この御義口伝の文だけではなく、御書には随所に我々衆生が本仏であり、究極の存在であることを繰り返し述べられています。
『此の三身如来全く外になし我が身即三徳究竟の体にて三身即一身の本覚の仏なり、是を知るを如来とも聖人とも悟とも云う知らざるを凡夫とも衆生とも迷いとも申す』(P.412) (※一念三千法門)
(通解:この三身如来は全く外にあるものではない。我が身が即ち三徳究竟の本体であって、三身即一身の本覚の仏なのである。このことを知っている人を如来とも聖人とも悟とも言い、知らない人を凡夫とも衆生とも迷いとも言うのである。)
『凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり、然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うと思ひしに、さにては候はず返って仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり』(P.1358) (※諸法実相抄)
(通解:凡夫は体の三身であって本仏なのである。仏は用の三身であって迹仏なのである。したがって釈迦仏は我ら衆生のために主師親の三徳を備へておられると思っていたが、そうではなくて逆に仏に三徳を与えておられるのは凡夫である。)
『過去久遠五百塵点のそのかみ(当初)唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり』(P.1446) (※船守弥三郎殿許御書)
(通解:過去久遠五百塵点劫の当初における唯我一人の教主釈尊とは我等衆生のことである。)
これら大聖人の経文に照らせば、明らかに最高の凡夫である「法華経の行者」をこそ本仏とも究竟即の如来と呼ぶのです。したがって当然のように、この「法華経の行者」である如来を最大に尊敬することが法華経の相伝のポイントとなるのです。
次に『一念三千法門』と『諸法実相抄』と『船守抄』を引いて凡夫本仏をさえずっていますが、これは表現としては法華経本覚法門の談道でもあり、大聖人御書中において珍しい御指南ではありません。しかし、その中心に下種三宝の厳たる存在があってこそ、末法即身成仏の要道が確立するのです。それに全く背反する創価学会は、いかに凡夫本仏を誇張しても、所詮は空文となるのであります。
これらの御文について、その僣上の思い上がりは、既に先に出版した『創価学会の偽造本尊義を破す』のなかでも、また、当書においても破したところであるから、ここでは一々の破折を省略します。
ただし、その中心・肝要が、法即人の日蓮大聖人、人即法の戒壇の大御本尊にあり、その如実の信行を離れている以上、凡夫即仏にあらず、凡夫即獄となるのです。汝ら創価学会が、まさにその姿であります。
『此の品の時最上第一の相伝あり、釈尊八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲り給うなり八字とは当起遠迎当如敬仏の文なり乃至必ず仏の如くに法華経の行者を敬う可しと云う経文なり』(P.781) (※御義口伝)
(通解:普賢品の時に最上第一の相伝がある。釈尊の八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲られたのである。八字とは当起遠迎当如敬仏の文である。(中略)必ず仏に対するように法華経の行者=三類を呼び起こして妙法を広めた人、を敬わなければならない、という経文である。)
これこそが法華経の最高の相伝であり、我ら弟子もこの究極の人間尊敬の道を進もうではありませんか!
また、次に『御義口伝』の「当起遠迎当如敬仏」の文を執拗に引いて、いかにも池田と創価学会がその法華経の行者の如く言っていますが、これは先にも述べたように、御本仏大聖人の法華経の行者たる高徳を示された文であり、池田らのことではありません。
また、「当如敬仏」の道理について言えば、日興上人の『二十六カ条』の御文に、
「一、身軽法重の行者に於ては下劣の法師たりと雖も、当如敬仏の道理に任せて信敬を致すべき事」(御書一八八四)
と示されるように、日蓮正宗七百年の宗是として今日に至るまで、歴代上人乃至、僧俗が皆、これを実践しております。かえって、創価学会の思い上がりと我田引水の狭心による正法宗団への嫉視・敵視こそ、この御指南に背いているのであります。
ちなみに日蓮正宗の憲法である宗規の第1章宗綱(=教義の根本)には、第2条に血脈について定められた箇所がありますが、日顕宗が主張しているものとはかなり異なることが定められており、わずかに
「日興上人が弘安五年九月及び十月に総別の付嘱状により血脈を相承して三祖日目上人、日道上人、日行上人と順次に伝えて現法主に至る。」
としか書かれていません。
次に、彼等は日蓮正宗の「宗規」第一章「宗綱」の文を引いて、血脈について「日顕宗が主張しているものとはかなり異なることが定められてお」る、と言い、その文を挙げて「としか書かれていません」と、持ち前のずるさをもって、理由も挙げずに、この「宗規」の意義を葬り去ろうとしております。
総別の付嘱は、その弘宣・伝持における総示であり、そのなかに具体的には大御本尊の相伝、金口嫡々唯授一人の相伝、幾多の法門相承等を含むのであり、「総別の付嘱状により血脈を相承して」の文が、それを明示しておるのであります。そして「三祖日目上人、日道上人、日行上人と順次に伝えて現法主に至る」と、文は少ないが、極めて明確に相伝・相承の本義を述べております。
このどこが「異なることが定められてお」る、というのでしょうか。大聖人、日興上人の血脈相承の正義が、歴代上人を通じて現法主に至っていることは明らかではないですか。「としか書かれていません」などの言も、これだけはっきり書かれていれば充分であります。明白な文義を言葉のあやでぼかそうとする創価学会の愚劣・低見には、ほとほとあきれ返ります。
この総別の付嘱状とは、武田家の武士達に持ち去られ、すでに正本は存在しませんが、身延相承書(総付嘱書)と池上相承書(別付嘱書)のことです。
『日蓮一期の弘法,白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す,本門弘通の大導師たるべきなり国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり,時を待つべきのみ事の戒法とは是なり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり
日蓮在御判
血脈の次第 日蓮日興』(P.1600)
『釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当たるべきなり、背く在家出家どもの輩は非法の衆たるべきなり日蓮在御判』(P.1600)
この文を根拠に日顕宗は「大聖人から日興上人に、日興上人から歴代に血脈が相承され、日蓮一期の弘法が付嘱されている」と主張しますが、これらについても文証と証拠を一つずつ確認しながら要求しましょう。
(1)まず、「日蓮一期の弘法」として、「大御本尊」と「相承書も含めた御本仏の経文」以外に何が相伝されたのか、文証を出して説明させましょう。
次に「二箇相承」を挙げて、くどくどと述べたあと、(1)として「『日蓮一期の弘法』として、『大御本尊』と『相承書も含めた御本仏の経文』以外に何が相伝されたのか、文証を出して説明させましょう」と、小生意気な言を弄しています。汝ら謗法者に大法の相伝を説明する必要もなく、大聖人様の仰せの、
「法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ、御心得候へ」(御書一〇三七)
のお誡めよりしても、信解しようとしない者に言うことは謗法となるのであります。いかに教誡を加えても心に入れようとしない頑迷固陋な創価学会の信心は、それほど汚れているのです。
しかし、その浅識と思い上がりを破すため、敢えて一言すれば、日興上人より日目上人、そして歴代上人への付嘱は、総本山に厳護する譲座本尊および種々の文書に明らかです。さらに、あとのほうに出てくる彼等の愚論・愚推に対し、相伝の上からの破折を加えることも、正宗の僧俗の確信に資するため、やむをえないと思われます。
相承書については、日寛上人の「観心本尊抄文段」に日蓮正宗のみの相伝が列
記されています。
『故に当抄に於て重々の相伝あり。所謂三種九部の法華経、二百二十九条の口伝(御義口伝)、種脱一百六箇の本迹(百六箇抄)、三大章疏七面七重口決(本因妙抄)、・・・本尊七箇の口決(御本尊七箇相承)、三重の相伝(本尊三度相伝)、筆法の大事(御本尊七箇相承の追加)、明星直見の伝受(御本尊七箇相承の追加)、甚深奥旨、宗門の淵底は唯我が家の所伝にして諸門流の知らざる所なり』(文段集P.443)
一方で、堀日亨上人は「告白」という文書の中で、自分が受けた相承書の内容が、研鑽して来たものと比べて足りなかったため、特別な相承を引き継いだという他の者から話を聞かれたことを書かれています。
「日正師が特別の相承を預けたと云う者より其内容を聞き取りし事は。上求菩提の精神に合うやと憚りおる事」(「告白」昭和2年11月20日 堀 日亨)
こうした経緯を経て日亨上人は全ての相承書を開示してしまいましたが、富士宗学要集には相承書の幾つかは、大石寺には写本さえも残っていなかったことが記録されています。
次に、日寛上人の『本尊抄文段』の初めに示される重々の相伝の文を挙げて、これで相伝は全部であり、すべてそれは公開済みであって、今の法主にこれ以外の特別の相伝などはないという趣意ですが、これはあとにも彼等が挙げているので、その時に明らかに破折することにいたします(本書204頁を参照)。
次に、日亨上人の「告白」を挙げていますが、別にどうということもありません。否、むしろ当時の、ある状況下のことを正直に述べておられるこの文言から、非公開の特別の文書の一部があったことが当然、窺われるのです。したがって、それらの愚論に続いて「こうした経緯を経て日亨上人は全ての相承書を開示してしまいました」云々と言うのは、彼等の浅識による推測であり、真っ赤な偽りの言であります。
日亨上人がすべての相伝書を公開したという明確な証拠があるなら出しなさい。そんなものは絶対にあるはずはないのです。このような大事を、証拠もなく当てずっぽうを言う創価学会の言論一切は虚偽である、と断じます。
具体的には、日蓮大聖人から日興上人への相伝書のうち「百六箇抄」、「産湯相
承事」、「御本尊七箇相承」、「寿量品文底大事」は日蓮正宗の相承(相承箱の中
身)からは欠落していたのです。
『編者曰く日辰上人・日我上人等古写本に依って之を写し』(富士宗学要集第1巻P.25百六箇抄)
『編者曰く房州妙本寺日山 我師門下 写本等に依って之を写し」(富士宗学要集第1巻P.29産湯相承事)
『編者曰く房州日山写本等に依って之を写す』(富士宗学要集第1巻P.33御本尊七箇相承)
『編者曰く房州日山写本等に依って之を写し』(富士宗学要集第1巻P.43寿量品文底大事)
これらの証拠に対して、反論が有れば当然文証を示し、証拠を出さなければ、日顕宗は邪教だ!という結論になるのです。
『若し証拠なくんば誰人か信ずべきや、かかる僻事をのみ構へ申す間・邪教とは申すなり』(P.1355) (※祈祷抄)
(通解:もし証拠が無ければ誰が信じることが出来ようか。このような歪曲したことばかりデッチ上げて言うから、そういう輩を邪教と呼ぶのだ。)
次に、日亨上人の記録によって『百六箇抄』『産湯相承事』『御本尊七箇之相承』『寿量品文底大事』は「日蓮正宗の相承(相承箱の中身」)からは欠落していた」などと、見てきたような浮言を吐いていますが、全く取るに足らない論です。また、彼等は、欠落した相伝書を日亨上人が各山の写本によって集めたと言っていますが、まことに一知半解以下の下司の勘ぐりであります。
それならば、日亨上人以前、この四書は全く日蓮正宗大石寺になかったと言うのでしょうか。しからば、彼等もたびたび挙げる日寛上人の『本尊抄文段』の重々相伝と言われる箇条を見なさい。ことごとく挙げられているではありませんか。また、日亨上人以前の歴代上人の著述中に、これらの文書が明らかに示されております。
日亨上人は、諸山の文書を種々集められたから、記録に書かれたまでであります。右四書の相伝が欠落していたとは「葦の髄から天井のぞく」式の短見であり、これらの証拠にならぬ難癖をつけて日蓮正宗の相伝を否定せんとしても、所詮、不可能であるとともに、このような心理こそ、まさに池田創価学会の邪教であることを示すものであります。
(2)日興上人から今まで正しく伝わっている証拠を出せ!と攻めましょう。
身延相承書によって、大聖人から日興上人に正しく仏法が伝えられたことは十分納得できます。だからこそ日興上人を久遠元初の僧宝と呼ぶのです。このことは文証も完全です。
次に(2)として「日興上人から今まで正しく伝わっている証拠を出せ!と攻めましょう」という無知無慙な言は、日蓮正宗憎し、日顕憎しの下劣な心情で盲目となった、居丈高の地獄相であります。第一に「証拠、証拠」と言うのは、自ら信心欠落した邪宗教の証拠であるとも言えます。彼等が「文証、文証」と言って文証を求める莫迦の一つ覚えに対し、これは道理、文証、現証と、三証を具足して明らかであると教えておきます。
○道理は、
一に、本仏日蓮大聖人の万年救護のために立てられた日蓮、日興、日目、日道乃至、歴代の血脈が途中で消えたなら、日蓮大聖人は本仏ではない道理である。まさに宗祖三世常住の御加護により、法脈は今日、日顕に至るまで、厳然と伝わっているのであります。
二に、本門戒壇の大御本尊を御守護申し上げるところに法脈あり。故に常住の法脈は絶えない道理であります。
○文証は、
歴代各上人の著述、文書、史書に山積します。よく目を開いて天日を見よ。日顕憎しの劣情で盲目となっているから、これらの文証が見えないのであります。また、さらに文証は汝らのところにもあるのであります。
昭和五十七年七月二十四日、創価大学体育館における池田大作の発言に、
「日蓮正宗における根本は、唯授一人の血脈である。その血脈相承の御法主上人に随順しゆくことこそ、僧俗の正しいあり方である。この一点を誤れば、すべてが狂ってくるのである」(広布と人生を語る 三-三二)
と言っています。すなわち、大作は、唯授一人の血脈が正しく伝わっていることを、明らかに述べているのです。さらに、現在の創価学会が「この一点」を誤る故に、すべてが狂ってしまったことを、池田大作自らが証明しているのです。この自語相違を、なんと説明するのでしょうか。
○現証は、
唯授一人の血脈を中心とする、今日の日蓮正宗における僧俗和合の厳然たる仏法護持興隆の姿であり、さらに、過去の創価学会の日顕書写本尊を会員に拝ませていた現実、そのほか、あらゆる事相がこれを証明しております。
所詮、血脈を今になって否定するのは、創価学会の勝手な謗法の見解にほかならない、と指摘するものであります。
しかし、日目上人以降で、法水が法主から法主に途切れずに伝えられたという証拠があれば出してみなさい、と攻めるべきなのです。
すぐ前に挙げた三証で充分です。しかし、さらに明証を挙げれば、日寛上人の『文底秘沈抄』に、
「而して後、法を日目に付し、日目亦日道に付す、今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し」(大石寺版六巻抄六五)
と、血脈不断を宣示されているではありませんか。また、日亨上人の『化儀抄註解』に、
「再往末法に於いて義釈を為さば・此仏と云ふも此菩薩と云ふも・共に久遠元初仏菩薩同体名字の本仏なり、末法出現宗祖日蓮大聖の本体なり、猶一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり」
(富士宗学要集一巻一一七)
とある文を刮目すべきであります。
創価学会は何かというと「日寛上人は」「日亨上人は」と、いつも両上人を利用するが、それならこれらの文も謹んで拝承すべきであり、この明らかな文証がある以上、降伏すべきが当然です。降参するか、できないなら我見によって地獄行きとなるのです。
例えば富士宗学要集第5巻には18世日精の「富士門家中見聞」が掲載されていますが、日興上人の署名のある文書として、日興上人から新弟子六人(新六と呼ぶ)のうち最も優秀だった日代に対して相伝した旨が記録されています。
『日代阿闍梨を以て日興の補処(後継者)と為し大聖人御筆の大曼荼羅已下自筆の御書等之を相伝せしめ本門寺の重宝為る可きなり』(同P.202)
『六人の弟子を定むと雖モ日代は日興付嘱の弟子として当宗の法灯為る可し』(同P.200)
『日蓮上人御法立の次第、日興存知の分弟子日代阿闍梨に之を相伝せしめ畢ぬ』同P.201)
等と、日興上人から日目上人ではなく日代に相伝しているという証拠が残されていますが、これをどう説明するのでしょうか?(日顕宗の勉強不足を揺さぶるカードの一つです。歴代法主の言葉ですので、日顕宗は否定できないので、適宜御使用下さい。実は日精が要法寺日辰の「祖師伝」から引用してきたものです。)
次に、日興上人より日代師へ相伝があったことを挙げて、「どう説明するのか」などという愚問を出しています。この意味が、史実に暗い見解のため、わけが判らないのです。謗法者にはもったいないが、敢えて教えてやることにしましょう。
この創価学会で挙げる、日興上人より日代師への付嘱状なるものは、古来、「西山八通の遺状」と称するものです。付嘱に関する遺状を八通も日興上人が日代師に与えられたということは全く不自然であり、日興上人にこのような惑乱があるはずはないのです。故に日亨上人も、これら一連の文書についてその不当を論じ、最後の結論として、
「いたずらに偽文をありがたがっている人々の気がはかり知られぬ」(富士日興上人詳伝六一九)
と、はっきり否定されているのです。
彼等は、日精上人の『家中抄』に引用された「西山八通の遺状」を指して「歴代法主の言葉ですので、日顕宗は否定できない」云々と言っていますが、日精上人は『家中抄』の編纂に当たって、当時において入手し、見聞できうるすべての文献を収集・記載された旨を、
「唯見聞の及ぶ所纔かに之れを記録して未だ精密ならざるなり」 (日蓮正宗聖典六五〇)
と仰せられております。したがって、『家中抄』の引用文が玉石混淆の形を取っているのは、あらかじめ、その編纂の方針によるのであり、その正否をすべて論ずるところまでを、直ちに企図されていないことを知らねばなりません。
史料として挙げた文献を、直ちに歴代法主の言葉として「(宗門は)否定できない」などと決めつけたつもりの猿知恵を見れば、彼等の頭の程度が知られます。
日興上人は、正応三年、大石寺を建立とともに、譲座御本尊と大石寺の一切を内々に日目上人に譲られております。そして永仁六年、重須に移られたのは、一門の教学錬磨のため、重須談所を開かれる目的でありました。そして、いよいよ鶴林が近づかれるとともに、元徳年間、『日興跡条々事』を日目上人に賜い、正式に本処・大石寺を付嘱されたのであります。
そして、当時の史実のなかより、与えて考察するならば、正中年間、日興上人は日代師に重須の談所の差配を命じられたまでのことであるのです。正規の法体と唯授一人の血脈は、日目上人にましますことは疑いを容れません。故に『家中抄』の「日目上人御伝」中に、
「されば古より相伝して云わく、付嘱の弟子は日目、補所の弟子は日代」
(同六五八)
とある如くであり、大石寺の根本法体付嘱と、重須談所の所を付したのとは、およそ、意味も役柄も、ことの重大性も異なっているのです。
創価学会の如く、文書ばかりをあさって、その真偽や軽重を正しく見分ける眼のないのを「めくら法門」と言うのであります。
我々は正依である日興上人の「日興跡条々の事」と、日寛上人の「文底秘沈抄」に基づいて、日寛上人までは「大御本尊と相承書」は伝えられていたということは受け入れる事としましょう。では日寛上人以降はどんな証拠があるのでしょう?さらに証拠を求めましょう。
『日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊弘安五年御下文、日目に之を授与す』(富士宗学要集第8巻P.18)
『法を日目に付し 日目亦日道に付す今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如し清浄の法水断絶せしむることなし、蓮師の心月・豈之に移らざらんや、是の故に御心・今富山に住するなり』(六巻抄P.102)
結局のところ、法主から法主への血脈相承とは、大御本尊(大聖人の御心)と相承箱の中身であって、すでに堀上人が全世界に公開してしまった「二箇相承」や各種の相承書のことだと言っているのです。そして先述のとおり、それらは幾つもが紛失してしまっていたのです。
しかし、「生死一大事血脈抄」の大聖人の言葉に基づけば、血脈とは法主から法主だけに伝わるものなどとはどこにも書かれていないのです。
まず、「日寛上人以降、どんな証拠があるのか」と言うなら、前引の日亨上人の『化儀抄註解』を、もう一度、穴のあくほど見よ、と言っておきます。
さらに疑い深い者どもに対して教えれば、日淳上人は初転法輪の御説法のなかに、
「大聖人様から日興上人様への御相伝、日興上人様から日目上人様への御相伝、仏法の要を尽して御相伝あそばされてありまする。実に尊い所と拝する所であり、我が日蓮正宗は、この相承の家にありまして、この大聖人の尊い教を七百年の間一糸乱れず今日に伝へて居る次第でございまする」(日淳上人全集 上巻一九四)
と説かれており、その他、枚挙にいとまはありません。
だいいち、日寛上人までの血脈相承を一往認めるなら、以降の血脈伝承も当然、信ずべきであります。にもかかわらず、さらに証拠を求める頑迷固陋と卑劣さは、まことに畜生以下の愚か者と言うべきです。
くどいようですが、かたくなな彼等の迷妄を打ち破るために、再度、創価学会が自ら宣伝してきた文証を挙げておきましょう。
第二代戸田会長は創価学会第四回総会において、
「日蓮大聖人様から六百余年、法燈連綿と正しく続いた宗教が、日蓮正宗である。もっとも完全無欠な仏法が、日蓮正宗なのである」(戸田城聖全集三巻四〇八)
と指導しています。
また、池田大作自身も、
「大聖人の仏法は、第二祖日興上人、第三祖日目上人、第四世日道上人、および御歴代上人、そして現在は第六十七世御法主であられる日顕上人猊下まで、法灯連綿と血脈相承されている。ゆえに日顕上人猊下の御指南を仰ぐべきなのである」 (広布と人生を語る三ー二四九)
とも、
「大聖人御入滅の後、唯授一人・血脈付法された第二祖日興上人は、大聖人の広大無辺の大仏法を、いささかも違えることなく、令法久住されることに無量の辛労をつくされた。以来、法灯連綿と七百三十年のあいだ、厳護されてきた法水は、御当代御法主日顕上人猊下に受け継がれておられる」(同二九七)
とも明言しているではありませんか。これほど明らかな証拠を突きつけられても素直に認めようとしないが故に「畜生以下の愚か者」と言うのです。
次に『日興跡条々事』の御本尊に関する文と、日寛上人の四百余年血脈常住の文を引いていながら、法主から法主への血脈相承とは大御本尊と相承箱の中身で、それは日亨上人が全部、公開してしまったことだ、と断定しております。血脈を受けたこともない者が、その内容は全部、公開してしまったということが、明らかな文証もなくして、どうして判るのでしょうか。「認識せずして評価すべからず」との牧口氏の破折にも当たります。これは創価学会の浅識、勝手な判断と言う以外にはないのです。
そして『生死一大事血脈抄』によれば、血脈は法主から法主に伝わるなどとはどこにも書かれていない、と言っております。この迷見・短見は、血脈に法体、金口、法門、信心の四があることを知らず、それぞれの法門・法義は所対によることを知らないものであります。
「御書根本」とか「文証、文証」と言いつつ、法門の筋道・立て分けに無智で、大聖人一期の御化導全体に迷う故に、一つ覚えのことだけを論ずるのです。『生死一大事血脈抄』の文は、全体の法門・法義のなかで総別中の総の法門であり、信心の血脈から大御本尊に通ずる能通の功徳を述べ給う文であります。
一大秘法より開出される三秘であっても、文によって、その筋道の表現の種々相が存するのであります。彼等はなんでもかでも、凡夫本仏、凡夫成仏に結びつけ、血脈を否定せんとしますが、御書全体の趣意から見て、明白に切り文であります。創価学会の法義未熟の所以でありますが、これは中心を離れ、無理やりに中心の血脈を否定せんとする我意・我見によるからであります。
また、「化儀抄」や「有師化儀抄註解」にも法水は法主などからではなく御本仏日蓮大聖人から受けるもので、その法水が我々凡夫に通う姿を血脈相承と呼ぶのです。凡夫の一人でしかない法主が邪心迷信になったら、血脈相承を受ける資格は消滅するのです。
『信心と血脈と法水とは要するに同じ事になるなり、信心は信行者にあり・此信心に依りて御本仏より法水を受く、其法水の本仏より信者に通ふ有様は・人体に血液の循環する如きなるものに依りて・信心に依りて法水を伝通する所を血脈相承と云ふが故に・信心は永劫にも動揺すべきものにあらず・撹乱すべきものにあらず、若し信が動けば其法水は絶えて来ることなし乃至不善不浄の邪信迷信となりて仏意に違ふ時は乃至即身成仏の血脈を承くべき資格消滅せり』
逆に、もしも法主に「大御本尊と相承書」以外の特別の何かが伝えられていると主張する外道がいたら、文証を出せ!証拠を出せ!と、しつこく追求しましょう。
次に『化儀抄』や『註解』において、血脈とは法主から法主に伝わるとはどこにも書かれていないなど、切り文による全く反対の論旨を言っていますが、狡猾極まるスリ替えであります。彼等は先にも此の文を出しましたが(本書108頁)、今、この所でいよいよ彼等のインチキな引文を破折する次第です。
彼等が引くところの日亨上人の『註解』の文中の「絶えて来ることなし乃至不善不浄」云々における「乃至」が問題であります。この「乃至」とは、学会が中間を抜いた左の文なのです。このなかには学会に都合の悪い内容があり、正直にそれを挙げれば、彼等の主張は全く反対になるのです。もし、「文証を出せ!証拠を出せ!と、しつこく追求」して来ても、または来なくとも、その日亨上人の『註解』の「絶えて来ることなし」に続く、創価学会で隠した文には、
「爰に強いて絶えずと云はゞ其は濁りたる乱れたる血脈法水なれば・猶仏法断絶なり、信心の動かざる所には・幾世を経とも正しき血脈系統を有し仏法の血液活溌に運行す、其は世間にて云へば子は親の心に違はす祖先の定めたる家憲を乱さぬが・其家の血統正しきが如く・仏法には師匠の意中に違はぬが血脈の正しき法水の清らかなるものなり、仏法の大師匠たる高祖日蓮大聖開山日興上人已来の信心を少しも踏み違へぬ時、末徒たる我等の俗悪不浄の心も・真善清浄の妙法蓮華経の色心となるなり此色心の転換も只偏に淳信篤行の要訣にあり、若し此の要訣を遵奉せずして」 (富士宗学要集一巻一七六)
とあり、ここから再び創価学会の引く「不善不浄の邪信……」の文へ続くことを教えてやりましょう。
この文の「師匠の意中」および「仏法の大師匠たる高祖日蓮大聖」、さらに「開山日興上人已来」の「已来」等の文を直視しなければなりません。まさに手続の師匠のところに信を立てることこそ、この文全体の基準であり、その道理が明らかであります。
しかれば、創価学会の引く後文の「(若し此の要訣を遵奉せずして)不善不浄の邪信迷信となりて仏意に違ふ時は(乃至)即身成仏の血脈を承くべき資格消滅せり」の文は、ことごとく師敵対の池田創価学会に当たっているではありませんか。
56世日応が邪宗日蓮宗との対論で新しく考え出した己義である《別付嘱「法体相承」と総付嘱「法門相承」》については、日蓮正宗の正依ではないので、「法体」についての文証を御書で示せ、と攻めましょう。
ちなみに御書には「法体」について、その本質が説かれています。
『法体とは本有常住なり一切衆生の慈悲心是なり』(P.711) (※御義口伝)
『法体とは南無妙法蓮華経なり』(P.709) (※御義口伝)
『法体と云うも全く余には非ずただ南無妙法蓮華経の事なり』(P.1117) (※四条金吾殿御返事)
『所詮妙法蓮華経の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり』(P.512) (※当体義抄)
次に、日応上人の法体相承、法門相承の説法を己義と誹謗し、「文証を御書で示せ」と息巻いております。「御書、御書」と言っても、法門の立て分けも知らないから、「法体」の語に含む基本と応用、開合の違いも解らないのであります。
法体とは、大聖人の法義の主意・正意からすれば三大秘法であります。『一期弘法抄』の「日蓮一期の弘法」とはまさにそれであり、その法の体を日興上人へ付嘱されたのであります。故に『三大秘法抄』に、
「経文顕然なる上は私に難勢を加ふべからず。然りと雖も三大秘法其の体如何。答ふ、予が己心の大事之に如かず」(御書一五九四)
とある「三大秘法其の体」とは、まさに法体が三大秘法であることを示しております。故に、日応上人の法体相承の言が己義でもなんでもなく、これを否定する創価学会こそ勝手な己義であり、宗祖、開山違背の大罪人であります。
次に、法体について創価学会が引く四文は、意味が解っているのでしょうか。「法体」という語さえ羅列すればよいというものではありません。
初めの『御義口伝』の「仏所護念」の第六の法体に約する釈意は、総じてこれを論ずれば、一切衆生、理即の無作三身の意であり、本仏の妙悟のなかに具する本有の応身の慈悲を示し給うものであります。
次の「如是我聞」の下の「南無妙法蓮華経」の文は、附文の辺では二十八品、品々の題目の意であり、元意の辺では、就法より功帰とさかのぼるところ、久遠本因名字の妙法であり、さらにその克体を拝せば、三大秘法惣在の妙法五字であります。
次の『四条抄』の文は、前後の文よりして、直ちに三大秘法惣在の妙法を説き給うております。
次の『当体義抄』の文は、正法正義に基づく信心修行の功徳を示された文で、大謗法の池田や創価学会の者どもには当てはまりません。
したがって、法体の主意は三大秘法なのであり、それに基づく法体・法門等の相承に関しての日応上人の仰せこそ、正しい御指南であります。創価学会の衆生の法体というのは、総別両重のなかの、外郭の総の義に過ぎないのであります。
要するに、全てを生み出し、支え、育む一切衆生の慈悲心の存在こそ、南無妙法蓮華経の当体であると表現することが出来るのです。題目を唱える大聖人の弟子檀那はその化身とでも言えましょう。
『受持法華本門の四部の衆を悉く聖人の化身と思ふ可きか』(御本尊七箇相承 富士宗学要集第1巻P.32)
創価学会は、続いて「要するに、全てを生み出し、支え」云々と言うが、これは仏法では法身の上の正因仏性の徳を言うに過ぎません。ここになんとか一切衆生が仏だということを立証して、それが自分らの立場だとし、宗旨の法体相承をぼかす底意が歴然であります。これは末に囚われて本を忘れた、爾前経中心の論法に当てはまります。仏法の本質、大聖人の正意は、法華経より爾前経を、相待・絶待の二妙をもって決判する論旨です。つまり、妙法のなかで理即の衆生が中心なのではなく、一迷先達の即座開悟の本仏が中心の法門なのです。
したがって、一切衆生、総じて無作三身と言うも、それは本仏の実際の悟りたる三身相即より照らして初めて言えることであります。故にこそ、本仏の実体・実義たる三秘の法体なくして、あらゆる法門は出てきません。
創価学会の引用する凡夫本仏もその如く、本末の誤りを犯しているのであります。そのけじめも解らず「御書根本」などとさえずり、各文の真意を失う者こそ創価学会であります。また、『七箇之相承』の、
「受持法華本門の四部の衆」(日蓮正宗聖典三七九)
の文は、創価学会の如き罪業の衆生ではなく、現日蓮正宗の僧俗を指示された御文なのです。
こうして御書に基づいて責められた日顕宗の輩は、反論の論拠を失うといつも「依義判文を知らないのか」と逃げを打とうとしますが、この時こそ追撃のチャンスです。実は、日蓮正宗の教学体系を確立された中興の祖・日寛上人も、依義判文抄の前文において、
『文証無きは悉く是れ邪偽なりと、縦い等覚の大士法を説くと雖も経を手に把らざるは之を用ゆべからざるなり』
(通解:文証がない主張はことごとく邪義である。たとえ仏に等しい位の者が法を説いたとしても、経文を手にとらないものはこれを用いてはならないのである。)
と、全く御書と同じ基準を示されているのです。そして日寛上人自ら徹底して御書に基づいた「依義判文」を行っているのです。この「義に依って文を判ずる」の「義」とは、御書とりわけ重書中の重書である「御義口伝」に明確に示された「義」であると言うことが出来、御書を根本としない者は大聖人の門下ではあり得ないのです。
口から出任せの根拠の無い主張(悪)を今まで許して来た方は、牧口先生の「悪いことをする(邪義を主張する)ことと、良いこと(邪義を破折する)をしないのとは結果は同じ(謗法堕獄)だ」との言葉を思い出して、真実の大聖人の教えに立ち返って、厳しく悪を攻めなければなりません。
ちなみに、邪義の輩と対論する時の基本姿勢を大聖人は極めて激しく、また厳しく御指南されています。我々が対論を行う場合にも、「純真な仏子を苦しめる天魔の犬は絶対に許さない!」との正義の怒りに燃えて、堂々と邪義を叩きつぶさなければならないのです。
まことに「アハハ」と笑いたくなるような、独りよがりの愚論です。依義判文と言って逃げるなど、勝手な想像をしているが、おまえらのなまくら論法などに、逃げも隠れもしません。およそ創価学会の引く文証はほとんどがスリ替えと切り文であり、依義判文などではなく、引文そのものについて宗門よりズバリズバリと破してきたではありませんか。いくら「文証、文証」と言っても、狂った逆さまの理解やスリ替えでは、正しい大聖人の仏法の文証にはならないのであります。
また、彼等は、「日寛上人自ら徹底して御書に基づいた『依義判文』を行っている」と言いながら、「『義に依って文を判ずる』の『義』とは、御書とりわけ重書中の重書である『御義口伝』に明確に示された『義』である」などと、実に愚かしい断定の言を吐いております。莫迦な創価学会では、『御義口伝』の「御義」という文字面だけを見て「依義判文」の「義」であると短絡しているのでしょうが、日寛上人が仰せの「依義判文」の「義」とは、基本的に宗旨の法体たる三大秘法に存するのです。このことは『依義判文抄』の初めに、
「開山上人の口決に慣って謹んで三大秘法の明文を考え、而して文底秘沈の誠証に擬し、以て後世の弟子に贈る」(大石寺版六巻抄七九㌻)
と明確に記されていることからも明らかでしょう。それを「『御義口伝』に明確に示された『義』である」とは、まさに抱腹絶倒、愚の骨頂と言うほかありません。
宗門こそ、正義の怒りをもって、創価学会の邪義を徹底してたたきつぶすから覚悟しておけ、と言っておく次第であります。
『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず、彼れ彼れの経経と法華経と勝劣・浅深・成仏・不成仏を判ぜん時・爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず何に况や其の以下の等覚の菩薩をや、まして権宗の者どもをや、法華経と申す大梵王の位にて民とも下し鬼畜なんどと下しても其の過有らんやと意を得て宗論すべし』(P.1282) (※教行証御書)
(通解:日蓮の弟子らは臆病であっては叶わないのである。いろんな相手の教えと法華経との勝劣等を論争する時には、相手が爾前迹門の釈尊であっても物の数ではない。それ以下の菩薩においても同じことである。まして権教の者どもにおいては物の数ではないのだ。法華経という最高の大梵天王の位に立って、民とも鬼畜とも下しても、何の誤りがあろうかと心得て対論を行わなければならない。)
『問答対論の時は爾前迹門の釈尊をも用う可からざるなり、此れは臆病にては釈尊を用いまじきかなんど思うべき故なり、釈尊さえ用う可からず何に况や其の以下の等覚の菩薩をやまして謗法の人人においておや、所謂南無妙法蓮華経の大音声を出だして諸教諸宗を対治すべし』(P.840) (※御講聞書)
(通解:問答対論の時には、爾前迹門の釈尊をも用いてはならないのである。この理由は、臆病であってはどうして釈尊を用いないことがあろうか、と思うからである。釈尊さえ用いてはならないのである。どうしてそれ以下の菩薩を用いる事があろうか。まして謗法の人々を用いようか。南無妙法蓮華経の大音声を出して諸教諸宗を対治しなければならない。)
次に『教行証御書』の対論の心得の文と、『御講聞書』の、
「日蓮が弟子臆病にては叶ふべからざる事」(御書一八五五)
以下の文を挙げて学会員に対論を煽っていますが、派生集団の創価学会には独自の教義・信条は何一つないために、学会員はいかにけしかけられても、確信を持って「宗論」などできないのではないでしょうか。
まして、『御講聞書』を解して「南無妙法蓮華経の大音声を出して諸教諸宗を対治しなければならない」と、取って付けたように叫んでみても、池田は「真言亡国・禅天魔、法を下げるだけでしょう」(平成二年十一月十六日の本部幹部会スピーチ)と、大聖人の四箇の格言を蔑んだのは、周知の事実ではありませんか。
さらに、学会は立正佼成会と密約を交わし、「これまで他の宗教団体と接触してこなかったのは、日蓮正宗の指導方針があったためで、日蓮正宗から独立した以上、他宗教と交流を深めていくのは当然」と、佼成会のみならず、他の宗教団体とも共存共栄を図る謗法与同の方針を明らかにしているのですから、まさに創価学会の実態は、大聖人の仰せとは全く反対の大謗法集団であると言うべきです。
したがって、創価学会の邪義こそ、まさにその破折の対象であると知るべきであります。
※『 第五項 『百六箇抄』の相伝を疑い、すべての後加文を軽侮する独断・慢心の妄説を破折する』へつづく