日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

学会僧七名による「諌暁の書」を粉砕す①

1992-02-15 | 時局資料

学会僧七名による「諌暁の書」を粉砕す  

              時局協議会文書作成班一班

 

(大日蓮 平成4年3月号 第553号76頁 転載)


  は じ め に

 本年(平成4年・1992年)二月三日、「諌暁の書」(二月二日付)なる書面が、御法主日顕上人宛に送付されてきた。送り主は、工藤玄英、大橋正淳、吉川幸道、池田託道、串岡雄敏、吉川雄進、宮川雄法の七名である。
 内容は、工藤玄英ら学会僧の我意我見による、池田創価学会の擁護と、御法主上人に対する誹毀讒謗を羅列しただけのものである。が、結局、現宗門は謗法、御法主上人に大聖人の御魂はないと決め付けた上で、学会僧七名は、宗門改革のために、本宗より離脱するというのである。しかし、宗門が、彼らの思いどおりに改革されたならば、また宗門に帰伏するなどと、調子のよいことも、最後にしっかりと述べている。なお、その後、成田雄具も、二月八日付書面をもって離脱した。
 もとより、御法主上人並びに宗門に対する彼らの誹謗は、池田創価学会の受け売りであるから、いまさら目新しいものは何もない。これらは、また時局協議会などによって、ほぼ破折されていることでもあるから、ここで一々破折するものではない。
ただ、彼らのように、現在まで、日蓮正宗僧侶の姿を借りて、仏法を破壊しようとしてきた輩の体質を暴き、もって稚書を粉砕するものである。


1.工藤玄英らは本然的に学会僧

 そもそも、工藤玄英ら七ないし八名は、もともと池田創価学会の絶対的な信奉者であり、池田創価学会という歪んだフィルターを通してしか、日蓮正宗の仏法を学んだことがない。したがって、彼らの教義解釈は、日蓮正宗の相伝から外れたものなのである。
 実際に、首謀者である工藤玄英・大橋正淳らは、以前より池田大作本仏論者だったのである。このことは、昭和五十三年八月三十日、第二十七回教師講習会開講式における、御先師日達上人のお言葉からもよく拝される。すなわち、「また『池田会長に法衣を着せれば即大聖人様だ』などという僧侶がいる。私はびっくりしました。先日、北海道の信者さんから手紙が来ました。その人は札幌の僧侶ではないけれども、このような僧侶がいます。まったく情けないではないか。さらに『自分は、会長が袈裟・衣を着たらそのまま大聖人であるから、もしも学会と宗門が手を切ったならば、私は学会の方に付きます』と言明しているそうです。まったく私は情けないと思います。いまここにいる人は、心当たりがあるのかないのか知らないけれども、そういう人がいるから日蓮正宗の教義がおかしくなってくるのであります。」(日達上人全集第二輯七-一九九)
 このお言葉は、創価学会の昭和五十二年路線という大問題の真っ只中のものである。
 お言葉中の「僧侶」が、誰を指しているかは明らかではないが、工藤玄英らが学会僧であったことは、当時から、広く宗内に知られていたことである。さらに、この時、工藤玄英は北海道千歳市の法涌寺に、また大橋正淳は同じく室蘭市の深妙寺に、それぞれ赴任していたことも事実である。
 そして、その極め付けは、今回の彼ら学会僧の取った行動である。つまり、日達上人のお言葉にある「僧侶」の発言を、そのまま実行したのが、今回の行動である。ならば、日達上人のいわれる「僧侶」が誰を指しているのか、おのずと明らかであろう。
 しかも、彼ら学会僧は、「諌暁の書」なる書面中において、『仁王経』の、
「仏波斯匿王に告げたまわく・是の故に諸の国王に付属して比丘・比丘尼に付属せず何を以ての故に王のごとき威力無ければなり」
との文、また『観心本尊抄』の、
「是くの如き高貴の大菩薩・三仏に約束して之を受持す末法の初の出で給わざる可きか、当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」(全集二五四・この文の解釈は、時局協議会文書「外護について」を参照されたい)
との文を挙げた上で、
「創価学会の出現により、まさに立宗七百年を境として折伏広布の時は開け、賢王たる歴代会長の不惜身命の戦いによって、今日宗門は、世界の宗門となったのであります。」
と、堂々と会長本仏論を述べているのである。このような本仏義は、まさに池田教の邪義であり、本宗の教義ではない。
 この他にも、彼ら学会僧の主張を見れば、本当に今まで日蓮正宗の仏飯を喰んできた者の言であろうかと、疑わざるをえないことばかりである。まさに、日達上人の「そういう人がいるから日蓮正宗の教義がおかしくなってくるのであります」とのお言葉を証明するものといえよう。
 宗門としても、宗内にこのような学会僧がいては、非常に迷惑であり、百害あって一利なしといえるのである。幸いに、今回、宗門がわざわざ手を下す前に、このような輩が自ら離脱したのであるから、正法護持、広布進展の上から、大いに喜ぶべきであろう。
 ともかく、このような学会僧の輩が、いかにもっともらしく学会を擁護し、宗門を誹謗してみても、それらは全て池田本仏論という、致命的な謗法を根底としたものであることを知るべきである。つまり、彼らの主張は、全て為にする暴論でしかないのである。このことは、彼ら学会僧が、どのようにいい逃れようとも、いかんともしがたい事実である。


2.自語相違の行動

 彼ら学会僧の「諌暁の書」の目的は、決して御法主上人への諌暁にあるのではない。
 そもそも諌暁ということは、臣・弟・子として、ひたすらなる態度をもって諌め訴える忠の行為であって、決して主・師・親に誹謗・中傷を尽くすことではない。まして、離脱の表明などであろうはずがない。大聖人は、『開目抄』に、
「比干は殷の世の・ほろぶべきを見て・しゐて帝をいさめ頭をはねらる(中略)此等は忠の手本なり」(全集一八六)
と仰せである。殷の紂王は、国政をも顧みずに妲己(だっき)を溺愛したため、紂王の子であった比干が、国の亡ぶことを哀惜して、強いて紂王を諌暁したのである。そのため、比干は紂王によって頭を刎ねられたのであるが、大聖人は、これこそ真の忠であり、真の諌暁であると仰せである。
 しかるに、万が一、彼らがいうように、宗門に非があったと仮定しても、彼ら学会僧は、その礼儀をもって諌めているわけではない。ただ単に、学会受け売りの誹謗・中傷の語を重ねているだけのことである。これは、どのように見ても、忠とも諌暁ともいえる代物とはいえない。単なる反逆である。
 もとより池田教信者である彼らには、大聖人の仏法の正統血脈に随従することなど、どうでもよいことなのである。邪教池田創価学会が破門に処せられた今、日蓮正宗を離れて、創価学会に付くこと程度しか、彼らには考えることができない。その証拠に、この「諌暁の書」なるものの結論が、彼ら学会僧による、宗門からの離脱宣言に存するではないか。つまり、「諌暁」などと聞こえのよい言葉を使用してはいるものの、結局は、離脱するための口実でしかなかったのである。
 さらにいえば、彼らの書面中、
「かかる状況に至るまで、私たちは、創価学会との和合なくして宗祖御遺命の達成は断じてあり得ないとの憂宗護法の思いから、幾度となく、猊下ならびに宗務院に対し、抗議し、その非を訴えてきました。」
などと、居丈高にいい放っていることである。しかし、彼ら七名ないし八名の学会僧のうち、果たして何人が、「猊下ならびに宗務院に対し、抗議し、その非を訴えてき」たのであろう。
しかも、「幾度となく」である。むしろ、彼らのほとんどが、最近まで、学会僧としての正体をひたすら隠そうとしてきたではないか。
 「謝罪要求書」にしても、署名・捺印をしなかったのは、彼ら七名の中、三名である。しかし、この三名においても、自ら進んで、「幾度となく、猊下ならびに宗務院に対し、抗議し、その非を訴えてき」た者など、誰もいなかったではないか。
 他の四名についていえば、「謝罪要求書」には、自ら署名・捺印したのである。さらに、つい先日に至るまで、「猊下ならびに宗務院に対し、抗議し、その非を訴えてき」たどころか、教区内僧侶や同期生、あるいは心有る仲間によって、逆に「学会に対する破折等の活動を、しっかり行なってないのではないか」と、幾度となく、その非を指摘されてきたではないか。しかも、このような指摘に対して、むしろそれを否定し、自ら「池田創価学会は大謗法の団体である。そのために、自分も脱会を呼び掛け、脱会者を直属信徒として受け入れている」などと称していたのである。まさに「蝙蝠鳥のごとし」である。このような妄語ばかりの不正直な輩は、離脱とともに、袈裟・衣も返上すべきである。
 今、邪教池田創価学会が、宗門から破門に処せられたこの時になって、池田本仏論を信奉する学会僧七名ないし八名は、とうとう本宗の根幹である血脈から離れ、和合僧団の座より立ち去ったのである。まさに、『方便品』で座を起った五千の上慢と同轍である。天台大師は、五千の輩について、上慢・我慢・不信の三失を挙げ、
「疵を蔵し徳を揚げ自ら省みること能わざるは是れ無慙の人なり」
と示され、さらに妙楽大師は、
「疵を蔵し徳を揚ぐるは上慢を釈す。自ら省みること能わざるは我慢を釈す。無慙の人とは不信を釈す」
と釈されている。本来は、出家に上慢、在俗に我慢、女子に不信と次第浅深して釈されたものである。しかし、池田本仏観を信仰の根底において身勝手な行体や研学をし、上慢の心を強くして離脱した彼ら学会僧には、我慢・不信の二失も、当然、含まれることを知るべきである。


3.学会僧に『立正安国論』を引用する資格なし

 彼らの書面では、初めに『立正安国論』の、
「予少量為りと雖も忝くも大乗を学す蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸って千尋を延ぶ、弟子一仏の子と生れて諸経の王に事う、何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起さざらんや。其の上涅槃経に云く『若し善比丘あって法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子・真の声聞なり』と」(全集二六)
との御文を挙げ、学会問題の非を宗門に当て嵌めた上で、
「このときにあたり、宗祖大聖人の広布大願をかしこみ、歴代先師の僧俗和合の御指南を拝してきた『弟子一仏の子』たる私たちは、今日の破滅的な仏法衰微の事態を、もはやこれ以上、座して傍観することはできません。
 よって、私たちは、真の不惜身命の決意に立って、ここに、宗門再生のため、日顕猊下をはじめとする宗門現執行部に対し、信ずるところを諫言するとともに、これを広く宗門内外に訴えるものであります。」
と述べている。
 そもそも、仏法では、何事においても仏智によるべきであって、凡智・人情に任せるべきではない。日蓮正宗は、血脈相伝の宗旨であり、大聖人の仏智は、唯授一人の血脈相承によって、現日顕上人にまで伝えられているのである。したがって、日興上人以来、御歴代上人に止住する血脈法水を通して本仏大聖人を拝するのが、「弟子一仏の子」としての信仰の基本である。
このことは、日有上人が、『化儀抄』第四条で、
「手続の師匠の所は三世の諸仏高祖已来代々上人のもぬけられたる故に師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし、又我が弟子も此くの如く我に信を取るべし」(富要一-六一)
と仰せられていることからも明らかである。さらに、また第二十七条では、
「信と云ひ血脈と云ひ法水と云ふ事は同じ事なり、信が動せざれば其の筋目違ふべからざるなり、違はずんば血脈法水は違ふべからず、夫とは世間には親の心を違へず、出世には師匠の心中を違へざるが血脈法水の直しきなり、高祖已来の信心を違へざる時は我れ等が色心妙法蓮花経の色心なり、此の信心が違ふ時は我れ等が色心凡夫なり、凡夫なるが故に即身成仏の血脈なるべからず」(富要一-六四)
と、仏法においては、師匠(御当代上人)との師弟相対の信心化儀こそ大切であると定められているのである。この師弟相対の信仰形態は、いかなる時代にあっても変わることはない。
 ところが、今、学会僧は、彼らの「信ずるところを諫言する」と述べているのである。このことは、仏智によるのではなく、彼ら自身の凡智・人情を元としている証拠である。換言すれば、不信謗法による我意・我見であって、仏法を私せんとする外道の見なのである。
 このように、我見を元として、血脈法水を護持あそばされる御法主上人を誹謗し、血脈法水の当処から離れた彼らに、どうして「弟子一仏の子」といえる資格があろうか。それとも、正信会の輩のように、血脈二管説を立てて、自らに血脈が流れているとでもいうのか。あるいは、彼ら学会僧の信奉する池田本仏なるものから、血脈の「証」なる紙片でも受けたとでもいうのか。笑止千万とはこのことである。『五人所破抄』の、「今下種結縁の最初を忘れて劣謂勝見の僻案を起し・師弟有無の新義を構へ理非顕然の諍論を致す、誠に是れ葉を取って其の根を乾かし流れを酌みて未だ源を知らざる故か」(富要二-六)
との御文は、まさに彼らのためにあるといって過言ではない。
 また、彼らは、宗門は無慈悲・非道にして蛇行・逆行していると述べているが、とどの詰まりは、
「いまや、かかる暴挙によって、末寺はもちろん、総本山も疲弊と荒廃の一途をたどり、呻吟する僧侶の悲憤・義憤の声は地に満ちております。」
と、「今の宗門では、僧侶の生活の保証ができないではないか」ということをいいたいだけなのである。彼らは、すでに道心を失くし、世俗的な平穏を求め、利養に貪著するゆえに、現在の物資的な疲弊を挙げて愚痴をこぼし、仏法そのものを破壊せんとするのである。「衣食の中に道心なし」とは、まさに彼らの体質をいうのである。
 さらに、このことを正当化するため、彼らは、「これを広く宗門内外に訴えるものであります」と述べているのである。これらの言葉を合わせ見れば、彼らは、すでに池田に魅入られた僣聖増上慢の一分と化したといえよう。なぜならば、『勧持品』の二十行の偈に説かれる「利養に貪著し」の文は、まさに彼らの姿そのものだからである。彼ら学会僧は、この二十行の偈の増上慢の輩が、実に我が身に当たっているということを、思い知るべきである。

4.学会僧のいう「改革」を破す

 彼らは、
「私たちは、今回の問題は、偉大なる御仏智の表れであり、宗門積年の悪弊の総括、清流への蘇生、本義に則った改革への動執生疑であると深く拝するものであります。」
と述べた上で、『大悪大善御書』の、
「大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる」(全集一三〇〇)
との御文を引いている。
 彼らがごとき学会僧ならずとも、宗門の誰しもが、今回の学会問題を、偉大なる御仏智の表われと拝している。ただし、それは、池田創価学会積年の悪弊の総括であって、まさに富士の清流を護持するため、そして真の僧俗和合による大法広布のための、血脈仏法の本義に則った改革である。したがって、大石寺開創七百年という意義ある年に、池田創価学会の傲慢にして邪悪・陰湿な体質が現われ出たことは、まさに、
「すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし」(同)
との大瑞相であったと拝するものである。


 イ.見せ掛けの僧俗平等を破す

   .「信徒を大切にしていない」は不当

 学会僧の書面では、宗門改革の第一として、宗開両祖の御精神に立ち返り、真に信徒のための宗門となるべきであると述べている。すなわち、
「今日の宗門僧侶の実態は、率直に言って、多くの場合、信徒に対し自らを一段高いものとする差別意識を持っているのであります。また、指摘されるとおり、日常の生活が少欲知足にほど遠い贅沢と堕落に流されていたことも、必ずしも否定することはできないでありましょう。このように宗開両祖の御精神から懸け離れた『暴走』を続けるならば、日興上人に始まる富士の清流は枯渇、断絶し、民衆から見放されて法滅・死滅に向かうことは明らかであります。
(中略)今こそ、私たちは、出家の本義に基づき、権威と抑圧を信心を根本とした慈悲と求道に変じ、少欲知足の行躰に徹し、民衆による仏法弘通を支え、信徒に奉仕する教団へと脱皮すべきであると訴えるものであります。」
 彼ら学会僧は、「今日の宗門僧侶の実態は、率直に言って、多くの場合、信徒に対し自らを一段高いものとする差別意識を持っている」と述べているが、果たして本当であろうか。そのようなことは、断じてない。このことは、以前より宗内僧侶間において、互いに誡め合ってきたことである。御法主上人も、昭和五十九年八月、行学講習生に対して、
「僧侶が在家に対して垣根をつくってしまって、まるで僧侶だけが正しいような考えをもったり、僧侶だけが偉いような、また仏法の上から在家は一段と落ちておるような立場であると考えてみたりすること、そういうことも大きな間違いであります。」(大日蓮四六四-五〇)
と御教示されているが、特に、非教師に対しては、常々、御訓誡されてきたことである。かつて、大石寺内事部において、学衆課主任を務めた吉川幸道ならば、よく知っていることであろう。


   .僧俗は差別即平等・平等即差別

 ただし、また僧俗の筋目は、広布進展の上からも、また教団の秩序の上からも、明確でなければならない。したがって、日興上人は、『遺誡置文』で、
「若輩為りと雖も高位の檀那自り末座に居る可からざる事」(全集一六一八)
と仰せであり、また『化儀抄』第一条には、
「貴賎道俗の差別なく信心の人は妙法蓮花経なる故に何れも同等なり、然れども竹に上下の節の有るがごとく、其の位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか」(富要一-六一)
と定められているのである。僧俗の筋目において、僧侶が上位に付くことの理由は、僧侶に能導の権威が具わるためである。そのため、また日亨上人も、
「僧侶能導の権威が失墜すれば、仏法中の僧分はまったく破滅である。」
と仰せられているのである。
 仏法では、差別即平等、平等即差別と説くのである。したがって、広大深遠な仏法の中には、当然、平等主義、民主主義を正しく活かして、民衆の幸福を築いていく意義が存するのである。しかし、また「仏法は体、世間は影」であるから、世俗の平等主義、民主主義をもって、広深な仏法を律しようとするならば、それは明らかに誤りであり、摧尊入卑の大謗法となるのである。
 池田創価学会のいう平等主義、民主主義、平和主義は、まさに世俗を基準としている。言葉の聞こえこそ良いが、実際は世語をもって仏法を破らんとしているだけである。『涅槃経』の、
「是の諸の悪人、復是の如き経典を読誦すと雖も、如来深密の要義を滅除して世間荘厳の文を安置し、無義の語を飾り、前を抄て後に著け、後を抄て前に著け、前後を中に著け、中を前後に著けん」
との文は、まさに池田創価学会のことをいうのである。このような仏法無視の体質が、自分の権利のみを主張して他人のそれを無視し、意見の異なる人に対して、多勢による弾圧暴力に徹する身勝手な行動となって現われるのである。また、都合のよい情報のみを一方的に流して、会員が他の情報を知ることを妨げたり、自らの言のみが正しいとして、他の意見には耳を貸さないという極めて独善的な姿を呈するのである。こうしたさまざまな行為をもって、仏法上においても、また世法上においても、大聖人の仏法に、大きく泥を塗っているのである。このような池田創価学会や彼ら学会僧による、むやみな、名前だけの平等主義、民主主義、平和主義のあり方こそ、本当に廃されなければならないのである。
 さて、彼らのここでの主眼は、「民衆による仏法弘通を支え、信徒に奉仕する教団へと脱皮すべきであると訴えるものであります」というところに存する。つまり、「日蓮正宗宗門は、創価学会傘下の法要執行部門となって、奉仕に徹せよ」というのである。これは、僧侶能導の権威はもとより、本宗の根幹である血脈の尊厳すら、地に堕とさんとする策謀の現われである。
すなわち、創価学会が、昭和五十二年路線以来、十数年もの間、ひたすら抱きつづけてきたことと一致する。工藤玄英ら学会僧は、これによって生活の安定を求めるのであろう。先に述べたとおりである。まさに、「法師の皮を著たる畜生」というべきである。


   .学会僧こそ僧侶の堕落

 なお、学会僧が盛んにいう僧侶の堕落について、一言述べておく。
 そもそも、学会の体質的な問題は、信徒からの悲痛な手紙や電話などによって、以前から様々な形で、宗門へ届けられていたのである。しかし、実際に表面化したのは、一昨年(平成2年・1990年)の七月十七日、宗務院・学会の連絡会議においてである。席上、学会側から、御法主上人や宗門僧侶に対して、悪意に満ちた誹謗・中傷がなされた。しかも、学会側は、一方的にいうだけいい終えるや、宗門側のいうことも聞かず、座を立って帰ってしまったのである。この突然の暴挙に対して、七月二十一日に登山してきた池田・秋谷両名に対し、御法主日顕上人から、連絡会議の背謗の言に対する御注意がなされた。また、宗務院としても、種々調査の上、翌八月の連絡会議の席上、事実と食い違う数多くの事柄に対して、それらを指摘したのである。
 しかし、また一方で、宗務院は、宗門側の糾すべきことは、正直に糾さんと努めた。そのため、八月末の全国教師講習会の折には、教師指導会を開催して、さらに僧侶・寺族の綱紀粛正を徹底したのである。もとより少欲知足の宗風ながら、特に現在の宗内には、彼ら学会僧がいうような、贅沢で堕落した僧侶は、実際にいないことを申し述べておく。
 それよりも、血脈から離れ、日蓮正宗の僧道から脱落した学会僧の輩こそ、その精神において、堕落・腐敗しているというべきではないか。しかも、彼の七名ないし八名の中には、少なくとも過去に女性問題を起こした者が二名おり、また海外出張御授戒で東南アジアへ行った折に、夜の歓楽街へ出てカラオケ三昧をした者など、破廉恥な者が非常に多いではないか。自らを「弟子一仏の子」などといいながら、何たる行体をしていたのか。無慚極まるものである。


 ロ.宗門に封建体質はない

   .宗内に門閥の勢力は横行していない

 彼ら学会僧は、宗門改革の第二として、宗内にある門閥や、僧階等による差別的体質を除去すべきであると主張している。
すなわち、
「門閥の後ろ盾のある者は、日頃の行躰や能力、功績などとは関係なく、比較的好条件の寺院に赴任するのに対し、そうでない者は山間辺地の寺院に追いやられる傾向が顕著であります。不祥事を犯した場合も、門閥ある者への処分が極めて寛大であるのに対し、そうでない者への処分は過酷であるなど、まったく公平を欠いております。また僧侶間においても、僧階一つ、法臘一年の違いをもって、越えがたい上下関係があり、自由闊達な発言などおよそ考えられない体質であります。
 私たちは、このような宗門の封建体質を除去・払拭し、門閥・上下階級差別の不平等集団を刷新し、同心和合の民主的教団に脱皮しなければならないと考えます。」
 現在、宗門内においては、それぞれの法類同志が、師匠や兄弟子を慕い、また同期生として集まることはあっても、門閥などによる差別体質を感じている者は、皆無といって過言ではない。いや、人徳の高い者のもとへは、むしろ門閥にかかわることなく集まってくるのが現状である。これは、門閥などというものではなく、僧侶間における、麗しき信頼の姿なのである。
 また、このことは、日達上人が、総本山に年分得度制を敷かれたことからも、容易に首肯できることである。すなわち、現在では、僧侶となる者は、必ず時の御法主上人の徒弟となり、総本山において、平等に修行することになっているのである。その沙弥や学衆の間にあっては、門閥という意識が、いかに通用しないものであるか、学衆課に勤務した吉川幸道ならば、よく知っているであろう。
 また、門閥によって、赴任する寺院等に差別があると述べているが、果たしてそうであろうか。むしろ、個々人の能力や僧階、さらに行跡・実績等によって、赴任する寺院が決定されていると見るべきである。能力的にいえば、学会僧七名のうち、むしろ能力以上の寺院に赴任した者もいたといって過言ではなかろう。しかし、それまでの功労等を勘案された上で、御法主上人より御任命いただいたのではないか。全く不知恩の輩としかいいようがない。


   .僧階・法臘の上下は礼節と秩序にある

 次に、「僧侶間においても、僧階一つ、法臘一年の違いをもって、越えがたい上下関係があり、自由闊達な発言などおよそ考えられない体質」と述べていることについてである。彼ら学会僧は、「僧階一つ、法臘一年の違い」と、ことのほか僧階や法臘を嫌悪し、「宗門の封建体質を除去・払拭し」などと、世直しをせんばかりに豪語しているのである。ところが、「諌暁の書」なるものの文末の署名の次第は、離脱以前の僧階どおりなのである。何と不思議なことであろうか。
 先述のごとく、もとより本宗における僧侶の関係は、信頼をもって成り立っているのであるから、心配は無用である。『教師必携』に、
「上下の礼節を重んじ、相互に慈愛をもって交わり、親睦を旨とする。」
と定めるとおりである。このため、実際に僧階上下間においても、礼節を重んずることは当然ながら、何でも忌憚なく話し合うことができるのである。
 また、学会問題に、一応の決着がついた現在、宗内においては、公式の場においても、さまざまな意見が出されている。今後の広布進展のあり方や人材育成のあり方、また法華講の育成に関する意見など、全てが自由闊達である。宗務当局としても、これらの提言は、必要に応じて最大限に活かしているのが現状である。
 したがって、「僧侶間においても、僧階一つ、法臘一年の違いをもって、越えがたい上下関係があり、自由闊達な発言などおよそ考えられない体質」などということは、まったく当たらない事柄であり、抱腹絶倒の限りである。工藤玄英ら学会僧は、宗門に対して、このような杞憂にも似た心配をする必要はない。むしろ、幹部絶対主義の創価学会に、そのまま当て嵌まる問題であるから、今後、彼ら学会僧の母体となるべき創価学会をこそ、改革していくことを考えるべきである。


 ハ.宗門に法主独裁はない、あるのは信伏随従のみ

   .『宗制宗規』は宗務行政上、改正されるもの

 彼ら学会僧は、第三の改革として、御法主上人の独裁からの脱却を挙げている。すなわち、
「宗制宗規の度重なる『改悪』の結果、現在の宗門は、事実上、法主一人の独裁となっております。法主の意向に反する意見が取り上げられることは皆無であり、何かものを言えば即座に切られるという驚くべき『恐怖政治』の体制が現今の実態であります。そのような体質のもとでは、宗風は萎縮し、硬直していくばかりであり、今こそ、独裁から民主へ、保守から革新へ、硬直から柔軟へ、閉鎖から解放へと自らの体質を改革すべき時を迎えていると訴えるものであります。」
 『宗制宗規』は、実際の宗門行政に即して制定されたものである。したがって、時代等の変遷や将来の展望の上から、その都度、適宜に改正されていくことは、宗門人の願うところであって、当然のあり方であろう。それを「度重なる改悪」などというのは、むしろ彼ら学会僧が目先の私利・私欲に執われてばかりであり、宗門内外の情勢を高所に立って大局的に見ていない証拠である。というよりも、この『宗制宗規』の改正を「改悪」などということ自体、学会僧お決まりの学会受け売り発言というべきである。


   .御法主上人は大聖人の遣使還告

 さて、後に詳述するところであるが、本宗においては、唯授一人の血脈相承のもとに、御法主上人を大聖人の遣使還告、住持の僧宝として拝し奉るのである。故に、日亨上人は、『法華文句記』の、
「初めに此の仏菩薩に従って結縁し、還って此の仏菩薩に於いて成就す」
との文について、
「一往の文釈を為さば・此仏とは第一番成道久遠実成釈迦牟尼仏にして、菩薩とは本化上行等の本眷属なり・再往末法に於いて義釈を為さば・此仏と云ふも此菩薩と云ふも・共に久遠元初仏菩薩同体名字の本仏なり、末法出現宗祖日蓮大聖の本体なり、猶一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり」(下線筆者・富要一-一一七)
と釈され、また『化儀抄』第十四条の註解においても、
「本山の住持の当職(末寺も此に准ず)は三世諸仏高祖開山三祖の唯一の代表者なれば・仏祖も殊に現住を敬重し給ふ」(富要一-一四五)
と仰せられているのである。
 この唯授一人の血脈法水が存するからこそ、我々一般僧侶は、何のわだかまりも、またためらいもなく、時の御法主上人に対し奉り、拝跪合掌し、その御指南に信伏随従するのである。その中で、現在、さらに多くの宗門僧侶が、自由闊達に意見を出し合っていることは、宗門が民主的であり、柔軟であり、解放されている証左である。
 したがって、このような本宗のあり方は、断じて『宗制宗規』によって成り立っているのではない。まさに、本宗古来の信条なのである。それを、「恐怖政治」などというのは、またまた創価学会の受け売りであり、本宗信仰の喪失の証明というべきであろう。


5.その他の邪義について

 彼ら七名の学会僧による「諌暁の書」なる書面の内容は、幾度も述べるが、ほとんど池田創価学会の受け売りであって、彼ら独自の目新しいものは何もない。しかも、時局協議会等によって、すでに破折済みのものばかりである。あるのは、何の根拠もない悪口と中傷のみである。その中で、彼らが教義上の問題とするところ(やはり学会の受け売りである)について、一応の破折を加えておくこととする。
 彼ら学会僧の書面では、
「教義上の問題について申し上げれば、法主を御本仏と同列に扱うかのごとき謬見や、御書を軽視し法主の指南こそ絶対であるかのように喧伝する邪論まで宗内に横行し、かつ猊下がその誤りを正そうともされない現状は、七百年の宗門史にかつてなき混濁の時であります。」
と述べている。要するに、宗門が意図的に法主本仏論を立てているという説、宗門は御書を軽視しているという説、の二点である。

 イ.意図的に立てる「法主本仏」「法主信仰」のカラクリ

   .問題の発端と学会古参幹部のすり替えの論理

 この問題は、宗内の尊能化と学会古参幹部による往復文書に始まる。
 平成三年(1991年)七月二十一日、和泉覚氏を代表とする学会古参幹部四名より、早瀬日慈重役はじめ各尊能化に対し、抗議とも陳情とも察しかねる奇怪な書面が送付された。この書面に対して、各尊能化は、本宗本来の信仰の筋道と、信徒としての正しい信心のあり方の上から、池田大作をはじめ学会首脳の誤った考え方を五点に括って指摘し、一刻も早く反省・懴悔するようにとの、教導の書面を送付された。
 この中で、各尊能化は、池田創価学会の誤りの一番の元が、宗旨の根本たる唯授一人の血脈に対する尊崇の念の欠如と、不信より起こった三宝破壊にあることを重視されて、次のように厳しく教訓されたのである。
「正信会問題のときにも強く叫ばれたことですが、本宗の根本は、戒壇の大御本尊と唯授一人血脈付法の御法主上人であります。具体的には、御法主上人の御指南に随従し、御本尊受持の信行に励むことが肝要です。なぜならば、唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。したがって、この根本の二つに対する信心は、絶対でなければなりません。」(下線筆者)
 ところが、既に池田の魔性の虜と化した古参幹部らは、このような善導の言辞を、悪意をもってすり替え、「宗門は『法主本仏論』を立てている」と、無慚極まりない言辞を浴びせてきたのである。すなわち、同年八月十六日付書面において、「先生方は『唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体』であるから、『戒壇の大御本尊と唯授一人血脈付法の御法主上人』の『根本の二つ』に対する信心は 『絶対』でなければならないと、驚くべき法主本尊不二論を述べています。
 先生方のこの言によりますと、御法主上人は戒壇の大御本尊と不二の尊体、すなわち同一の存在ということになりますが、何を根拠にこのように断定されるのでしょうか。法主大御本尊論、法主本仏論は一体、御書のどこに説かれているのでしょうか。」
と、能化方の文意も理解しようとせず、あろうことか、「法主大御本尊論」「法主本仏論」という新語まで創作して、宗門を批判してきたのである。もっとも創価学会は、その根本に、池田本仏論なる邪説を構えているのだから、かような新語を造るなど、いわば朝飯前なのであろう。
 このような、独断と偏見と悪意に満ちた言辞は、早速、池田の傀儡(かいらい)と化した秋谷栄之助をはじめとする幹部らによって、会内に周知徹底された。彼ら学会僧も、こうやって洗脳されてきたのである。
 邪教創価学会の卑劣な手段は、重要な語句を削除し、その本質をすり替える方法である。各尊能化よりの、
「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。」
との文の取り扱い方もそうである。
 そもそも、「唯授一人の血脈の当処」とは、大聖人の法体にして、血脈法水そのものを意味する語である。それが、「戒壇の大御本尊と不二の尊体にまします」と述べられたことの、どこがおかしいというのか。まさに正論ではないか。
 ところが、学会の手法にかかると、「唯授一人の血脈の当処は」という大事な文言が、ただちに御法主上人の個性に置き換えられた上、「戒壇の大御本尊と同一の存在」と改変されるのである。そして、「法主大御本尊論」「法主本仏論」などという新語を造り、宗門批判の材料として組み替えるのである。彼らは、決して仏智をもととしているのではない。ただ世智に長じているだけである。


   .学会によるすり替えの本質は血脈への不信

 古来、本宗には、「法主大御本尊論」「法主本仏論」など存在しない。また、現在においても、誰もそのようなことを述べていない。
 それにもかかわらず、池田創価学会や、それに魅入られた学会僧らは、新語を捏造してまで、宗門を陥れんとしているのである。その本質は、大聖人・日興上人以来、御当代日顕上人へと伝わる唯授一人血脈相承への不信である。このことは、同年八月十六日付の古参幹部の書面に、
「 先生方はさらに、この誤った法主本仏論を楯にとって
『大聖人の仏智による御指南は、血脈付法の御法主上人によってなされるのであって、私どもは、そこに信伏随従するのみであります』とも述べられています。しかし、この主張は、歴史の事実に照らして明らかに誤っております。なぜならば、過去の何人かの法主が宗義に違背する指南をされているからであります。」
と、血脈否定ともいえる暴論を述べていることからも、容易に汲み取ることができるのである。
 そもそも、大聖人の仏法の一切は、大聖人から日興上人へ、日興上人から日目上人へと次第して、七百年を経た今日にまで、寸分も違わず正しく伝わっている。これは、ひとえに唯授一人の血脈相承の功徳によるのである。これが信じられなければ、それは、もはや大聖人の弟子檀那ではない。
 自分に都合のよいときにはこれを連呼し、一度、都合が悪くなればこれを否定する。このような徒輩は、外道にも劣る畜生というべきである。工藤玄英ら学会僧は、もって銘すべしである。いや、むしろ池田創価学会並びに工藤玄英らは、池田本仏論を立てんがために、どうにかして本宗の血脈を否定しなければならないのであろう。このような邪智の輩であるから、すり替え・捏造はお手のものなのである。


   .皮相に執着して物事を捉えるのが学会の体質

 邪教学会の輩は、全ての物事に対して、皮相のみに執着して捉える体質がある。しかも、思慮が非常に浅いのである。このような体質であるから、
「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。」
との文を、素直に拝することができず、ただちに「法主本仏論」であるなどと、まるで幼児が駄々をこねるような姿を呈するのである。
 このような皮相のみに執着する彼らは、果たして次の御指南をいかに拝し、いかに会通するのであろうか。
「日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の曰わく、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(聖典三七三)
 この『御本尊七箇之相承』の御文を、学会流に解釈すれば、大聖人と代々の御法主上人は、まさに同一人と拝さなければならなくなってしまうであろう。まさか、いくら悩乱した学会僧でも、そこまではいうまい。
 この御相伝は、大聖人より血脈相承あそばされた、その御内証の血脈の法体に約して、即本仏大聖人と示されたものなのである。すなわち、「代代の聖人」の「唯授一人の血脈の当処」が「悉く日蓮なり」との意である。このことは、誰人にも理解されるところである。この内証と外用の立て分けについて、日因上人は、下種三宝に約して、
「日興上人已下の代々も亦爾なり、内証に順ずる則んば仏宝也、外用に依れば則ち僧宝なり」(宝暦四年十月十七日の御消息)
と示され、日亨上人も、『有師化儀抄註解』において、
「貫主上人は本仏の代官にもあり・又本仏の義にもあり・口づから命を発したる仁なれば、御前に復命せんこと亦勿論の義なり」(富要一-一六〇)
と御教示されているのである。
 相伝書や御歴代上人に、このような明らかな御指南があるにもかかわらず、「法主を御本仏と同列に扱うかのごとき謬見」などというのは、彼ら学会僧が、まさに池田創価学会流の皮相の外見に執着している証拠である。と同時に、所詮、彼ら学会僧への情報源は学会出版物のみであり、池田創価学会というフィルターを通してしか、大聖人の仏法を拝することができない体質なのである。また、さらにこのような学会僧の輩が、今日まで日蓮正宗で仏飯を喰んでいたことを思うと、本当に恐ろしいという他に言葉はない。


②へつづく



学会僧七名による「諌暁の書」を粉砕す②

1992-02-15 | 時局資料

 ロ.「宗門は御書軽視」というこじつけを破す

   .問題の発端と悪意による学会のすり替え

 平成三(1991)年九月十四日、大阪市の浄妙寺において、法華講大阪大会が開催された。この折、高野法雄師は、「法華講の信心とは」と題して、御書の真意は、あくまでも血脈付法の御法主上人の御指南によって、はじめて理解できることと述べたのである。
 その中で、学会が問題にしているのは、
「大聖人の御法門の『部分』と言えましょう。」
と述べた部分である。
 一見、確かにこの部分だけを取れば、おかしいと思うであろう。しかし、物事は、部分ではなく、全体で捉えなければならない。すなわち、高野法雄師は、はじめに、
「御書があれば、六巻抄があれば、大聖人の御法門の総てが了解出来るのでしょうか。断じてそうではありません。」
と述べ、さらに、
「要するに現今の御書は、本尊抄・開目抄を始めとする深甚の御指南が集録され、私達が信心する上には、重要この上もない大聖人の御指南であります。が、御書を軽視されては困りますが、大聖人の御法門・御指南の一切が、網羅されたものではありません。言葉をかえれば、大聖人の御法門の『部分』と言えましょう。では大聖人の御法門の一切は消滅してしまったのでしょうか。そうではありません。
『この経は相伝に有らざれば知り難し』と。
 末法万年尽未来際まで、この仏法が正しく、清らかに誤りなく伝わるように、と大聖人御自らが唯授一人法水瀉瓶の規範を定め置かれたのであります。」(下線筆者)
と、相伝の大事なる所以を示し、結論として、
「たとえ、何百編の御書がすべて揃っていた処で、又私達がどんなに努力した処で、血脈付法・御法主上人の御指南がなければ、大聖人の御真意を拝することは断じて不可能ということであります。」
と、本宗伝統の正しい御書の拝し方を示したのである。
 このように、講演全体の流れから見れば、高野法雄師の発言には、何らおかしいところはない。
 ところが、邪教の会長・秋谷は、高野法雄師が「御書を軽視されては困りますが」と、誤解を招かないように断っているにもかかわらず、早速、『聖教新聞』において、
「一、日興上人の遺誡置文には『当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して』と示されている。
 日興上人は大聖人の枢要な法門をあやまたず後世に伝えるために、五大部、十大部を定められ、この置文を残されたのであり、御書に大聖人の法門の根幹が網羅されているのは明らかである。それを、“御書は大聖人の御法門の部分”などというのは、御書軽視も甚だしい暴論である。
(中略)また、日淳上人は『聖人(日蓮大聖人)の教義はあくまで聖人の御書に依て判断せられねばならない』『聖人の教義は徹頭徹尾聖人の御書によつて決定されねばならない』と仰せである。
 高野住職のいう通りとすれば、これから、宗門は、御書を見下し、猊下の御指南をすべての根本とし、猊下は大聖人を超え、御本仏より偉いことになる。代々の猊下でだれがそんなことを言われたことがあるか。大聖人軽視も甚だしい大謗法であり、邪義であることは明白である。断じて許されるべきではない。」(九月二十九日付『聖教新聞』)
と歪曲し、改竄し、都合のよい御書の一節や日淳上人のお言葉を、切り文にして引用した上で、宗門が「御書部分論」「御書軽視」の大謗法を犯していると断定したのである。
 かつて創価学会が、昭和五十二年路線で、「人間革命は現代の御書である」と指導し、御書を蔑ろにしたことは、記憶に新しい。このような体質だからこそ、高野法雄師の述べた御書拝読の基本すら理解できないのであろう。


   .学会お得意の切り文引用とその真意の歪曲

 秋谷の引用した日淳上人のお言葉は、御登座九年前の昭和二十二年十月、『宗報』に掲載された「日蓮聖人と法華経」という論文の中にある。しかし、これがまた切り文引用で、日淳上人の真意を歪曲したものなのである。
 まず、「聖人の教義はあくまで聖人の御書に依て判断せられねばならない」との御発言の原典を挙げれば、
「聖人の教義を正しく領解し奉るには先ず此の立場が批判されねばならない。法華経は仏教の経典中最勝第一であるとし、此れを鉄則として、聖人の教義を此の眼で見て、御一代の弘教を会通し法華経の要約と敷衍とにあると考えることは、聖人の教学に於て正しい立場とはいえない。聖人の教義はあくまで聖人の御書に依て判断せられねばならない。」(下線筆者・日淳上人全集八八四)である。また、「聖人の教義は徹頭徹尾聖人の御書によつて決定されねばならない」との御発言は、
「二祖日興上人が『聖人の御抄を心肝に染め、極理を師伝して若し間あらば台家を聞くべきこと』と、御遺誡置文に仰せられたが、学者は先ずその態度をはつきり決定して、法門を学ぶべきと教えられたもので、当時門下に於て天台を学び、その教学を中心として、聖人の教学に臨むという風があつたのに対する御誡めである。聖人の教義は徹頭徹尾聖人の御書によつて決定されねばならない。」(下線筆者・同八八五)
である。
 日淳上人は、御書と法華経との対比、大聖人の教義と天台の注釈との対比の上から、大聖人の御書に臨む心構えを示し、他門徒のあり方を批判されたのである。すなわち、日興上人の、
「当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞く可き事」(全集一六一八)
との仰せを引かれて、大聖人の門下であるならば、釈尊の法華経を敷衍するために御書を拝したり、台家の教義を基礎として御書を拝してはならない。ただちに御書に徹して大聖人の教義を拝し、さらに極理を師伝すべきであるという趣旨なのである。
そのため、日淳上人は、昭和十二年五月、「物には序あり」との論文の中で、
「ただしかし世人は妙法蓮華経と日蓮大聖人の尊きをいふも漫然妙法蓮華経を読み大聖人の御書を拝読しをるがためにその御真意に正しく到達することができない様である。
既に大聖人は此経は相伝によらずんば知りがたしと仰せられて相伝の鍵をもたずに此経の扉を開くことはできないとせられてをる。その鍵こそ日蓮大聖人の御教である。しかして又日蓮大聖人の御教に於てはその御教の扉を開くべき鍵がある。大聖人の御書四百数十篇此れ等の御書はそれぞれの機根に応じて御教示なされた法門であるが故に一律一様に拝することはできない。(中略)ここに於て大聖人は御入滅に際し御弟子中日興上人を抜んでられて付弟となし給ひ御入滅の大導師たるべしと定めさせられ、若し此れに背くものは非法の衆たるべしと掟てせられたのである。」(日淳上人全集一五九)
と、まさに相伝に依らなければ、到底、御書の真意に到達できないとも仰せられているのである。邪教学会にとっては、非常に煙たい御指南であろう。
 したがって、秋谷の引用した日淳上人の御指南も、決して秋谷の指向するような、血脈を無視して、単に現存する御書によってのみ大聖人の教義のすべてが判断される、などという意味のものではないのである。大聖人の教義は、高野法雄師の述べるごとく、ただ御書を広く濫読すればよいというものではない。
必ず血脈によって「師伝」しなければ、その真意に達することはできないのである。邪教学会の幹部らによって、ことあるたびにその意を曲げて引用される日淳上人も、さぞお嘆きであろう。


   .秋谷栄之助のカラクリを暴く

 天魔に魅入られた秋谷は、高野法雄師が「御書部分論」を主張しているとこじつけるため、日興上人の、
「当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して」(全集一六一八)
との御遺誡を引用している。しかし、秋谷は、この御文を挙げた上で、「日興上人は大聖人の枢要な法門をあやまたず後世に伝えるために、五大部、十大部を定められ、この置文を残されたのであり、御書に大聖人の法門の根幹が網羅されているのは明らかである」と、ただ「御書を心肝に染め」の部分を強調するのみで、「極理を師伝して」の部分については、一切、触れていない。
 そもそも、この「御書を心肝に染め極理を師伝して」との御遺誡について、日淳上人は「教義研鑽の態度」と題して、
「日興上人の御遺誡に曰く、『御書を心肝に染め極理を師伝し、若し暇あらば台家を学ぶべきこと』と、此れ実に聖祖の教義研鑽の羅針盤たるなり。求道者にして若し此大途を踏みはづさば遂に祖教に体逹するを得ざるなり。御書を心肝に染めざれば聖祖の御霊格に親炙(しんしゃ)し奉るを得ず。而して極理を師伝せざれば我見に堕するを免れず。
此二途を完うして智見初めて具はるを得る然るに古来聖祖門下に於て御書を手にすることを知つて、極理の師伝を知らずこれを怱(ゆる)がせにするもののみを見る、此れが為に我見に堕して救ふべからざるに至る誠に嘆ずべきである。」(日淳上人全集四五)
と、相伝によって御書を拝すべきことを強調されている。また、御先師日達上人は、
「大石寺門流は大聖人からの相伝の宗旨であるから、御書を十分に心に留め、その文底の法門は、歴代の法主が相承している法門の至極の理は師から教わり、かりにも己義をかまえてはならない。」(略解日興遺誡置文一〇)
と御指南されている。
 すなわち、大聖人の仏法を信仰する者は、御書を心肝に染めることはもとより、さらに大聖人の御内証をお受けあそばされた御法主上人を仏法の師匠とする師弟相対の道を尊重して、文底の法門を信をもって拝してこそ、真に大聖人の御教えに到達できるのである。
 しかるに、秋谷は、「極理を師伝して」との御文を引用していながら、この重要なことには全く触れていない。それどころか、「極理を師伝して」との御文の重要性を述べた高野法雄師の発言を、反対に歪曲して誹謗しているのである。何と愚かしい行為であろうか。
 とかく大聖人の門下には、古来、御書を通読・濫読して、大聖人の教えに到達したとか悟りを得たなどと、「未得謂得未証謂証」の大慢心を起こす輩が多くいるものである。遠くは大聖人に敵対した五老僧とその門下がおり、近くは妙信講や正信会の徒輩がいた。これらの者どもも御書を読んでいたはずであるが、今は全く邪教の徒と化している。そして、今、池田創価学会とともに、工藤玄英ら学会僧も同じ轍を踏んで邪教の徒と化したのである。


 ハ.「時の貫首為りと雖も」云々について

 さらに一点、彼ら学会僧は、
「宗祖の云く『彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」と。仏法の道理に外れた指南には従わないという姿勢こそ、『時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事』と仰せられた日興上人の御心にも適う道であると信ずるものであります。」
と、いかにも御法主上人が「一凶」であると述べていることについて、その誤りを指摘しておくものである。
 先々に述べたとおり、本宗の命脈は唯授一人の血脈に存する。この法体血脈によらなければ、いくら戒壇の大御本尊を拝し、ひたすらなる唱題行を尽くそうとも、決して仏果を成ずることはできないのである。池田創価学会は、この唯授一人の血脈によらないばかりか、かえって背反し、しかも悪口・中傷の限りを尽くしているのである。これを「一凶」と呼ばずして、何を「一凶」というのであろうか。
 ところが、彼ら学会僧は、池田創価学会に同じて、血脈付法の御法主上人に対して「一凶」と称し、邪悪の限りを尽くしているのである。
 彼ら学会僧の、このような誤謬の原因の一つは、日興上人の、
「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」
との御遺誡に対する解釈に存する。彼らは、妙信講や正信会、池田創価学会等の受け売りをして、この条目を、御法主上人が仏法上の間違いを犯す証文であるとしているのである。
 しかし、日亨上人は、この条目を釈する中で、
「時代はいかように進展しても、無信・無行・無学の者が、にわかに無上位に昇るべき時代はおそらくあるまい。一分の信あり、一分の行あり、一分の学ある者が、なんで仏法の大義を犯して勝手な言動をなそうや。」(日興上人詳伝四三六)
と、御法主上人が仏法の大義を犯すことなど、決してありえないと釈されている。近年においても、日淳上人、日達上人、日顕上人と、一器より一器への法水の上の御指南は、その時々の状況に対し、常に正しく宗開両祖の正義の御教示であられる。
このことは、我々宗門の僧俗一同の等しく拝するところである。
大聖人の仏法を信仰する者であるならば、本宗の血脈の大事を、伏して拝するべきである。


  お わ り に

 以上、彼ら学会僧による「諌暁の書」を破折してきたが、要するに彼らの本宗の信仰に対する基本的態度、体質が問題なのである。つまり、もともと日蓮正宗の僧侶というのは名ばかりで、池田創価学会教の出家僧でしかなかったのである。
 一方、創価学会では、三宝破壊をはじめとする本宗法義の著しい改悪を犯している。観念文とて、すでに本宗本来の姿ではない。このような法義の改悪は、おのずと化儀の改悪につながっていく。そのため、現在では、葬儀、法事、御授戒をはじめとして、一切の化儀・法要において、僧侶は不要となったのである。つまり、創価学会は、すでに日蓮正宗の信仰と全く異なる、別個の信仰(新興宗教)を構えているのである。だからこそ、破門されたのではないか。
 しかるに、僧侶不要の創価学会は、宗門から離脱した工藤玄英ら学会僧の輩に対して、果たしてどのように対応していくのであろうか。世智に長じた創価学会のことであるから、工藤玄英ら七・八名の離脱行為を、宗門攻撃のために、大げさにクローズアップして報道し、都合よく活用するであろう。しかし、彼ら学会僧が、池田創価学会から捨て去られるのも、さほど遠い未来ではなかろう。彼らの末路を考えると、全く哀れさしか感ずるものはない。

 以  上