日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

創価学会の三宝論の自語相違を破す

1991-11-12 | 時局資料

     創価学会の三宝論の自語相違を破す  

              時局協議会文書作成班1班  

   はじめに  

 創価学会の宗門への敵対行為は、「宗門は天魔である」とか「御法主上人が謗法与同である」とか「三宝破壊の重罪は日顕猊下」などと、自らの所属する日蓮正宗と血脈付法の御法主上人猊下を謗法呼ばわりするという、これ以上考えることのできない逸脱状態にまで至っている。このような創価学会を、本宗の信徒団体として認めることができないことは当然のことであり、創価学会との関係の終息を決断せざるをえない時期も、それほど遠くはないような気配がする。


1.創価学会の邪義

 信徒としての規(のり)を越えてしまった池田大作氏ら創価学会首脳は、当家の三宝について、あからさまに邪義を述べ始めた。その発言は次のようなものである。
 まず、名誉会長池田氏は、
「かりに、だれかが“『三宝は一体』であり、広くは、自分も『僧宝』に当たるから、自分と『仏宝』『法宝』は一体である。ゆえに自分は絶対である”──こんなことを言ったとしたら、この日達上人の御指南に背く慢謗法であり、末法下種の三宝の本義を破る妄説であることは明らかである。(中略)日達上人は、代々の法主が、ただちに日蓮大聖人の代わりであるなどと言うことは誤りである、と御指南されている。したがって法主を『現代の大聖人様』などと主張するのは、この日達上人の御指南に違背している。(中略)厳密にいえば、歴代の法主は僧宝以下の立場であり、それを軽々しく『仏様である』とか、『現代における大聖人である』等と、“絶対化”していくことは、尊信しているようでありながら、実は貶(おとし)めていることになる場合がある、と厳しく戒められている。したがって、『法主と大御本尊は一体不二』『法主は現代における大聖人』等と主張する人がいたとしたら、歴代上人の御指南にも背き、大聖人の仏法の正義を破る謗法となるのである。」(平成3年9月10日付『聖教新聞』)
と述べている。そして、会長の秋谷氏も、
「一、仏法の基本である『三宝』は、歴代上人が御指南されているように、『法宝』は御本尊、『仏宝』は日蓮大聖人、『僧宝』は日興上人であり、三宝が相即する御本尊を拝し奉るのが、私たちの信心である。また日達上人が『代々の法主が日蓮大聖人ではない』と御指南され、歴代法主は僧宝以下の立場であることは明らかである。元来、日蓮正宗には大御本尊と並べた“法主根本主義”等は全くなかった。
 ところが、最近、宗門は御本尊と法主は『根本の二つ』であるとして、『大聖人の仏智による御指南は、血脈付法の御法主上人によってなされるのであって、私どもは、そこに信伏随従するのみであります』とする法主絶対論をふりかざすようになってきた。
 しかし、この主張に、重大な“すり替え”があることを看過してはならない。
 一、大聖人の御義口伝には『信伏随従』について、『信とは無疑曰信(むぎわっしん)なり伏とは法華に帰伏するなり随とは心を法華経に移すなり従とは身を此の経に移すなり』と述べられている。すなわち心身ともに三大秘法の御本尊に帰伏することが信伏随従なのである。
 つまり人法一箇の御本尊を信仰し、大聖人に帰伏していくのが私どもの信心である。それを法主への信伏随従にすりかえるのは、大聖人の御指南に反するものであり、三宝破壊の邪義であることは、だれがみても明らかである。(中略)現宗門のいき方こそ、大聖人の仏法を破壊する大謗法であるといわざるをえない。」(平成3年9月30日付『聖教新聞』)
と同様の指導をしている。
 この説は僧宝を日興上人のみとし、御歴代上人は僧宝にあらずと下して、宗祖大聖人以来の血脈の尊厳を破壊するものである。しかし、それは、これまでの池田氏自身の指導と正反対であり、自語相違の邪義であることは明々白々であるので、次にそれらの発言を挙げる。


2.自語相違の池田氏は謗法

 かつての池田氏の発言をここに列挙してみよう。
「猊下のおことばは、日蓮大聖人様のおことばと私どもは確信しております。」(昭和36年7月10日)
「御法主上人猊下様は遣使還告で、日蓮大聖人様と拝し奉るのです。」(昭和37年1月・『三世諸仏総勘文抄』講義)
「御法主上人猊下に対しては御法主上人猊下こそ経文に説かれている遣使還告のお立場、すなわち大聖人様と拝してお仕え申し上げていくことでありました。」(昭和35年1月15日)
「遣使還告であられる御法主上人猊下は、日蓮大聖人様であります。」(昭和38年9月1日)
「猊下も仏さまでいらっしゃる。御本尊さまも見ていらっしゃる。」(昭和40年1月18日)
「本宗における厳粛なる法水瀉瓶唯授一人の血脈は、法灯連綿と、代々の御法主上人に受け継がれて、今日に至っております。あくまでも、御本仏は、日蓮大聖人様であらせられ、唯我与我の御法主上人のご内証を、大聖人と拝すべきなのであります。私がごとき者を、かりそめにも、本仏などと、言うことはもちろん、思ったりすることも謗法なのであります。」(『大白蓮華』昭和54年6月号)
「現代においては、いかなる理由があれ、御本仏日蓮大聖人の『遣使還告』であられる血脈付法の御法主日顕上人猊下を非難することは、これらの徒(退転者)と同じであるといわなければならない。批判する者は、正法正義の日蓮 正宗に対する異流であり、反逆者であるからである。」 (昭和56年3月10日・『広布と人生を語る』1-230)
とある。このように、以前は、ほかならぬ池田氏自身が、御法主上人は大聖人の「遣使還告」であり、現代における日蓮大聖人であらせられると指導していたのである。
 それとは全く正反対の、
「したがって、『法主と大御本尊は一体不二』『法主は現代における大聖人』等と主張する人がいたとしたら、歴代上人の御指南にも背き、大聖人の仏法の正義を破る謗法となるのである。」(平成3年9月10日付『聖教新聞』)
との、現在の指導が正しいのであれば、これらの、以前の指導は、皆、誤りであり、「大聖人の仏法の正義を破る謗法」であったことになる。とすれば、これまでの池田氏は、学会員の全てを、地獄に突き落としていたことになるが、いかがであろうか。
 さらに、以下の指導は、どうであろうか。
「日蓮正宗の僧俗であるならば、絶対に御法主上人猊下に随順すべきである。それに反して、随順せず、いな、弓をひく行為をする僧や俗は、もはや日蓮正宗とはいえない。私どもは無数の讒言や画策をうけながらも、一貫して総本山を外護したてまつり、御法主上人猊下に随順してまいった。これが真実の信心であるからだ。それを、増上慢と権威とエゴと野望のために踏みにじっていく僧俗は、まったく信心の二字なき徒輩であり、もはやそれは、日蓮大聖人の『広宣流布をせよ』との御遺命に反した邪信の徒と断ずるほかはないのである。皆さまは絶対に、それらを恐れたり、また、騙されたり撹乱されてはならない。」(昭和56年12月12日・『広布と人生を語る』2-37)
「日蓮正宗における根本は、唯授一人の血脈である。その血脈相承の御法主上人に随順しゆくことこそ、僧俗の正しいあり方である。この一点を誤れば、すべてが狂ってくるのである。」(昭和57年1月24日・『広布と人生を語る』3-32)
「絶対なるものは、大御本尊のお力である。また、絶対なるものは、御書である。そして、仏法の根本を御指南されるのは、あくまでも御法主上人猊下であられる。御法主上人猊下の御指南にしたがわないものは、もはや日蓮正宗の 僧でもなく、俗でもない。」(昭和57年2月10日・ 『広布と人生を語る』3-53)
「日蓮大聖人の仏法は厳格で厳しい。この富士の清流は第二祖日興上人、第三祖日目上人、そして現六十七世御法主上人猊下までの御歴代上人方によって厳然と護持されてきた。そこに貫かれてきたのは『謗法厳誡』である。」(昭和57年3月28日・『広布と人生を語る』3-97)
「日蓮正宗の根本たる御法主上人を(正信会が)訴えたという、この一事だけで、もはやいっさいが崩れさったことを物語っている。」(昭和57年6月27日・『広布と人生を語る』3-213)
「ご存知のとおり、私どもは日蓮大聖人の仏法を奉ずる信徒である。その大聖人の仏法は、第二祖日興上人、第三祖日目上人、第四世日道上人、および御歴代上人、そして現在は第六十七世御法主であられる日顕上人猊下まで、法灯連綿と血脈相承されている。ゆえに日顕上人猊下の御指南を仰ぐべきなのである。この一貫した仏法の正しき流れを、いささかなりともたがえてはならない。」(昭和57年7月20日・『広布と人生を語る』3-249)
「この日興上人がおられましたがゆえに、富士の清流は七百年の苦難の歴史にもいささかも穢されることなく、総本山御歴代の御法主上人により一器から一器へと法水瀉瓶されてきたのでございます。」(昭和57年3月8日・『広布と人生を語る』3-71)
「日蓮正宗の根幹をなすものは血脈である。大御本尊を根本とし、代々の御法主上人が、唯授一人でこれを受け継ぎ、令法久住をされてこられた。御本尊を御認めあそばすのは、御法主上人御一人であられる。われわれは、令法久住のための信心を根幹として、広宣流布に邁進しているのである。しかし、いくら広宣流布といっても、御本尊の御認めがなければできない。われわれは、あくまでも総本山根本、御法主上人厳護の信心で進んでまいりたい。」(昭和57年7月24日・『広布と人生を語る』3-256)
「以来、七百星霜、法灯は連綿として謗法厳戒の御掟を貫き、一点の濁りもなく唯授一人の血脈法水は、嫡々の御歴代御法主上人によって伝持せられてまいりました。」(昭和59年3月31日・『広布と人生を語る』6-12)
等々、枚挙にいとまがない、これらの指導から何年も経っていないが、学会員の諸氏は忘れたのであろうか。もし、忘れていなければ、現在の指導との矛盾に、思考が混乱するはずである。それでもなおかつ、何の疑問も生じないとすれば、もはや「頭破作七分」であると言わざるをえない。


3.僧宝についての自語相違

 次に、創価学会が、御歴代上人を「僧宝」と指導していたことは、当時の池田会長の、
「ここで『僧宝』とは、今日においては日興上人よりの唯授一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる。」(昭和53年2月26日付『聖教新聞』)
との発言に明らかであり、これを受けて、昭和53年の「6・30」では、
「『僧宝』とは、正宗においては第二祖日興上人のことであり、また会長(池田会長)も発言しているごとく、唯授一人の血脈をうけられた御法主上人猊下であらせられる。」(昭和53年6月30日付『聖教新聞』)
と記されているし、『大白蓮華』の昭和54年11月号、及び昭和58年10月号には、
「正法を正しく継承伝持あそばされた血脈付法の日興上人を随一として、歴代の御法主上人、広くは、御法主上人の法類である御僧侶の方々が僧宝なのです。」
との記述が見える。それが、現在は、前述のように、
「厳密にいえば、歴代の法主は僧宝以下の立場」(池田氏)
であり、
「仏法の基本である『三宝』は、歴代上人が御指南されているように、『法宝』は御本尊、『仏宝』は日蓮大聖人、『僧宝』は日興上人であり、三宝が相即する御本尊を拝し奉るのが、私たちの信心である。また日達上人が『代々の法主が日蓮大聖人ではない』と御指南され、歴代法主は僧宝以下の立場であることは明らかである。」(秋谷氏)
となっているのである。これは、明らかな法門の改変であり、邪義謗法と断ぜられるものである。創価学会員は、このことを怒るべきである。これほど学会員を愚弄した指導が、どこにあろうか。

4.日蓮正宗の僧宝の実義

 日蓮正宗の「三宝」の実義は、日寛上人が『三宝抄』に、
「吾が日興上人嫡々写瓶の御弟子なる事分明なり。故に末法下種の僧宝と仰ぐなり。爾来、日目・日道、代々咸く是れ僧宝なり、及び門流の大衆亦爾なり」
と示され、また『当家三衣抄』には、
「南無仏・南無法・南無僧とは、若し当流の意は」
として、仏宝・法宝を挙げられたあと、
「南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提の座主、伝法日目上人師、嫡々代々の諸師。此くの如き三宝を一心に之を念じて唯当に南無妙法蓮華経と唱え」
との御指南に明らかなように、日興上人・日目上人以下、御歴代上人の全てが、僧宝にましますのである。
 御先師日達上人も、昭和38年5月、
「二祖日興上人より歴代を僧宝と立てておるのでありまして、古来より少しも変っておりません。」
と御指南されており、御歴代上人を僧宝と立てることは、七百年来、不変なのである。
 このように、現在の池田氏ら創価学会首脳による教義の改変は、学会員の洗脳のための論拠づくり以外の何ものでもないのであり、見えすいた誑惑であることを、全学会員に知らせなければならない。

 ところで、これほど見えすいた誑惑であるにもかかわらず、創価学会員が騙されてしまうのは、
「本宗は、大漫荼羅を法宝とし、宗祖日蓮大聖人を仏宝とし、血脈付法の人日興上人を僧宝とする」(『日蓮正宗宗規』第4条)
との宗規の文、あるいは日達上人の、
「要するに、人法一箇の御本尊を中心とするのが本来の本宗の行き方でございます。御本尊に於いて三宝相即であります。各自皆様方の仏壇に御本尊を安置して朝夕に信心を励む。それで三宝を敬っておる充分の姿でございます。」(昭和52年7月27日)
「我が宗の三宝は、御本尊が法宝、大聖人が仏宝、日興上人が僧宝と立てます。それに対して日目上人は座主である。今云った通り、管領して、その大聖人の仏法を治めて行く、よく受取って治めて行く、即ち管領という意味を持って行くのである。統べ治める、そして統治をして行く。その日目上人の後は、皆筒の流れのように、それを受継いで行くにすぎない。だから本宗の考えは、広宣流布の時は日目上人の再現、出現だという意味をとっております。即ち日目上人が広宣流布の時の座主として再誕なされるとの指南であります。だから代々の法主が日蓮大聖人ではない。大聖人そのものと間違って書かれてよく問題が起きますが、その点ははっきりしてもらいたい。」(昭和52年5月26日)
「三宝はどこまでも、大聖人・日興上人・御本尊、これが本宗の三宝の立て方です。法主が大聖人様の代わりだと、即座にこう云う事を云うと、外から非難されますから、よくその点に注意していただきたいと思います。」(昭和52年5月26日)
との御指南や、日顕上人の、
「御先師が間違えないようにきちんとお示しくださっておることでありますが、六巻抄の『当流行事抄』の最後に“本門下種三宝”の御指南があります。そこにおいては、人即法の大曼荼羅本尊が法宝であり、法即人の本因妙の教主・日蓮大聖人が末法下種の仏宝であり、そしてこれを正しく血脈のうえに伝受あそばされて、末法万年弘通の基を開かれた二祖日興上人が僧宝であらせられるということにつき、教道のうえに本門下種三宝をきちっと立てられてあるのであります。ですから日興上人といえども、その唯我与我の御境界のなかにおいての御本尊の御内証という意味に約しては大聖人と一体であるけれども、その尊信のかたちとしての仏・法・僧の三宝といううえからするならば区別があるのであり、仏宝と僧宝とはおのずから違うのです。すなわち、仏宝は大聖人ただお一人であり、日興上人がすでに僧宝のお立場であらせられるのであります。」(昭和58年3月31日)
「その僧宝ということをもう少し広く解釈すれば、歴代法主がその一分に加わるということもいえるでしょう。さらに広くいえば、日蓮正宗の正しい筋道によって出家得道した教師あるいは学衆等においても、正しい仏法を受持信行するかぎりにおいて、僧宝ということがいえるのであります。もっと広くいうならば、一切衆生のなかで正法を受持信行し、一分でも他に随力演説していく人達は僧俗ともに僧宝であるということができます。しかし基本においては、日興上人をもって僧宝の随一として拝するわけであります。そういうところからするならば、歴代法主は僧宝以下の立場であって、それを軽々しく仏様だ、仏様だというような表現は、少し言い過ぎであると私は思っております。」(昭和58年3月31日)
との御指南を曲解して、巧みに利用するからである。
 このように、三宝の中、僧宝の立て方には、日興上人のみを僧宝とする場合と、御歴代上人を全て僧宝とする場合との2段階がある。
 この理由を正しく理解しなければ、彼等の邪説に翻弄されてしまうことにもなるから、細心の注意が必要である。


5.『当流行事抄』と『当家三衣抄』の僧宝の立て方の違い

 『六巻抄』の『当流行事抄』には、
「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」(『六巻抄』323)
と、日興上人のみを僧宝とされるが、『当家三衣抄』には、
「南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提の座主、伝法日目上人師、嫡々代々の諸師。此くの如き三宝を一心に之を念じて唯当に南無妙法蓮華経と唱え」
と、日目上人以下の御歴代上人をも僧宝とされている。
 この相違の理由を言えば、『当流行事抄』は、六老僧の中、ただ日興上人お一人が日蓮大聖人の付嘱を受け、正義を立てられたことを示されたのである。すなわち、日興上人と他の五老僧とを相対し、日興門流の正統を示すということで、根本の上から当門流の正義を示す意義によられているのである。故に、僧宝を示すに当たり、日興上人お一人を挙げることは、日興上人が六老の中の唯一の付弟であり、真実の僧宝であることをもって、その末流の僧宝なることの濫觴とするのである。
 他の五老は付嘱を受けざるが故に、五人はともに僧宝とならないことを明かし、その五老の門の末流は、皆、僧宝にあらざることを示す意を含むのである。
 『当流行事抄』に明らかなように、日興門流の正統は、宗祖大聖人よりの法体付嘱が、日興上人に存することによる。その付嘱は、さらに日興門流の中でも、当家の御歴代上人に血脈相承をもって伝えられるのである。故に、僧宝にして総貫首である日興上人の地位は、『百六箇抄』に、
「直授結要付属は一人なり、白蓮阿闍梨日興を以つて惣貫首と為て日蓮が正義悉く以つて毛頭程も之れを残さず悉く付属せしめ畢んぬ、上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡々付法の上人を以つて惣貫首と仰ぐ可き者なり」(富要1-20)
と示されるように、法灯連綿として現在に至り、御当代上人に存するのである。『当家三衣抄』は、日興門流の分派の中で、日興上人よりの付嘱を伝えられている当家の御法主上人こそ、真実の僧宝であることを示され、末法下種の三宝は当家にのみ存することを明らかにされているのである。


6.「教道」と「証道」

 日寛上人の『三宝抄』には、
「問う、三宝に勝劣有りや。答う、此須く分別すべし、若し内体に約さば実に是れ体一なり。所謂法宝の全体即ち是れ仏宝なり、故に一念三千即自受用身と云い、又十界具足を方に円仏と名づくと云う也。亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也。若し外相に約さば任運勝劣あり。所謂、仏は法を以て師と為し、僧は仏を以て師と為す故也。故に法宝を以て中央に安置し、仏及び僧を以て左右に安置する也」(歴全4-392)
と、「三宝」が「内体」に約せば体一であるが、「外相」に約せば、おのずから勝劣があると御指南されている。ここでは、この意義の上から、さらに別体三宝式の本尊奉安様式における、仏法僧の奉安位置の理由にも論及されている。
 このように、法門の立て方には、「内体」と「外相」との二つの筋道が存するのである。
 「内体」とは「内証」の体ということである。これは、「観心」と同義であり、ここにおける談道を「証道」という。また、「外相」とは「外用」の相をいう。これは、「教相」と同義であり、ここにおける談道を「教道」という。
 第31世日因上人は、金沢の信徒への御消息に、
「日興上人已下の代々も亦た爾なり。内証に順ずるに則仏宝也。外用に依れば則僧宝也。故に末法下種の大導師日蓮聖人の尊仏に対すれば、則外用を存し以て僧宝と為るのみ。(中略)故に日蓮聖人の御身の上に本迹の両辺あり、仍て迹に依れば則凡夫僧なり、内に依れば則妙覚極果の如来なり、日興上人日目上人も亦た爾なり」
と、御歴代上人の御内証の辺は仏宝と体一であらせられ、外用において僧宝と申し上げることを明らかにされ、日寛上人の御指南と全く同じ趣旨の御指南をされている。
 日寛上人の『当流行事抄』には、
「久遠元初の僧宝とは即ち是れ開山上人なり」(『六巻抄』325)
と、日興上人が僧宝であることをお示しであるが、その前提として『百六箇抄』の「久遠元初の結要付属」の文を挙げて、
「結要付属豈僧宝に非ずや」(『六巻抄』323)
と、大聖人よりの結要付嘱をもって、日興上人を僧宝と御指南である。また、『三宝抄』にも、
「僧宝とは久遠元初結要付嘱の所受の人なり」(歴全4-366)
と、僧宝が結要付嘱の所受のお方であることを示されている。この結要付嘱とは、法体の血脈相承のことである。
 付嘱には、周知のごとく嘱累品の総付嘱と、神力品の別付嘱がある。この総別の付嘱は共に、上行菩薩を上首として、釈尊より授けられる。しかして、結要付嘱とは別付嘱のことであり、上行菩薩のみに授けられるが、総付嘱は迹化の菩薩もその任を受ける。これは文上の談道である。
 さて、大聖人より日興上人への下種仏法の御付嘱も、この総別の二義がある。別しての結要付嘱、すなわち血脈相承をお受けになるのは、御法主上人ただお一人である。総付嘱は御法主上人を上首として、一般僧侶もその任を受ける。
 このように、僧宝の本義は別付嘱たる結要付嘱に存するのであって、厳密にいえば「僧宝」とは御法主上人お一人なのである。故に、『曽谷殿御返事』の、
「総別の二義あり総別の二義少しも相そむけば成仏思いもよらず輪廻生死のもといたらん」(全集1055)
との御指南のように、総別の二義、すなわち総付嘱と別付嘱とを混乱してはならないのである。したがって、総じての意味で僧宝というとも、御法主上人の僧宝の意義に対しては、天地雲泥の相違があることを、明確に認識しなければならない。
 以上、明らかなように、御歴代上人は、血脈相承をお受けになり、その御内証が「仏宝」と不二の御尊体にまします故に、その外用の辺を「僧宝」と申し上げるのである。
 しかるに、「僧宝」に関する御法主上人の御指南に異なった御見解が存するのは、前述の日顕上人の、
「末法万年弘通の基を開かれた二祖日興上人が僧宝であらせられるということにつき、教道のうえに本門下種三宝をきちっと立てられてあるのであります。」(昭和58年3月31日)
との御指南のように、下種三宝の立て方は、「教道」の上に示されるからである。すなわち、「教道」の上には、僧宝の意義にも、また違いが存するのである。
 先に述べたように、『六巻抄』の僧宝の記述の相違は、門流の濫觴としての僧宝である日興上人と、その跡を継承される御歴代上人との「僧宝」の意義の違いによる。つまり、日興上人等御歴代上人の「僧宝」には、その意義の上に、化導の上の法体としての「僧宝」と、住持としての「僧宝」との区別が存するのである。
 まず、法体にも、大聖人の御内証の法体と、御化導の上の法体が存する。御内証の法体とは、日顕上人の、
「そこで、三宝について少々申し上げるならば、一番根本のところにおいて、久遠元初の仏法の法体、内証の法体において、そのまま仏法僧の三宝が具わるのであります。これは『当体義抄』という御書の中において、
  『至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時・
  因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華
  と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足し
  て闕減無し之を修行する者は仏因・仏果・同時に之を
  得るなり、聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば
  妙因・妙果・倶時に感得し給うが故に妙覚果満の如来
  と成り給いしなり』
という、久遠の当初における聖人の本因本果の成道に約しての御指南がございます。
 すなわち、妙法蓮華を師として修行あそばされるというところにおいては、『因果倶時・不思議の一法』であるところの法の宝に対し、これを信解するところの境界の中に、いささかもその法に対する差違異轍なく、法界の法理そのものを妙法の体として自ら行じ給う姿が、そのまま内証におけるところの修行の姿なのであり、すなわちこれは僧宝であります。
 そして、直ちに『因果倶時・不思議の一法』を得て、妙因・妙果の本因下種の仏として即座開悟あそばされるところの本果の仏様の境界は、すなわち本因下種仏法におけるところの仏宝であります。すなわち大聖人様は、この久遠元初の法体を末法に移して御出現あそばされ、その上から法宝・仏宝・僧宝の三義が御自身に具わり給うところを御指南でございます。それはすなわち、
  『日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ
  信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たまし
  ひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし』
と、『日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経』と仰せあそばされるところに、釈尊の脱益の仏法と種脱相対して、下種本仏の境界に所持あそばされ給うところの法の宝、すなわち南無妙法蓮華経が厳然として具わることを御指南あそばされております。
 さらにまた、
  『無作の三身とは末法の法華経の行者なり』
  『本尊とは法華経の行者の一身の当体なり』
あるいはまた、
  『日蓮が頭には大覚世尊かはらせ給いぬ』
という御指南からも、大聖人の凡夫身において、直ちに久遠下種根本の仏の御境界が具わっておるということを拝し奉るのであります。
 そしてまた、『御義口伝』における、
  『末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり(乃至)仏とも云
  われ又凡夫僧とも云わるるなり』
という御指南より拝するならば、大聖人の本因の修行のお姿を、さらに一期の御化導に拝するところ、鎌倉期、佐渡期において法華経文々句々を身に当ててお読みあそばされ、竜の口の発迹顕本、本仏開顕の大事に至り給うまでの御修行のお姿は、すなわち御身に具わり給うところの僧の姿、僧宝であります。つまり大聖人様の御一身に仏法僧の三宝が具わり給うところに、内証の一体三宝が拝せられるのであります。」
との御指南のように、大聖人の御一身に具えたもう三宝が、御内証における法体である。しかし、その御内証は、そのままでは衆生は拝することができない。そのために、衆生の化導の上にお示しになられるのが、化導の法体としての三宝である。日顕上人は、
「しかしながら、また末法万年の衆生を導かんための三宝としては、そこに化導の上からの本門下種三宝の法体が厳然として常住し給うのであります。
 これは、皆さんも朝晩の勤行でお読みになっておる法華経の自我偈の、『時我及衆僧 倶出霊鷲山』の文であります。
  『時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず 我時に衆生に
  語る 常に此に在って滅せず云云』
とございますが、この『時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず』という文の、『時』とは末法第五の時であり、『我』とは仏、すなわち大聖人様の御当体であります。また『及』とは、南無妙法蓮華経の法宝であり、『衆僧』とは僧である。
 これは、また化導の形において、いかなる姿をもって示されておるかと申しまするならば、脱益の仏法においては、あの釈尊一代の五十余年の経々の中において、その極まるところは八カ年の法華経に帰するのであります。この法華経の中で、迹門を馳せ過ぎて、本門の涌出品より嘱累品に至る八品において、久遠の寿量品の法体が釈尊から上行菩薩へ付嘱せられております。ここに釈尊より大聖人様へ脱益本門より下種本門への転換がありました。また、末法に本仏大聖人様が御出現あそばされ、下種本法の末法万年の広宣流布のために成し置かれた大事な化導の根本もまた、二祖日興上人様への唯授一人の血脈相承、結要付嘱であります。
 仏法の根本は、この付嘱によってすべてが決せられるのであり、ここを外して仏法というものの存在は全くありえないのであります。したがって、大聖人様が下種の仏宝であり、南無妙法蓮華経の大御本尊が法宝であるのに対して、久遠常住の下種三宝、つまり化導の上の下種三宝の僧宝とは、その随一が二祖・白蓮阿闍梨日興上人様にあらせられるということが、ここに明らかであります。
 この仏法僧の三宝を正しく拝してこそ、末法の一切衆生の身中に、妙法当体蓮華の大功徳が成就するのであります。もしこれを疑い、これを外れて、『ただ大聖人様と御本尊様さえあれば、日興上人以下はどうでもいい』というような考えを持つならば、これは大謗法であり、即身成仏は到底、おぼつかない次第であります。
 大聖人様、大御本尊様、日興上人様のおわしますところに、化導の法体としての常住不変の下種三宝が存し、この下種三宝が常に我々を見そなわし、我々を開導してくださるということを深く信ずべきであります。」
と、大聖人、大御本尊、日興上人を三宝と申し上げるのは、法体の三宝としてであると御指南なのである。故に、日興上人は、特に化導の上の法体としての「僧宝」と拝せられるのである。これは、大客殿の本尊奉安様式が、「日蓮大聖人・大御本尊・日興上人」の、別体三宝式にましますことからも明らかである。
 しかし、法体の三宝が確立しても、それだけでは末法万年にこの三宝を伝えることはできない。
 日顕上人は、続いて、
「また、その仏法が住していく姿の中においては、『住持』という形の上からの三宝が必要となってまいります。これは、日有上人の百二十一カ条からなる『化儀抄』の中において、
  『手続の師匠の所は、三世の諸仏高祖已来代代上人の
  もぬけられたる故に、師匠の所を能く能く取り定めて
  信を取るべし、又我が弟子も此くの如く我に信を取る
  べし』
という御文がございます。
 すなわち、日興上人から日目上人へ、日目上人から日道上人、日行上人と代々、付嘱によって伝わるところに、大聖人様以来の御本仏の御魂が、もぬけられておるのである。それは、大聖人様の御本尊、日興上人、日目上人の御本尊、乃至歴代上人の御本尊の当相・当体を拝するところに、おのずから明らかであると存ずるのであります。」
と、御歴代の御法主上人は、法体として確立された三宝を、末法万年の未来に伝える「住持」としての意義の上からの「僧宝」にましますと御指南されているのである。
 このように、「僧宝」についての御指南の中で、御歴代上人を僧宝に含まれない場合は、「教道」の上において、「法体の三宝」「住持の三宝」等の区別が存し、そこに一往の勝劣も存するからである。
 つまり、御歴代上人は「僧宝の随一」として、大聖人から直接に法を授けられた一番のもとに立たれる日興上人に対し、日目上人はその弟子、日道上人はそのまた弟子と次第される。この「師」に対する「弟子」との辺をもって、「外相」の上から謙下あそばされ、御自身を「僧宝以下」と仰せられるのである。
 しかし、「弟子」は法を受けられれば、今度は絶対の資格と自覚と力を有する「師」となられるのである。ここをもっての筋道は、再往の実義であり、これを「証道」というのである。「証道」とは、御内証の談道のことであり、まさに宗祖日蓮大聖人の法水を瀉瓶された上から、師弟不二の御境界に約すものである。したがって、日因上人の、「日興上人已下の代々も亦た爾なり。内証に順ずるに則仏宝也。外用に依れば則僧宝也。故に末法下種の大導師日蓮聖人の尊仏に対すれば、則外用を存し以て僧宝と為るのみ」
との御指南のように、その御内証は日蓮大聖人に冥合した上での「仏宝」なのであり、「僧宝」とは、血脈相承を受け、大聖人の化儀・法体を伝持し、時に当たって教導あそばすという、御法主上人の「外用」を指すのである。
 したがって、御歴代上人が「僧宝以下」との表現は、一には、五一相対して、その正統たる日興門流における、末法万年の総貫首であらせられる日興上人を師とするのに対して、御歴代上人はその弟子である故に、師と弟子という立場の違いが存するためである。また、二には、日興上人が「法体の僧宝」であらせられるのに対して、日目上人以下の御歴代上人を「住持の僧宝」とするのであり、この「僧宝」の意義の違いを、「教道」の上に示されて、日目上人以下の御歴代上人を、一往「僧宝以下」と示されたのである。
 しかし、一般僧俗が、それをもって、「御歴代上人は僧宝以下」などと言えば、それは「教道」を聞いて「証道」を知らぬ、一知半解のものであり、再往の実義を曲げる謗法罪を免れることはできない。
 上代においては、大聖人御自身ですら、御本仏であることはおろか、上行菩薩であることすら、あからさまには述べられていない。これは、『報恩抄送文』に、
「親疎と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ御心得候へ」(全集330)
と仰せられるところである。すなわち、法門を受ける衆生の機根に、堪と不堪とがあって、直ちに真実を述べれば不信を起こすからである。現代は、妙法流布も進展し、広宣流布の気運も高まってきたが、やはり信心が弱く、疑い深い者は、「浅義」である一往の「教道」の御指南に執著を起こして迷いが晴れず、再往の「深義」である「証道」に信解が至らないために、眼前の「師」の尊厳が拝し切れないのである。
 故に、この二つの筋道を、過不足なく信解することが非常に大切なのである。このことを、日顕上人は、
「宗門の古来の“法”の立て方において、二筋の立場があるということであります。つまり、もちろん根本は末法下種の御本仏・宗祖日蓮大聖人の御内証におわしますのであり、それを唯我与我の御境界において二祖日興上人がその仏法の本義をお承け継ぎあそばされて、さらに日目上人・日道上人と、一器の水を一器に移すかたちで今日に伝えられておるということが、宗門の古来からの信条であります。それはそのとおりでありますが、そこに御本尊の御内証という立場と、それから代々の法主がその法を承けて色々な場合において宗門を指導・統率していくという意味からの様々の指南・指導等を行う立場と、その二筋においては一往、分けて考えなければならないと思っております。
 三大秘法の根本の深義は本門戒壇の大御本尊にその法体がおわしまして、そこが根本であります。その分身・散影として各末寺その他、在家の宅においても御本尊を奉安しておりますけれども、一切はその根本の、本門戒壇の大御本尊に帰するのであります。ただし、その御本尊の書写、伝持といううえにおける歴代法主を、どのように君たちが考えるかということでありますが、これが簡単なようで、なかなか混乱する場合があります。
 混乱をいたしますと、“過ぎたるは及ばざるが如し”という言葉があるとおり、例えば過ぎてしまうとかえって及ばないという結果が出てくるのです。つまり必要以上に崇めすぎると、その反動として悪い結果が出てくるというような意味もあります。また、崇めなければいけないところを軽蔑したり、あるいは軽く見たりすると、これはまたこれでいけません。ですから、及ばないこともいけないし、過ぎたこともいけないという意味があるわけです。」(昭和58年3月31日)
と御指南なのである。その上で、また、
「要するに、日常のことや色々な指導とかにおいては、法主はあくまでも法主として考え、法主としての指南があり指導がある、ということでよいのです。それを直ちに仏果であるとか仏様であるとかいうような証道の意味と混乱するような、あるいは読んだ人がそう取れるような表現は、むしろ慎んでもらいたいと思います。」(昭和58年3月31日)
と、「教道」と「証道」を混乱して、「僧宝」というべきを、「仏宝」とまでいってはならないと戒められているのである。故に、「証道」においては、「唯授一人のうえの御本尊書写、またはその御相伝という意味において、これをもし他の方が言う場合に、御本尊の御内証は即、大聖人以来の唯授一人、そこに二にして不二の境界であるということならば、それは根本のところでありまするし、それでよいと思います。」(昭和58年3月31日)
と、大聖人と御法主上人が不二であらせられることを御指南されているのである。これは、日応上人の、
「当宗に於て授与する処の御本尊は一切衆生に下し置かれたる此の御本尊の御内証を代々の貫主職一器の水を一器に写すが如く直授相伝の旨を以て之を写し奉り授与せしむる事なれば各のその持仏堂に向かっても直ちに此の御本尊を拝し奉る事よと相心得へ受持信行する時にはその処直に戒壇の霊地、事の寂光土なる程に臨終の夕までも此の御本尊を忘れ奉らざる様に致さるべきなり、爾れば則ち即身成仏は決定疑ひなきなり。」(『本門戒壇本尊縁由』19)
との御指南にも明らかである。御本尊は、大聖人の御魂魄、すなわち御内証なのである。
「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(全集398)
との御妙判のように、その御内証は、血脈相伝をお受けになった御法主上人でなければ「知り難」いのである。御歴代上人が、大聖人の御内証をもって書写遊ばされるから、我々の成仏も叶うのである。その御法主上人を誹謗することは、そのまま御本尊を誹謗することであるから、いくらお題目を唱えても、功徳は全くないのである。
 また、それが理解できないからこそ、昭和52年路線において、創価学会では、池田氏の指導のもとに、御本尊を写真に撮って複製模刻するような大謗法を、平気で犯すことができたのである。
 池田氏はじめ創価学会首脳は、知ったかぶりをして御法門を云々するが、相伝を受けない彼等に本宗の深義が解らないのは、道理の上で至極当然のことである。もし全て御法門が解るというのなら、その旨を発表していただきたい。
 しかし、もし正直に解らないというのであれば、すなわちそれは、創価学会における判断が完全ではないことの、何よりの証明なのであるから、直ちに御法門を私するような慢謗法の心を停止すべきである。


7.秋谷氏の謗法は明白

 過日の、御尊能化から学会古参幹部に対する書面中、
「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。」
との指南は、「証道」の上に「三宝一体」の実義を述べるものであり、まさに当家の正義である。
 これを論難する、秋谷会長の、
「仏法の基本である『三宝』は、歴代上人が御指南されているように、『法宝』は御本尊、『仏宝』は日蓮大聖人、『僧宝』は日興上人であり、三宝が相即する御本尊を拝し奉るのが、私たちの信心である。また日達上人が『代々の法主が日蓮大聖人ではない』と御指南され、歴代法主は僧宝以下の立場であることは明らかである。元来、日蓮正宗には大御本尊と並べた“法主根本主義”等は全くなかった。
 ところが、最近、宗門は御本尊と法主は『根本の二つ』であるとして、『大聖人の仏智による御指南は、血脈付法の御法主上人によってなされるのであって、私どもは、そこに信伏随従するのみであります』とする法主絶対論をふりかざすようになってきた。
 しかし、この主張には、重大な“すりかえ”があることを看過してはならない。
一、大聖人の御義口伝には『信伏随従』について、『信とは無疑曰信(むぎわっしん)なり伏とは法華に帰伏するなり随とは心を法華経に移すなり従とは身を此の経に移すなり』(御書七六五頁)と述べられている。すなわち心身ともに三大秘法の御本尊に帰伏することが信伏随従なのである。つまり人法一箇の御本尊を信仰し、大聖人に帰伏していくのが私どもの信心である。それを法主への信伏随従にすりかえるのは、大聖人の御指南に反するものであり、三宝破壊の邪義であることは、だれがみても明らかである。(中略)現宗門のいき方こそ、大聖人の仏法を破壊する大謗法であるといわざるをえない。」(平成3年9月30日付『聖教新聞』)
との批判は、「教道」と「証道」を混乱する邪義であり、謗法である。
 なお、
「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にまします」
との表現は、かの正信会問題の渦中、『大日蓮』の昭和57年3月号の巻頭言でも、既に述べられているから、「最近」との論難は全く当たらないことを申し添えておく。


   むすび  

 以上、学会の「三宝」論の邪義を破折してきたが、「三宝」については、先にも多く引用したとおり、本年(平成3年・1991年)7月28日の法華講連合会第28回総会の砌に、御法主上人より、詳しい御指南を賜っているので、本宗の三宝義を信解せんとする諸氏は、是非とも熟読していただきたい。
 一般の学会員は、仕事や家事に追われる中、命をすり減らすようにして学会活動に励み、血を絞るようにして特別財務に多額の納金をする。それは、それが仏道修行であり、功徳となると信じているからである。そして、学会員にとっては、もうそれだけで精一杯で、学会幹部の指導する三宝義についても、またその他のことについても、それが正しいのかどうかなど、確認する余裕がないのである。
 だからこそ、学会幹部は、本来、学会員を善導する灯火でなければならないのに、秋谷会長からして、御法門を迷乱する有り様である。しかも、それが未熟故の誤りであるならば、まだ許せもするが、池田氏の邪義・邪心を覆い隠すことだけを目的とする、天魔の邪説なのであるから、決して許してはならないのである。
 日蓮大聖人は、良観等の謗法に対して、「首を切れ」とまで御指南あそばされた。現在、学会の行なっている三宝破壊は、それに勝るとも劣らない大罪なのである。このことに、池田氏等は、いつ気が付くのであろうか。

 以  上