竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

パチンコをして白魚の潮待ちす  波多野爽波

2020-02-29 | 今日の季語


パチンコをして白魚の潮待ちす  波多野爽波

海辺の観光地であろうか
楽しみにしていた「白魚のおどり食い」
もう少しすれば船が戻る
あるいはあと少しで白魚の潮どきだ
作者はそれをパチンコでもして待とうと決めたらしい
ひと時代さかのぼった原風景を味わった
(小林たけし)

日常の中のあらゆる瞬間に「詩」が転がっている。「私」の個人的な事情をわがままに詠えばいいのだ。素材を選ばず、古い情緒におもねらず、「常識」に譲歩せず、そのときその瞬間の「今」を切り取ること。爽波俳句はそんなことを教えてくれる。悩んでいるとき迷っているとき、その人に会って談笑するだけで心が展けてくる。そんな人がいる。これでいいのだ、それで大丈夫だと口に出さずとも感じさせてくれる人物がいる。爽波俳句はそんな俳句だ。これでいいのだ。『骰子』(1986)所収。(今井 聖)

【白魚】 しらうお(・・ウヲ)
◇「しらお」 ◇「白魚捕」(しらおとり) ◇「白魚汲む」(しらおくむ) ◇「白魚網」(しらおあみ) ◇「白魚舟」(しらおぶね) ◇「白魚火」(しらおび) ◇「白魚汁」(しらおじる) ◇「白魚飯」(しらおめし)
シラウオ科の硬骨魚。姿が美しく、煮ると潔白となり、味は淡泊で上品。体長約10センチ。体は瘠型で半透明。春先、河口をさかのぼって産卵。日本の各地に産する。シロウオ(素魚)は外観も習性も本種に似るが別種。しらお。白魚汲む。白魚火。

例句 作者

雨に獲し白魚の嵩哀れなり 水原秋櫻子
白魚の水ごと秤り賣られけり 成田智世子
暮るるころ空晴わたり白魚汁 櫨木優子
やがてまた日暮るゝ橋に白魚舟 角川春樹
白魚の水の色して汲まれけり 伊藤通明
旅装解かぬまま白魚火を見てゐたり 関口祥子
白魚に会ひ酒にあふひと日かな 石川桂郎
白魚や星ことごとくうるみだす 菅原鬨也
白魚にすゞしさの眼のありにけり 石橋秀野
一陣の風の行方や白魚舟 西村風香
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パチンコをして白魚の潮待ちす波多野爽波

2020-02-29 | 今日の季語


パチンコをして白魚の潮待ちす波多野爽波

海辺の観光地であろうか
楽しみにしていた「白魚のおどり食い」
もう少しすれば船が戻る
あるいはあと少しで白魚の潮どきだ
作者はそれをパチンコでもして待とうと決めたらしい
ひと時代さかのぼった原風景を味わった
(小林たけし)

日常の中のあらゆる瞬間に「詩」が転がっている。「私」の個人的な事情をわがままに詠えばいいのだ。素材を選ばず、古い情緒におもねらず、「常識」に譲歩せず、そのときその瞬間の「今」を切り取ること。爽波俳句はそんなことを教えてくれる。悩んでいるとき迷っているとき、その人に会って談笑するだけで心が展けてくる。そんな人がいる。これでいいのだ、それで大丈夫だと口に出さずとも感じさせてくれる人物がいる。爽波俳句はそんな俳句だ。これでいいのだ。『骰子』(1986)所収。(今井 聖)

【白魚】 しらうお(・・ウヲ)
◇「しらお」 ◇「白魚捕」(しらおとり) ◇「白魚汲む」(しらおくむ) ◇「白魚網」(しらおあみ) ◇「白魚舟」(しらおぶね) ◇「白魚火」(しらおび) ◇「白魚汁」(しらおじる) ◇「白魚飯」(しらおめし)
シラウオ科の硬骨魚。姿が美しく、煮ると潔白となり、味は淡泊で上品。体長約10センチ。体は瘠型で半透明。春先、河口をさかのぼって産卵。日本の各地に産する。シロウオ(素魚)は外観も習性も本種に似るが別種。しらお。白魚汲む。白魚火。

例句 作者

雨に獲し白魚の嵩哀れなり 水原秋櫻子
白魚の水ごと秤り賣られけり 成田智世子
暮るるころ空晴わたり白魚汁 櫨木優子
やがてまた日暮るゝ橋に白魚舟 角川春樹
白魚の水の色して汲まれけり 伊藤通明
旅装解かぬまま白魚火を見てゐたり 関口祥子
白魚に会ひ酒にあふひと日かな 石川桂郎
白魚や星ことごとくうるみだす 菅原鬨也
白魚にすゞしさの眼のありにけり 石橋秀野
一陣の風の行方や白魚舟 西村風香
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北窓を開きて船の旅恋ふる 西川知世

2020-02-28 | 今日の季語


北窓を開きて船の旅恋ふる 西川知世


海に向かっての窓からは、冬の冷たい風が吹きつけていたのだろう
その窓を開けると思い切り人がっている海原
港はおしゃれな横浜か神戸だろうか
以前の船旅の余韻が蘇ってくる
弱いを重ねてはきたがまだ船旅は可能だろうか
ふと淋しさにおそわれる
(小林たけし)

寄港地と洋上を繰り返し進む船旅は、地球をまんべんなくたどるという醍醐味をしっかり味わうことができる旅だろう。雲の上をひとっ飛びして目的地へ到着する時短の旅とは違う贅沢な豊かさがある。冬の間締め切ったままにしてあった北窓を開き、船の旅を恋うという掲句には、招き入れた春の光りのなかに開放的になった自身の心のありようを重ねている。船の小さい窓から波の向こうに隠れている未知の地を思い描くおだやかな興奮が、これから春らしさを増す未知なる日々への期待に似て胸を高鳴らせているのだ。深く沈んだような北向きの部屋が、明るい日差しのなかでひとつひとつを浮かびあがらせ、きらきらと光るほこりの粒さえ、新鮮な喜びに輝いて見えるものだ。そして、そんな幸せに囲まれたときほど、どこか遠くへの旅を無性に恋うものなのである。〈母に客あり春の燈のまだ消えず〉〈硝子屋の出払つてゐる夏の昼〉『母に客』(2010)所収。(土肥あき子)
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あらうことか朝寝の妻を踏んづけぬ 脇屋義之

2020-02-27 | 今日の季語


あらうことか朝寝の妻を踏んづけぬ 脇屋義之

一読 顔が崩れる句だ
あろうことか それがあったのだという作者の自虐めいた措辞
踏んずける は虚構だろうが
踏んづけそうになったのだろう
朝寝は妻だけでなく作者もしていたに相違あるまい
(小林たけし)


季語は「朝寝」で春。春眠暁を覚えず……。よほど気が急いていたのか、何かに気を取られていたのだろう。「あっ、しまった」と思ったときは、もう遅かった。「あらうことか」、寝ている妻を思い切り「踏んづけ」てしまったというのである。一方の熟睡していた奥さんにしてみれば,強烈な痛みを感じたのは当然として、一瞬我が身に何が起きたのかがわからなかったに違いない。夫に踏まれるなどは予想だにしていないことだから、束の間混乱した頭で何事だと思ったのだろうか。この句は「踏んづけた」そのことよりも、踏んづけた後の両者の混乱ぶりが想像されて,当人たちには笑い事ではないのだけれど,思わずも笑ってしまった。こうして句にするくらいだから、もちろん奥さんに大事はなかったのだろう。私は妻を踏んづけたことはないけれど,よちよち歩きの赤ん坊に肘鉄を喰らわせたことくらいはある。誰にだって、物の弾みでの「あらうことか」体験の一つや二つはありそうだ。この句を読んで思い出したのは、川崎洋の「にょうぼうが いった」という短い詩だ。「あさ/にょうぼうが ねどこで/うわごとにしては はっきり/きちがい/といった/それだけ/ひとこと//めざめる すんぜん/だから こそ/まっすぐ/あ おれのことだ/とわかった//にょうぼうは/きがふれてはいない」。「あらうことか」、こちらは早朝に踏んづけられた側の例である。『祝福』(2005・私家版)所収。(清水哲男)

【朝寝】 あさね
暑くなく、寒くなくて、春の朝の寝心地は格別である。十分に寝足りても、なお寝床を離れがたく、うつらうつらしやすい。いかにも春を満喫したという情趣の季語。

例句 作者

川音の切なくなりぬ朝寝覚め 雨宮きぬよ
世にありしわが名を呼ばれ朝寝覚む 井沢正江
嫁の座もしかと十年大朝寝 服部壽賀子
鳰二つこゑのもつるる朝寝かな 森 澄雄
長崎は汽笛の多き朝寝かな 車谷 弘
花を踏し草履も見えて朝寝哉 蕪村
旅にあることも忘れて朝寝かな 高浜虚子
朝寝せり孟浩然を始祖として 水原秋櫻子
ものの芽のほぐれほぐるる朝寝かな 松本たかし
脳神経外科医朝寝の階下に父 相原左義長
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煮凝りの小さき卓袱台子だくさん たけし

2020-02-26 | 入選句


煮凝りの小さき卓袱台子だくさん たけし



朝日新聞 栃木俳壇
石倉夏夫先生の選をいただきました



食卓に現代では煮凝りはまず上がらないだろう
戦中派の私の幼少期には日常だったような気がする
たくさんの兄弟が小さな卓袱台を賑やかに囲んでいた
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見本市死の商人の着ぶくれる  たけし

2020-02-25 | 入選句


見本市死の商人の着ぶくれる  たけし



角川俳句3月号 

令和俳壇  対馬康子先生の秀逸を頂きました



非戦国日本が武器を製造

製品と技術を輸出すべく国際見本市に参加している

それも東京ビッグサイトでのこと



これは国策だという事に愕然とする

歴史は繰り返される まさかまさかとの思いはあるが



戦争を知らない人たちが為政者になっていることが恐ろしい

死の商人の醜い着膨れた姿の日本人が恥ずかしい
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樹木葬こころ清しく選る桜 #たけし

2020-02-24 | 入選句


樹木葬こころ清しく選る桜 たけし



2月23日 朝日俳壇 長谷川櫂先生の選をいただいた

新聞投句は朝日新聞の全国版と途方版のみに

絞ったのでことさらにうれしい



墓終いの話を最近はゆく耳にするようになった

掲句は友人から聞いた話からの発想だが

他人事のようには思えなくなっいぇいる
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師の影をしっかり踏んで春の雪 鈴木みのり

2020-02-21 | 今日の季語


師の影をしっかり踏んで春の雪 鈴木みのり

師の影をしっかり踏む
この措辞の意味は明白だ
心底敬愛する師のいる幸せ
その喜びが伝わってくる
心象風景であろうが
実兄としても味わえる
「春の雪」が慕う恋心まで思わせる
(小林たけし)

ははは、こりゃ面白いや。もちろんこの句は「三尺下がって(「去って」とも)師の影を踏まず」を踏まえている。弟子が師に随行するとき、あまり近づくことは礼を失するので、三尺後ろに離れて従うべきである。弟子は師を尊敬して礼儀を失わないようにしなければならないという戒めだ。でも、春の雪は解けやすく、滑りやすい。そんな戒めなど、この際はどうでもよく、とにかく転ばないようにと「師の影」をしっかり意識して踏みながら随いてゆくのである。ところで、この戒め。ネットで見ていたら、まったく別の解釈もあるそうで、概略はこうだ。師の影を踏むほどの近くにいると、視点がいつも師と同じになるために、それでは師を越えられない。せいぜいが師の劣化コピーにしかなれないので、常に師からは少し離れて独自の視点を持つべきだという教訓というものだ。どこか屁理屈めいてはいるが、この解釈で掲句を読み直すと、滑って転ばぬようにという必死は消えてしまい、どこまでも師と同じ視点に立ちたい必死の歩行ということになる。こちらはこちらで、哀れっぽいユーモアが感じられて面白い。作者は「船団」のメンバーだから、いずれにしても影を踏まれているのはネンテン氏だろうな。『ブラックホール』(2008)所収。(清水哲男)

【春の雪】 はるのゆき
◇「春雪」
春になって降る雪。冬の雪と違い、溶けやすく、降るそばから消えて積もることがない。大きな雪片の牡丹雪になることが多い。

例句 作者

琴の糸煮てゐる比良の春の雪 大川真智子
春の雪青菜をゆでてゐたる間も 細見綾子
元町に小さな画廊春の雪 野木桃花
春雪に火をこぼしつつはこびくる 橋本鶏二
吾子抱けば繭のかるさに春の雪 小室善弘
忘恩の春の雪降り積りけり 上田 操
火をすこし二階にはこぶ春の雪 丸山しげる
春雪をふふめば五体けぶるかな 加藤耕子
春雪のあとの夕日を豆腐売 大串 章
刈り込みの丸きへ丸く春の雪 良知うた子
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書道部が墨擦つてゐる雨水かな  大串 章

2020-02-20 | 今日の季語


書道部が墨擦つてゐる雨水かな  大串 章


2月中旬のまだ寒さの残る書道部の部室
現代では机に向かい
墨汁を硯に垂らしながら和気あいあいと談笑して
書道の準備をするのだろうが
この句では正座して静かに墨をする部員の姿をイメージする

雨水というめだたない見過ごしそうな季語をぐっとひきよえた句
作句のヒントを秘めた秀句
(小林たけし)

雑誌の月号表示を追い越すように、季節がどんどん進んでいく今日この頃、ならばと時計を二ヶ月ほど逆回転させても罰は当たるまい。季語は「雨水(うすい)」で春。根本順吉の解説を借用する。「二十四節気の一つ。陰暦正月のなかで、立春後15日、新暦では2月18、19日にあたる。「雨水とは「気雪散じて水と為る也」(『群書類従』第19輯『暦林問答集・上』)といわれるように、雪が雨に変わり、氷が融けて水になるという意味である」。早春の、まだひんやりとした部室だ。正座して、黙々と墨を擦っている数少ない部員たちがいる。いつもの何でもない情景ではあるのだが、今日が雨水かと思えば、ひとりでに感慨がわいてくる。表では、実際に雨が降っているのかもしれない。厳しい寒さがようやく遠のき、硯の水もやわらかく感じられ、降っているとすれば、天からの水もやわらかい。このやわらかい感触とイメージが、部員たちの真剣な姿に墨痕のように滲み重なっていて美しい。句には派手さも衒いもないけれど、まことに「青春は麗し」ではないか。こうしたことを詠ませると、作者と私が友人であるがための身贔屓もなにもなく、大串章は当代一流の俳人だと思っている。「書道部」と「雨水」の取りあわせ……。うめえもんだなア。まいったね。俳誌「百鳥」(2002年4月号)所載。(清水哲男)

【雨水】 うすい
二十四節気の一。陰暦で正月の中頃。陽暦で2月18、19日ごろ。「雨水がゆるみ、草木の芽が萌え出るころ」の意。

例句 作者

亡命は雨水の頃に夜の闇に 小野元夫
水をもて土を癒しぬけふ雨水 辻 美奈子
雨水とは辞書を頻りに繰る一日 澁谷 道
扁桃腺赤々として雨水かな 仲原山帰来
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みなマスク誰が敵やら味方やら たけし

2020-02-19 | 入選句


みなマスク誰が敵やら味方やら たけし

朝日新聞 
栃木俳壇 石倉夏生先生の選をいただきました

何処へ行ってもマスクマスク
マスクしていないと異端者のようで肩身が狭い

本来保菌者がウィルスを飛沫さあせないもののはずだが
いつか保安に変貌している

一億総付和雷同の様相に怖さを禁じ得ない
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耕人に傾き咲けり山ざくら 大串 章

2020-02-16 | 今日の季語


耕人に傾き咲けり山ざくら 大串 章


長い冬が終わると農家は一挙に忙しくなる
農作業は季節ごとに決まったような仕事が山積である
山の斜面の桜がほころんできた
農夫をやさしく包み込んでいるようにも見える
春は生けるものみなうらやかに忙しい
(小林たけし)

山の段々畑。作者は、そこで黙々と耕す農夫の姿を遠望している。山の斜面には一本の山桜があり、耕す人に優しく咲きかかるようにして花をつけている。いつもの春のいつもと変わらぬ光景だ。今年も、春がやってきた。農村に育った読者には、懐しい感興を生む一句だろう。「耕人」という固い感じの文字と「山ざくら」というやわらかい雰囲気の文字との照応が、静かに句を盛り上げている。作者自註に、こうある。「『傾き咲けり』に山桜のやさしさが出ていればよいと思う。一句全体に生きるよろこびが出ていれば更によいと思う」。山桜の名所として知られるのは奈良の吉野山だが、このようにぽつりと一本、人知れず傾き立っている山桜も捨てがたい。古来詩歌に詠まれてきた桜は、ほとんどが「山桜」だ。ソメイヨシノは明治初期に東京の染井村(豊島区)から全国に広まったというから、新興の品種。あっという間に、桜の代表格の座を占めたようだ。だから「元祖」の桜のほうは、わざわざ「山桜」と表記せざるを得なくなったのである。不本意だろう。『朝の舟』(1978)所収。(清水哲男)

【耕】 たがやし
◇「耕」 ◇「耕す」 ◇「春耕」(しゅんこう) ◇「耕人」 ◇「耕牛」(こうぎゅう) ◇「耕馬」(こうば) ◇「耕耘機」
田返すの意。冬の間手入れをしない田や畑の土を起こして、植え付けの準備をする。かって、春の野良には、営々として鋤鍬をふる人や、牛や馬にすきをひかせて、着々と土を鋤起こして行く真剣な姿が見えたが、今では機械化され大分様子が違ってきた。

例句 作者

月山の雪振り向かず耕せり 吉田鴻司
遠目には耕しの鍬遅きかな 福永鳴風
春耕や熊野の神を住まはせて 鈴木太郎
耕して天にのぼるか対州馬 角川源義
耕人に余呉の汀の照り昃り 長谷川久々子
耕牛やどこかかならず日本海 加藤楸邨
気の遠くなるまで生きて耕して 永田耕一郎
春耕の振り向けば父き消ゆるかな 小澤克己
耕してふるさとを捨てぬ一俳徒 大木さつき
耕していちにち遠き父祖の墓 黛 執
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廃校にまあるい時計鳥曇り たけし

2020-02-14 | 入選句


廃校にまあるい時計鳥曇り たけし

2015年3月 下野新聞 速水峰邨先生選
もう5年も前の作
加入している結社から俳誌への原稿のひとつとして
天文の季語を用いた自句を提出せよ
との依頼で探し出した1句

初心の頃のまっすぐな詠み方が良いと感じる
今の私ならこうなりそうだ
句意に何かしら仕掛けをほどこして却って悪くすることが多い

廃校に「万葉講座」梅二輪 たけし

【鳥曇】 とりぐもり
◇「鳥風」 ◇「鳥雲」
秋から冬にかけて日本で越冬した渡り鳥が北へ去るころの曇り空。その頃の風を鳥風ともいう。

例句 作者

腰痛のゆゑの不機嫌鳥ぐもり 原 赤松子
眼鏡より曇りはじめし鳥曇 亀田虎童子
海に沿ふ一筋町や鳥曇 高浜虚子
振つてみるアフガンの鈴鳥曇 川崎展宏
鳥曇波のこみあふ隅田川 久保田慶子
毎日の鞄小脇に鳥曇 富安風生
また職をさがさねばならず鳥ぐもり 安住 敦
廃園にただ来しのみぞ鳥曇 藤田湘子


入選 2015/4/20 下野新聞 速水峰邨選
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薄氷の吹かれて端の重なれる 深見けん二

2020-02-13 | 今日の季語


薄氷の吹かれて端の重なれる 深見けん二


立春をすぎても春は名ばかり
朝はこごえるような寒さだが
陽の光はやわらかくやさしげで
さそわれるように庭へ出た
小さな池に割れ欠けた薄氷
じっと見ているとまた割れる
割れた氷はあるかなしかの風に
吹かれるようにぜ池の端に寄り添うように重なって見える
作者はどのくらいの時を眺めていたのかと思う
写生、凝視、発見 なかなかここまでの辛抱は難しい
(小林たけし)


薄氷が剥がれ、風に吹かれかすかに移動して下の薄氷に重なる。これぞ、真正、正調「写生」の感がある。俳句がもっともその形式の特性を生かせるはこういう描写だと思わせる。これだけのことを言って完結する、完結できるジャンルは他に皆無である。作者は選集の自選十句の中にこの句をあげ、作句信条に、虚子から学んだこととして季題発想を言い、「客観写生は、季題と心とが一つになるように対象を観察し、句を案ずることである」と書く。僕にとってのこの句の魅力の眼目は、季題の本意が生かされているところにあるのではなく、日常身辺にありながら誰もが見過ごしているところに行き届いたその「眼」の確かさにある。人は、一日に目にし、触れ、感じる無数の「瞬間」の中から、古い情緒に拠って既に色づけされた数カットにしか感動できない。他人の感動を追体験することによってしか充足せざるを得ないように「社会的」に作られているからだ。その縛りを超えて、まさに奇跡のようにこういう瞬間が得られる。アタマを使って作り上げる理詰や機智の把握とは次元の違う、自分の五感に直接訴える原初の認識と言ってもいい。季題以外から得られる「瞬間」の機微を機智と取るのは誤解。薄氷も椅子も机もネジもボルトも鼻くそも等しく僕らの生の瞬間を刻印する対象として眼の前に展開する。別冊俳句「平成秀句選集」(2007)所載。(今井 聖)

【薄氷】 うすらい(・・ラヒ)
◇「薄氷」(うすごおり) ◇「春の氷」 ◇「残る氷」
(古くはウスラビ) 春先、薄々と張る氷をいう。薄く解け残った氷にもいう。

例句 作者

祇王寺の春の氷を割りし杓 梶山千鶴子
薄氷の下も薄氷朝あかね 塩入田鶴
うすらひのつと逃げて指水にあり 皆吉爽雨
春氷大和の雲の浮きのぼり 大峯あきら
薄氷のとけしところの空揺るる 小路紫峡
遠景のごとくに揺るる春氷 小宅容義
指置けばうすらひ水に還りけり 白岩三郎
薄氷ひよどり花の如く啼く 飯田龍太
模糊として男旅する薄氷 長谷川久々子
三十番札所の春の氷かな 岸田稚魚


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春の雲けもののかたちして笑う 対馬康子

2020-02-12 | 今日の季語

春の雲けもののかたちして笑う 対馬康子


一読、納得して作者を確認して納得の1句である
口語で平易な措辞ばかりだが
童心のような詩心がいっぱいの作品だ
けものが象やイルカだったら大人の句には無理になる
座5のして笑う」に作者のしてやったりの自信を感じる
(小林たけし)

これを書いている今日は朝からぼんやりと春らしいが、空は霞んで形のある雲は見当たらない。雲は、春まだ浅い頃はくっきりとした二月の青空にまさに水蒸気のかたまりらしい白を光らせているが、やがていわゆる春の雲になってくる。ゆっくり形を変える雲を目で追いながらぼーっとするというのはこの上なく贅沢な時間だが、この句にはどこか淋しさを感じてしまう。それは、雲が笑っているかのように感じる作者の心の中にある漠とした淋しさであり、読み手である自分自身の淋しさでもあるのだろう。他に<逃水も死もまたゆがみたる円周 ><火のごとく抱かれよ花のごとくにも  >。『竟鳴』(2014)所収。(今井肖子)

【春の雲】 はるのくも
◇「春雲」
春の雲は、夏や秋の雲のようにはっきりした形をなさず、薄く一面に刷いたように現れる。ふわりと浮いて、淡い愁いを含んでいる。

例句 作者

田に人のゐるやすらぎに春の雲 宇佐美魚目
山の名を聞いて忘れぬ春の雲 大串 章
水溜りありてぽつかり春の雲 本田攝子
土手の木の根元に遠き春の雲 中村草田男
春の浮雲馬は埠頭に首たれて 佐藤鬼房
春の雲ほうつと白く過去遠く 富安風生
渦潮に日影つくりぬ春の雲 高浜虚子
春の雲人に行方を聴くごとし 飯田龍太
春の雲しろきままにて降りだしぬ 川島彷徨子
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一人づつきて千人の受験生  今瀬剛一

2020-02-11 | 今日の季語


一人づつきて千人の受験生  今瀬剛一

受験生の孤独
そして壮烈なる闘争
まだ春寒いなか白い息を吐きながらあ一人ずつ試験場へ
やがて数えきれない闘争相手が並ぶ
受験とはそもそもは優生学からの選別なのだ
(小林たけし)

俳句に数字を使う時、ともすれば象徴的になる。特に「千」は、先ごろ流行った歌の影響もあってか、以前よりよく見かける気がするし、つい自分でも使ってしまう。ようするに、とても多いという意味合いだ。しかしこの句の千人は、リアリティのある千人。象徴的な側面もあるだろうけれど、まさに、見ず知らずの一人ずつが千人集まるのが受験生だ。しかも、同じ目的を持ちながら全員がライバル、というより敵である。そしてそれぞれ、千人千色の日々と道のりを背負っている。一と千、二つの数字を本来の意味で使い、省略を効かせて受験生の本質を詠んだ句と思うが、さらにひらがな表記の、きて、がそれらをつないで巧みである。二月も半ば、中学入試が一段落して、これから高校、大学と受験シーズン真っ只中。この季節は、一浪しても第一志望校に拒絶されたことと共に、あれこれ思い出され、幾つになってもほろ苦い。当時は、全人格を否定されたような気持ちになったが、まあ今となれば、生きていればいいこともあるなと思える。街に溢れるバレンタインのハートマークを横目に、日々戦う受験生に幸多かれ。『俳句歳時記 第四版 春』(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)

【入学試験】 にゅうがくしけん(ニフ・・)
◇「受験」
高等学校、大学あるいは私立の小・中学校などの入学試験をいう。ほとんど2月から3月にかけて行われ及第が決定する。

例句 作者

受験禍の母子電柱に相寄りて 中村草田男
受験期や多摩の畷の土けむり 中 拓夫
甘えたき時は腹へる受験の子 染谷佳之子
受験生呼びあひて坂下りゆく 廣瀬直人
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