竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

秋灯の交し合ひたる閾かな  上野 泰

2018-09-20 | 


秋灯の交し合ひたる閾かな  上野 泰

馬鹿みたい。次の間との襖が開けっぱなしになっていて、こちらの部屋と次の間とに灯されている電灯の光が、閾(しきい)の上で交差しているというのだ。「秋灯」ならずとも、いつでもこうした現象は見られるわけで、珍しくも何ともない。「秋灯」だから多少の情緒があるにしても、わざわざ表現するほどのことでもあるまいに。私の言葉で言えば、「それがどうした句」の最右翼に分類できる。いい年の大人が、こんなことを面白がって、どういうつもりなのか。と、ほとんどの読者もそう思うに違いない。俳句だから、こういう馬鹿が許されるのだ。ついでに言えば、虚子門だからとも……。なあんて酷評しながらも、最近はこうした「馬鹿みたい」な句に魅かれてしまう。才気溢れる句も好きではあるが、すぐに飽きてしまう。こういうことを言うと、「年齢(とし)のせいだ」と反応されそうだが、正直に言って「年齢のせいだ」と丸くおさめる気にはなれない。「年齢のせいだ」という理屈は、それこそ馬鹿みたいな屁理屈なのであって、とりわけて高齢者が溺れてはいけない言葉の一つだと思う。この句を得たときに、きっと作者も「馬鹿みたい」と感じただろう。あえてそんな「馬鹿」を表現する姿勢に、いまの私は魅力を覚える。『佐介』(1950)所収。(清水哲男)

【秋の灯】 あきのひ
◇「秋の燈」 ◇「秋燈」(しゅうとう) ◇「秋燈」(あきともし)
秋の夜は大気が澄んでおり、灯も清明な感じが強い。静けさ、人懐かしさがある。秋の灯に照らされるのは花の淡いは、枯芝生などでわびしさが漂う。

例句 作者

秋の灯にひらがなばかり母の文 倉田紘文
秋灯下新刊書より正誤表 新津むつみ
夫旅にある夜秋燈をひきよせて 山口波津女
秋の燈に母老いしかば吾も老ゆ 相馬遷子
急行通過駅の秋灯に石蹴りを 菊地龍三
秋の燈の糸瓜の尻に映りけり 正岡子規
秋灯のくるしきまでに明るきに 京極杞陽
秋の燈の遠くかたまるかなしさよ 富安風生
燈も秋と思ひ入る夜の竹の影 臼田亞浪
一つ濃く一つはあはれ秋燈 山口青邨

秋灯捨てる本などさがしてる たけし

虫偏にまた囚われて秋灯下 たけし

言い訳のようにあとがき秋灯下 たけし

秋灯し遺せし文の箇条書  たけし

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