竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

夏近し湖の色せる卓布かな 佐藤郁良

2019-04-30 | 今日の季語


夏近し湖の色せる卓布かな 佐藤郁良

卓布はテーブルクロス、ベランダに置かれた丸いテーブルを覆っているのだろうか。気がつくとすっかり新緑の季節、日ごと音を立てて濃くなる若葉に、夏が来るなあ、とうれしくなるのは、毎年のことながら慌ただしい四月が過ぎて一息つく今時分だ。湖は海よりも、おおむね静けさに満ちており、その色はさまざまな表情を持っている。湖の色、と投げかけられて思い浮かぶのはいつか見た読み手それぞれの湖、木々の緑や空や風を映して波立つ水面か、山深く碧く眠る透明な水の耀きか。連休遠出しないから楽しみはベランダで飲む昼ビール、などと言っていてはこういう句は生まれないなあ、とちょっぴり反省。『星の呼吸』(2012)所収。(今井肖子)

【夏近し】 なつちかし
◇「近き夏」 ◇「夏隣」
夏を間近にした心の弾みがうかがわれる。行春にいて夏の隣るのを感じるこころである。夜の明けるのも早くなり、新緑の眩しさの近きを思わせる。

例句 作者

街川の薬臭かすか夏隣 永方裕子
盤石をぬく燈台や夏近し 原 石鼎
夏近し葱に水をやりしより 高浜虚子
夏近し雲取山に雲湧けば 轡田 進
樹上より子の脚二本夏隣 林 翔
夏近き吊手拭のそよぎかな 鳴雪
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あふれさうな臓器抱へてみどりの日  小川楓子

2019-04-29 | 今日の季語


あふれさうな臓器抱へてみどりの日  小川楓

言われてみるとおなかの中には胃から腸から肝臓やすい臓にいたるまでさまざまな臓器がひしめいている。普段健康でいると、見えない臓器なんぞ気にもとめないが、一つ不調になるだけでたちまちのうちに日常生活に支障をきたすだろう。内視鏡検査で咽喉から胃壁に降りてゆくカメラで薄赤い内部を見る機会があったが変なものが見えてしまったら怖いのでひたすら視線を逸らして検査に耐えていた。輝く新緑のただなかに立つ人間それぞれが、あふれそうな臓器を抱えていると思うと少し薄気味悪く思える。「あふれそうな」は臓器とみどりと双方にかかっているが、みずみずしい季節を象徴する「みどり」と「臓器」の生々しさと結び付けることで予定調和的なリリシズムから一歩踏み出している。『超新撰21』(2010)所載。(三宅やよい)


【みどりの日】 みどりのひ
4月29日。昭和天皇逝去にともない、天皇誕生日をそのまま祝日として残し、自然を愛された昭和天皇を偲ぶ日とした。

例句 作者

和服着て身のひきしまる緑の日 酒井春青
昭和史のおほかたを生きみどりの日 千手和子
書に倦めば水遣りに出てみどりの日 宮岡計次
傷ふかき山いくつ見てみどりの日 村沢夏風
水神へ走る水音みどりの日 平井さち子
天皇の日や少年は樹を降りず 菅原鬨也
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臍の緒を家のどこかに春惜しむ  矢島渚男

2019-04-28 | 今日の季語


臍の緒を家のどこかに春惜しむ  矢島渚男

自句自解で、作者はこう書いている。「小さな桐の箱に入った自分の臍の緒を見たことがあった。たしかここだったと思って、もう一度探したが出てこない。どこかへいってしまったらしい。どうしたのだろう。そんな思いがあって浮んだ句だった」。私も、まったく同じ体験をしたことがある。母から臍の緒を見せられたのは、小学生のころだったが、その桐の箱は母が嫁入りのときに持ってきた桐の箪笥の小さな引き出しにしまわれていた。その箪笥は数度の引越しのたびに新居に納められ、いまでも実家の六畳間に健在だ。しかし、箪笥は健在だが、引き出しの臍の緒は忽然と姿を消していた。まるで春の霞か靄のように、いつしか霧消していたのだった。この句の「春惜しむ」も、そんな気分の表現なのだろう。『木蘭』所収。(清水哲男)

【春惜しむ】 はるおしむ(・・ヲシム)
◇「惜春」(せきしゅん)
春が過ぎて行くのを惜しむ心である。一種物淋しい。惜春。

例句 作者

九品仏迄てくてくと春惜む 川端茅舎
春惜しみつつ地球儀をまはしけり 長谷川双魚
臍の緒を家のどこかに春惜しむ 矢島渚男
春惜しむ食卓をもて机とし 安住 敦
パンにバタたつぷりつけて春惜しむ 久保田万太郎
赴任地に降りたちて春惜しむ日よ 酒井十八歩
惜春の道うしろにも続きけり 倉田紘文
名を惜しむこと忘れ春惜しむかな 上井正司
春惜しむ己の酒を盗んでは 河西みつる
春惜しむおんすがたこそとこしなへ 水原秋櫻子
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つくねんと木馬よ春の星ともり  木下夕爾

2019-04-26 | 今日の季語


つくねんと木馬よ春の星ともり  木下夕爾

日が暮れて、公園には人影がなくなった。残されたのは、木馬などの遊具類である。もはや動くことを止めた木馬が、いつまでも「つくねんと」一定の方向に顔を向けてたたずんでいる。いつの間にか、空では潤んだような色の春の星が明滅している。「ああ、寂しい木馬よ」と、作者は呼びかけずにはいられなかった。一般的な解釈は、これで十分だろう。しかし、こう読むときに技法的に気になるのは「つくねんと」の用法だ。人気(ひとけ)のない場所での木馬は、いつだって「つくねん」としているに決まっているからである。わざわざ念を押すこともあるまいに。これだと、かえって作品の線が細くなってしまう。ところが、俳句もまた時代の子である。この句が敗戦直後に書かれたことを知れば、にわかに「つくねん」の必然が思われてくる。実は、この木馬に乗る子供など昼間でも一人もいなかったという状況を前提にすれば、おのずから「つくねん」に重い意味が出てくるのだ。敗戦直後に、木馬が稼働しているわけがない。人は、行楽どころじゃなかったから……。したがって彼は、長い間、ずうっとひとりぽっちで放置されていたわけだ。そして、この先も二度と動くことはないであろう。つまり「つくねん」はそんな木馬の諦観を言ったのであり、諦観はもちろん作者の心に重なっている。空だけは美しかった時代のやるせないポエジー。『遠雷』(1959)所

【春の星】 はるのほし
◇「春星」(しゅんせい) ◇「星朧」 ◇「春北斗」
春の夜空の星。なま暖かい、洗われたよう美しさを持っている。代表的な星座は大熊座・獅子座・蟹座・海蛇座・乙女座・牛飼座など。

例句 作者

火の山の太き煙に春の星 高野素十
乗鞍のかなた春星かぎりなし 前田普羅
名ある星春星としてみなうるむ 山口誓子
坂下る方へ犇めき春の星 小原啄葉
牧の牛濡れて春星満つるかな 加藤楸邨
春の星またたきあひて近よらず 成瀬櫻桃子
童女走り春星のみな走りゐる 橋本多佳子
春北斗五體投地はつたなくて 柚木紀子
春星のあたりの夜気の鮮しき 飯田蛇笏

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春昼や魔法瓶にも嘴ひとつ 鷹羽狩行

2019-04-25 | 今日の季語


春昼や魔法瓶にも嘴ひとつ 鷹羽狩行

季語は「春昼」。「嘴」は「はし」と読ませている。なるほど、魔法瓶の注ぎ口は鳥の「くちばし」に似ている。「囀り(さえずり)」という春の季語もあるように、折から小鳥たちがいっせいに啼きはじめる時候になってきた。そんな小鳥たちの愛らしい声の聞こえる部屋の中では、ずんぐりとした魔法瓶がいっちょまえに「嘴」を突き出して、こちらはピーとも啼きもせず、むっつりと座り込んでいるのだ。それが春の昼間のとろとろとした雰囲気によく溶け込んでいて、暢気で楽しい気分を醸し出している。魔法瓶の注ぎ口に嘴を思うのは、べつに新鮮な発見というわけではないけれど、春昼とのさりげない取り合わせの妙は、さすがに俳句巧者の作者ならではである。ところで、この魔法瓶という言葉だが、現在の日常会話ではあまり使われなくなってきた。魔法瓶で通じなくはないが、「ポット」とか「ジャー」と言うのが一般的だろう。考えてみれば、「魔法」の瓶とはまあ何とも大袈裟な名前である。登場したころにはその原理もよくわからず、文字通り「魔法」のように感じられたのかもしれないけれど、いまや魔法瓶よりももっと魔法的な商品は沢山あるので、魔法を名乗るのはおこがましいような気もする。西欧語からの翻訳かなと調べてみたら、どうやら日本語らしい。1904年に、ドイツのテルモス社が商品化に成功したことから、欧米ではこの商品名テルモス(サーモス)が現在でも一般的であるという。「俳句研究」(2006年4月号)所載。(清水哲男)


春昼】 しゅんちゅう(・・チウ)
◇「春の昼」
長閑で、眠気をさそうような春の昼間。夏、秋、冬には言わず、春だけが季語として熟している。春の日中の駘蕩の感じをよく現しているので、よく使われる。

例句          作者

七いろの貝の釦の春の昼 山口誓子
天地音なし春昼に点滴す 野見山朱鳥
春昼の鏡の中の鏡かな 足立幸信
春昼のすぐに鳴りやむオルゴール 木下夕爾
妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る 中村草田男
春昼の指とどまれば琴もやむ 野澤節子
みりん干しあぶる香のあり春の昼 草間時彦
春昼の匙おちてよき音たつる 桂 信子
土積んだまま春昼の猫車 菅原鬨也
春昼の絵皿より蝶出でて舞へ 朝倉和江
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啓蟄や万年床を裏返す たけし

2019-04-24 | 入選句


啓蟄や万年床を裏返す たけし


今朝の朝歩新聞栃木俳壇に
掲句が石倉夏生先生の選を得て掲載された

投稿日と掲載日には1ヵ月以上の感覚があるので
今の季節にはそぐわなくなるのはいたしかたない

自分なりに納得していた作品なので
ニンマリの心もち

昨日サイトをサーフィンしていたら
20年間、全国紙の俳壇に投句を続けていた人のページに遭遇した

彼は入選句の累計は100句超だとのこと

毎日10句を作成
1週間の70句を40句に絞って投稿していたという

20年間の総投句数は41600を数える
入選率は2.5%の割合になる

自分の場合はまだまだ質量ともに希薄だと思い知った
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母の忌やその日のごとく春時雨 富安風生

2019-04-23 | 今日の季語


母の忌やその日のごとく春時雨 富安風生


句意は明解
母を失ってしばらくの時節が経過しているのであろう
おりからの春のにわか雨
そうだ母の葬儀もこんな雨だったな
哀しみもようやく癒えてきている
春の雨は明るいい (小林たけし)

【春時雨】 はるしぐれ
◇「春驟雨」 ◇「春の驟雨」 ◇「花時雨」
春の、急にぱらぱらと降ってはやむ、にわか雨。春の時雨は明るい感じがある。

例句 作者


いくたびも秋篠寺の春時雨 星野立子
いつ濡れし松の根方ぞ春しぐれ 久保田万太郎
風道のあらはに春のしぐれかな 石塚友二
海の音山の音みな春しぐれ 中川宋淵
雑巾で猫拭く春のしぐれかな 小林清之介
SLのおまけの汽笛春時雨 柚木治子
いくたびも秋篠寺の春時雨 星野立子
いつ濡れし松の根方ぞ春しぐれ 久保田万太郎 流寓抄
おもひでの花は白桃春しぐれ 西島麥南
ぐい呑みを所望の客や春時雨 鈴木真砂女
とりあへずここにをりたる春時雨 石田郷子
ふりかかる利休ねづみの春時雨 京極杞陽
まぼろしに巴里こそみゆれ春しぐれ 久保田万太郎 流寓抄以後
一ト足のちがひで逢へず春しぐれ 久保田万太郎 流寓抄
不意に湧く破滅心や春時雨 辰野利彦
九谷焼く白山からの春時雨 萩原麦草 麦嵐
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水源は嬥歌の山よ桜まじ 小俣たか子

2019-04-22 | 今日の季語


水源は嬥歌(かがい)の山よ桜まじ 小俣たか子

嬥歌が分からないと鑑賞もできまいので調べると
次のような解説があった

うた‐がき【歌垣】
1 古代、求愛のために、男女が春秋2季、山や市(いち)などに集まって歌い合ったり、踊ったりした行事。東国では嬥歌(かがい)という。
2 奈良時代には、踏歌(とうか)のこと。→踏歌
[補説]人々が垣のように円陣を作って歌ったところから、または、「歌懸き」すなわち歌の掛け合いからきた語という。

なんと古代の日本には現代の「合コン」ににた行事が春と秋にあったのだという

春の山での歌や踊りに興じる
そろそろ桜ちらしの風も吹いてくる季節
作者は首尾よく思い人を得たようだ
美味しい水に喉をいるおしている様子がみえてくる(小林たけし)

【桜まじ】 さくらまじ
◇「油まじ」 ◇「油まぜ」 ◇「ようず」
地方によっては南または南寄りの風を「まじ」「まぜ」という。宮崎県の一地方では、桜咲くころに吹く南風・南東風を「桜まじ」と呼ぶ。「油まじ」「油まぜ」は東海道・近畿・中国地方・瀬戸内海地方の漁師の風の呼び名で、4月頃の油を流したような穏やかな南風をいう。また、「ようず」は3、4月頃の夕方の、時には春の雨を催す生ぬるい南風のことで、近畿・中国・四国・瀬戸内海で昔から知られている呼び名である。

例句         作者
桜南風犬に目薬さしゐたり 菅原鬨也
桜まじ猿蓑塚に雨こぼす 皆川盤水
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草を打つ雨を遍路のゆきにけり 藤田あけ烏

2019-04-21 | 今日の季語


草を打つ雨を遍路のゆきにけり 藤田あけ烏

四国八十八カ所の霊場を巡礼するお遍路さんの季は春。しかしこの句では雨の季節でなければならない。バサバサと草を打つ激しい雨に、作者の高い精神性が感じられる。俳誌「草の花」(1996年4月号)所載。(井川博年)

【遍路】 へんろ
◇「お遍路」 ◇「遍路宿」 ◇「善根宿」(ぜんこんやど) ◇「遍路道」 ◇「遍路笠」 ◇「遍路杖」 ◇「四国巡」 ◇「島四国」
空海の修行の遺跡である四国の札所88カ所の霊場を巡拝すること。また、その徒をいう。全行程二百里、約四十日かかる。白装束に、同行二人と書かれた笠をかぶり、それぞれの思いを胸に発心の旅にでてゆく姿はひとの心うつものがある。

例句           作者

框にも抽斗ありて遍路宿 今井つる女
拝みつゝ遍路まなこをつむりけり 星野立子
お遍路の美しければあはれなり 高浜年尾
年寄りの足の確かや夕遍路 高野素十
大風に花蘂降れり夕遍路 大石香代子
海近き遍路寺なり夕詣り 岡井省二
遍路ゆき犬ゆき渚まだ暮れず 白川友幸
塩田に遍路の鈴の遠音あり 石原舟月
先頭の遍路が海の入日見る 桂 信子
草を打つ雨を遍路のゆきにけり 藤田あけ烏
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愛は騒乱囀りに血のにほひ たけし

2019-04-20 | 入選句



愛は騒乱囀りに血のにほひ たけし


4月18日㈭ 産経俳壇で寺井谷子先生の選をいただきました
「囀りに血のにほひ」の措辞が捨てきれなく
上の言葉をいくつか試したものでした

「いのちひたすら囀りに血のにほひ」が朝日俳壇で
高山れおな先生の選を3月末にいただきました

ブログへの投稿は投句結果の前にすると
既発表扱いになるのでこんな形で記録することにしています

全国紙、年間12句の入選が目標にしています
この句で現在まで4句入選(朝日俳壇2、毎日俳壇1、産経俳壇1)

毎日3句をノルマにしているところです
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石臼のはればれ打たる穀雨かな  瀧澤伊代次

2019-04-19 | 今日の季語


石臼のはればれ打たる穀雨かな  瀧澤伊代次


植田にほしい待ち望んでいた雨が降ってきた
小ぶりだったがだんだん勢いを増していよいよ本降りの兆しが見える
外にある石臼をたたく雨がはねかえっている
そのしぶきが眩しく感じる
この景をはればれと詠っている (小林たけし)


穀雨】 こくう


二十四節気の一。清明の後15日。陽暦4月20日頃。春雨が降って百穀を潤し芽を出させるという意。

例句  作者

伊勢の海の魚介ゆたかにして穀雨 長谷川かな女 花 季

傘立てて穀雨の雫地に膨れ 峰尾北兎

夜を境に風邪熱落したり穀雨 長谷川かな女 花寂び

掘返す塊光る穀雨かな 西山泊雲 泊雲句集

本当の雨脚となる穀雨かな 平井さち子

本読むは微酔のごとく穀雨かな 鳥居おさむ

水郷に櫓の鳴き昏るる穀雨かな 市川花庭

琴屋来て琴鳴らし見る穀雨かな 長谷川かな女

睡るとは不覚穀雨の散髪屋 高澤良一 寒暑

穀雨かな記紀にしるせし野を歩く 伊藤敬子

穀雨なる決断の指開きつつ 松田ひろむ

苗床にうす日さしつゝ穀雨かな 西山泊雲 泊雲句集

落款の少しかすれて穀雨かな 都筑智子

鎌倉や穀雨を待たぬ窓の闇 石川桂郎 高蘆

風眠り穀雨の音か夕早し 小倉緑村

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葱坊主どこをふり向きても故郷 寺山修司

2019-04-18 | 今日の季語



葱坊主どこをふり向きても故郷 寺山修司

葱坊主(葱の花)を見て、ロック歌手の白井貴子が「わあ、かわいい」と、昼のNHKテレビで言っていた。途端に私は「ああ、そう言われてみればかわいいな」と、はじめて思った。中学生のころの私には、なんだかとても寂しげな姿に見えていた。それこそ同じ坊主頭だったから、どこかで親近感を覚えていたのかもしれない。どうひいき目に見ても、ちっとも立派じゃないその姿が、このまま田舎で朽ち果てる自分の運命を暗示しているようにも見えたのである。とにかく、わけもわからずに大都会に出ることだけを夢見ていた少年の句だ。こう言っても、あの世の寺山修司は苦笑してうなずいてくれるだろう。『われに五月を』所収。(清水哲男)


【葱坊主】 ねぎぼうず(・・バウ・・)
◇「葱の花」 ◇「葱の擬宝」(ねぎのぎぼ)
葱の花。4、5月頃、葉の間から茎が伸びてっぺんに白い無数の花が集まって球状をなすので、そのさまを坊主に見たてる。また、擬宝珠に似ているので、「葱の擬宝」ともいう。

  例句          作者
葱坊主子を育てては嫁にやり 成瀬櫻桃子
音のなき刻の不思議に葱坊主 神蔵 器
うすうすと花の透けたる葱坊主 辻 桃子
流人めく勤めや葱坊主を愛す 菅原鬨也
雨読して他所の畑の葱坊主 千田 敬
葱坊主みな不器用の独り立ち 柴崎左田男
たわいなき意地張ってをり葱坊主 福田安子
時間からこぼれてゐたり葱坊主 橋 閒石
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朧夜の四十というはさびしかり  黒田杏子

2019-04-17 | 今日の季語


朧夜の四十というはさびしかり  黒田杏子

年齢を詠みこんだ春の句で有名なのは、なんといっても石田波郷の「初蝶やわが三十の袖袂」だろう。三十歳、颯爽の気合いが込められている名句だ。ひるがえってこの句では、もはや若くはないし、さりとて老年でもない四十歳という年齢をひとり噛みしめている。朧夜(朧月夜の略)はまま人を感傷的にさせるので、作者は「さびし」と呟いているが、その寂しさはおぼろにかすんだ春の月のように甘く切ないのである。きりきりと揉み込むような寂しさではなく、むしろ男から見れば色っぽいそれに写る。昔の文部省唱歌の文句ではないけれど、女性の四十歳は「さながらかすめる」年齢なのであり、私の観察によれば、やがてこの寂しい霞が晴れたとき、再び女性は颯爽と歩きはじめるのである。『一木一草』(1995)所収。(清水哲男)



朧】 おぼろ
◇「朧夜」(おぼろよ) ◇「草朧」 ◇「鐘朧」 ◇「影朧」 ◇「家朧」 ◇「谷朧」 ◇「橋朧」 ◇「庭朧」 ◇「灯朧」(ひおぼろ) ◇「朧めく」
春は大気中に水分が多いので、物の姿が朦朧とかすんで見える。朧は霞の夜の現象である。ほのかなさま。薄く曇るさま。

例句          作者

燈明に離れて坐る朧かな 斎藤梅子
辛崎の松は花より朧にて 芭蕉
能舞台朽ちて朧のものの影 鷲谷七菜子
朧夜や殺して見ろといふ声も 高浜虚子
おぼろ夜の昔はありし箱まくら 能村登四郎
朧夜の蛇屋の前を通りける 山口青邨
葛の桶朧の生れゐるところ 長谷川 櫂
灯ともせば外の面影なき朧かな 富田木歩
草おぼろ生涯に賭まだのこる 藤田あけ烏
おぼろ夜のうどんにきつねたぬきかな 木田千女
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野遊びの皆伏し彼等兵たりき  西東三鬼

2019-04-16 | 今日の季語


野遊びの皆伏し彼等兵たりき  西東三鬼

心地よい春の日差しを浴びて、のんびりと野に憩う仲間たち。楽しい一時だ。吟行の途次であるのかもしれない。そのうちに、一人二人と芳しい草の上に身を横たえはじめた。が、気がつくと、彼等はみな腹ばいになっている。一人の例外もなく、地に伏せている。偶然かもしれないが、仰向けになっている者は一人もいないのだ。その姿に、三鬼は鋭くも戦争の影を認めた。彼らは、かつてみな兵士であった。だから、こうして平和な時代の野にあるときでも、無意識に匍匐の姿勢、身構えるスタイルをとってしまうのである。兵士の休息そのものだ。習い性とは言うけれど、これはあまりにも哀しい姿ではないか。明るい陽光の下であるだけに、こみあげてくる作者の暗い思いは強い。「兵たりき」読者がおられたら、一読、たちどころに賛意を表される句だろう。明暗を対比させる手法は俳句のいわば常道とはいえ、ここまでの奥深さを持たせた句は、そうザラにあるものではない。『新改訂版 俳句歳時記・春』(1958・新潮文庫)所載。(清水哲男

)【野遊】 のあそび
◇「山遊び」 ◇「野かけ」 ◇「春遊び」 ◇「ピクニック」
暖かい春の日を浴びて、野山で草摘みなどして遊ぶこと。

例句              作者

貫之のあそびたる野に遊びけり 稲荷島人
野遊びの皆伏し彼等兵たりき 西東三鬼
野遊びのひとの見てゐる水たまり 鳥居三郎
野に遊びたるだけのこと誕生日 大橋敦子
野遊びの逢魔が時の橋こつ 牧瀬千恵
野遊びの児等の一人が飛翔せり 永田耕衣
野遊びの橋渡るとき川覗く 小杉風子
野遊びの籠よ湿りし草の香よ 長谷川久々子
野遊びに足らひし妻か夕支度 中島斌雄
人と灯を恋うて戻るや野に遊び 森 澄雄
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祝辞みな未来のことや植樹祭  田川飛旅子

2019-04-15 | 今日の季語


祝辞みな未来のことや植樹祭  田川飛旅子

うかつにもまだ今日が「みどりの日」だと思い込んでいた。本日掲載する例句を探していて平成19年から「みどりの日」が「昭和の日」になり、「みどりの日」は5月4日に移行したということに改めて気付かされた。とにかく休めたらいいや、と毎年やり過ごすうち名前が変わったことも忘れてしまったようだ。掲句は4月29日の「みどりの日」に行われた植樹祭を念頭に作られたのだろう。「みどりの日」という名前そのものは晩春から初夏の端境期にあって次の季節の明るさを先取りにしたなかなかいいネーミングだと思っていたけど、5月4日だとぴったりしすぎてぴんとこない。「昭和の日」は「激動の日々を経て復興をとげた昭和の時代を顧み、国の将来を考えるための国民の休日」と角川の俳句歳時記にはあるが、この頃は未来へ向かうより過ぎ去った時代を懐かしむほうへ傾いているようだ。昭和はそんなにいい時代だったろうか。襖一枚で行き来する大家族の生活は賑やかだったけど、自分だけの空間を持ちたいと願ったこともたびたびだった。学校の規律も乱れてはいなかったがはみだしものの悩みはそれなりに深かった。今はなかなか見通しが立たない時代だけど、掲句のように植樹し伸びてゆく樹木を寿ぐことで未来に向かう明るさを味わえたらと思う。『俳句歳時記・春』(2009・角川書店)所載。(三宅やよい)

【緑の週間】 みどりのしゅうかん(・・シウ・・)
4月1日から一週間を緑の週間または緑化週間という。国土緑化と自然愛護を目的とした行事。街頭で緑の羽を売り、基金を募る。

例句             作者

緑の羽根心音奏づ上に挿す 本多静江
祝辞みな未来のことや植樹祭 田川飛旅子
雲群れる緑の週間始まりぬ 相生垣瓜人
植樹祭始まり雨の川奔る 皆川盤水

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