
あまりにも生々しい木肌があらわれて
木の香が漂ってくる
その驚きを素直に表現して明解だ
斧の音、周囲の雪までが浮かんでくる
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易水にねぶか流るる寒さかな   蕪村

2016年11月19日 | 蕪村鑑賞
易水にねぶか流るる寒さかな




戦国時代の中国、
荘士が悲壮な決意で旅立ったという易水に、
真っ白な葱(ねぎ)が流れている。
そのさまは何とも寒さが身に沁みる。〔季語〕寒さ

注・・易水=中国河北省易県付近に発し大清流に合流する川。
秦の始皇帝を刺すために雇われた剣客荊軻(けいか)が旅立つにあたり、
易水のほとりで壮行の宴が張らた。
そのおりに吟じた詩に
「風蕭蕭(しょうしょう)として易水寒し。
壮士 一たび去って復た還(かえ)らず」
があります。
ねぶか=根深。葱(ねぎ)の別称。
壮士=人に頼まれて暴力で事件の始末をする人。
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