日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

創価学会員ヘの折伏教本

2004-05-12 | 折伏教本

 目  次

は  じ  め  に
総   論
第一章 創価学会員であるあなたへ
 一、初心に帰ろう
 二、「成仏」こそ最高の幸福境界

第二章 日蓮正宗と創価学会
 一、創価学会とは
 二、日蓮大聖人の仏法
 三、日蓮正宗とは

第三章 創価学会の謗法
 一、大御本尊から離れた創価学会
 二、唯授一人の血脈を否定する創価学会
 三、僧宝を誹謗する創価学会
 四、『ニセ本尊』を配布する創価学会

第四章 創価学会の体質
 一、独善体質
 二、攻撃体質
 三、欺瞞体質
 四、洗脳とマインドコントロール
   ①創価学会の洗脳
   ②創価学会のマインドコントロール

第五章 池田独裁をめざす創価学会
 一、異常な創価学会の姿
 二、敵対者を弾圧する創価学会
 三、総体革命をもくろむ池田ファシズム

第六章 創価学会には功徳がない
 一、貪・瞋・癡の三毒にまみれた創価学会
 二、正法の持者を誹謗する創価学会員は無間地獄
 三、諸天の加護がない不正直の創価学会
 四、創価学会に功徳はない


各   論
第一章 創価学会の実態をよく知らない学会員に
 一、創価学会は、何を目的として設立されたのか
 二、初代牧口会長・第二代戸田会長の入信の経緯について
 三、創価学会はどのような経緯で発足したのか
 四、創価学会はどのような経緯で宗教法人を取得したのか
 五、第三代会長池田大作の入信はどのようなものだったのか
 六、池田大作は、第二代会長から直接、第三代会長に指名されたのか
 七、創価学会が政界に進出したのは、どのような経緯によるのか
 八、正本堂建立のとき、どのような問題が起こったのか
 九、「五十二年教義逸脱問題」とは、どのようなものだったのか
 十、「五十二年教義逸脱問題」は、どのような形で収束したのか
 十一、今回の「創価学会問題」はどのようにして起こったのか
 十二、「創価学会問題」の実状と創価学会の破門に至る経緯について
 十三、創価学会員が日蓮正宗の信徒資格を喪失した経緯について

第二章 創価学会が正しいと思っている学会員に
 一、創価学会のすばらしさは外部の人にはわからない
 二、宗門と創価学会の問題が起きた当初はどちらにつくべきか悩んだが、
    今は学会と運命を共にすると思い切った
 三、創価学会に生きがいを見いだした。学会こそ、自分の人生のすべてだ
    役職の魅力 / 精神的閉鎖集団の共同意識と思い込み /
    マインドコントロールによる幻想
 四、若い頃から「広宣流布」のために闘ってきた。創価学会をやめることは、
    今までの人生を否定することになる

 五、創価学会に籍を置いているが、今でも大石寺の大御本尊を念じて勤行している。
    それではいけないのか

 六、平成二年以降の問題で、創価学会が宗門にだまされていたことがわかった
   ①「宗門は学会を利用するだけ利用して切った」
   ②「宗門は、日蓮大聖人の仏法を正しく伝える清流だと思っていたが、
     実は謗法まみれの濁流だったことがわかった」
   ③「信頼していた宗門と僧侶に裏切られた」
   ④「宗門は創価学会員をだましてきた」
 七、「創価学会では成仏できない」というが、自分は死んだ先のことなど考えていない
 八、創価学会は「御書根本」「大聖人直結」だから正しい
   ①御書根本
   ②大聖人直結
 九、創価学会の信仰面について
   ①「広宣流布を実現する団体は創価学会しかない」
   ②「活動に功徳があるのだから、学会に間違いはない」
   ③「創価学会は宗門の発展に貢献してきた」
 十、創価学会の思想について
   ①「創価学会は平和主義を唱え、世界平和に貢献しているからすばらしい」
   ②「創価学会は人間主義を標ぼうし、一人ひとりの人間を大切にしているか
     らすばらしい」
   ③「創価学会こそ、正義の集団である」
   ④「御書に『仏法と申すは勝負をさきとす』とあるように、
     創価学会はすべてに勝利している」
 十一、創価学会の社会的実証について
   ①「創価学会の活動を多くの識者が賞賛している」
   ②「公明党の得票数が増加していることは、学会が正しい証拠である」
   ③「政教一致のどこが悪いのか」
 十二、池田大作について
   ①「池田先生は、世界の歴史に名を残す大指導者である」
   ②「池田先生は、全世界から称号や勲章をたくさんもらっているからすばらしい」
   ③「全世界に『日蓮仏法』を弘めたのは池田先生である」
   ④「池田先生は、日蓮大聖人の仏法を証明した法華経の行者である」
   ⑤「池田先生は、絶対に間違いのない方である」
   ⑥「池田先生のおかげで、これまで信心を続けることができた」
   ⑦「池田先生は、一人ひとりの会員を常に大事にしてくれる」
   ⑧「人生の師匠である池田先生にどこまでもついていく」
 十三、創価学会の組織体制について
   ①「創価学会は常に民衆の側に立つ宗教団体である」
   ②「創価学会には日本を動かす力があり、国民から信頼されている」
   ③「創価学会は完璧な組織である」
 十四、創価学会員について
   ①「創価学会員は地域に密着し、社会的弱者の面倒をみている」
   ②「有名人に創価学会員が多いのは、学会が正しい証拠だ」

第三章 創価学会に所属しているが、活動していない学会員に
 一、組織活動がきらいだから活動しない
 二、組織や会員にいやな思いをさせられたので活動しない
 三、創価学会は世間からの評判が悪いので活動しない
 四、親は創価学会員だが、自分は信心する気はない
 五、池田大作がきらいだから学会活動に参加したくない
 六、宗門を攻撃する創価学会の活動には参加したくない
 七、宗門と創価学会との「喧嘩」に巻き込まれるのがいやだから、学会活動をしない
 八、仕事が忙しいので学会活動に参加しない
 九、家庭を顧みない学会員の姿を見ると活動する気になれない

第四章 創価学会に疑問を感じている学会員に
 一、宗門を誹謗し続ける創価学会に疑問を感ずる
 二、創価学会は、なぜ宗門からの破折とそれに対する学会側の反論を、
    会員に知らせないのか

 三、創価学会は、なぜ日寛上人の本尊(ニセ本尊)に交換させるのか
 四、総本山や末寺に参詣できないなど、信仰のあり方が変わった創価学会
    に疑問を感ずる

 五、創価学会の首脳は、創価学会の信仰が本当に正しいと思っているのか
 六、池田名誉会長の行状やスピーチに疑問を感ずる
 七、謗法を犯している池田名誉会長になぜ罰がでないのか
 八、池田名誉会長の「称号・勲章集め」を礼賛する創価学会に疑問を感ずる
 九、聖教新聞・創価新報などの下劣な報道に疑問を感ずる
 十、創価学会の選挙・財務・新聞啓蒙のあり方に疑問を感ずる
   ①選挙活動
   ②広布基金・財務
   ③新聞啓蒙
 十一、創価学会の会則・規則の変更に疑問を感ずる
 十二、創価学会に、独自の教義はあるのか
 十三、日蓮正宗の教義を踏襲しながら、日蓮正宗を否定する創価学会に
     疑問を感ずる

 十四、創価学会の政治関与に疑問を感ずる
 十五、創価学会が他宗教と協調していることに疑問を感ずる
 十六、創価学会にまつわる反社会的行為に疑問を感ずる
 十七、創価学会員の批判拒否体質に疑問を感ずる

第五章 創価学会の間違いに気づいていながら脱会できない学会員に
 一、組織ぐるみの仕返しがこわいから脱会できない
 二、御本尊にめぐり合えたのは池田名誉会長と創価学会のおかげだから
    脱会できない

 三、創価学会員に世話になっているから脱会できない
 四、創価学会員から「反逆者」「恩知らず」との烙印を押されたくないから
    脱会できない

 五、生活や商売・仕事に差し支えるから脱会できない
 六、創価学会本部の職員なので脱会できない 
 七、友人のほとんどが創価学会員なので脱会できない
 八、家族が創価学会員なので、脱会すると家庭内に争いが起きる
 九、日蓮正宗の宗門や僧侶が信用できないから脱会できない
 十、宗門と創価学会が仲直りするのを待っているので脱会しない
 十一、宗門や僧侶の悪口をいってしまったので、いまさら脱会できない
 十二、「友人葬」を行ったから脱会できない

第六章 日蓮正宗に疑問を感じている創価学会員に
 一、日蓮正宗は、いまや「日顕宗」になっているのではないか
 二、宗門では、正法興隆に貢献した「池田先生」をなぜ呼び捨てにするのか
 三、池田先生を総講頭の職から罷免したのは「猊下の嫉妬」によるのではないか
 四、宗門は「法主本仏論・法主絶対論」を主張しているのではないか
 五、宗門では「法主は大御本尊と不二の尊体である」といっているが、
    これは謗法の論ではないか

 六、宗門では「法主に誤りはない」というが、法主にも間違いがあるのではないか
 七、宗門では「御書部分論」を主張しているが、大聖人の仏法は
    すべて御書に明かされているのではないか

 八、宗門では「信心の血脈は枝葉」「法体の血脈こそ根本」として、
    「信徒の成仏は法主によって決まる」と主張しているのではないか

 九、第九世日有上人は「血脈も法水も我々の信心とまったく同じものである」
    と説いているのでははいか

 十、法主は「本尊書写係りにすぎない」のではないか
 十一、宗門は日寛上人の御本尊を『ニセ本尊』といっているが、
     これは日寛上人を冒とくする謗法ではないか

 十二、宗門はなぜ創価学会の本尊下附を非難するのか
 十三、宗門では「御本尊には法主による開眼が必要だ」と主張しているが、
     これは根拠のないものではないか

 十四、宗門には「僧が上、俗は下」という僧俗差別観があるのではないか
 十五、宗門が聖教新聞などで非難されているのは、宗門が本当に悪いか
     らではないか

 十六、宗門僧侶は、なぜ創価学会員との法論や対話を避けるのか
 十七、宗門は長い間、創価学会をだましてきたのではないか
 十八、宗門は、学会を破門するために「C作戦」を画策していたのではないか
 十九、宗門は日蓮宗(身延派)と交流し謗法と化しているのではないか
 二十、宗門はかつて戦争に協力し、神札を祀るなどの謗法を犯したのではないか
   ①戦争協力について
   ②神札問題について
 二十一、大石寺は、遺骨をずさんに管理し、許可のない場所に埋葬する
       という法律違反を犯したのではないか

   ①「大石寺では、合葬納骨の遺骨をずさんに扱っているのではないか」
   ②「大石寺は、合葬の遺骨を不法投棄しているのではないか」
   ③「大石寺では、一時預かりの遺骨も合葬しているのではないか」
 二十二、釈尊は「僧侶は本来、葬儀に携わるべきではない」と説いたというが、
       宗門はこれに違背しているのではないか

 二十三、宗門は、葬儀において本来必要のない「導師本尊」や「引導」などを
       権威づけの道具に使っているのではないか

   ①導師本尊について
   ②引導文について
 二十四、宗門は、戒名や塔婆供養を金儲けの道具にしているのいではないか
 二十五、第十七世日精上人は釈迦仏を造立したのではないか
 二十六、第六十二世日恭が客殿の火災で亡くなったのは現罰ではないのか
 二十七、日顕上人は、禅寺の墓地に石塔を建立したのではないか
 二十八、日顕上人は、正本堂や大客殿を破壊して八百万信徒の真心を踏み
       にじったのではないか

 二十九、「芸者写真事件」で宗門が敗訴したのは、創価学会の主張が正し
       かったからではないのか

 三十、「クロウ事件裁判(シアトル事件裁判)」は和解したとのことだが、
     その内容について教えてほしい

 三十一、宗門は創価学会との訴訟で連戦連敗だと聞いているが
 三十二、日顕上人は、少欲知足の精神を忘れて腐敗堕落の元凶となっている
       のではないか

 三十三、日顕上人は、本門戒壇の大御本尊が偽物であるといっているのでは
       ないか

 三十四、日顕上人は法主を詐称しているのではないか
 三十五、僧侶は唱題も折伏もしないのではないか

第七章 法華講を知らない創価学会員に
 一、法華講の目的と名称の由来を教えてほしい
 二、法華講は脱会者の組織なのか
 三、法華講の組織形態について教えてほしい
 四、「寺信心では成仏できない」と創価学会ではいっているが、本当か
 五、法華講に入ると金がかかるのではないか
 六、法華講は衰退しているのではないか
 七、法華講員は宗門に隷属させられているのではないか
 八、法華講には、信心の歓喜がないのではないか
 九、法華講の組織に所属しなければ、日蓮正宗の信仰はできないのか
 十、法華講に入ると、創価学会の悪口ばかり聞かされるのではないか
 十一、法華講に入らないと、日蓮正宗の葬儀や法事をしてもらえないのか
 十二、法華講では、創価学会員からいやがらせを受けたときに守ってくれるのか
 十三、法華講員は、総本山や寺院参詣を強要されるか
 十四、法華講と創価学会の信心では、どのような違いがあるのか
   ①目的
   ②師弟
   ③参詣
 十五、法華講の信心活動とはどのようなものか
   ①勤行
   ②折伏の実践
   ③総本山・寺院への参詣
   ④教学の研鑽
 十六、法華講に入ると、創価学会と戦わなければならないのか
 十七、法華講には、新聞啓蒙や選挙活動などがあるのか
 十八、法華講では僧侶のむずかしい法話を聞かされるのではないか
 十九、法華講員の中にきらいな人がいるから、法華講に入りたくない
 二十、法華講に入講するには、どのような手続きや儀式が必要なのか

結   び

 


はじめに

2004-05-12 | 折伏教本

 この本は、創価学会員が、誤れる創価学会の実態を正しく認識し、一日も早く日蓮正宗の信仰に帰依することを願って書かれたものです。
 その内容は、すべて誠意をもって真実を述べたものであり、いたずらに創価学会を誹謗中傷するためのものではありません。
 本の構成は「総論」と「各論」に分かれています。「総論」では、創価学会の実態と誤りを総合的に要約して説明しています。「各論」では、現在の創価学会員が抱いているさまざまな疑問や考えを七つのタイプに分け、問答形式をもって説明しています。したがって「各論」のそれぞれの項目は、内容が独立していますので、どこから読み始めても理解できるようになっています。
 長年、創価学会に身を置いてきた人や創価学会を信じて疑わない人は、この本を開くことに、少なからずとまどいや抵抗を感じることでしょう。また創価学会が組織を通じて、この本を読まないように、との指示を出すに違いありません。
 しかし、ことはあなた自身の未来永劫にわたる幸福と成仏にかかわる重大な問題です。
 どうか勇気をもってこの本を開き、創価学会の実態と自分の置かれている現状をしっかりと見つめ直してください。
 この本によって、一人でも多くの創価学会員が正しい信仰に目覚め、真の幸福と成仏への道を歩まれることを祈ってやみません。


日 蓮 正 宗 宗 務 院


第一章 創価学会員であるあなたへ


総論 第1章 創価学会員であるあなたへ

2004-05-12 | 折伏教本

第一章 創価学会員であるあなたへ

 現在、創価学会は日蓮正宗に対して、さまざまに悪宣伝を繰り返していますが、それにとらわれていると、信仰の目的である成仏の大道を見失います。
 あなたにとって大切なことは、そのような悪宣伝に振り回されるのではなく、日蓮大聖人の仏法と創価学会の本質を冷静に見つめ直すことです。
 創価学会が宗門を非難している一々のことがらについては、各論において触れることとし、ここでは創価学会が、あなたに真の幸せをもたらす集団であるかどうかについて、順を追って説明します。

  一、初心に帰ろう

 創価学会員であるあなたは、どのような動機で入会したのでしょうか。
 入会当時を思い起こしてみてください。入会の動機としては、
  ○自分の悩みを解決するため
  ○家庭の悩みを解決するため

  ○自分自身の幸せのため
  ○友人ができると聞いたから
  ○学会活動に魅力を感じたから
  ○広宣流布、世界平和の思想に共鳴したから
などが挙げられるのではないでしょうか。
 これらの入会動機は、突き詰めると、いずれも「幸せになりたい、充実した人生を送りたい」ということになるでしょう。

  二、「成仏」こそ最高の幸福境界

 仏教の目的は、衆生を成仏に導くことにあります。
 釈尊は、法華経『方便品』に、
 「諸仏世尊は、衆生をして、仏知見を開かしめ、清浄なることを得せしめ
 んと欲するが故に、世に出現したもう」(法華経一〇二㌻)

と説かれ、仏がこの世に出現して法を説くのは、衆生を成仏に導くためであると示されています。
 日蓮大聖人は、
 「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり」
                 (日女御前御返事 御書一三八八㌻)
と仰せられ、南無妙法蓮華経の大法を信受して成仏することが、人生においてもっとも大切であると教えられています。
 この成仏こそ、もっとも幸せな境界であり、充実した人生といえるのです。
 したがって、あなたは成仏への道を歩むべきです。
 そのためにも、創価学会が人々を成仏に導く集団であるかどうかを、基本に戻って考えてみる必要があります。


第二章 日蓮正宗と創価学会


総論 第2章 日蓮正宗と創価学会

2004-05-12 | 折伏教本

第二章 日蓮正宗と創価学会


  一、創価学会とは

 創価学会の始まりは、日蓮正宗の信徒であった牧口常三郎氏が中心となり、昭和十二年五月に教育者の集まりである「創価教育学会」を発足したことにあります。
 初代会長牧口氏のあとを受けた戸田城聖氏は、同二十一年一月に名称を「創価教育学会」から「創価学会」と改め、日蓮正宗の信徒団体として出発しました。
 同二十六年五月に第二代会長に就任した戸田氏の指導によって、創価学会は猛烈な折伏弘教を展開し、会員数は飛躍的に増大しました。
 その後、創価学会は、第三代池田大作、第四代北条浩、第五代秋谷栄之助がそれぞれ会長に就任し、日蓮正宗の信徒団体として活動してきました。
 その間、創価学会は最盛期には八百万世帯の大組織となり、政界に多数の議員を送り出したことなどにより、学会こそ一切の中心であるとの慢心を起こしました。

 そして、昭和四十七年に正本堂が建立されたことをきっかけとして、宗門の伝統法義から逸脱するに至りました。しかし宗門からの厳しい指摘を受けて、創価学会・池田大作は反省の姿を示したため、時の御法主日達上人は創価学会が信徒団体として正しく歩んでいくことを条件として、これを容認さ
れたのです。
 ところが、平成二年十一月十六日、当時日蓮正宗の全信徒の代表である法華講総講頭を務め、創価学会名誉会長であった池田大作は、これまで創価学会を賞賛し守られてきた御法主日顕上人を突如誹謗するスピーチを行いました。これはかつての反省を反故にした背反行為であり、信仰上の重大な誤りだったのです。この創価学会の誤りに対して、宗門は再三にわたって善導し訓告を与えましたが、いっこうに過ちを改めようとしなかったため、平成三年十一月二十八日、創価学会を破門に処しました。

 日蓮正宗から破門された創価学会は、創立以来の存立基盤を謳った会則から「日蓮正宗の教義に基づき」や、日蓮大聖人出世の本懐である「本門戒壇の大御本尊を根本とする」などの文言を抹消しました。
 しかしその後も創価学会は、日蓮大聖人の仏法を根本とする教団であることを標ぼうしています。
 「創価学会会則」に、
「第4条 この会は、日蓮大聖人の仏法に基づき、弘教および儀式行事を行い、会員の信心の深化、確立をはかることにより、日蓮大聖人の仏法を世界に広宣流布し、もってそれを基調とする世界平和の実現および人類文化の向上に貢献することを目的とする」(聖教新聞 平成十四年四月一日付)
とあるとおりです。


  二、日蓮大聖人の仏法

 日蓮大聖人は、法華経に予証された「法華経の行者」として、末法の世に出現されました。そして、末法の御本仏として一切衆生を救済するために南無妙法蓮華経の教えを説かれました。
 日蓮大聖人は弘安二年十月に述作された『聖人御難事』に、
「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。(中略)余は二十七年なり」(御書一三九六㌻)
と仰せられていることからも明らかなように、宗旨建立より二十七年目に当たる弘安二年十月十二日に、出世の本懐として本門戒壇の大御本尊を御図顕されました。この大御本尊こそ、南無妙法蓮華経の教えそのものであり、日蓮大聖人の仏法の根本法体なのです。
 また、御入滅に先立ち、

「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。(中略)就中我が門弟等此の状を守るべきなり。
  弘安五年壬午九月 日   血脈の次第 日蓮日興」

                                               (日蓮一期弘法付嘱書 御書一六七五㌻)
との相承書を認められ、日蓮大聖人の仏法の一切を日興上人に付嘱されたことを明示されています。
 日蓮大聖人以来の唯授一人の血脈相承は、第二祖日興上人をはじめとする代々の御法主上人猊下に受け継がれ、現在は第六十七世日顕上人に継承されています。
 日蓮大聖人の仏法は、この本門戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を根本とします。


  三、日蓮正宗とは

 日蓮大聖人の仏法の根本である本門戒壇の大御本尊と、唯授一人の血脈は、富士大石寺に伝えられています。
 この大石寺を総本山と仰ぎ、日蓮大聖人の仏法を実践して、広宣流布をめざしている唯一の宗団が「日蓮正宗」です。
 日蓮正宗の僧俗は、本門戒壇の大御本尊を信仰の根本とし、唯授一人の血脈に随順して、自行化他の信心に励んでいます。この日蓮正宗の信仰によってこそ、初めて成仏が叶うのです。
 日蓮正宗の教えから離れた創価学会には、もはや日蓮大聖人の仏法は存在しないのです。


第三章 創価学会の謗法


総論 第3章 創価学会の謗法

2004-05-12 | 折伏教本

第三章 創価学会の謗法


  一、大御本尊から離れた創価学会

 日蓮大聖人の仏法を正しく信仰するということは、大聖人以来の血脈に随順して、根本の法体である本門戒壇の大御本尊を信受することであり、その信仰こそ真実の功徳と成仏があるのです。
 しかし、現在の創価学会員は、総本山大石寺に参詣することも、本門戒壇の大御本尊を拝むこともできない状態です。
 それは創価学会が許されざる謗法集団と断定されたからにほかなりません。
 創価学会では、会員に対して、総本山に参詣できなくなった理由として、
 「宗門が学会員の参詣を拒否したから」
 「大石寺が謗法の山となったため、参詣し供養することは謗法与同になる
 から」
 「現在、戒壇の大御本尊は、日顕宗に乗っ取られた状態にあるから」
などと言い訳をしていますが、大御本尊から離れた者が、いかに理屈を並べても、正しい教えから外れているという事実に変わりはないのです。


【資料】
◇「本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり」

                                                                                    (日寛上人・文段一九七㌻)
◇「総本山の大御本尊にお会いするのは、親もとへ帰りたいといった気持ちで、なつかしがってくるようでなければなりません」(戸田城聖全集二―二七㌻)


  二、唯授一人の血脈を否定する創価学会

 創価学会は、血脈について、
 「法主だけに流れる血脈などはない」
 「信心さえあれば誰にでも血脈が流れる」
 「創価学会の信心にこそ血脈が流れている」
などと主張していますが、これは明らかに日蓮大聖人の御教示に背く邪説です。
 このように創価学会は、一方では唯授一人の血脈の存在を全面的に否定しながら、もう一方では「法主の血脈が途中で断絶した」とか、「相承の儀式が行われていない」「血脈が汚れた」などといって、唯授一人の血脈の存在を認めたうえで誹謗するなど、まったく矛盾した言動を繰り返しています。
 つまり、創価学会には宗祖大聖人以来の唯授一人の血脈に関して、一貫した主張などはなく、ただ唯授一人の血脈の尊厳を貶めようとする〝罵り〟があるだけなのです。


【資料】
◇「よく信心の血脈を問題にする者がいる。生死一大事血脈抄に『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』とある文をもって、信心さえあればよいとする立論である。誰でも自由に継承できるなどというのはこれだ。(中略)有名無実の信心をふりまわして、付属相承を否定するのは、総別の二義に迷惑し、師弟相対の深義に暗く自ら混乱を好む仕わざではないか」(大白蓮華 掲載論文 昭和四十一年九月号三五㌻)

◇「正信会の輩が血脈の否定にいかなる口実をかまえようとも、ことの本質は彼らの信心の根本の狂いにある」
(平成三年一月一日付文書「『お尋ね』に対する回答」秋谷栄之助 大日蓮号外八九㌻)

  三、僧宝を誹謗する創価学会

 総本山第二十六世日寛上人は、『当家三衣抄』に、
「南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山・付法・南無日興上人師。南無一閻浮提の座主、伝法・日目上人師。嫡々付法歴代の諸師」(六巻抄二二五㌻)

と仰せられ、日興上人をはじめとする代々の御法主上人を僧宝として敬うべきことを教えられています。
 しかし、創価学会はこの日寛上人の御教示に反して、日興上人お一人が僧宝であると決めつけ、御歴代上人に対してさまざまに誹謗中傷を加えています。
 これら創価学会の法主誹謗は、会員に「法主にも謗法や誤りがある」との考えを植えつけ、創価学会を破門した処置は「日顕(上人)の誤りによるもの」であり、「学会には非がなかった」と、自らを正当化するためのものなのです。
 しかし、創価学会が日蓮正宗から破門された原因は、ひとえに創価学会が謗法を犯したからであり、その責任はすべて池田大作にあるのです。にもかかわらず、その一切の責任を日顕上人になすりつけるなどは、卑劣きわまりない行為というほかはありません。
 創価学会は連日、口をきわめて日顕上人を誹謗し、御歴代上人の非をあげつらっていますが、日蓮大聖人は『四恩抄』に、
 「僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す」(御書二六八㌻)
と仰せになり、僧宝によって仏宝・法宝が正しく伝えられていくことを示され、僧宝を敬うべきことを教えられています。
 御法主上人への悪口雑言を繰り返す創価学会は、僧宝誹謗の大罪を犯し、日蓮大聖人の教えに反逆していることを知るべきです。


【資料】
◇「人のなかでも、りっぱな僧侶と名づくべき百数十人の小さな教団がある。この教団こそ日本の宝であり、仏のおおせの僧宝であると、万人の尊敬すべきところで、まことにめずらしい教団である。日蓮正宗の僧侶の教団こそ、これである」(戸田城聖全集一―四三㌻)

  四、『ニセ本尊』を配布する創価学会

 創価学会は平成五年十月に至り、突然、本尊を勝手に作製し配布し始めました。
 この本尊は、栃木県・浄圓寺に所蔵されている日寛上人御書写の御本尊をコピーし、さらに御本尊に認められていた「本證坊日證授与」という授与書きを抹消して作り上げたものです。
 日蓮正宗では、この創価学会作製の本尊を『ニセ本尊』といっています。
 その理由は次の三点に要約されます。
  ○御法主上人の許可を受けていない
  ○総本山から下附されたものではない
  ○創価学会が勝手に作製したものである
 創価学会では、「自分たちは和合僧団であり、信心の血脈が流れているから、御本尊を配布する資格がある」「広布を願う一念があれば資格がそなわる」などと吹聴しています。
 しかし、『本因妙抄』に、
 「血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり」(御書一六八四㌻)
と御教示されているように、戒壇の大御本尊の護持並びに御本尊の書写と授与など、御本尊に関する一切の権能は、唯授一人血脈付法の御法主上人に限るのです。
 したがって、創価学会が勝手にコピーして作った『ニセ本尊』は、姿や形は日寛上人の御真筆とそっくりであっても、御法主上人の許可も開眼もないので、御本仏の「たましい」が込められていない偽物です。
 しかも『ニセ本尊』は、正法に敵対する者の手によって作られたものですから、『ニセ本尊』には魔の力がこもっており、これを拝むと大謗法の罪によって厳罰を受け、永く地獄に堕ちる結果となります。


【資料】
◇「いわゆる付属のないもの。これは偽札本尊といって、これらを本尊と立てる連中は、御本尊は誰が書いてもよいなどと考えているのである」(折伏教典改訂三十二版三四五㌻)
◇「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない(中略)ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている。だからコワイ」(戸田城聖指導 大白蓮華 昭和三十四年七月号九㌻)


第四章 創価学会の体質


総論 第4章 創価学会の体質

2004-05-12 | 折伏教本

第四章 創価学会の体質


  一、独善体質

 創価学会では、「学会こそ唯一正義の集団である」「学会を批判する者はすべて悪である」などと声高に叫び、批判者に対しては悪口雑言をもって誹謗中傷の限りを尽くしています。
 このような創価学会の独善的体質は、自分たちが信奉する日蓮大聖人の仏法がもっとも正しいことをもって、あたかも自分たちの組織までもが正しいかのように錯覚したことに起因します。またこの体質は、池田大作の慢からくるものであります。これらのことから、「創価学会こそ唯一の無謬集団である」との慢心をもつに至ったのです。
 こうした独善的な慢心は、他者からの正当な評言や批判を聞き入れないばかりか、批判する人に対して恨みや憎しみを抱くことになります。
 創価学会内部においても、会員が池田や組織について、批判めいた言葉を口にするならば、組織を挙げて「信心がおかしくなった人」「裏切り者」などの烙印を押し、集団的イジメを加えることが多いようです。
 世間から創価学会が、「批判拒否の集団」と揶揄され、きらわれているのも、創価学会特有の独善的体質によるのです。


【資料】
◇「広宣流布の同志を裏切った者の大罪を、厳然と天下に公表したい」
      (池田大作スピーチ 聖教新聞 平成六年九月二日付)


  二、攻撃体質

 池田大作は、「創価同窓の集い」において、多くの学生に対して、
 「師である私が迫害を受けている。仇を討て。言われたら言い返す。打ち返す。切り返す。叫ばなければ負けである(中略)私の仇を討つのは、創価同窓の諸君だ」(平成八年十一月三日発言)
と述べ、多感な若者に対して、恨み・憎しみの心を煽り、批判者に対する仕返しをけしかけています。
 「勝つか負けるかなんだ。(中略)やられたらやりかえせ。世間などなんだ。(中略)反逆者には、『この野郎!』『馬鹿野郎!』でいいんだ」(平成元年三月十二日 埼玉指導での発言)
 また、一般の学会員に対しても、
 「怒りの炎を燃やして『戦闘』する!『叱咤』する!『攻撃』する!『追撃』する!これこそが仏法であり、正しき人間の道である」(聖教新聞 平成十一年十月十一日付)
などと指導して、憎しみと怒りをもって敵対者を攻撃するよう扇動しています。
 このような指導を鵜のみにして、批判者を攻撃するのが創価学会です。その方法は、日顕上人に対する「写真偽造」に見られるように、相手の誤りや欠点になりそうな話をデッチ上げ、それを繰り返し宣伝するというものです。
それは、池田大作の「嘘も百遍いえば本当になる」との卑劣きわまりない考えにもとづいたものなのです。
 このような仕返しや攻撃の指導が繰り返されることによって、創価学会員の心はますます荒廃し、人格は破壊されていくのです。

  三、欺瞞体質

 創価学会の組織には、信仰活動を指導し世界平和を標ぼうする表の面と、批判者を攻撃し社会を欺く謀略組織としての裏の面とがあります。
 一般の学会員は、創価学会が信仰活動と世界平和を推進するための組織であると思っていますが、もう一つの謀略組織としての側面を知りません。創価学会には、これまで会員の目から覆い隠された事件や問題が数多くあります。社会的に公になったものとして、次のような事件が挙げられます。
 ◇替え玉投票事件
 昭和四十三年の参議院議員選挙の際、組織ぐるみで投票入場券を盗み、学会員が本人になりすまして公明党に投票した事件です。このとき、新宿区を中心に十万通もの投票入場券が消え、実行犯として三名の創価学会員が有罪判決を受けました。
 ◇言論出版妨害事件
 昭和四十四年暮れに表面化した事件で、創価学会・公明党の実態に疑問を投げかけた、明治大学教授の藤原弘達氏の著書の出版がきっかけとなって起こった事件です。
 このとき創価学会は、著書と出版社に対し、政治家まで使って出版を差し止めるよう働きかけました。それがかなわず出版されるや、それを闇に葬ろうとしたり、組織力を動員して会員にいやがらせの電話を掛けさせました。
 この事件は、世間でも大きな問題として採り上げられ、このため池田大作は昭和四十五年五月三日、本部総会の席で世間に対して謝罪しました。
 ◇電話盗聴事件
 昭和四十五年、創価学会が組織ぐるみで共産党の宮本委員長宅の電話を盗聴した事件です。のちの裁判では、北条浩会長(事件当時は副会長)の資金提供のもと、学会の組織ぐるみで行われた犯罪であったことが確定しました。
 ◇NTTドコモ通話記録窃盗事件
 平成十四年四月、創価学会幹部が、NTTドコモから通話記録を盗み出し、それを元にいやがらせ行為を働いた事件です。この事件では、創価学会全国副青年部長や創価大学職員などが逮捕・起訴され、同十一月に有罪判決を受けました。盗み出された通話記録には、創価学会脱会者や創価学会批判者も含まれていました。
 ◇「ヤフーBB」インターネット情報流出事件
 平成十六年二月、警視庁捜査第一課は、元創価学会創価班全国委員長・全国副男子部長のTと元創価学会函館副圏長のYら三名を恐喝未遂容疑で逮捕しました。これは、インターネット接続サービス「ヤフーBB」の契約者、約四六〇万人分の情報が流出するという、史上未曾有の個人情報漏洩事件が発生し、それによって入手した顧客データをもとに、ソフトバンク社を恐喝した疑いによるものです。逮捕されたTは、かつて創価学会本部職員当時、共産党・宮本委員長宅の電話盗聴事件でも実行部隊の責任者としてかかわり、逮捕・起訴された経歴の持ち主であり、池田創価学会の謀略を実行するメンバーのひとりでした。
 
 このほかにも、創価学会員が引き起こした社会的な事件や問題は数多くあります。
 また、創価学会員は脱会者などに対して、あらん限りの悪口雑言をもって攻撃を加えますが、選挙活動に入るや否や、同じ相手に対して臆面もなく近づき、作り笑顔で投票を依頼します。
 こうした学会員の二面性は、創価学会のもつ欺瞞体質がそのまま会員に投影されたものであり、会員が組織のロボットにされていることのあかしといえるのです。

  四、洗脳とマインドコントロール

   ①創価学会の洗脳
 「洗脳」とは「その人の思想や主義を全面的に変えさせること」をいいます。この言葉は、第一次世界大戦の頃、共産主義国家が国民の思想を統制し、徹底した偏向教育をもって国民全体を共産主義にしたことで広く用いられるようになりました。
 従来、創価学会員は誰もが「世界でもっとも正しい宗教は日蓮正宗」「総本山大石寺はもっとも尊い寂光土」「宗祖大聖人以来の唯授一人の血脈は代々の御法主上人によって継承されている」と教えられ、そのように信じてきました。しかし、平成二年の池田スピーチを境として、すべての会員が、「日蓮正宗は邪教」「大石寺は汚れている」「代々の法主に伝わる唯授一人の血脈はない」と逆転した思想にすり替えられています。
 こうした従来の主張と正反対の思想にすり替えるために、創価学会は、会員に対して、「権威・権力と闘う」「徹底して個人の人権を守りぬく」とのもっともらしいスローガンを掲げたうえで、日蓮正宗本来の僧侶のあり方を歪曲して「法主は権威主義である」「僧侶は信徒のうえに君臨している」などの妄説を作り上げました。そして会員に「法主を排撃し、宗門を指弾することこそ正義」という意識を徹底させていったのです。
 創価学会が、「法主は極悪」「宗門は腐敗」との主張を連日にわたって聖教新聞や創価新報に掲載し、繰り返し会員に指導していることこそ、創価学会の悪しき「洗脳」なのです。
 創価学会では、このような報道や指導を、「洗脳ではない」というかも知れません。しかし、かりに他者の誤りを指摘し破折するのであれば、あなたの行動や考えは、このような理由で間違っています」と示すだけでよいはずです。また、周囲の人にそれを徹底しようとするならば、一つの文書や言葉で伝えれば済むことではありませんか。
 それを執拗に繰り返すのは、洗脳以外の何ものでもありません。
 第二次世界大戦中、ヒトラーはナチス党員や国民を洗脳する手法について、次のように語っています。
 「(大衆の)感情は複雑なものではなく、非常に単純で閉鎖的なものなのだ。そこには、物事の差異を識別するのではなく、肯定か否定か、愛か憎しみか、正義か悪か、真実か嘘かだけが存在するのであり、半分は正しく半分は違うなどということは決してありえないのである」(『我が闘争』より)
と。
 このような短絡的思考をもととしたヒトラーの洗脳教育によって、ナチス党員は「すべてにユダヤ人はこの世に存在する価値のない極悪人」との考えをもつに到り、最後には何らのためらいもなく、ユダヤ人大量殺戮という悲惨な行為に走ったのです。
 創価学会が「学会は正義、宗門は極悪」「学会員は善人、脱会者は悪人」と、単純化した理論で会員を洗脳していることは、ヒトラーの洗脳手法そのものです。
   ②創価学会のマインドコントロール
 「マインドコントロール」という言葉は、オウム真理教事件で有名になりましたが、社会心理学者の西田公昭氏によると、「ある集団や個人が、自分たちの都合のいい目的のために、人の心をこっそりと操って自分たちの目的を達成するという手法をマインドコントロールという」と説明しています。
 また、「人の心を操る」という点では、マインドコントロールは催眠術にも通じます。ある催眠術研究家は「催眠術にかかると眠ってしまうと思う人がいるが、それは違う。催眠術にかかっても、自分が催眠状態であることに気づかずに生活していることもある」といっています。
 またアメリカの心理学者ワトソンは、次のような実例を挙げています。それは、動物好きの幼い子供に対して、子供が動物に近づくたびに大きなドラの音で脅かし、これを五回ほど繰り返すと、子供は動物に近づかなくなる、というものです。
 創価学会員は、創価学会によってマインドコントロールされています。
 創価学会の池田絶対主義に洗脳された会員にとって、「池田先生のために」の一言は、すべてに優先し、絶対的な価値をもつものです。
 一方、「日蓮正宗」「日顕(上人)」「大石寺」などの言葉を聞いたとたん、会員の心には、無条件で怨念と怒りの心がわき上がります。これが、池田創価学会によってマインドコントロールされている姿であり、正法を誹謗して恐れないという催眠状態におかれている証拠なのです。
 このようなマインドコントロールや催眠状態も、悪宣伝の繰り返しによってもたらされた不幸な結果なのです。

 オウム信者の救出にたずさわった人は語っています。
 「(信者を)家につれ帰ると、すぐカルトのメンバーが連れもどしにやって来るため、マインドコントロールを解く作業は、実家から離れたアパートなどで行われるのが普通だ。家族が付きそって同居。短くて半年、一年以上かかるケースもある。(中略)生半可な気持ちではマインドコントロールは解けない」
と。


第五章 池田独裁をめざす創価学会


総論 第5章 池田独裁をめざす創価学会

2004-05-12 | 折伏教本

第五章 池田独裁をめざす創価学会


  一、異常な創価学会の姿

 現在、創価学会は池田独裁集団をめざしています。このことを示す事例として、次のようなことが挙げられます。
 
◇平成十四年に改定した「創価学会会則」では、三代会長を「永遠の指導者」と定め、「広宣流布実現への死身弘法の体現者」と謳って、池田の神格化をもくろんでいます。
◇学会幹部は会員に、「池田先生は絶対である」「すべて池田先生のお陰」と指導し、「池田=仏」との思想を徹底しています。
◇池田はかつて、「学会子は名前もいらない、金もいらない、身体もいらない、奴隷のように学会につかえよ、それが御本尊様につかえる事だ」(昭和四十六年七月八日 社長会記録)といっています。ここで池田大作は、学会員はすべてをなげうって奴隷のように創価学会に仕えることが信心であり、自分以外の会員には名誉や財産は必要ない、と本音を吐いています。
◇創価学会の幹部はもちろんのこと、公明党の議員も、池田大作を守るためならば何でもするように指導されています。一例を挙げると、池田の国会での参考人招致を阻むために、公明党(当時新進党)の多数の国会議員が、国会内でスクラムを組み、審議を妨害し、世間のひんしゅくを買ったことは周知の事実です。(写真参照)
◇創価学会の実態は、口先では「人間主義」を標ぼうしながら、実際は創価学会に少しでも異議を唱える者をすべて敵と見なし、組織を挙げて徹底的に攻撃を加えるという独善的攻撃体質です。
◇池田大作を宣揚するために、全国の会館に「池田」の名をつけたり、会員に「♪センセ-、センセ-イ、わ-れらのセンセ-イ♪」などという歌を唄わせていました。
 また、創価学会の実態を物語るものとして、次のような事例があります。
◇平成十二年六月八日、フランス国営テレビ(チャンネル2)は、『創価学会―二十一世紀のセクト』と題するドキュメンタリー番組を放映し、「創価学会は、フランスでは、セクトの中で危険なものの一つ」として紹介し
 ました。
◇平成十三年三月七日付の毎日新聞朝刊一面トップに、「外務省が一九九三年に在オーストラリア日本大使館に対して行った内部査察で、大使館員が公金二百数十万円を流用した事実をつかんだにもかかわらず、処分を見送っていた」
 との報道記事が掲載されました。この外務省の公金流用事件について、駐レバノン 特命全権大使であった天木直人氏は、その著『さらば外務省!』(平成十五年発行)の中で、
 「公金流用の事実が発覚することだけではない。出納管理のE公使が、創価学会の青年部幹部であることは周知の事実である。自分の息子を大作と名づけるほどの忠実な池田大作信奉者のEが、もしYと共謀して公金を流用していた事実が明るみに出たらどうなるか。こまるのは外務省にとどまらない。これはなんとしてでも隠し通さなければならないと考える組織が、外務省の他にもあったとしたら、そして、その勢力が小泉政権と談合して、本件を闇に葬ったとしたら、奇しくも、調査委員会の指揮を執った荒木副大臣は公明党の参院議院である」(一一〇㌻)
 と、熱狂的な創価学会信者の姿と、公明党・創価学会に対する疑念を記しています。
◇創価学会を脱会した人の多くが、
 「創価学会が世間から不審な目で見られていたことがわかった」
 「自分が周囲から異常集団の一員と見られていたことがわかった」
 「脱会したことを周囲の人が心から喜んでくれた」
 「心おきなくつきあえる友達ができた」
 などと、脱会後の感想を述べています。

 このような創価学会の姿を、あなたは異常と思いませんか。

  二、敵対者を弾圧する創価学会

 創価学会には、「敵対者の存在を許さない」という根強い体質があります。
 特に脱会者に対しては、「自殺するまで追いつめろ」などの指導を行い、尾行や盗聴、暴行を加えるなど、さまざまないやがらせを行っています。
 このように、自分と対立する者に対して、憎悪の念をもって攻撃し、口を封じようとする創価学会の体質は、ヒトラーやスターリンが国民に対して言論統制を行い、政敵を弾圧し、粛正したことに相通じるものがあります。

【資料】
◇創価学会員による日蓮正宗寺院への放火未遂事件
「被告人は、宗教法人創価学会の会員で日蓮正宗法照寺の執り行う行事などに参加していたが、創価学会が日蓮正宗及び法照寺から不当な仕打ちを受けたと考え、法照寺に対する恨みを募らせ、この際、同寺に乱入した上、住職らの関係者の面前で同寺に放火して遺恨を晴らそうと考えるに至った」 (横浜地裁横須賀支部判決)

◇創価学会婦人部幹部による恐喝事件 

「静岡県警富士宮署は(中略)創価学会高松本部婦人部復本部長、主婦Hを恐喝未遂の疑いで逮捕した。調べによると、Hは(平成四年四月)二十日午後三時ごろから二十数回にわたって、同県富士宮市上条の日蓮正宗総本山大石寺に『境内に爆弾を仕掛けた。三億円を用意しろ』などと電話で脅した疑い」(読売新聞 平成四年四月二十二日付)
◇創価学会を脱会した元公明党福井県議会議員T氏へのいやがらせ
(テレビでも放映された)
「(電話の声)さんざん皆の世話になって、殺してやろうか、この野郎!ボケ!」                           (創価学会の光と影二五頁)


  三、総体革命をもくろむ池田ファシズム

 現在、創価学会は池田大作に洗脳された会員を、政界・法曹界・警察・マスコミなど、社会の中枢機関に送り込んでいます。送り込まれた会員は、創価学会員である正体を隠して中枢機関のなかに深く入り込み、時をまって一斉に決起することをめざしています。これを創価学会の首脳部では「総体革命戦略」と称しています。
 これは、日本を思いのままに操ろうともくろむ池田大作の野心を遂げるための手段であり、池田が口癖のようにいっている「天下を取る」ための策略なのです。
 いいかえれば創価学会は、総体革命をもって社会全体を池田独裁体制に組み込むことを理想とし、池田ファシズムの完成を夢見ているのです。
 「ファシズム」とは、独裁により個人の権利や自由を抑圧し、対外的には侵略・攻撃を加える、狂信的な排他的な思想や組織をいいます。
 池田大作はかつて「世間があっと驚いたときが広宣流布」と、その陰険な本心を漏らしたことがあります。
 創価学会が日本全国に広まったとき、ヒトラーやスターリンによる暗黒時代の再現にならないという保障はどこもありません。
 オウム真理教の信者たちは、教祖・麻原彰晃を「悟りを開いた絶対者」と崇め、誰一人疑う者はいませんでした。その麻原の指示のままに罪を犯した一人の幹部信者が、法廷で「こんなはずではなかった」といって無念の涙を流した事実を、あなたはよく噛みしめてみるべきです。

【資料】
◇「独立国を作ろうか、創価王国を作ろうか」
      (池田大作発言 昭和四十六年七月二十七日 社長会記録)


第六章 創価学会には功徳がない


総論 第6章 創価学会には功徳がない

2004-05-12 | 折伏教本

第六章 創価学会には功徳がない

  一、貧・瞋・癡の三毒にまみれた創価学会

 仏法では、人間の悩み苦しみの原因はすべて煩悩にあると説いています。
煩悩とは、心を悩まし身を煩わせる心の作用をいいます。この煩悩のもとになるものが貪(むさぼり)・瞋(いかり)・癡(おろか)の三毒です。
 創価学会は、池田大作の勲章あさりや天下取りの野望を満たすための集団であり、貪りの集団といえます。その集団のために活動し、さらに自分の欲得のみを願い、敵対者を罵り倒すことを第一に考えている創価学会員は、貪りの餓鬼道に堕ちています。
 また、破門された仕返しのために日蓮正宗を恨み、日顕上人に怒りと憎しみの矢を向けて、悪口雑言の限りを尽くす創価学会、それに与同して忿怒の形相で宗門や御法主上人を罵る創価学会員は、瞋恚の塊であり、まさしく地獄界そのものです。
 また、創価学会員は、創価学会の指導を鵜のみにし、聖教新聞や創価新報などの悪宣伝を信じ込み、感情にまかせて宗門や御法主上人に対する怨念・憎悪をつのらせています。自分で物事の本質を見つめることができず、冷静に判断する理性を失った学会員は愚癡そのものであり、畜生界の姿です。
 日蓮大聖人は貪・瞋・癡の三毒について『観心本尊抄』に、
 「瞋るは地獄、貪るは餓鬼、癡かは畜生」(御書六四七㌻)
と仰せられています。
 この御教示からも、貪・瞋・癡の三毒にまみれた創価学会員は、三悪道の苦しみから免れることはできないのです。


  二、正法の持者を誹謗する創価学会員は無間地獄

 法華経『法師品』に、
「是の法華経を読誦し持つこと有らん者に 須臾も悪言を加えんは 其の罪復彼に過ぎん」(法華経三二四㌻)
とあり、日蓮大聖人は『松野殿御返事』に、
 「法華経を持つ者は必ず皆仏なり。仏を毀りては罪を得るなり」(御書一〇四七㌻)
と仰せられています。
 すなわち、日蓮大聖人の仏法を正しく行ずるは日蓮正宗の僧俗に向かって、悪言を加えることは重大な罪を作ることになるのです。
 創価学会では、さかんに「御書根本」といいますが、「法華経を持つ」御法主上人をはじめとする宗門の僧俗に対して、悪言を加え、誹謗中傷する創価学会の、どこに「御書根本」の姿があるのでしょうか。それだけでも御書に背いていることは明らかではありませんか。
 法華経『譬喩品』には、
 「経を読誦し 書持すること有らん者を見て 軽賎憎嫉して 而も結恨を懐かん(中略)其の人命終して 阿鼻獄に入らん」(法華経一七六㌻)
とあります。
 これらの経文や御書に照らしても、正法を継承される御法主上人及び宗門の僧侶を恨んで誹謗し続ける創価学会員の罪は重大であり、無間地獄にあって永劫に苦しむことは間違いないのです。


  三、諸天の加護がない不正直の創価学会
 
 日蓮大聖人は『諫暁八幡抄』に、
 「八幡の御誓願に云はく『正直の人の頂を以て栖と為し、諂曲の人の心を以て亭らず』等云云」(御書一五四二㌻)
と仰せられ、八幡大菩薩をはじめとする諸天善神が、「正直の人」を守護する誓いを立てていることを御教示されています。
 さらに、この「正直」について、
 「正直に二あり。一には世間の正直、(中略)二には出世の正直」(同㌻)
と仰せられ、世間的な偽りがないという意味の「正直」と、仏法のうえで正しい教えを行ずるという意味の「正直」との二種類があると説かれています。
 まず、世間的な面からいえば、創価学会が不正直な集団であることは明らかです。一例を挙げれば、「大石寺では桜の木を全部伐った」「大石寺には野犬がウロウロしている」「お寺に行ったら何十万円も請求される」などの宗門に対する悪宣伝は、まったくのでたらめであり、その嘘は、実際に大石寺やお寺に行ってみれば、すぐわかることです。このほかにも創価学会が宗門攻撃のためにデッチ上げた偽りは数えきれません。
 それはまた、創価学会員がさかんに学んでいる『人間革命』についても同様です。創価学会では、『人間革命』の内容はすべて事実であり、池田大作の執筆によるかのようにいっていますが、その内容は事実と異なり、執筆も池田大作ではなく、代作者の手によるものであることは周知の事実です。これも創価学会の不正直な一面です。
 次に、仏法のうえから見るならば、「正直」の「正」とは「正法正義」の意であり、日蓮大聖人の仏法をさしています。
 日蓮大聖人の出世の本懐である本門戒壇の大御本尊から離れ、唯授一人の血脈を否定し、日蓮正宗の教義信仰に反逆する創価学会は、仏法上も不正直きわまりない集団なのです。
 このような、世間・出世間の両面ともに不正直な創価学会に、諸天善神の加護があるはずはありません。

  四、創価学会に功徳はない

 創価学会では「新しい御本尊(ニセ本尊)に替えたら、功徳がバンバン出た」などの話を、さかんに会員に吹き込んでいます。しかし、創価学会の『ニセ本尊』を拝んでも功徳は一切ありません。たとえ『ニセ本尊』で願いが叶ったなどの現証があったとしても、それは魔の通力によるものです。
 真の功徳と魔の通力の違いは、一つには、信受する教えが正しいものであるか邪なものであるかによって判別されます。真の功徳は、正法である日蓮大聖人の仏法を正しく信仰することによってのみ生ずるものであり、反対に、いかに利益めいた現証があったとしても、邪義邪宗によるものはあくまでも魔の通力でしかないのです。
 二つ目の違いは、正しい信仰によってもたらされる功徳とは、さらに大きな功徳となって、成仏の境界に導かれていくものですが、魔の通力による現証は、魔の用きによって貪・瞋・癡の三毒が強盛となり、最後には必ず三悪道に引き込まれる結果をもたらすものなのです。
 現在の創価学会員は、大謗法集団の中に身を置いているのですから、心身ともに汚され、人格が破壊されていくばかりであり、大御本尊の功徳など微塵もあるはずがありません。
 『論語』に「過って改むるに憚ること勿れ」(国語大辞典 小学館)との言葉もあるように、あなたは一日も早く勇気をもって誤った創価学会を脱会し、日蓮大聖人の仏法を正しく捧持する日蓮正宗に帰依すべきです。日蓮正宗の信徒として正しい信心修行に励むとき、初めてあなたは大御本尊の大利益に浴し、身も心も清浄となって即身成仏の大功徳を得ることができるのです。


第一章 一、創価学会は、何を目的として設立されたのか

 


一、創価学会は、何を目的として設立されたのか

2004-05-12 | 折伏教本

  創価学会は、日蓮正宗の信徒団体として設立されました。

 創価学会の使命と目的について、歴代会長の言葉を挙げてみましょう。
 初代会長牧口常三郎氏は、
 「大善生活がいかにして吾々の如きものに百発百中の法則として実証されるに到ったか。それには、仏教の極意たる妙法の日蓮正宗大石寺にのみ正しく伝はる唯一の秘法があることを知らねばならぬ」
              (大善生活実証録 第四回総会報告一三㌻)
 「どこまでも御開山上人の正しく御伝へ下された、日蓮正宗大石寺の御法義に従ひ奉って『自行化他』の大善生活をなし、国家教育の革新に貢献したい」(大善生活実証録 第五回総会報告五㌻)
と述べています。
 第二代会長戸田城聖氏は、
 「日蓮大聖人様から六百余年、法灯連綿と正しくつづいた宗教が日蓮正宗である(中略)この仏法こそ、私たちを真に幸福にみちびいてくれる宗教であることを、私たちは日夜身をもって体験しているのである」
                    (戸田城聖全集三―一一一㌻)
 「私たちは無知な人々をみちびく車屋である。迷っている人があれば、車に乗せて大御本尊様の御もとへ案内していくのが、学会の唯一の使命である。宝の山にはいって宝をとるかとらないかは、その人の信心の結果であって、ただ宝の山たる大御本尊様へ案内するのが、われわれ学会の尊い使命なのである」(同一一三㌻)
 「なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない(中略)今後も、できるだけ多くの会員を登山させるよう、計画を立てたいと思っている」(戸田城聖全集三―四九〇㌻)
といっています。

 また、第三代会長の池田大作もかつて、初代・二代会長の言葉を受けて、
 「わが創価学会は、日蓮正宗の信者の団体であります。したがって、私どもは、大御本尊様にお仕え申し上げ、御法主上人猊下に御奉公申しあげることが、学会の根本精神であると信じます」
(昭和三十五年五月三日会長就任挨拶 大白蓮華 昭和三十五年六月号七㌻)
と述べていました。
 これら歴代会長の言葉からも、創価学会が日蓮大聖人の仏法を正しく信仰する日蓮正宗の信徒団体として出発し、御法主上人の御指南に随順して信行に励んできたことは明らかです。


第一章 二、初代牧口会長・第二代戸田会長の入信の経緯について

 


二、初代牧口会長・第二代戸田会長の入信の経緯について

2004-05-12 | 折伏教本

 牧口常三郎氏は、昭和三年、法華講員であり常在寺信徒であった三谷素啓氏に折伏され、日蓮正宗へ入信しました。その後、戸田城聖氏も牧口氏の勧めにより、三谷氏に会い入信しました。
 牧口常三郎氏について、創価学会発行の『仏教哲学大辞典』には、
 「昭和三年五十八歳の頃、不思議な縁により日蓮正宗信徒三谷素啓の折伏を受けて入信」

(初版・五―六八二㌻)

とあり、『創価学会四十年史』には、
 「戸田城聖も、牧口の入信後、すすめられるままに、三谷に会い、その話を聞いて入信した。彼28歳の時である」(二六㌻)
と記述されています。


第一章 三、創価学会はどのような経緯で発足したのか


三、創価学会はどのような経緯で発足したのか

2004-05-12 | 折伏教本

 東京・白金小学校の校長をしていた牧口氏は、「価値創造」をもととする独自の教育方法を考案し、これを「創価教育学」と名づけました。
 やがてこれに共鳴する教育者が増え、牧口氏に続いて入信した戸田氏とともに、これらの人を日蓮正宗に入信させ、昭和十二年五月、「創価教育学会」の発会式を行いました。これが創価学会の起こりです。
 その後、太平洋戦争が勃発し、昭和十八年七月、牧口氏は治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕され、続いて戸田氏ら幹部も牧口氏と同じ容疑で逮捕されました。
 そして牧口氏は昭和十九年十一月十八日、拘置所において死亡し、戸田氏は昭和二十年七月三日に出所して、創価教育学会の再建に着手しました。
 昭和二十一年一月、名称を「創価教育学会」から「創価学会」と改め、日蓮正宗の信徒団体として出発しました。そして昭和二十七年八月二十七日には、信徒団体として異例の「宗教法人」を取得しました。


第一章 四、創価学会はどのような経緯で宗教法人を取得したのか


四、創価学会はどのような経緯で宗教法人を取得したのか

2004-05-12 | 折伏教本

 第二代戸田会長は、創価学会が「宗教法人」を取得するに際して、宗門に対し、
  一、折伏した人は信徒として各寺院に所属させること
  二、当山の教義を守ること
  三、三宝(仏・法・僧)を守ること
の三原則を遵守するとの約束をしました。
 そして昭和二十七年八月二十七日、東京都知事より宗教法人の認証を受けました。このときの「創価学会規則」には、
 「この法人は、日蓮大聖人の一閻浮提総与の大漫荼羅を本尊とし、日蓮正宗の教義をひろめ…」

(聖教新聞 昭和二十七年六月二十日付)

と、日蓮正宗の教義を広めるための団体であることを明記しています。


第一章 五、第三代会長池田大作の入信はどのようなものだったのか


五、第三代会長池田大作の入信はどのようなものだったのか

2004-05-12 | 折伏教本

 池田大作は、昭和二十二年八月二十四日、創価学会幹部であった小平芳平によって折伏され、日蓮正宗へ入信しました。
 池田は『人間革命』のなかで、戸田会長との最初の出会いのとき、あたかも自分が「地涌の菩薩」であるかのような即興詩を詠み、その後、入信を決意したと記していますが、それは自分を美化するための作り話です。
 実際は、池田自身が次のように語っています。
 「南無妙法蓮華経は嫌いだったので、ずいぶん反対したのですが、理論で破れて信仰しなければいけないということになってしまったのです。負けたのでシャクにさわってしかたがない(中略)家に帰っても三日間おがまずにほっておきました。三日目にものすごい雷が鳴って、私の上ばかりでゴロゴロ鳴って、私ばかり狙っているように思ったので、そのとき思わず南無妙法蓮華経と口をついて出ました」

(新心理学講座四 宗教と信仰の心理学五七㌻)


第一章 六、池田大作は、第二代会長から直接、第三代会長に指名されたのか


六、池田大作は、第二代戸田会長から直接、第三代会長に指名されたのか

2004-05-12 | 折伏教本

 創価学会では、池田大作が戸田第二代会長から直接次期会長に指名されたかのように会員に教え込んでいます。しかし、実際は側近幹部から後継者について尋ねられた戸田会長は、
 「それは、お前たちが決めるんだ」(有徳王一三九㌻)
と答えたと、その場に立ち会っていた龍年光氏が述懐しています。つまり、池田大作は戸田会長より直接、第三代会長に指名されたのではなく、戸田会長の亡きあと、学会本部内の権力闘争によって会長職を手中に収めた、というのが真相です。第二代会長の死後、会長職が二年間にわたり空席だったことも、それを物語っています。
 昭和三十五年五月三日、池田大作が第三代会長に就任しましたが、池田はのちに、
 「自分は会長になりたくなかったので辞退したが、当時の小泉理事長から再三にわたって要請されたので、やむなく会長職を引き受けた」(池田大作 私の履歴書一二八㌻趣意)
などと、会長職を渋々受けたように語っています。
 しかしこれは、のちのためのポーズであり、むしろ、ひそかにねらっていた地位をようやく掌中に収めたというのが池田の本音だったのです。
 それは、会長に就任した池田が、のちに自分を第三代会長に推薦しなかった中枢幹部を次々に左遷したり、閑職に追いやった事実からも明らかです。


第一章 七、創価学会が政界に進出したのは、どのような経緯によるのか


七、創価学会が政界に進出したのは、どのような経緯によるのか

2004-05-12 | 折伏教本

 創価学会が政治の分野に進出したのは、昭和三十年四月・五月に行われた統一地方選挙が始まりでした。このとき創価学会員五十三名が地方議員となりました。
 翌三十一年七月に行われた参議院通常選挙で、創価学会は「王仏冥合」をかかげて六名の候補者を立て、そのうち三名が当選しました。
 このとき、第二代戸田会長は、
 「わしの力あるかぎりは、断じて政党などやらんぞ」(総合 昭和三十二年七月七日号)
といって、あくまでも政党を結成する意志がないことを表明していました。
 池田大作も会長就任直後は、
 「創価学会は衆議院には出ません。なぜかならば、あくまでも宗教団体ですから」(会長講演集一―八六㌻)

といっていましたが、昭和三十六年十一月には、「王仏冥合」をスローガンとした「公明政治連盟」を発足し、昭和三十九年には「公明党」を結成して、突如、衆議院進出を決定しました。このとき池田は本部総会において、
 「恩師戸田先生も時きたらば衆議院へ出よとのご遺訓があったのであります」

(聖教新聞 昭和三十九年五月五日付)

と、「恩師のご遺訓」なるものを持ち出して、自らの前言を翻したのです。
 そして公明党は、次第に池田の私党としての色彩を濃くし、変節を繰り返しながら、池田を守るために政治権力にすり寄っていったのです。


第一章 八、正本堂建立のとき、どのような問題が起こったのか