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日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

創価学会理事長・森田一哉氏の破仏法の指導を破す①

1991-07-10 | 時局資料

    創価学会理事長・森田一哉氏の破仏法の指導を破す

              時局協議会文書作成班3班

 平成3年(1991年)3月18日、杉並ビクトリー勤行会において、森田一哉氏は、創価学会理事長という要職にありながら、学会問題の本質を隠そうとする、無責任極まりない指導をした。
 氏の指導の背景には、学会52年路線の教義逸脱に対する無反省と、さらには、今回の三宝誹謗という、信仰上の逸脱がある。このことは、氏の指導の中に、欺瞞性を帯びた不遜な発言が、随所にみられることからも、充分に裏付けられる。氏は、学会首脳による逸脱路線を正当化するために、言葉巧みに問題の本質をすり替え、不正直な指導をして、破仏法の罪を重ねているのである。
 私たちは、今回のこのような事態によって、仏法が存亡の危機に直面していることを、冷静に認識しなければならない。そして、学会首脳の慢心から生じた「三宝破壊」という罪過こそが、学会問題の本質であることを見抜かなくてはならないのである。
 本稿においては、氏の指導における問題点を、6項目に分けて取り上げ、氏の破仏法の指導を破折するとともに、池田大作氏と学会首脳の、仏法上の罪過を糾したい。


1.「三宝破壊」の大罪

 森田氏は、次のように述べている。
「『宗門問題、一体いつ終わるんですか?』(笑い)この事についてお話をさせて戴こうというふうに思ってます。
 『宗門問題』というのは、なにも十年前、そして最近始まった問題じゃないんです。これは学会の草創期からあるんです。」
 ここでは、今回の学会問題の本質である「三宝破壊」という重大問題を、学会草創期からの問題にすり替え、問題の本質部分をあいまいにしている。
 学会草創期からの問題とは、何かといえば、
「私たちが青年部の時は坊さんとしょっちゅうやってましたよ。狸祭事件もやりました。」
と、氏自身が告白しているように、学会首脳の暴圧体質に根ざした、今も変わらない恥ずべき姿に他ならない。そのような学会草創期の恥部をさらけ出してまで、なぜ本質部分を隠そうとするのか。それは、学会首脳自身が、仏法上の重大な過失を犯していることを、少なからず認めているからであろう。
 今回の問題は、池田大作氏の御法主上人への軽視発言に対して、宗門側が注意し、問い糾したことから起きたのである。これに対して、本来、三宝を外護すべき学会首脳は、宗門からの注意を不服とし、かえって悪意に満ちた宗門批判をくり返し、三宝を破壊するに至ったのである。特に、御法主上人の正本堂の意義付けの御指南に対してまでも、平然と批判を行なったことは、その代表的な表われであるといえる。
  それは、『お伺い書』と称する、平成3年2月28日付の『聖教新聞』で、「名誉会長批判の論拠崩れる」「名誉会長へ陳謝の意を」等の大見出しを掲げていることからも、充分にその体質をみることができるのである。この不遜な『お伺い書』には、森田氏の名前も、他12名の執行部とともに連記してあるので、氏の責任は重大である。
 他の学会幹部の指導でも、本宗の僧宝は日興上人御一人に限るとして、本宗の血脈相承の尊義に触れないようにしながら、御法主上人批判をくり返している。すなわち、血脈不信の謗法罪を犯しているのである。
 例えば、学会参議会副議長・柏原ヤス女史は、新潟県婦人部活動者会での質疑応答の中で、
  「(柏 原)だから、仏法僧は、さっき申し上げたように大聖人様の仏宝は、大聖人様。南無妙法蓮華経の七文字の法華経。そして僧宝は、日興上人。いいですか?そこだけ。そこが、あんた違っているのよ。
(質問者)じゃあ日興上人だけだとおっしゃるんですか?
(柏 原)そんなこと言いませんよ。そんなこと、私は一言も言わない。日顕上人は血脈を受け継がれた67代の大事な方だ、っていう感じですよ。
(質問者)その、血脈をどうして、言われないんですか?
(柏 原)いいんでしょう、そういうこと、あんた!そこが分かれば、僧宝というのは日興上人。いいですか?
(質問者)日興上人様と、歴代御法主上人猊下様は、一緒でしょう?
(柏 原)日興上人!そこだけを覚えなさいよ!(笑い)」
と発言している。更に、女史の指導の中では、
「猊下ってね、不勉強じゃないのかしら?」
「そうです!(御法主上人は)私達と、ちっとも変わらないわよ、同じよ。」
などと、不遜な言葉を吐いている始末である。
 このような、学会首脳の慢心による御法主上人批判などによって、「三宝破壊」という罪過を犯していることが、学会問題の本質である。
 いうまでもなく、本宗における三宝とは、日寛上人が『当家三衣抄』で教示されているように、仏宝は宗祖日蓮大聖人、法宝は本門戒壇の大御本尊、僧宝は第二祖日興上人を随一として、嫡々付法の御歴代上人であられる。大聖人の開顕された仏宝・法宝の威徳は、大聖人の遺誡たる唯授一人の血脈相承によって、御歴代上人(僧宝)に受け継がれ、今日まで正しく継承されているのである。
 ゆえに、昔から本宗の僧俗は、「何があっても、御戒壇様と御法主様をお護りするのが、正宗の信心である」と教えられてきたのである。この本宗の伝統の信心によって、たとえ深い教義が解らなくても、血脈護持の尊い信心をつちかい、本宗の三宝尊を信じて、成仏の境界を開いてこられたのである。
 したがって、創価学会の本山外護の尊い使命も、会員一同の三宝護持の功徳によって、現在まで果たされてきたのである。氏が、たとえ何かの理由で、御法主上人をお護りする信心を忘れていたとしても、今回の御法主上人批判が、なぜ三宝誹謗の重罪に当たるのか、氏自身も、教義の上から、少しは理解しているはずである。
 『御本尊七箇之相承』に、
「師の曰く、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(聖典379)
との、甚深の御相伝があるように、唯授一人の御法主上人は、大聖人の法体を継承あそばされているのである。また『百六箇抄』には、
「上首已下並びに末弟等異論なく尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興嫡嫡付法の上人を以って総貫主と仰ぐべきものなり」(聖典371)
と、日興上人以来の嫡々付法の御法主上人をもって、末法万年の総貫主と仰ぐべきことを、明白に決定なされている。
 これらの御相伝の上から、日寛上人は、『当流行事抄』に、
「自受用身は即ち是れ仏宝なり、無作本有の妙法は法宝なり、結要付嘱豈僧宝に非ずや」(六巻抄323)
と示され、さらに『当家三衣抄』には、三宝中の南無僧とは、「南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫主、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、嫡嫡付法歴代の諸師」(六巻抄347)
と仰せである。すなわち、日興上人を随一として血脈付法の御法主上人の全てを、僧宝と拝信すべきことが説かれているのである。
 換言すれば、本宗の僧宝とは、仏法伝持の正師を示すとともに、文底下種の結要付嘱の当所を顕わすのである。それゆえ、同抄の次下には、本宗の三衣の一つである数珠に寄せて、
「此の如き三宝を一心に之を念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過ごすべし云云。行者謹んで次第を超越する勿れ」(六巻抄347)
と仰せられ、末代の僧俗は、仏法・法宝はもちろん、僧宝の付嘱の次第を超えてはならないと、厳に戒められているのである。なぜならば、下種僧宝を信解せず、しかもその付嘱の次第を混乱させれば、必ず仏法は失われ、三宝破壊の大罪を犯すことになるからである。
 しかし、今や池田氏並びに学会首脳は、自らの慢心と浅識によって、仏法の付嘱の次第を超え、公然と御法主上人を誹謗・中傷しているのである。これは、仏法上の重大な過失であり、破仏法の迷乱の姿というべきである。本来、外護の任に当たるべき学会首脳は、三宝を敬信して仏種を植えるべきことを、率先して会員に教えることに、その責任がある。ところが、学会首脳は、その仏法外護の職責を放棄したのである。これこそ、学会首脳の堕落であり、悩乱の現証である。
 そして、さらに許せないのは、氏のような無責任な言論によって、なおも多くの一般会員を三宝不信へと堕とし、会員の成仏の道を塞ぐことである。そればかりか、三宝誹謗によって、仏法破壊という罪過をも生じているのである。これらの仏法上の大罪とその責任は、学会の代表役員たる氏はもちろんのこと、実質的な権力者である池田氏と秋谷会長以下の学会首脳にあるといえる。
 また、氏は、
「もう聖教新聞には堂々と書いてある。こんなことは初めてじゃないですか。創価学会始まって以来ですよ、堂々とやってんのは。10年前は堂々とできなかった。一言も言えなかった。それで失敗しましたんで、今度は堂々とやっている。」
と述べている。
 たしかに、『聖教新聞』には、宗門僧侶に対する低次元の中傷が堂々と書いてある。しかも、それらは、すり替え、捏造、虚偽に満ちた、お粗末な記事ばかりである。学会首脳は、得意になって書かせているようだが、それらの記事には、宗教人としての道義の一片さえも見いだせない。
 常識的な目でみれば、『聖教新聞』の紙面には、学会首脳の傲慢で稚拙な姿が、そのまま鏡のように映し出されていることがよく判る。それにも気がつかないで、我が身の赤恥を、堂々と世間に喧伝している愚かしさを、氏には判断できないのであろう。
 『聖教新聞』を購読する会員の多くは、あまりにも大人気ないやり方に恥ずかしく思い、外部の人に対して折伏もできないというのが実情なのである。これも、学会首脳の責任隠しの余罪である。
 今までは、学会の指導の中でも、「同志の悪口をいってはいけない」「同志を誹謗すれば、悪業を積む」と、会員に教えてきたはずである。それなのに、学会首脳が、自ら先頭に立って、宗門僧侶の悪口を堂々といっているのである。これが、仏法上の罪とならずに、何になるであろうか。
 『松野殿御返事』には、
「此の経の四の巻には『若しは在家にてもあれ出家にてもあれ、法華経を持ち説く者を一言にても毀る事あらば其の罪多き事、釈迦仏を一劫の間直ちに毀り奉る罪には勝れたり』と見へたり、或は『若実若不実』とも説かれたり、之れを以って之れを思ふに忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり」(全集1382)
と、法華経を持つ者を毀ることは、大変に罪が深いのであり、この誹謗罪を犯さないように、厳に戒められているではないか。この御金言に照らしても、『聖教新聞』で誹謗中傷を重ねる学会首脳の、罪障の深さが判るのである。しかも、氏は、このような誹謗中傷について、学会始まって以来の堂々たるものだと、平気でいい切るのであるから、その精神たるや、正常なのかと疑いたくもなる。
 それにしても、「10年前は失敗した」という氏の発言は、どのようにみても看過できない。氏は、10年前の学会の逸脱路線における反省、すなわち昭和53年の6・30や11・7における謝罪、及び54年の4月における池田氏の会長・総講頭の引責辞任が、全て偽りの謝罪・反省であり、宗門を欺くポーズであったことを、ここで証言しているのである。
 もちろん、学会52年路線の教義逸脱は、氏が今さら何をいおうとも、正当化できるはずはない。大聖人の相伝仏法を創価仏法に、唯授一人の血脈を学会の血脈に、大聖人の御書を『人間革命』にすり替えるなど、教義上のあらゆる逸脱を行なったことは、本宗僧俗の全てが知るところである。このことは、例えば、法華経の宝珠を偸盗して、大日経の瓦石とすり替え、三宝破壊を行なった真言の謗法にも過ぎるものである。
 このような52年路線の逸脱路線が、学会上層部で、いまだに肯定され、継続しているとすれば、今後、改めて追及しなくてはならないであろう。氏は、仏法の本義に照らし、真摯に懺悔して、全面撤回すべきである。
 また、氏が「10年前は失敗した」と告白したとおり、学会の逸脱路線が、今なお進行中だとすれば、学会は宗門外護の信徒団体であることを、既に10年前に放棄していたことになる。それならば、この10年間、学会は何をしてきたのであろうか。表面上は、真の僧俗和合などと偽りながら、再度、池田創価学会教として旗揚げするために、用意周到に準備をしていたのであろう。上記の発言からみて、今回の宗門攻撃に、このような背景があったことは、想像にかたくない。
 氏の告白は、池田氏の11・16のスピーチの中での、
「50周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々やられ。」
という、教義逸脱に対する無反省発言を、さらに裏付けるものである。53、4年当時における池田氏の御法主上人に対する謝罪が、嘘偽りであったことは、信仰責任者としても、元法華講総講頭としても、もはや申し開きはできないことである。
 さらに氏は、
「ねえ、それでもうね、向こうは謝罪しろって、こういうわけですよ。絶対謝罪しません。向こうが悪いんだ!こっちが悪いんなら謝罪しますよ。(中略)こっちにまずいことは何にもないんですから、まずいのは向こうばっかしですから。」
と発言し、またこうも述べている。
「向こうも謝罪しないでしょ、こっちも謝罪しないでしょ、永遠に続くんです。だから1カ月や2カ月じゃ解決しないんです。ね、1年、2年解決しません。もう100年、200百年こう覚悟を決めたいと思うんでありますけれども、皆さん、いかがでしょうか。」
 氏は、自分たちに非はないとするが、学会首脳の謝罪すべき点はいくらでもある。その中でも、一番の罪過は、すでに指摘してきたように、自分たちの三宝破壊の責任を隠蔽して、しかも血脈付法の御法主上人への不信感を、ことさら会員に煽り、純真な会員の仏種を断じさせようとしていることである。
 『新池御書』には、有信無解の成仏が説かれる中で、
「末代の衆生は法門を少分こころえ僧をあなづり法をいるかせにして悪道におつべしと説き給へり、法をこころえたる・しるしには僧を敬ひ法をあがめ仏を供養すべし、今は仏ましまさず解悟の知識を仏と敬ふべし争か徳分なからんや、後世を願はん者は名聞名利を捨てて何に賤しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし、是れ正く経文なり。」(全集1443)
と、解悟の知識たる僧侶を、仏のように仰いで、名聞名利の邪念を払い、三宝帰依の尊信によって、成仏を願うべきことを明かされている。
 氏や学会首脳の私生活がどうであろうと、宗門僧侶は、それらをあげつらうことはしない。氏もまた僧侶も、末法出生の煩悩多き衆生であることに、変わりはないからである。だからこそ、三宝の御力によらなければ、私たち僧俗は成仏できないのである。たとえ、個々の僧侶に、世法上の問題が仮にあるとしても、その僧侶は、仏法律に照らされて、その報いを受けるのである。つまり、それは個人の責任であり、個人の罪過なのである。
 しかし、仏法上の本質問題は、そうはいかないのである。それは、個々の問題にとどまらないで、全会員の成仏・不成仏に関わるからである。もし、一般会員が、仏法の本質と個人の罪過とを取り違えて、このまま三宝不信に落ちていけば、それは必ず謗法不信の失を受けることになる。そして、それを会員が自覚できないうちに、自らの不信謗法により、自らの仏種を断ずることになるのである。それを何としても防ぎ、会員を救うためにも、学会首脳の仏法上の誤りを、宗門が結束して糾しているのである。
 また氏は、学会の仏法破壊の謗法路線が、このまま永遠に続くなどと、奔放な発言をしている。真実を知らない純真な信徒を道連れにして、全会員に、永遠に地獄の苦悩を覚悟せよというのであろうか。どうか地獄への覚悟は、破仏法の学会首脳だけで、それも組織を出てからにしてもらいたい。
 しかし、氏は、その覚悟ができたとしても、絶対謝罪しないといい切るのだから、氏らの三宝誹謗の汚点は、永遠の時を待っても、薄まることはない。まして、氏は、仏法上の正邪を、謝罪する、しないの次元でごまかしてはならない。そして、学会の情報操作によって、一時的に責任を逃れたとしても、御本仏の照覧を覆い隠すことは、決してできないことを覚悟すべきである。
 池田氏と学会首脳の犯した破仏法の罪は、もはや表面上の謝罪だけでは済まない。偽りの謝罪はもう許されないのである。しかし、手遅れになる前なら、まだ一筋の救済の道は残されている。それは、下種三宝尊への真摯な懺悔と、会員の成仏のために、真実を告白し、正直な滅罪行に徹することである。


2.傲慢な「折伏観」

 森田氏は、自身の浅見による折伏観を、こう披露している。
「戸田先生は、『神様が古くなったり新しくなったりする訳ないじゃないか。だいいち神様を一年にいっぺん焼けるか』と、『あれは神札だから焼けるんだよ』あぁ、こりゃ神様じゃないんだ、神札なんだと、そりゃ気持ちよく謗法払いができました。非常に戸田先生の指導は明快ですね。宗門ではこんな明快な話、絶対にしてくれません。だから折伏ができないんですから。」
 確かに、氏の述べるように、戸田会長は各人の教学力や機根に合わせて、的確で明快な指導をした方である。
 御当代日顕上人も、平成3年1月10日の教師指導会の折に、
「戸田先生は本当に命懸けで、自分というものを忘れてやられた方だと思います。(中略)その芯に、『命を捨てても法を守ろう、法を弘めよう』という気持ちがあったように私は思っております。」
と仰せになられて、戸田会長の仏法守護と広宣流布への熱意を賞賛されている。
 その良き檀那の範たる戸田会長は、氏のような人のために、次のようにも、明快に指導している。
「先代牧口先生当時から、学会は猊座のことには、いっさい関知せぬ大精神で通してきたし、こんごも、この精神で一貫する。これを破る者は、たとえ大幹部といえども即座に除名する。信者の精神はそうでなければならない。むかし、関西に猊座のことに意見をふりまわして没落した罰当たり者があったそうだが、仏法の尊厳をそこなう者は当然そうなる。」(昭和31年1月29日)
 氏は、この戸田会長の指導を思い返して、猊座の尊厳を冒した、我が身の重罪を心から自覚してもらいたい。
 また、戸田会長の「あれは神札だから焼けるんだよ」という話は、たしかに明快である。ただ、これは外道破折の次元で述べられたものである。よもや、氏はこの次元で、仏法の立場を安易に判断して、三宝破壊をしているわけではあるまい。しかし、あとで述べるように、氏の考える大聖人の精神が、法だけを中心とした過った考えであることをみれば、氏の仏法に対する浅識にも問題があるといえる。
 御法主上人は、教師指導会での御指南の中で、
「『法というものが中心だ』というように考えてしまっておりますが、法と人が本当に一つで、その人、すなわち大聖人様のところに具わった南無妙法蓮華経が末法一切衆生の即身成仏の大法であることを、忘れてはいけないのです。そこのところを、はっきり拝されたのが日興上人様で、その日興上人様が末法万年の上の衆生を導く、唯授一人の御相伝において『南無妙法蓮華経日蓮在判』と御本尊の本体をはっきりお示しになり、人法一箇を中心においてお示しあそばされておるのであります。また、その脇に『日興(在判)』とお書きになったところに、それを正しく末法万年に伝えるところの僧宝の姿があるのです。」(平成3年1月10日)
と、学会首脳が「法中心の信仰」に傾いていることを御指摘になり、それを破折されて三宝の真義をお示しになっている。
 ここで多くは触れないが、大聖人の仏法は、あくまで本門文底下種の三宝への信仰であり、決して、法のみを中心とした信仰ではないのである。もとより、大聖人の仏法は難信難解であり、御法主上人の御説法も甚深であられる。
 しかし、その御説法が難しいからといって、氏などが「仏法は法中心である」と軽薄に考えてしまうのは、浅識謗法である。仮に、そうは考えていないと氏が反論しても、すでに御法主上人を批判中傷しているのであり、それは、仏法の本義を少しも信解していない証拠である。大聖人の仏法の一分でも信解する者であれば、御法主上人への批判は到底できるものではない。
 また、個人の能力によっては、明快な話で折伏ができるのも、大変結構なことである。しかし、明快な話だけが折伏の条件ではない。その一辺から「創価学会だけが折伏できる」というのは、氏の大いなる慢心である。むしろ、戸田会長の明快な話や指導を、氏の慢心と浅識によって曲げて受け止め、習いそこねた結果というのが、氏の現在の逸脱の姿ではないのか。氏は、この点も反省すべきである。そして、創価学会の折伏は、あくまで仏意仏勅によるものであり、全て下種三宝の御威徳によるものであると、謙虚に表明すべきである。
 氏の慢心は、次の発言にも端的に表われている。
「広宣流布がわかんないんだ、坊さんに。自分が折伏やってないからわかんない。落ち穂拾いばっかしやってるからわかんない。(笑い)折伏やればわかる。」
 しかし、広宣流布の本質を理解していないのは、まさに氏自身である。
 御先師日達上人は、
「日蓮正宗の教義が、一閻浮提に布衍していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えないのであります。」(昭和49年6月18日)
と仰せである。つまり、氏のような間違った考えで広宣流布しても、そのようなものは、真実の広宣流布ではない。
 さらに、御当代日顕上人は、本年の霊宝虫払大法会の御説法の中で、次のように仰せである。
「昭和の時代における、創価学会初代会長牧口先生、二代会長戸田先生の正しい仏法守護の行業と折伏の功徳を讃しつつも、その後の三宝護持正法流布の相が、現指導層の逸脱により歪曲し、過去の功徳が次第に消滅する恐れあることを憂慮するものであります。」(平成3年4月6日)
 すなわち、もし学会首脳の誤った指導によって、学会員に三宝護持の信仰がなくなれば、学会には未来の広宣流布の使命はありえない。したがって、多くの会員が、仏法守護と折伏によって積んできた功徳さえも、やがて消失することになる。氏には、この甚深の御指南を、虚心坦懐に拝してもらいたい。
 また、氏は、宗門僧侶の折伏についても、何度も不遜な言辞を吐いている。氏がどの程度折伏したのか、実際のところを聞いてみたいものだが、それより、氏は本宗の折伏の本義さえ、少しも理解していない。もちろん、末法は折伏正意であることは、論ずるまでもない。その中でも、日達上人の仰せのとおり、僧侶は折伏の上の摂受を中心に、折伏を全うしている。また在家の方は、折伏の上の折伏を全うしている。このように、三宝尊に対する知恩報恩を片時も忘れずに、僧俗ともに、それぞれの立場で折伏を行じてきたのである。
 宗門僧侶は、自坊の法華講員とともに、実際に折伏をする。学会員の方が、未入信の人を寺院へ連れてきたときに、その折伏のお手伝いをすることもある。その他、御講での報恩の説法や、葬儀・法事等の席での折伏の説法も、僧侶の折伏行である。宗門僧侶が、薄墨の衣をまとい、白袈裟をかけて、儀式・法要をする姿も、大聖人の名字即の仏法を表明して、他宗謗法の仏教を破折し、参列者をして順逆二縁を結ばせて、折伏を行じているのである。また、学会草創期からの、会員一人ひとりの純真な折伏には、僧侶としても、深く敬意を表するものである。とともに、僧侶が昼夜をおかず、御授戒と御本尊下附を勤めてきたのも、やはり僧侶の折伏であろう。今、このように、氏の誤った指導を、仏法の上から破折しているのも、僧侶としての折伏である。
 氏のように、折伏の本義も知らず、三宝の大恩をも忘れて、自分たちの折伏の功績だけを自慢するようでは、せっかくの折伏の功徳も次第に失うことにもなる。まして、信心の至らない人であっても、最後まで善導するのが、折伏の慈悲の精神である。それを氏が、落ち穂拾いなどとさげすむのは不遜である。このような傲慢な折伏観なども、氏の不解と慢心から出てくるのである。


3.学会流の「大聖人の精神」

 森田氏は、戦時中の国家神道の問題を、皮相的に歪めて、次のように述べている。
「その国家神道が日蓮正宗にも、そして創価学会にも弾圧を加えてきた。日蓮正宗は謝っちゃったんです。妥協しちゃったんです。(中略)戸田先生、牧口先生は大聖人様の精神を命を賭けて守ったんです。日蓮正宗は妥協しちゃったんです。ですから宗門の言うことはもうこの時から聞いてないんです。(笑い)先程聞かなくなったんじゃないですよ、うちは。」
 このように、氏の信心では、当時の国家神道の問題に対しても、その真意は判らず、妥協の一言で片付けようとするのも仕方がない。とはいっても、この氏の偏見によって、学会問題の真相を隠し通せるものではない。
 確かに、戦争当時の牧口会長と戸田会長の死身弘法の精神は、宗門僧侶も等しく賞賛するものである。しかし、大聖人の精神の、さらにその精髄は、戒壇の大御本尊と唯授一人の御法主上人であられる。もしその時、宗門先師の仏法内護の並々ならぬ御苦労がなければ、戒壇の大御本尊は他宗の支配下に置かれ、また御法主上人の御尊体が投獄に至り、仏法破壊と血脈断絶の危機にも及んだのである。たとえ一旦の妥協があろうとも、もし仏法の二大事を破壊するようなことがあれば、これ以上の大謗法はないのである。
 戸田会長も、後になって、総本山の危機を救うために、また会員の身の安全を考えた上で、会員に対し「通諜」を出し、ぎりぎりの妥協を選択したのである。それは、戸田会長が、本宗の二大事に、もしものことがあれば、もはや一切衆生の成仏の依処は永遠に失われることを、熟慮した上での処置だったからであろう。氏は、戸田門下生でありながら、そのもとで何を教わってきたのか。本宗の護法の精神は、氏の考えるような、皮相的な精神ではないのである。
 牧口・戸田両会長が大聖人の精神を守られたという、氏の発言に異存はない。しかし、氏は、既に学会首脳は、両会長の護法の精神さえも失ったという、現実を直視することである。しかも、後で述べるように、現在の学会首脳の教義と信仰には、妥協と逸脱で寄せ集めた偽ものが多くあり、大聖人の精神のかけらも、みられないのである。
 また、氏は、“宗門のいうことはその時から聞いていない”と、横柄に述べている。だからこそ、学会首脳の慢心と浅識は直らず、2度までも、仏法上の大きな逸脱をしているのである。また、氏のような面従腹背の不正直な信仰が、10年前よりも更に遠く、この当時まで遡るとしたら、氏の罪業の深さは、はかり知れないものである。
 氏は、更にこのように述べている。
「大聖人様の精神は創価学会に脈々としてるんです。日蓮正宗に脈々としてんじゃないんです。形骸だけが残っている、向こうは。(中略)創価学会は大聖人様の精神、すなわち折伏精神を戸田先生が教えて下さった、また池田先生が教えて下さった。だから大聖人様の精神が脈々としてるんです。」
 確かに、大聖人の精神は、正法護持と謗法厳戒を旨とした尊い折伏精神である。そして、再度いうが、その正法の御法体は、本門戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈の二大事に尽きるのである。本宗においては、この仏法の二大事を厳護あそばす、時の御法主上人のもとに、更に僧俗が寄り合って、三宝の尊体をお護りしてきたのである。それを「形骸だけが残っている」とは許されない暴言である。それは、仏法の二大事への冒涜であり、氏の信心こそが形骸化しているのである。
 創価学会は、法華講の三谷素啓氏の折伏で、正法に縁した団体である。しかも、時の御法主上人の特別のお許しと、宗門の協力があって、日蓮正宗の三宝外護の信徒団体として、創立されたのである。この学会の原点は、戸田会長が会員に対して、常に指導してきたことである。
 今は、その学会の原点さえ失って、氏が自慢する暴圧精神が、卑劣な言論や実際の暴力として、復活しているのである。しかし、これが、大聖人の折伏精神であろうはずはない。また、学会首脳が自らの慢心により、三宝守護の根本の信仰を失っているのは、大聖人の正法護持の精神にも反し、知恩報恩の折伏の精神からも、大きく逸脱している姿だといわざるをえない。
 また、一方では、池田氏と学会首脳の考える大聖人の精神とは、今や仏教の平等精神であるらしい。だが、これこそ、大聖人の仏法を破壊し、折伏精神をも失うものである。世間の権門学者などが弄する仏教の平等思想では、仏法の正邪を明らかにして、謗法の誤りを糾すことなど、できるわけがないのである。
 大聖人の折伏精神は、外道の実体思想や、権門の行布義、迹門の平等義などを破折した上で、下種仏法の正義と平等大慧の功徳を顕わし、その真価を発揮することができるのである。外道・権門・迹門等の謗法の理を破折してこそ、真実の折伏である。仏法の正邪もわきまえずに、仏教の平等精神のみを振り回すのは、世間の似非宗教家のやることである。しかも、大聖人の弟子檀那たる者が、世法の悪平等や迹門の平等義こそが、仏法の本義であると、信徒の前で吹聴するのであれば、もはやそれは、外道・迹門の謗法義によって、大聖人の仏法を誹謗・破壊している天魔の姿なのである。
 このように、どの側面からみても、学会の原点を忘れている氏の発言には、大聖人の精神を訴える正当性はない。学会首脳には、もはや大聖人の精神は失われているのである。また、氏と会員が、戸田会長と池田氏から折伏精神を教えられたとすれば、確かに、両氏に感謝すべきことである。
 しかし、その折伏精神といえども、三宝護持の根本を失ったならば、それは大聖人の折伏精神とはまったく異質なものである。ゆえに氏は、両氏への恩返しのためにも、何よりもまず、御法主上人の御指南を拝して、三宝護持の尊い精神を学び、学会の折伏精神の原点を見極められることをお勧めしたい。


4.戸田会長の徳を汚す発言

 森田氏は、戸田会長の指導を曲げて、こう述べている。
「『御尊師にもし間違いが有るならば陰口なんてきかずに正々堂々と忠告すること、これは罰になりません。陰口は罰になります。だが面と向かって堂々と話すことは決して罰になりません。しっかりやりなさい』、どうですか、戸田先生、しっかりやれって言ってんです。陰で言っちゃいけない、堂々と、だから私もこうやって堂々と言ってるわけです。」
 確かに、戸田会長のその指導は真摯に受け止めてよい。僧侶にもし間違いがあれば、陰で悪口をいわないで、正々堂々と寺院に参詣して忠告してもらいたい。宗務院との連絡会議に申し出てもらってもよかったであろう。ただし、僧侶のいい分も聞いて、その事実を確かめてもらいたい。僧侶にも、反論し、弁明する機会を与えるべきである。他人の誤解によるものや、事実無根のこともあるかも知れない。しかし、そのことが事実であれば、お詫びもするし、反省もする。また、たとえ誤解によるものでも、僧侶は自分の不徳を恥じて、今後は充分に気をつけるであろう。これが戸田会長の指導の本意ではないのか。
 しかし学会首脳は、自分たちの罪過を宗門側に責任転嫁し、会員には一方的に、僧侶への「嘘八百を交えた」悪口を陰で流し、『聖教新聞』には捏造の悪口を書いている。本年5月以降は、会員の苦情によって、『聖教新聞』での宗門批判は、いくらか抑えられてはいる。しかし依然として、裏側では、他の関連紙誌の『創価新報』『第三文明』『潮』『パンプキン』等において、あいかわらず、二番煎じの中傷記事を書き立てている。
 そして、こともあろうに、他宗謗法の『中外日報』という宗教新聞にも、御法主上人の正本堂の御指南に関するものや、その他宗門批判の記事を投稿している。このような悪質で卑怯なやり方は、戸田会長は断じて認めなかったはずである。まして「正々堂々」の言論といえるものではない。そのうえ氏は、辻武寿副会長などと共に、「中外日報創刊90周年記念祝賀会」(昭和61年11月12日)に他宗謗法の者たちと同席していたが、是非とも謗法厳戒の精神で、「正々堂々」と、その釈明をして欲しいものである。
 また氏は、巧みにすり替えをくり返し、不正直な指導をしているが、その不正直な面は、戸田会長の指導を引用する際にもみられる。氏は、戸田会長の指導を、切り文的に利用して、戸田会長の真意に背いているのである。その証文として、氏が引用したであろう戸田会長の指導を、その前文を加えて挙げておこう。
「ここで最初に注意しておくことは、お坊さんに、おのれはおせじを使わないで、そして、どこまでも尊敬する。尊敬とおせじは違うぞ。ここは紙一重の差がついている。尊敬する。そうして、できるだけこのお寺の御僧侶が、不自由のないようにすることを心掛ける。そのかわり、御尊師にもし間違いがあるならば、陰口なんてきかずに、正々堂々と、忠告すること。これは罰になりません。陰口は罰になるぞ。だが、面と向かって、堂々と話すことは、けっして罰になりません。」(昭和32年8月20日)
 このように、戸田会長の真意は、僧俗が互いに尊敬し合い、信頼し合うことであり、その上で、もし僧侶に間違いがあれば、直接その僧侶に忠告することが大事であると述べているのである。
 まだ他にも、幹部指導での陰口においては、色々と詭弁を弄して、御法主上人批判を会員の中に浸透させようとしている。たとえば、「人間であられるから」という理由で、「猊下にも間違いがある」という陰険な指導がなされている。そういう理由であれば、「池田先生も人間だから大いに間違いがある」とはっきり指導してもらいたい。
 大聖人の弟子檀那が、御法主上人を直ちに仏法の正師と拝するのは、自らの世法の知解を廃して、唯授一人の血脈法体を信ずるからである。仏法の正師に対する随順の信心とは、成仏のための決定信のことである。世法の知解と仏法の信解とを混同してはならない。ゆえに、御法主上人の御指南は、凡夫の我見ではなく、信の一字で拝すべきなのである。
 また氏は、正信会問題に絡めて、戸田会長の徳を汚すような、無神経な発言もしている。
「『宗門とは付かず離れずで行けよ』と、正しいですね戸田先生は。だって、10年前にお寺に付いておった人たちで、坊さんが正信会行っちゃた人は、みんなそれにつられて正信会行っちゃったじゃないですか。」
 しかし、戸田会長は護法の精神に徹してきた方である。たとえば、戸田会長は、次のように述べている。
「大聖人様のおおせられるのは、祈りは必ずかなう。それには時がある。良き法と、良き師と、良き檀那との三つが、そろわなければだめだ。南無妙法蓮華経、これは良き法にきまっている。大御本尊様は良き法なのです。また御法主上人は唯授一人、六十四代のあいだを、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下をとおして大御本尊様を拝しますれば、必ず功徳が出てくる。ただ良き檀那として、その代表として、その位置にすわれたことを、私は、ひじょうに光栄とするものであります。」(昭和31年12月13日)
 この発言ひとつ取り上げても、戸田会長は、御法主上人を仏法の師匠と仰ぎ、良き檀那としての重大な責務を、最大の誉れとしたことが判る。その仏法の筋目を通した方が、宗門とは付かず離れずで行けよ、と口にしたとは到底信じられない。またしても、これは氏の思い違いか、曲解であろう。あるいは万が一にも、私的な立場で漏らした言葉であったとしても、今になってそれを公言して、戸田会長の人徳を汚すべきではない。仏法では、付かず離れずのような信心は、中有に迷う姿であると戒めているのである。仏法の二大事を外護すべき学会首脳が、付かず離れずの信心では、まことに情けないことではないか。
 ついでに、氏の迷いを醒ますために述べておくが、戸田会長も拝しているように、『法華初心成仏抄』には、
「よき火打ちとよき石のかどと・よきほくちと此の三寄り合いて火を用ゆるなり、祈も又是くの如しよき師と・よき檀那と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり」(全集550)
と仰せである。この御金言の通り、広宣流布の祈りは、良き法と、良き師と、良き檀那の三つがそろって叶えられるのである。そして、戸田会長の述べるように、その中の良き檀那の立場も、責任重大であり、誉れ高き立場である。ただし、その檀那の立場にある者が、この分位をわきまえずに、慢心を起こして仏法の師になり代わろうとすれば、学会の広宣流布の祈りも、その途上の功徳も、永遠に叶うことはないのである。
 また氏は、正信会問題を引き合いに出して、勝手な発言をしている。正信会問題は、前回の学会問題が発端となっているのである。もちろん、自称正信会の元僧侶が、僧侶としての仏法内護の責務を忘れて、御法主上人の御指南に従わず、感情の赴くまま一部の信徒を巻き添えにして暴走したことは、到底許されるものではない。しかし、御先師日達上人の御指南のもとに、宗内僧侶が団結して、学会52年路線の誤りを糾したのは事実である。そして、池田大作氏をはじめ学会首脳が、自らの過ちを正直に反省したことを信頼されて、御先師日達上人は学会問題を収束され、また御当代日顕上人は学会との協調路線を継承されたのである。
 これひとえに、両御法主上人の学会及び会員に対する、深く暖かい御慈悲によるものである。学会首脳は、その両御法主上人の大恩さえも踏みつけて、御法主上人批判をしているのである。もはや、そのような不知恩の者には、大聖人の檀那たる資格はないのである。しかも、学会首脳は、学会員を巻き添えにして、正信会と同じような仏法違背の道をたどろうとしているのである。
 氏は次のようにも述べている。
「ですから戸田先生は厳しかったですよ。お寺にくっつく人を『寺信心』と、こう言っとる。最近言わなくなっちゃった、そういうことを、少し上品になっちゃったですね、創価学会は。昔は寺行くと『寺信心』って。」
 しかしこれも、氏など学会首脳が、戸田会長の指導を都合のいいように曲げたり、捏造したりしているのであろう。戸田会長が「寺信心」などという言葉で、正宗寺院の御本尊を冒涜するはずがないではないか。
 戸田会長は次のように指導している。
「信心を基調にして、折伏をすること、お寺をだいじにすることと、御本山へつくすことはあたりまえのことなんだからね。それが、自慢のようになっては、もう、信者としては資格がない。」(昭和29年12月15日)
 この指導にあるように、総本山を外護し、末寺を護ることが、なぜ大事であるのか。それは総本山には、本門戒壇の大御本尊がましますからであり、末寺には、大御本尊の御写しの御本尊が御安置されているからである。すなわち、本山末寺への外護の信心とは、建物寄進の数で推し量れるものではなく、いついかなる時も、大御本尊と血脈を根本に、末寺の御本尊を現実にお護りできているかどうかで、実証されるのである。
 まして学会首脳が、「寺信心」などと称して、正宗の寺院と他宗謗法の寺とを同列にして考えているのは、信仰の内面からいえば、本宗の御本尊と他宗の本尊とを、同等に扱っているのである。つまり、学会首脳の信心が混濁しているから、平気で「寺信心」などという不遜な言葉が出てくるのである。
 また最近では、幹部が「本山には登山しなくてもよい」「末寺への参詣は必要ない」などと指導して歩いているようなことを耳にする。しかしそれは、その幹部に自覚がなくても、大御本尊と血脈への冒涜と不敬であって、しかも会員の仏道を妨げるものであり、その罪はまことに深いのである。あるいは、総本山にまします戒壇の大御本尊と、末寺の御本尊、家庭の御本尊との本末・次第をわきまえないで、ただ自分の家にある御本尊を護持していればよい、というのも大きな誤りである。
 御先師日達上人は、本宗の血脈の大事について、
「信心といい、血脈といい、法水というところの法水は、何処から出てくるかということが最も大切であります。それは、我が日蓮正宗においては日蓮大聖人であり、大聖人の御当体たる本門戒壇の大御本尊であります。故に、大聖人の仏法を相伝しなければ、大聖人の仏法の法水は流れないのであります。」(昭和53年7月30日)
と甚深の御指南をされている。もとより、唯授一人の血脈の尊義は、論議すべき問題ではなく、ただ仏法の教義と道理の上から、信解することが肝要である。最近の学会首脳は、西洋の宗教観を愛用し、権威とか権力とかの言辞を並べて、本宗の血脈とその正師を暗に冒涜している。そのような外道義で、仏法の血脈を論ずる学会首脳に対しては、謗法の域を越えて、ただ悩乱されたと表現するしかないのである。
 この御指南にあるように、御仏智の立場からいえば、自宅の御本尊を護持することが大切であるとしても、その功徳はあくまで本門戒壇の大御本尊から流れ通ってきているという、根本を失ってはならない。また、衆生側の信心の立場からいっても、衆生側に本末・次第の信心の筋目がなくなれば、仏法の道理からして、本宗の血脈の信心とその功徳は次第に薄くなり、やがて不信謗法を犯すことになる。そうなれば、御本尊を信じたくても信ずることができなくなり、肝心の成仏はもとより、今までの功徳さえ失われていくのである。
 他にも氏は、戸田会長が書かれたという『聖教新聞』の“寸鉄”(コラム欄)を引いて、かえって、戸田会長の人格を傷つけるようなことをしている。最近では、「学会は戸田会長の護法の精神に帰るべきだ」という、会員からの声が出始めているやに聞くが、氏はその盛り上がりを心配して、戸田会長にも、宗門攻撃の与同罪を受けてもらおうと、あえて不用意な発言をしているのかも知れない。しかし、氏が、
「戸田先生は、『森田君、君の“寸鉄”は切れ味が全然ないね』『君のは、これはね“寸鉄”じゃなくて“尺鉄”だよ!』責任を感じて私、それで辞めました。」
と正直に述べている点からは、わずかながらも、氏の素直さと責任感を読み取ることができる。氏は、戸田会長時代の信心を思い返して、その時と同じように、学会問題のけじめをつけてもらいたい。


5.御本尊と組織との混乱

 森田氏は、次のように、本末転倒の発言をしている。
「創価学会へ来て初めて知ったんじゃないですか、だから創価学会のお陰ですよ、御本尊様を知ることもできた。創価学会がなかったら、一生御本尊様に会えなかったんですよ。だって坊さん布教しないんだもん。会えませんよ一生。」
 氏の見解は、御本尊と組織との関係が、全く逆転しているのである。これは、氏の信心が転倒しているからである。学会組織は、大御本尊と血脈の大事を根本としてこそ、その存在の意味がある。学会組織それ自体に、功徳があるわけではない。あくまでも、大御本尊にこそ、功徳が具わるのである。また会員が、御本尊に結縁したのも、本来からいえば、仏縁によるのである。そして、会員の成仏も功徳も、学会組織や幹部指導ではなく、大御本尊の御力によるのである。
 氏はそれでも、御本尊よりも組織のお陰だというのなら、氏は「組織」を信仰していることになる。それでは、氏の謗法だけでは済まない。氏はもう、御本尊と組織の関係をごまかしてはならない。信心と功徳の筋目は、正直に立てるべきである。
 たしかに、会員にとって学会組織への恩はあるだろう。しかし氏は、本宗の僧宝を批判し、三宝の大恩を忘れているのである。だから、氏には、組織の恩を論ずる資格はないのである。なぜなら、三宝の大恩を知り、それを報じてこそ、組織への恩は成り立つからである。決してその逆ではないのである。氏はここでも、自分たち一部の幹部のために、また自分たちの非を隠すために、組織の恩を利用しているのである。
 しかし、学会組織は、全会員の成仏のためにあるのである。学会首脳のためにあるのではないし、一部の大幹部の所有物でもないはずである。それに、創価学会といえども、本宗の大御本尊と血脈相伝がなければ、存在しなかった組織であることも、氏は忘れてはならない。
 これからは、御仏意により真実に目覚めた会員が、陸続と出てくるであろう。そして、それらの会員は、所属寺院の僧侶と法華講員と共に、学会首脳の誤った教義と信仰を破折して、真実の意味から、学会組織への恩を返すことになろう。
 また氏は、本宗伝統の正法護持・謗法厳戒の姿についても、程度の低い冗談を述べている。
「ですから、世間では日蓮正宗のことを“針金宗教”と言った、針金の如く細々と700年。まっ、しかしよく切れないで来たからいいようなもので、創価学会が出現して太いワイヤーになっちゃった。坊さん、『もうついていけない』ね、『元へ帰りたい』、もう一回針金になりたいって言うんですから。これじゃ広宣流布はできないんじゃないですか。」
 たしかに、本宗の正法護持・謗法厳戒の清浄な宗風は、他宗から“針金宗教”と称されたものである。しかしそれは、経済的な貧困や、檀信徒の無勢を意味するものではない。それは、宗開両祖以来の、正法伝持の道念と気概を評したものである。
 学会首脳は、組織の多勢を誇り、貧乏の本山をここまで大きくしたのは学会だという。しかし氏は、自分でどれほどの事業をなして、本山に御供養したというのであろうか。本山への御供養は、すべて会員一人ひとりの浄財ではないか。氏も職業幹部として、会員の寄付で生活しているのである。そこを謙虚に考えるべきである。また創価学会といっても、現実をみれば、三宝の功徳はもとより、会員一人ひとりの折伏があって、学会は発展したのである。その真実に目を向けなければいけない。
 もちろん過去においては、学会首脳の指導が、会員の折伏に大きな力を貸したであろうことは、疑いないことである。しかし、信仰における指導的立場の者が、自分たちの指導の成果を誇示するのは、とても恥ずかしいことである。まして現在は、学会首脳の指導の誤りが、厳しく問われているのである。氏はそこを自省しなくてはならない。
 宗門が、もし仏法上のことで堕落していたら、会員の成仏のためにと、学会首脳の誤りを糾すようなことはしていない。他宗僧侶と同じように、まず経済的なことを考え、また多勢の暴挙に恐れをなして、仏法の失をみても、みない振りをして、慢心の檀那にへつらうであろう。これを僧侶の堕落というのである。しかし、本宗僧侶は、檀那に媚びへつらうことなく、仏法上の間違いを糾しているのである。
 戸田会長は、本宗の法体守護・化儀連綿の宗風に対して、
「もったいなくも、代々の法主上人の丑寅の勤行は、御開山より、ただの一日も休んだことがない。丑寅の勤行とは、夜の二時からの御勤行で、暑くとも、寒くとも、大衆救護の御法主上人はじめ石山僧侶一同のおつとめである。もったいないではないか。神々しいではないか。ありがたいことではないか。他山に、かかる勤行があるであろうか。かくも、法体を守護し、かつ化儀連綿たる功績こそ称えねばならぬことである。」(昭和26年6月10日)
と述べている。氏は、一分の改悔の心があれば、この指導を何度も読むことである。今から700年前、御開山日興上人は、身延の邪義謗法とたもとを分かち、大聖人の正法を正しく護持されて、総本山大石寺を建立されたのである。
 それ以来、御歴代の御法主上人は、困難な時代に遭遇しても、唯授一人の血脈を継がれて、大御本尊を厳護され、また甚深の丑寅勤行をつとめられ、広宣流布を祈念されてきたのである。その御威徳を深く拝すべきである。
 今回の問題でも、血脈付法の御法主上人が、真実の広宣流布の方途を見極められ、仏法の道理と正邪の上から、池田氏と学会首脳を教導されているのである。
 また、御先師日達上人は、昭和52年の学会問題の時に、
「なるほど長い間学会はよく宗門のために尽くしてくださいました。その功績は大きいのであります。しかし、功績が大きいからと謂って、教義が間違い宗門と逸脱してしまえば、これは何にも役に立ちません。ただそういうふうに間違いを起こしてもらいたくないが故に、ただ今のように色々のことを指摘して、学会を何とかして立ち直ってもらいたいと思ってやっておるのであります。」
と仰せになっている。現在においても、僧俗がともに初心に立ち返って、この御指南を拝すべきである。そして今こそ、創価学会は、本宗の三宝外護と仏法流布のために創立したという、学会の原点に戻る時である。
 氏は、その学会の原点を忘れて、学会出現によって「太いワイヤー」になったと自慢してみても、愚かなことである。仏法の二大事を外護できない、学会首脳の謗法の指導であれば、学会組織自体が、錆びて腐ったワイヤーになり、根本から断ち切れてしまうだろう。そうならないためにも、学会首脳は三宝護持の正しく清らかな信心を、速やかに取り戻してもらいたい。
 宗門は、仏法の正師の御指南のもとに、これからも、令法久住・広宣流布の大道を、揺るぎなく前進していくことに変わりはない。氏は、「もうついていけない」「元へ帰りたい」などと揶揄しているが、宗門僧侶は、会員の成仏のためにも、学会首脳の謗法路線を認めるわけにはいかない。反対に、仏法の正師の「元へ帰りなさい」と、氏に忠告しておきたい。


※②へつづく

 


創価学会理事長・森田一哉氏の破仏法の指導を破す②

1991-07-10 | 時局資料

  6.「識者の声」に賛同する愚かさ

 森田氏は、宗門批判のために悪用している、『今回の問題に関する識者の声』を、ここでも取り上げて、
「学会の運動は民衆の大叙事詩だって言うんですから、ありがたいことですね。で、この人はこう言ってます。『学会員は温かな人格の方が多い。これは否定しようのない事実です。信仰を根本にした、人を見る目の温かさ。自然を見る目の優しさ。そして、さらに現代的、地球的課題に挑戦していこうとする未来性。長年、学会に注目して見て来ましたが、学会は人に優しい宗教である、と確信しています』(荊木淳己氏の発言)いいことを言ってくれますね。『人に優しい宗教』だから創価学会は発展したんじゃないですか。」
と述べている。この「識者の声」の記事についても、本人から出たものか疑わしいが、一応、荊木氏の見解としてみれば、その発言内容は、多くの純真な学会員に対しては、正しく評価したものといえる。しかし少なくとも、現在の氏と学会首脳のやり方を評価したものではあるまい。学会首脳は、人間として最低の、宗門批判や僧侶への中傷を、くり返し裏側で指図しているのである。学会首脳に限って「人に優しい宗教者」とは、お世辞にもいえないことである。
 その証拠に、氏はそのあとで、
「特にこれは壇上にいる人は気をつけなきゃいけない。幹部でありますから。人に優しくしていると思うんですけれども、大丈夫でしょうか?あまり拍手がない。ちょっと心配になってきました。後でよく言っときますから。」
と述べている。拍手をしない会員の方は正直である。拍手がないのは、氏自身の不徳を表わすのである。他の幹部を心配している場合ではない。まず氏は、「人に優しくない」大幹部の一人として、充分に反省しなくてはならない。
 また、今回の問題に関して『聖教新聞』には、他宗謗法の人たちの見解を、「識者の声」として堂々と載せている。その学会首脳の信仰姿勢に対しては、多くの会員が疑問を投げかけている。本宗の信徒たる者が、仏法の本質も解らない、他宗教の識者の見解をありがたがり、しかもそれに賛同しているのは、正気の沙汰ではない。
 今回の問題は、仏法上のことであり、世法上のことではないのである。外部の知識者に見解を求めても解るはずはない。それではなぜ、「識者の声」を頼んで、宗門批判をしているのであろうか。それもやはり、学会首脳の罪過を隠すためである。
 すなわち、今回の問題では、宗規改正に伴う総講頭・大講頭の資格喪失についても、「識者の声」を盾にして権威主義・人権侵害だと騒いでいるが、ここでも巧妙に責任転嫁しているのである。つまり、最初に池田氏が犯した猊下誹謗というのは、仏法上の問題なのである。それを、池田氏の役職喪失という世法上の問題にすり替えているのである。この点も、厳しく指摘しなくてはならない。
 学会首脳は、日頃から会員に対し「信心は役職に関係がない」「名聞名利の信心はいけない」と指導している。そう指導しておきながら、自らの役職喪失についてこれほど騒ぎ立てるのは、どうしても理由がつかない。たとえ役職の解任であっても、名聞名利は仏法にあらず、仏法の正師に随順するのが筋道であるとして、潔くそれを受け入れたらよいのである。そうすれば、自他ともに「世法よりも仏法を先とせよ」との立派な指導ができたであろう。
 どの社会組織においても、役職の権利を維持するには、その権利に相応する責任が、必須条件である。役職に相応する責任が果たせないようならば、むしろ自らが役職を辞退しなければならない。役職の責任をなおざりにして、役職の権利だけを主張するのは、世間においても通用しないことである。このように、世法でもしかり、まして、三宝守護の仏法上の責任を、なおざりにしておいて、かたや体面上の役職だけに固執するのは、信仰上おかしなことである。
 本宗の教義と信仰においては、下種三宝の当体である戒壇の大御本尊と唯授一人血脈相承を、仏法上の根幹として信受するのであり、もしこれに、一点の疑義・批判でもあれば、大聖人の弟子檀那としての、仏法上の責任の上で反省し、あるいはまた、厳しく破折しなければならない。三宝外護の責任を投げ出すならば、もはや大聖人の弟子檀那とはいえない。また、仏弟子を自負するならば、世法上の体面を保つことよりも、仏法守護の責任を最優先にすべきである。
 すなわち、いかなる理由があっても、大御本尊と血脈を拝して、三宝を守護するのが、大聖人の弟子檀那の重大な責務であり、尊い使命でもある。三宝の守護よりも、自分たちの役職が大事ならば、仏法を論ずる資格はないはずである。たとえ不幸にして、学会首脳が、仏法上の罪を意識できなくとも、仏法伝持の御法主上人お一人さえ、お護りできないならば、学会首脳の信仰は、いかほどの価値もないと断言できる。
 また、氏は最後のところで、
「『お金が悪です』その通りですね!持っていない人間がお金を持って御覧なさい、そのうち変わっちゃいますよ人間が。宗門変わっちゃったじゃないですかお金持って、(笑い)怖いですね。だから私達は幸いにしてお金を持つことができないから、(笑い)だから感謝しなきゃいけないと思うんでありますけれども、いかがでございましょうか。」
と、今回の問題を「お金」のことに、すり替えようとしている。学会員が、この信心の功徳によって、仕事が成功し、裕福になることが、なぜ悪となるのか。学会員は、成仏を求め、幸福を求め、また裕福な境涯を求めて、御本尊を信じてきたのではないのか。私たちが、精神的にも、物質的にも裕福な人生を送ることは、仏法に違背することではない。むしろ、その功徳の実証を示すことは、折伏にもつながるのである。
 氏は、お金を悪と決めつけているが、お金それ自体は、悪でも何でもない。それを、どのように使うかで、悪にも善にもなるのである。金銭のことで悪事を働くのは、お金のせいではなく、その人間が愚かなのである。それと同じように、氏は学会の理事長という重責にあり、指導性を発揮できる力を有している。そのことは悪でも善でもない。しかし氏がその立場を、保身のために利用したり、仏法破壊のために使うならば、それは悪であり、氏の堕落なのである。
 宗門は、経済的なことや社会的なことで、仏法を汚したり、仏法を曲げたりはしない。学会首脳こそが、金庫事件や、墓苑事業、絵画取り引き疑惑のことなどで、社会問題を引き起こし、大聖人の仏法を下げ、宗門にも迷惑をかけているのである。この非常の時でも、学会首脳はその立場を利用して、過酷な特別財務を会員に強制させようとしている。しかし、御供養の名目は使えない。だからといって「お金を持たないほうが幸せになれる」とごまかして、寄付を集めるという愚かなことはしないでほしい。いずれは、多くの純真な会員が、学会問題の真相を知ることになる。会員は愚かではない。氏は、真実が明らかになる、その時の、民衆の目を、会員の目を恐れるべきである。
 このように氏は、学会首脳の慢心から起きた学会問題を色々とすり替えているが、その中で最も許せないのは、
「常にこういうことにぶつかって犠牲になるのは信者なんです。だから今回、信者は絶対犠牲にならない。正しいことは最後まで言い続けていく。」
と、一般会員にまで責任をなすりつけていることである。大聖人の弟子檀那ならば、自らの役職を失おうと、自らの体面に傷がつこうと、苦悩する会員の信心を守ることが第一ではないのか。それもしないで、かえって会員の心情を逆手にとり、それを盾にして、しかもその裏で、不誠実な指令をくり返すのは、宗教の指導者として失格である。
 氏のほか学会首脳幹部が、今になっても、池田大作氏は御法主上人を批判していないと嘘をついている。しかし、学会首脳による平成3年1月以降の御法主上人批判は、隠滅不可能な証拠である。なぜなら、池田氏の一言で、『聖教新聞』等の宗門批判はすぐに収まったはずである。しかも今なお、謗法の宗教新聞や、裏側の怪文書まで利用して、宗門批判を重ねている。池田氏が、それを止めないのをみても、三宝破壊に対する池田氏の重大なる責任は免れないのである。

 以上のように、池田氏と学会首脳の三宝破壊という大罪の責任を隠蔽するために、なおも罪の上塗りをしているのが、今回の氏の指導の実態である。
 2度にわたる学会問題を冷静にみれば、学会首脳の犠牲になるのは、いつの時も、多くの純真な会員なのである。それゆえに、宗門僧侶は、御法主上人のもとに、正法守護のため、会員の成仏のために、どこまでも、池田氏と学会首脳の誤りを糾していく決意である。氏の心からなる改悛を期待したい。

  以  上

 

 


創価学会の「塔婆」に関する妄説を破す

1991-07-10 | 時局資料

     創価学会の「塔婆」に関する妄説を破す

              時局協議会文書作成班4班  

   はじめに  

 本年(平成3年・1991年)3月から4月にかけて、創価学会は、『聖教新聞』及び『創価新報』等において、繰り返し「塔婆」に関する記事を掲載した。これは、宗祖大聖人以来、本宗の伝統化儀である塔婆回向を批判し、愚弄したものである。その内容は、「塔婆」自体の尊い意義を貶すとともに、本宗の塔婆回向の在り方に対して、捏造を交えた中傷・誹謗を行ない、イメ-ジダウンを計ったものとなっている。
 これらの記事は、教義的にはまともにとりあう必要もない低劣な内容である。しかし、今日のような、創価学会による宗門誹謗の状況下において、その妄説に紛動され、正しい先祖回向の功徳善根を失っていく人々を少しでも救うため、ここに破折を加える次第である。


1.塔婆の歴史

 学会では、「これでいいのか!塔婆供養(4)」において、
「法華経に説かれる塔の功徳は仏舎利塔か経塔のことで、板塔婆を死者の追善供養のために建てる風習は日本だけのものに過ぎず、それが法華経に説かれている道理はまったくない(趣意)」(平成3年3月26日付 聖教新聞)
としている。かかる皮相的な見解では、塔婆の深義が領解できないのも、もっともである。
 ここで、塔婆の起源について考察すると、その歴史は古く、釈尊自らが造立し、及び造立を許可したことが、『十誦律』『摩訶僧祇律』等に説かれている。
  語源のスツ-パとは、「頂」「高顕処」「功徳聚」「廟」 「塚」「方墳」「宝塔」「塔」等の義であり、その始源においては、一般的に「墳墓」の義が存したと推定される。しかし、仏教教団においては、特に仏舎利等を安置した建造物を意味し、仏滅後、信仰の対象として、盛んに造立されるに至った。インド・東南アジア各国の大塔がそれに当たる。
 この仏塔建立の甚大な功徳については、『造塔延命功徳経』『造塔功徳経』等に説かれるように、「塔」には、仏に対する報恩と信仰を象徴する意義を有したのである。しかしまた、この「塔」の意義対象が、ただ仏のみに限るものではなかったことは、『根本説一切有部毘奈耶雑事』第十八によって判る。すなわち、「如来」「独覚」「阿羅漢」「小乗聖者」「凡夫」等によって、それぞれの塔の造り方に相違があることを述べているごとくである。また、『瑜伽論記』第二十一に、
「卒覩波は此に供養處という」
とあるように、故人に対する供養の意義をも有していたのである。
 さらに仏教東漸に伴って、中国及び日本にも、この塔婆の化儀は受け継がれ、仏塔の意義としては、五重塔などの寺院における堂塔として建立され、故人への供養の意義としては、五輪塔婆、角塔婆、板塔婆として伝えられてきたのである。


2.塔婆の意義

 以上は、仏教一般における塔婆の歴史である。この「塔婆」の化儀は、本宗信仰の上からみた場合、当然、妙法によって開会されたものでなければならない。『法華経』においては、「塔」はどのように説かれているであろうか。
 『方便品』には、
「若しは曠野の中に於て 土を積んで仏廟を成し 乃至童子の戯れに 沙を聚めて仏塔と為れる 是の如き諸人等 皆已に仏道を成じき」(開結180)
と、仏塔造立の功徳の甚大なることが説かれている。また『法師品』には、
「若しは経巻所住の処には、皆応に七宝の塔を起てて、極めて高広厳飾ならしむべし。復、舎利を安んずることを須いず。所以は何ん。此の中には、已に如来の全身有す。此の塔をば、応に一切の華香、瓔珞、 蓋、幢旛、伎楽、歌頌を以って、供養恭敬、尊重讃歎したてまつるべし。若し人有って、此の塔を見たてまつることを得て礼拝し供養せん。当に知るべし。是等は皆、阿耨多羅三藐三菩提に近ずきぬ」(開結391)
と、明らかに宝塔とは、砕身の舎利ではなく、『法華経』所住の塔であることを意味し、即、如来の法身として尊重すべきことが説かれている。
 さらにまた、『法華経』においては、『見宝塔品』より『嘱累品』に至るまで涌出した大宝塔を中心として、法義上、最も重要な久遠の開顕と付属の義が説き顕わされている。
 この大宝塔の意義を文底の仏法より拝すれば、即、人法一箇の南無妙法蓮華経の法体の意義となる。このことは、『諸法実相抄』の、
「釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ」(全集1358)
との御文に明らかである。
 すなわち、大聖人の文底仏法の上から宝塔の意義を御指南あそばされた『阿仏房御書』には、
「多宝如来・涌現の宝塔・何事を表し給うやと云云」
「法華経の題目・宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり」
「宝塔をかきあらはし・まいらせ候ぞ、(中略)出世の本懐とはこれなり」(全集1304)
と、宗祖御図顕の御本尊こそ宝塔であると仰せである。さらにまた、
「南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり」
「今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然れば阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり」(全集1304)
と、南無妙法蓮華経と唱える弟子・檀那の一身が、まさに妙法の宝塔であると仰せである。このことは、さらに『御義口伝』
「廿八品悉南無妙法蓮華経の事」の『宝塔品』の下に、
「宝塔とは我等が五輪・五大なり」
「妙法の宝浄なれば我等が身体は清浄の宝塔なり」
「法界の塔婆にして十法界即塔婆なり」
「妙法蓮華の見なれば十界の衆生・三千の群類・皆自身の塔婆を見るなり」
「かかる宝塔も妙法蓮華経の五字より外は之れ無きなり妙法蓮華経を見れば宝塔即一切衆生・一切衆生即南無妙法蓮華経の全体なり」(全集797)
との仰せのように、大聖人の証道観心において、宝塔と塔婆は同義であり、法界の一切衆生が、そのまま妙法蓮華経の宝塔、妙法蓮華経の塔婆であることをお示しである。ただし、それは『草木成仏口決』に、
「法界は釈迦如来の御身に非ずと云う事なし」(全集1339)
と仰せのように、この宇宙法界の全体が、本来、本仏日蓮大聖人の御身そのものであることの意義からの御指南である。故に、個々の衆生においては、南無妙法蓮華経を信受しなければ、そこに成仏があり得ないことは当然である。
 すなわち、『上野殿後家尼御返事』に、
「いきてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり」(全集1504)
と仰せのように、生きているときの成仏が、本仏御図顕の宝塔たる御本尊を信じて、南無妙法蓮華経と唱えるところにあることは当然である。では、死の生命に対する回向は、どのようにすればよいのであろうか。
 これについて、大聖人は、『草木成仏口決』に、特に死者の成仏は塔婆の功徳にあることを、次のように仰せである。
「妙法とは有情の成仏なり蓮華とは非情の成仏なり、有情は生の成仏・非情は死の成仏・生死の成仏と云うが有情非情の成仏の事なり、其の故は我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは死の成仏にして草木成仏なり」(全集1338)
 すなわち、我々有情の一身の五大は、死後は宇宙法界の非情の中へ冥伏する。その冥伏した法界の非情とは、本来、無作三身の当体であるから、死後の生命の五大も、本来は仏身である。しかし、そこに宿業により、迷悟・染浄の相違が存する。故に、法界中の非情の草木をもって塔婆に建立し、開眼供養するところに、その功徳が法界冥伏の精霊に、ただちに回向されるのである。これが、塔婆供養の尊い意義であり、死の成仏たる草木成仏の本義であると、御指南されたのである。
 ただし、その塔婆の開眼供養とは、権教によってではなく、必ず仏教の根源の大法たる南無妙法蓮華経によらなければならないことは当然である。したがって、塔婆には、必ず御題目を書写しなくてはならないのである。このことを御教示された御書に、次の『中興入道御消息』がある。
「去ぬる幼子のむすめ御前の十三年に丈六のそとばをたてて其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕して・をはしませば、北風吹けば南海のいろくづ(魚)其の風にあたりて大海の苦をはなれ・東風きたれば西山の鳥鹿・其の風を身にふれて畜生道をまぬかれて都卒の内院に生れん、況や・かのそとばに随喜をなし手をふれ眼に見まいらせ候人類をや、過去の父母も彼のそとばの功徳によりて天の日月の如く浄土をてらし・孝養の人並びに妻子は現世には寿を百二十年持ちて後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事・水すめば月うつり・つづみをうてばひびきのあるがごとしと・をぼしめし候へ等云云、此れより後後の御そとばにも法華経の題目を顕し給へ」(全集1334)
 このように、塔婆に南無妙法蓮華経の七字を認(したた)める功徳が、いかに大きいかを、わかりやすく御指南あそばされているのである(今日、我々僧侶は、塔婆に妙法蓮華経の五字のみを書写したてまつるが、その意義は理法としての妙法ではなく、事の一念三千たる南無妙法蓮華経である)。
 今回の創価学会の塔婆批判の文中に、
「宗祖の御指南の塔婆とは、墓標のことである。板塔婆はずっと後世のものである」
などとの強言があるが、当御書にいわれる塔婆が、墓標などではないことは、「十三回忌のそとば」「これより後々の御そとば」等の仰せに明らかである。また、当御書では、南無妙法蓮華経を認めた塔婆を眼に見るとき、随喜するところの信心が大切であると仰せである。塔婆を建立して回向するときは、その功徳に感謝の念をもたなければならない。創価学会のように、塔婆の功徳を疑い、僧侶に対する怒りの気持ちで供養を行なっても、果たして先祖に真実の功徳が回向されようか。甚だ疑問といわねばならない。
 大聖人が、塔婆に必ず南無妙法蓮華経と認めるべきことを御指南された所以は、題目が認められることによって、その塔婆が仏身の当体と顕われるからである。つまり、亡くなった人も、その妙法の仏の命の中に摂尽されて、本因成仏の大功徳を享受することができるのである。
 学会がいうところの、「板塔婆を死者の追善供養とすることが法華経に説かれている道理はまったくない」等という説は、法華経の文底の深義にのっとって、塔婆に南無妙法蓮華経と認めることにより、一切衆生が死の成仏の功徳を得ることを教えられた大聖人の大慈悲に背き、またさらに衆生の真実の成仏の道を塞ぐところの、無慈悲な言である。まさに、天魔の所業であるといわねばならない。
 また、同記事において、「板塔婆は日本だけの風習にすぎない」としている。確かに、邪宗の塔婆が、世界に弘まっては困る。しかし、日蓮正宗の正法にのっとった南無妙法蓮華経の塔婆の化儀は、世界の人々の真実の成仏のため、正法広布に伴って、大いに世界に教え弘めなければならないのである。


3.塔婆に関する歴代上人の御教示

 次に、総本山第9世日有上人は、塔婆について、『化儀抄』に、
「率都婆を立つる時は大塔中にて十如是自我偈を読みて、さて彼の仏を立つる所にて又十如是自我偈を読むべし、是れ又事の一念三千の化儀を表するか」(富要1-66)
と仰せである。この文について、第66世日達上人は、次のように解説なされている。
「卒塔婆とは、塔婆のことで、地水火風空の五輪の塔を表わす。大塔中とは、総本山歴代墓地の中央の宗祖大聖人並びに二祖及び三祖の大墓碑を指す。彼の仏を立つる所とは、塔婆建立回向する、その墓をいう。亡者の追福作善のため、塔婆を建てて回向する時は、塔婆を一度、大聖人の墓碑の所へ立てて、方便品、自我偈、唱題して、一度回向してから、その追善すべき亡者の墓へ、その塔婆を建立して、方便品、自我偈、唱題して、追善供養するのであります。これが師弟相対した事の一念三千の化儀を表わしたことになるのであります」(日達上人述『略解』)
 これらの御指南は、本宗において、大聖人以来、塔婆を建立して功徳を回向することが、死者の成仏・追善のための化儀とされたことを証明するものである。
 また、同時に、本宗の塔婆供養とは、単に、題目を書写した塔婆を建立すればよいというものではない。あくまでも、本仏大聖人に対する師弟相対の信心にのっとった化儀であることを示されているのである。すなわち、塔婆供養に際して、大切なことは、一旦、全ての塔婆を、必ず大聖人の御墓の傍らに立てて供養し、その後に各自の墓に立てて供養するということである。
 この化儀は、今日、塔婆を各寺院の御宝前の傍らに立てて回向することとして、厳然と伝えられている。これは、本仏大聖人を、どこまでも根本の大師匠と仰ぐ信心こそが、末法の衆生の成仏にとって不可欠だからである。すなわち、この化儀にのっとった塔婆回向によって、末法の亡き衆生は、御本仏大聖人と冥合し、唯一の大歓喜の成仏を享受することができるのである。
 本宗の塔婆供養には、かかる厳格な意義が存することを知らなくてはならないのである。同時に、その塔婆供養の甚深の意義を誹謗することは、宗祖大聖人、及び御歴代上人の御指南に背く大謗法であり、忘恩の所業となることを忘れてはならないのである。


4.学会の塔婆に関する邪説とその破折

 今回の学会の塔婆誹謗の記事を一読して判ることは、その根底に宗門に対する、激しい憎悪の念があることである。週刊誌なみの俗悪な記事内容からは、本宗の化儀に対する一分の尊崇の念も感じられない。まさに、信徒にあるまじき誹謗背反の姿であるといわなければならない。
 今回の記事の発言者の中に、創価学会草創からの信徒で、常々、御法主上人への信順の大切さを説いてきた辻武寿氏が加わっている。氏は、『私の個人指導』という本を書いているが、その中で、
「父親が邪宗教をやった方であれば、ねんごろに塔婆供養をして回向することが最大の親孝行になるのです。」(同書35)
という指導をしている。ところが、その本人が、今回は、
「塔婆回向をしなければ成仏出来ないということでは決してない」(平成3年3月6日付『創価新報』)
と述べているのである。どうして、このように変わるのであろうか。ことは、先祖の成仏という重大問題であって、簡単に自らの都合で変えてよい問題ではないのである。
 この塔婆の意義について、創価学会第2代会長戸田城聖氏は、
質問会において、「塔婆は形式にすぎないのではありませんか」
との質問に対し、
「形式ではありません。仏法上の儀式であります。色心不 二の成仏、草木成仏の深い原理からきているのであります。」(戸田城聖全集2-176)
と述べ、塔婆供養とは、深い法義に基づいた、仏法上の重要な儀式であると指導されている。
 また、さらに池田名誉会長も、昭和59年2月28日、ブラジル一乗寺における物故者追善法要の際の挨拶の中で、塔婆供養の意義についてその功徳の大きいことを述べている。
 これらの指導と、今回の塔婆供養軽視の誹謗とは、一体、どうしたら辻褄が合うのか。もっとも、無節操に変更して何の痛痒も感じないほど、学会の教学に対する態度はいい加減なものであったのかも知れない。


5.恥知らずな悪口雑言「これでいいのか!塔婆供養」

 平成3年3月1日付の『聖教新聞』から、「これでいいのか!塔婆供養」というキャンペ-ンが開始された。宗門僧侶が、塔婆回向で金儲けをしているとの非難の記事である。この塔婆金儲け論は、3月6日付『創価新報』や、同10日付『聖教新聞』の「これでいいのか!塔婆供養」でも、繰り返し繰り返し、執拗に展開し、口汚く批判している。特別財務などで一般会員から多額の寄付を募っていると、下衆のかんぐりをして、死者の成仏の要儀である塔婆供養に対してまでも、金儲けの手段であると思ってしまうらしい。
 塔婆を多く建立することの、どこが悪いのであろうか。年に一度も使わない名誉会長専用施設や、世間でもとかく噂のある絵画疑惑などのために、特別財務・広布基金なる名目で多額の金を吸い上げられるより、自らの先祖に、真実の仏法の功徳を、確実に回向される塔婆を建立するほうが、どれだけ尊いか。一般会員は、今や半僧半俗のような生活をしている本部職員等に騙されてはならない。『新池御書』の、
「無益の事には財宝をつくすにおしからず、仏法僧にすこしの供養をなすには是をものうく思ふ事これただごとにあらず、地獄の使のきをふものなり寸善尺魔と申すは是なり」
(全集1440)
との御文をよくよく拝するべきである。
 また、3月9日付の『聖教新聞』の「これでいいのか!塔婆供養」では、塔婆供養の功徳を知らない学会員に、その功徳の大きいことを教えた僧侶を、「食法餓鬼」と、邪宗の僧侶呼ばわりをしている。三宝(ことに僧宝)破壊の謗法集団に堕した創価学会首脳幹部の言論におぞましさを感ずるのは、ひとり僧侶だけではなかろう。


6.会員に塔婆供養をさせないための稚拙な口実

 次に、3月6日付の『創価新報』では、「環境保全のために塔婆は最小限が正しい」との、珍妙な大見出しを掲げている。
 かかる言は、先祖回向のための塔婆供養の尊い意義を見失った暴論以外の何ものでもない。環境保全というが、植林事業と消費量を実際に比較調査した上で、このようなことをいっているのであろうか。もし、本当に資源枯渇の心配があるのなら、仏法上、重大な意義をもつ塔婆供養を存続させるために、叡知を廻らすべきである。
 現在、南米の正宗寺院では、塔婆は上質のベニヤ板を用い、寸法も厚さ3~4ミリ、幅5センチ、高さ60センチ位に小型化し、省資源を図っていると聞いている。また、アメリカでは、法律上の規制のために、紙製の塔婆を開発し、やはり小型化しているそうである。
 たしかに、今日、森林資源保護は、人類全体の重要な問題である。したがって、今後、本宗においては、省資源化した塔婆を導入することも考慮されてしかるべきかと思われる。しかし、日蓮正宗の信徒として、塔婆供養は先祖回向のための大事な化儀である、と弁える信心が大切なのであって、「最小限が正しい」などと断言するのは間違いである。未来永遠に塔婆回向の化儀を伝える、との大前提のもとに、解決の方途を考えるべきなのである。
 次に、「塔婆建立の本数と信心の厚薄とは無関係」という塔婆の本数に関する発言について述べておく。塔婆供養が、大聖人の仏法の全てということではないから、確かに塔婆の本数にこだわる必要はない。しかし、塔婆の建立が信心の現われという観点からすれば、塔婆建立の本数の多い人は、やはり信心が厚いといえる。
 大聖人は、『出家功徳御書』において、
「出家功徳経に云く『高さ三十三天に百千の塔婆を立つるよりも一日出家の功徳は勝れたり』と」(全集1251)
と、『出家功徳経』を引用されている。この経の意は、もともと出家の功徳の甚大なることを証するところにある。しかし、ここでいいたいのは、この出家の功徳の比較対象として、「百千の塔婆」を挙げていることである。大聖人は、御書中で、1本の塔婆ですら、大変な功徳があると仰せである。しかし、ここには、「百千」という具体的な数が挙げられている。これは、「百千の塔婆」をもって無量の功徳に擬えていることであるから、塔婆建立の本数は、やはり信心に関係するといえるのである。
 したがって、数年に1本しか塔婆を建立しない人よりも、毎年、あるいは毎月、塔婆を建立して、父母や先祖の追善供養をする人のほうが、信心は厚いのである。反対に、公然と「塔婆建立の本数と信心の厚薄とは無関係」といって、あたかも塔婆供養は不要であるようなことを主張する学会大幹部が、数年に1本しか塔婆を建立しない人よりも、格段に信心がたりないことは、いうまでもないことである。
 さらに、「常盆常彼岸が追善供養の根本」との記事についてであるが、毎日の勤行が、本宗信徒としての根本の修行であることは当然である。その上に、三宝に供養を申し上げ、功徳を回向することが、正しい先祖供養の道である。このことは、先に挙げた大聖人の御指南からも明白である。また、盂蘭盆会における聖僧供養の意義からも明らかなように、「仏宝・法宝は僧によって住する」のである。末法万年にわたって、法を伝えるところの僧侶に、回向を願って供養することは、そのまま僧団維持・令法久住に貢献し、ひいては末法万年の衆生を潤すこととなって、先祖供養の功徳を、一層増進するのである。


7.「彼岸会は本来仏教と無関係」という大ウソ

 さらに3月20日付、彼岸中日の『聖教新聞』では、某日本仏教学会会員に聞くとして、「彼岸会は本来仏教と無関係」なる教学解説を掲げ、宗祖大聖人の御書中に「塔婆」に関する御指南があることについては、
「それは恐らく墓標であり、現在のような塔婆は室町期乃至江戸時代以降のもの」
としている。しかし、同日の社説では、
「塔婆供養の風習は、平安時代から始まったもので、大聖人の御書中にも僅かに言及されているが、随方毘尼の例として拝すべきである」
と、同一新聞内で、主張に相違を来しているのである。
 それはともあれ、本宗の年中行事として、現に行なわれている彼岸会について、なぜ信徒でもない(?)単なる仏教学者の否定的見解を、信徒団体の機関紙が掲載しなくてはならないのか。彼岸会それ自体に、たとえ随方毘尼の意味があったとしても、先祖回向の大切な儀式として行なわれている行事に対し、「仏教と無関係」「錯覚が定着」などと断定することは、思い上がりも甚だしいといえよう。
 大聖人の御本尊の中には、「弘安三年二月彼岸第六番(彼岸が7日ある中の第6日目のこと)」という日付の御本尊が現存している。また、日興上人の御本尊の中にも、日付に「彼岸」の語が認められた御本尊が5幅、彼岸の中日を意味する「時正」の語が認められた御本尊が1幅現存し、日目上人の御本尊の中にも、「正慶二年二月彼岸」の日付のある御本尊が現存している。
 さらにいえば、日興上人の『曾禰殿御返事』に、
「彼岸御仏料、員数の如く見参候い了ぬ。富士郡の珍物に候上は申し尽し難く候」(歴全1-149)
とあるように、日興上人の当時、本宗において、彼岸の追善回向を行なっていたことは明らかである。あまつさえ、唯我与我の日興上人が、大聖人の、「我等衆生死する時塔婆を立て、開眼供養するは死の成仏にして草木成仏なり」(全集1339)
と仰せの甚深の意義を体さないはずはなかろう。
 それを、「随方毘尼の例として拝すべき」などと勝手に断定して述べるのは、仏法上の化儀の指導を受けるべき本宗信徒として、大なる越権の謗法行為である。
 また、昭和53年のいわゆる「お詫び登山」において、「今後一切の活動において宗門の指導を受ける」とした約束に違うものであることはいうまでもない。


8.『日蓮正宗の行事』の正義は明白

 さらに、一連の塔婆誹謗記事の締めくくりとして、4月15日付の『聖教新聞』には、「これでいいのか!塔婆供養(5)=完」として、御丁寧に宗門より発行した『日蓮正宗の行事』を取り上げ、その塔婆供養の記事に対して、「間違っている」と断定している。これは、学会の正式な機関紙において、本宗の正式な布教叢書の内容を取り上げ、誤りと断定したものであるから、ことは重大といわねばならない。
 学会が、『日蓮正宗の行事』の誤りと指摘する箇所は、「もし先祖や親戚・知人で亡くなった人の中に死後の世界で苦しんでいる人があれば、生きている遺族の側にも其の苦しみや悩みが影響してきます。」(同書90)
との箇所と、次の、
「塔婆供養をすると(中略)未来のできごとを予知できて、事前に悩みや苦しみが除ける、常に仏様のお慈悲をうけることが出来る。」(同書93)
との二箇所である。そして、不遜にも、一番の元である宗務院の指導が誤りであるから、宗門の寺院が間違うなどと放言しているのである。
 まず、死者の苦しみが遺族に影響するということに対して、
「霊魂説に基づく『たたり信仰』であり、仏教の教義ではない」
とする学会のいい分は、はたして正しいのであろうか。
 これについて、大聖人は、『盂蘭盆御書』に、
「悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず子と孫と末へ七代までもかかり候けるなり」(全集1430)
と仰せである。7代目の子孫からすれば、先祖の悪業の苦の影響を受けることになるのである。
 また、『忘持経事』には、
「我が頭は父母の頭・我が足は父母の足・我が十指は父母の十指・我が口は父母の口なり、譬えば種子と菓子と身と影との如し」(全集977)
と仰せであり、同様のことは目連尊者と青提女についても諸御書に仰せである。
 学会では、死者の苦しみが生者に影響するというのは、仏教の教義ではないとするが、そのような低級な考え方は、今時のインド仏教学の先生あたりの説をありがたがっている、権威好きな学会のいいそうなことである。
 法華経で説く一切衆生の生命の永遠ということが、霊魂として浮遊し、祟りをなすという意でないのは、当然である。存続するのは、あくまでも業をうける因果の当体としての生命の一念である。この一念とは、いわゆる霊魂のような個別の存在とは異なる。つまり、死後に無に帰するのではなく、厳然と因果の苦楽の業を受けていくところの、いわば生命の主体といわなければならない。
 大聖人は、常に生者の成仏が、父母等有縁の人々の成仏に通ずることを御指南あそばされているが、先に挙げた『盂蘭盆御書』に説かれるところは、逆に悪業の因縁も、有縁の人には影響があるというもので、法界一念三千の不思議な実相を説かれたものといえよう。今時の学者の理解をはるかに越えた、法界の生命の不可思議を説かれた、御本仏の御指南と拝すべきなのである。また『撰時抄』には、
「法然・流罪をあだみて悪霊となって我並びに弟子等をとがせし国主・山寺の僧等が身に入って或は謀反ををこし或は悪事をなして皆関東にほろぼされぬ」(全集274)
との文がある。この「悪霊」の句も、いわゆる霊魂として述べられたものでないことは当然であって、謗法者の悪業の因縁が影響し合うことを仰せられたものと拝されるのである。
 ともあれ、仏法に説き明かされる生命の実相とは、まことに不可思議なのである。生死を超越した一念三千の融通無碍の世界が、この法界であり、因縁によって、有縁の人の善業・悪業の影響を、ともに強くも、あるいは弱くも受けるのである。このことは、むしろ当然といえる。
 この生命の実相を、あえて否定する学者の説は、小乗の空理にとらわれた迷見といわねばならない。
 次に、塔婆供養をすると、未来のできごとを予知でき、事前に悩みや苦しみが除けるとの件について述べることとする。
 「未来を予知でき、悩みが除ける」というと、まるで新興宗教のキャッチフレ-ズのように聞こえるが、これとても、決して仏法法義から、かけ離れたことではない。すなわち、『聖人知三世事』ほか諸御書に、仏の徳として未萠を知ることが説かれているところである。我々が信仰に励む上で、御仏智を頂き、後から考えると、まるで未来が判っていたかのような行動を、自然のうちにとっていて、護られたというような体験は、よく聞くところである。これこそ信心の功徳であり、本因妙の仏として未萠を知ることの一分であろう。
 塔婆を建立する功徳として、未来の予知等の種々の功徳が述べられているが、これは経文の中から、一応その功徳を挙げたものである。それも、全て御本尊を根本とした信心の功徳と受け止めていくべきことなのである。故に、『日蓮正宗の行事』では、塔婆の功徳を説明する最後において、その一切を御本尊への信心に括って、説明を終了しているのである。
 このような配慮を無視して、単に経文に説かれるところを挙げた箇所のみを取り上げ、誹謗するとは、その底意たるや、まさに憐れむべしである。


   おわりに  

 以上、塔婆供養に関する学会の誹謗について、あらあら破折した次第である。塔婆を建立する功徳の甚大なことは、ほぼお判り戴けたであろう。
 御法主上人を誹謗し、大聖人以来の、本宗伝統の塔婆供養の化儀を誹謗し、中傷し、盆・彼岸にも塔婆を建立しない創価学会員の先祖の苦しみは、察するに余りあるものがある。一刻も早く、反省懺悔されんことを祈るものである。

    以  上

 

 


総本山登山の意義について

1991-07-10 | 時局資料

        総本山登山の意義について  

              時局協議会資料収集班1班  

(大日蓮 平成3年8月号 第546号76頁 転載)

   はじめに  

 日蓮正宗総本山大石寺は、宗祖日蓮大聖人の出世の本懐、一切衆生の成仏の根源である本門戒壇の大御本尊のおわします一閻浮提第一の霊場である。
 私たちは、この総本山大石寺に参詣することを登山といいならわして、私たち自身の成仏、家族の幸せ、社会の福祉、世界平和、広宣流布大願成就を御祈念してきたのである。


1.総本山大石寺は信仰の根本霊場

 いうまでもなく、日蓮大聖人の仏法の基本は、本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目の三大秘法にある。私たちの幸せも、世界平和も、全てこの三大秘法を受持信行するところに成就するのである。
 三大秘法の根本は、本門の本尊、すなわち総本山の正本堂(平成3年・1991年時点では)に御安置されている弘安2年10月12日御顕示の、本門戒壇の大御本尊である。この大御本尊への内拝を御法主上人にお許しいただいて、大御本尊にお目通りできることは、真に三大秘法を受持することに当たるのであって、今生で人間と生まれた最高の幸せ、未来世にわたる大功徳の源となるのである。
 また、この大御本尊は、宗祖日蓮大聖人が、
「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながして・かきて候ぞ」(『経王殿御返事』・全集1124)
と仰せのように、日蓮大聖人の御命であり、御一身である。したがって、私たちが、大石寺に登山して、御開扉を受けることは、日蓮大聖人にお目通り申し上げることである。
 日蓮大聖人は、『南条殿御返事』に、
「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し・日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所・喉は誕生の処・口中は正覚の砌なるべし、かかる不思議なる法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき、法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊しと申すは是なり(中略)此の砌に望まん輩は無始の罪障忽に消滅し三業の悪転じて三徳を成ぜん」(全集1578)
また、『御講聞書』に、
「本有の霊山とは此の裟婆世界なり、中にも日本国なり、法華経の本国土妙・裟婆世界なり、本門寿量品の未曾有の大曼荼羅建立の在所なり」(全集811)
等と仰せである。
 すなわち、多宝富士大日蓮華山大石寺は、現に日蓮大聖人のまします霊山浄土であり、私たちの生命のふるさとなのである。「霊山に近づく鳥は金色となる」といわれるように、総本山大石寺に参詣して、御法主上人のお許しのもとに、本門戒壇の大御本尊の御開扉をいただき、心から罪障消滅・信心倍増・一切無障礙の御祈念をするならば、総本山第26世日寛上人が、
「此の本尊の功徳無量無辺にして広大深遠の妙用有り。故に暫くも此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来たらざるなく、理として顕れざるなきなり」(『観心本尊抄文段』・文段集443)
と仰せのように、私たちの過去世から現在に至る無量の罪業も、一切みな消滅し、現在・未来の所願ないし広宣流布の大願も成就するのである。


2.大石寺の事跡に学ぶ

 その昔、日蓮大聖人の御在世に、佐渡在住の阿仏房は、当時、日蓮大聖人のお住まいになっておられた身延山まで、90歳という老体を顧みず、数度にわたって参詣をしたのである。また、日妙聖人は、女性の身でありながら、危険な道中をしのび、渇仰の思いをいだいて、日蓮大聖人にお目通りを願ったのである。
 現在と異なり、交通機関は全くなく、一歩一歩足を運び、山河を越えての登山であった。距離・時代を越えて、総本山大石寺への登山の基本精神は、これらの人々の「一心欲見仏不自惜身命」の信心行体に存する。
 この阿仏房や日妙聖人の登山の精神が、後世の檀越に大きな影響を与えたことはいうまでもない。
 総本山塔中観行坊の能勢順道師が、先年編纂出版された『諸記録』に、盛岡の感恩寺信徒であった阿部重吉氏の、安政2年の登山道中日記が収録されている。それには、「御大坊様江罷上がり御宝蔵外廻りくさ取りいたし、それより奥にわくさ取、御きゃく殿の前廻りはきそうじ」(同書5-252)
とある。往昔の人々は、年に数回の登山参詣など、なかなかできなかった。そのため、ひとたび登山参詣すると、数日、あるいは十数日逗留滞在したのである。そして、阿部重吉氏のように、総本山の清掃、給仕等の奉仕を、進んで行なったのである。
 また、徳川時代は、新寺建立の禁止や宗教論争が固く禁じられるとともに、檀家制度が導入されたので、信教の自由は、事実上、全くなかったのである。しかも、為政者の偏見により、本宗は御禁制の宗教のように扱われ、弾圧が加えられてきたのである。
 加賀前田藩の金沢信徒も、そうした圧政の中で、大聖人の仏法を学び、弘め、求道心を燃やしてきたのである。しかし、地元には寺院がなかったために、総本山への道中手形を出してもらえず、総本山への登山参詣は、全くおぼつかない状況であった。
 しかし、志のある者たちは結束し、禁を犯して登山を決行したのである。喉の渇きは露を啜(すす)って癒(いや)し、夜は枯木を枕に枯れ葉に埋もれ、幾山河を越えて、総本山を目指したのである。大石寺の三門が見えたとき、皆、肩を抱き合い、涙を流して喜んだとのことである。
 あるいは、前田家の参勤交代の途中、東海道の吉原宿に宿泊の折に、「抜け詣り」と称し、皆の寝静まった頃を見計らって、夜陰に紛れて宿を抜け出し、大石寺へ向かって走り、早朝まで、御宝蔵の前で唱題し、同輩の起き出す前には、吉原宿に帰ったと伝えられている。
 さらに、陸奥の仙台法難によって、流島されていた覚林日如師は、仙台の信徒に宛てて、
「一、未登山輩は老少によらず随分取立候て年々に御登山の願望成就はたさせ申すべき事登山の面々より其方の功徳広大に候」(富要9-334)
「一、御本山え差上げ候風波の渡り幾日がかりもさ候へば彼此物入り島へ渡り候金銭を以て少しも余慶に役立たす候事、何人登山とても島へは渡海は無用に候只書通を以て申し入らるべく候」(富要9-334)
と、教えているのである。
 この書状の意味について、日亨上人は、
「登山せざる者を勧めて登山せしめよ、其功徳は登山者に勝る、島に渡りて予を見舞ふ金銭を以て御登山の費用に補へ等の訓辞あり誠に難有き志かな」(富要9-334)
と、覚林日如師の登山についての指導を讃えられている。
 また、東京妙光寺檀家の話に、「米一升の請書」というのがある。これは、女の身として子供をおぶり、大晦日に箱根の関所を越えて、一升の米を、正月の元旦、総本山へ御供養したというものである。第52世日霑上人は、この奇特な婦人に「米一升の請書」をお認(したた)めになられ、その信心にお応えになられたとのことである。
 宗門700年の歴史には、数々のエピソードがある。現代に生きる私たちは、ともかくも、こうした先人の、営々と積み重ねた登山の実践と求道心があったればこそ、今日の登山参詣があるということを、決して忘れてはならない。


3.学会で説いてきた登山の意義

 先日まで、創価学会で運営してきた登山会も、その精神は、本来、これら過去の人々の行動を受け継いできたところにあったといえる。
 したがって、創価学会では、総本山への登山について、
「あたかも大聖人ご在世当時の阿仏房の精神をもって、登山の精神とすべきである。七百年以前に、佐渡ヶ島より荒波を渡り、さらに野を越え山を越えて、身延の沢に再三、大聖人をおたずねし、心からお仕え申し上げた阿仏房の精神こそ、たとえ時代は隔つとも、わが学会の登山精神でなければならないと思う。」(『巻頭言・講義集』)
また、
「我々が登山して、大御本尊様を拝することは、そのまま日蓮大聖人にお目通りすることであり、偉大な功徳を享受できることはいうまでもないのである。絶対の御本尊にお目にかかる登山会であるから、学会の登山会こそ、行事のなかの最大の行事として、他のいっさいの行事に優先して行なわれているのである。」(『巻頭言・講義集』)
と指導していたのである。これらの指導内容からみれば、従来、創価学会で運営してきた総本山への登山会にも、まことに大きな意義があり、これによって信徒各位が積んできた功徳も、限りないものがある。
 創価学会が、総本山への登山会とともに発展してきたことは、万人の認めるところである。折伏によって、入信はしたものの、世間からの「創価学会は新興宗教である」との非難に、いささか気後れしていた新入信者が、大石寺の三門の前に立ったとき、
「ああ、これは新興宗教ではない、700年の由緒正しい伝統ある宗教だ」と確信したことは、創価学会の会員自身が、皆、実感したことではないだろうか。
 また、御内拝を許されて御開扉を受け、大御本尊にお目通りしたとたん、なぜか涙がとまらなくなった、この瞬間、この宗教は絶対だという確信が湧いたという体験の実例も、数限りないのである。
 池田名誉会長も、かつて登山会について、
「一つは、私ども一人一人の無始以来の罪障を消滅し、現世安穏、後生善処の幸福をお願いすることにある。
 第二には、久遠元初の生命の故郷に帰る。生命を本源的に洗い清めて新たなる生命力をいただくのである。
 第三は、私ども同志が等しく日蓮大聖人の門下であり、地涌の菩薩であるとの自覚をもち、そのうえに立った真の団結を築いていくことである。
 第四は、末法広宣流布への戦いの決意を、大御本尊にお誓い申し上げるのである。
 第五は、全人類の幸福と平和を祈願し、また、その理想に向かって前進を誓い合うのである。」(趣意。昭和45年9月30日・第1回登山責任者総会)
と、その意義を挙げていた。また、第2代会長戸田城聖氏は、もっと端的に、
「なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊を拝まなくては、本物の信心にはなれない。」(昭和27年8月5日・夏期講習会)
と表現していたのである。
 このように、日蓮正宗の信徒として、総本山大石寺に登山参詣することは、信心修行の上で、まことに重要なことである。


4.登山会に対する創価学会員の現在の意識

 しかるに、最近、創価学会員の中に、総本山に参詣し大御本尊の御開扉を受けることが、日蓮大聖人の仏法にとって大して必要なことではない、というような意見を、公然と唱える人が出てきた。日蓮正宗の信仰者とは思えない、驚くべき事態である。
 もし、大事な総本山への登山を、景勝地への物見遊山と同価値のように大勢の前でいいふらし、また「一生に“1度だけ行けば”それでよい」などと発言する者がいるとすれば、その人は、今まで着々と積み重ねてきた日蓮正宗の仏法修行の功徳を、いっぺんに失ってしまうであろう。
 先々に挙げた古人の登山参詣はもちろん、近世江戸期でさえも、確かな交通機関はなく、現在とは比較にならないほど、道中の危険も多かったので、旅行に出るときには水盃を交わすような状態であった。また、信仰の自由もなかったといってよく、信仰に反対する国家権力、主君、親族等の目を逃れて、登山参詣したことも数々あった。したがって、一生の中で、何度も大御本尊にお目通りすることは、ほとんど不可能であった。そこで、「最低でも一生に1度は総本山に登山し、御法主上人にお目通り申し上げ、大御本尊の御内拝を許していただきたい」というのが、日蓮正宗信徒の願いとなっていたのである。
 これに対し、現在は、総本山に参詣をしたいと思えば、毎月1回の参詣でさえ、可能な状況である。人によっては、健康、勤務、経済状態等によって、1年に1度の参詣すらままならない人もおられるであろうが、総じて今は、自由な登山参詣ができる時代である。
 それにもかかわらず、『四条金吾殿御返事』の、
「是れより後はおぼろげならずば御渡りあるべからず大事の御事候はば御使にて承わり候べし」(全集1185)
の御文を引いて、日蓮大聖人は余程のことがなければ、参詣する必要はないと仰せであるなどと、平気でいう者がいる。
 このときの四条金吾殿は、謗法者である同輩の怨嫉を一身に受け、常に命をつけ狙われる状況にあったのである。つまり、殺人者に待ち伏せされる恐れが、充分にあったのである。世界の歴史上、最も安全であると思われる現在の日本社会とは、全くその状況が異なるのは、誰にでも想像がつくことであろう。
 このような時代と状況の相違を覆い隠し、直ちに現在に引き当てて総本山への登山参詣をやめさせようとする人は、日蓮大聖人の仏法を信仰する者ではなく、まさに人々の信仰を阻害する魔であり、成仏の敵である。


5.添書登山は果たして危険か

 今日でも、気象や交通など、様々な状況によって、旅行中に大きな危険があると予想されれば、登山に無理をすべきでないことはいうまでもない。現に、創価学会の運営していた登山会中には、台風等の気象状態が悪いと予想されれば、神経質と思えるほど、すぐに登山を中止させていたのである。
 むろん、これについては、非難されるべきではない。当然のことであるし、無事故につながることは有り難いことであったと考えるものである。だからといって、創価学会が登山の運営に携わらないことを嫉み、「大事故がある」とか「非常に危険なことがある」などといって人々をおどし、添書登山によって大御本尊にお目通りしたいと願う本宗信徒の尊い信心を妨害することは、信仰上、大きな欺誑罪をつくることになる。
 全国各地への旅行、さらにブームであるといわれる海外旅行の危険に比較すれば、総本山に登山するのに、どれほどの危険が予想されるというのであろうか。創価学会は、団体登山のことばかりを挙げて自賛しているが、ここ数年、純粋な団体登山の人数は段々に減少させ、個人・フリーの登山に移行させてきたことは、本宗信徒の周知の事実である。ことに今年(平成3年)4月から6月までは、創価学会が運営していたにも関わらず、団体登山の割合が、極めて低くなっていたのである。これは、別に大石寺内事部なり日蓮正宗宗務院の要望で、団体登山の人数を減らしたわけではない。信徒各位の希望だとする創価学会側の強い要請で、個人・フリー登山へ重点が移されてきたのである。
 このことは、大石寺内事部より、平成3年6月30日付で、秋谷会長に送付された文書に詳しいので省略する。
 個人・フリーの登山と、今後の添書登山とを比較して、どの辺が特に危険になるのであろうか。変化などあろうはずがないではないか。団体登山に関しても、従来、地方からバスを仕立てて、総本山に参詣していた人々は相当数に上がる。これらに比べて、個人の添書登山の危険度が、とみに高くなるわけではないのである。
 もし、異なっている点があるとすれば、総本山内に「創価班」がいなくなったことだけであろう。御存じないだろうが、創価班が、夏の暑さにつけ冬の寒さにつけ、寝食を忘れて任務を遂行している姿をみて、陰ながらではあるが、「御苦労さま」と頭を下げなかった僧侶・寺族はいなかった。
 しかるに、今年の御霊宝虫払の大法要中、創価班の某責任者の非常識極まりない行動や、その後の『創価新報』における事実を曲げた大ウソの発言には、「これでも日蓮正宗の信徒か」「こんな考えの人間が総本山内を徘徊していたのか」とがっかりもし、背筋に寒気が走ったのである。もちろん、このような人物は、池田思想に染ったごく一部の不心得者ではあろう。しかし、「城者として城を破るが如し」ともいうべき人たちならば、総本山内にいないほうが安心であり、また安全である。
 このような総本山大石寺で、一体、何が危険なのだろうか。「事故があったら補償で大変だ」などと、余計な心配までしてくれているようであるが、大石寺内事部では、懸命に登山の信徒方の安全を考え、配慮の限りを尽くしている。
 しかし、また個人登山において、自己の安全は自分で守るのが原則であろう。心配をするくらいであれば、会員各位にどうすれば安全に登山ができるのか、心を込めて教えればよいのである。そうすれば、またそれが信心の功徳になるのである。自己の安全を守りながら、「願いとして叶わざることなき」本門戒壇の大御本尊にお目通りをして、過去一切の罪障消滅を願い、無上の大功徳を積むように勧めれば、登山する人も、また勧めた人も、ともに一生成仏の本懐を成就し、金剛不壊の幸せを得ることができるのである。
 なお、学会では、第65世日淳上人のお言葉に「病気のときは云云」と仰せであると称して、「当然、無理をして登山する必要はありません」といっているようである。
 従来、創価学会の団体登山で、病気のときは登山を避けさせていたのは、信徒各位がよく御存じのことである。同様に、今回の添書登山でも、内事部として「病気」のときは登山を避けるように指導している。だからといって、登山をさせないようにするための口実として、日淳上人のお言葉を利用するのは正しいことではない。創価学会の発展の大恩人である日淳上人も、さぞお怒りのことであろう。
 従来、創価学会員から、「組織でなかなか登山を許してもらえない」「幹部のいうことを聞く者だけが登山できる」「1年に1度も順番が回ってこない」「老人・子供は登山できない」などの不満が多くあったことは事実である。反対に、欠席者の代わりに急遽登山した話や、地方によっては団体登山の人数を達成するのに苦労しているとの話を聞いたこともあるが、どちらかといえば、登山参詣ができないという不満のほうが多く聞こえてきたのである。
 しかし、このたびの改正の添書登山は、創価学会運営の登山会に比べて、希望する日時(現在のところ)に参詣できること、家族登山に制限がないことなど、多くのメリットがあり、楽しくも厳粛な御開扉が受けられるのである。


6.総本山の観光化が学会登山会の発端?

 本来、総本山の登山は第9世日有上人が化儀抄に、
「末寺の坊主の状なからん者、在家出家共に本寺に於いて許容なきなり」(聖典984)
と仰せのように、末寺住職の「状(=添書)」を持参しなければ、仏法の筋目上、許されないのが原則である。
 ただ、第2次大戦後の国土荒廃の中で、戸田城聖氏は日蓮正宗の仏法広布のため、創価学会復興に命を賭けて立ち上がった。その信心の姿を鑑み、特に創価学会に限って、無添書のままの登山が許可されたのである。それが、本年6月までの創価学会の登山会である。
 しかし、創価学会では、終戦後、大石寺の経済が逼迫していた当時、大石寺が観光寺院化しようと計画していたのを救ってやったと強調している。ここにいう「総本山を中心とする富士北部観光懇談会」は、昭和25年11月23日に開催されたものである。
 会議の中心者である日淳上人(当時日蓮正宗総監)は、
「近来観光について社会では色々と施設や計画が進められてゐるが当本山として、今迄そうゆう事には無関心の如くにみられてゐた。今後は清浄なるこのお山をけがすことなく世道人心に益したい。」
と挨拶されている。この日淳上人の「清浄なるこのお山をけがすことなく」との仰せが、当日の会議の基調であることを忘れてはならない。また、そのあと、当時の富士宮市長である小室氏は、
「当山は正法護持と云ふことで今日まで伝統を維持して来た事は敬意を表する。然し総本山も時代に即応すべきであると思ふが今度積極的に観光に活動しはじめた事は有難い。山門、五重塔、三十五日堂(御経蔵〈三十五日堂は正しくは十二角堂=筆者注〉)等国宝的な建築があるので是心教化のためにも開放して頂きたい。」
と述べている。さらに、富士宮新聞記者団の要望としては、
 「一、建物そのものが国宝的に準ずる。
一、要所々々には立札を立て説明を付けてもらいたい。
一、観光道路を大々的に改修する、とくに黒門までの道路
 を早急に改修し、大石寺は総門からと考へるべきだ。
一、三門から入って塔中手前までの間を庭園化する必要が
 ある。
一、桜は全国的と云はれ自然のまま保存されたい。
一、三門附近で観光客案内所をおく必要がある。
一、五重の塔がある事は知られてゐない。自動車の車窓よ
 り見えるように研究されたい。遠くから見るところに価
 値があると思われる。
一、観光客に対しての宿泊の設備を考へられたい。
一、山門から本堂に至る参道は恐らく日本一を誇り得ると
 思ふ、この点十分に保護し、古色をこわさぬ様にお願ひ
 したい。」(大日蓮58号)
等の意見や、そのほか、春は桜だが秋は紅葉がよいではないか、年2回位青年大衆を対象としたスクエアダンスなどもよいではないか、等の意見が出されたという。
 これらの発言者は、必ずしも日蓮正宗の信仰を理解しているとはいえない。したがって、これらの意見も、あくまで「要望」であって、全てを受け入れるべき性格のものでもないことは、容易に理解できるであろう。
 しかしまた、同日の会議で話し合われた「未来像」は、ほぼ現在の大石寺の状態そのものであることに気付かなければならない。学会では、この「観光化」計画に難癖をつけているが、創価学会登山によって大石寺に起こった変化は、まさにここでいう「観光化」と、何ら変わらないのである。
 もし、現状と違うものといえば、「宿泊施設」の要望だけである。創価学会でいう観光寺院の「宿泊施設」ならば、当時でも、宿坊は大石寺内に沢山あった(各地の法華講の参詣には使用していた)のであるから、要望によって、新たに「造る」必要はなかった。しかし、もしこの「宿泊施設」を現在にあてはめるとすれば、それは大石寺境内の外にある「ホテル」「民宿」である。そうと考えなければ、この要望には意味がないからである。
 さらに、この会議が行なわれた昭和25年11月から、創価学会の第1回月例登山会が開始された昭和27年10月(聖教新聞社昭和51年刊創価学会年表に依る)までは、約2年という歳月がかかっている。この会議と月例登山会とが関連あるとするには、あまりに日時が経ちすぎているといわねばならない。彼等が強調するように、「大石寺の貧乏を救ってやった」というなら、信心強盛な戸田城聖氏が、なぜ2ヵ年もの間、大石寺を放っておいたのであろうか。また、なぜその2ヵ年の間、大石寺は維持できたのであろうか。大石寺の経済的理由で「観光化」が図られたとすれば、なぜ2ヵ年の間に「観光化」してしまわなかったのであろうか。しかも、この会議で大石寺に要求されたことは、相当額の資金を要するものである。大石寺が、「貧乏で食うに困る」寺院だったなら、到底、できかねる事業である。これらの一々が、皆矛盾しているではないか。
 「観光懇談会」の名称によって、直ちに奈良・京都などの邪宗の観光寺院を思い起こすのは、大きな間違いである。大石寺周辺の上野地区の人々ならば、「観光客」によって、多少の利益はあるといえよう。しかし、大石寺には、邪宗の観光寺院のように観光客が来ても、メリットとなるようなことは何もないのである。
 つまり、昭和25年11月の会議で議論された「観光論議」は、創価学会で悪宣伝するような、「観光地化」などというようなものではない。むしろ、現在の創価学会の大好きな、「社会に開かれた大石寺になってほしい」という話し合いだったといわねばならないのである。再度、日淳上人の「清浄なるこのお山をけがすことなく」とのお言葉を、よく噛みしめるべきであろう。


7.現在の学会に登山運営を任せられないのは自明の理

 むろん、戸田会長の登山会推進によって、信徒の登山者数は急激に増加した。それに対応して総本山内の諸設備も更新・新設され、大石寺の面目も一新されたのは事実である。したがって、その信心の功績には、深く感銘するものである。
 しかしまた、先にも述べたとおり、創価学会の発展の原点は、総本山大石寺へ参詣し、戒壇の大御本尊の御開扉を受けたところにあるのであって、他にはない。現在の創価学会の大発展は、まさに大石寺への登山参詣にあるといって過言ではない。
 本門戒壇の大御本尊は、日蓮大聖人の御本懐である。と同時に、本門弘通の大導師第2祖日興上人が、「身に宛て給わる」御本尊である。さらに、この御本尊は、第3祖日目上人に「相伝」され、代々嫡々して、現第67世御法主日顕上人の護持あそばされるところなのである。命をかけて、この大御本尊をお護りされた御歴代上人の御恩徳を感じないでは、本宗の信心はできようはずがない。いかに多数の人を会員にしたとしても、大御本尊を離れては、日蓮大聖人の仏法の功徳はないのである。同時に、日蓮大聖人より御法主上人へ伝えられている血脈相伝を離れて、正しい信仰はありえないのである。
 創価学会は、この大御本尊の御威光と御法主上人の御指南のもとに発展したのである。そして、戦後、「貧乏人と病人の集まり」といわれた創価学会員が、現在のように、豊かで健康な人々の集まりになったのである。結核と貧窮に悩んでいた池田名誉会長をはじめ、草創期からの最高幹部諸氏の、現在の境遇は何によって得られたのだろうか。
 創価学会最高幹部諸氏は、御本尊の前に端座し、心静かにお題目をしっかり唱えてみられるとよい。自己の過去、現在を鑑みるとよい。
 血脈付法の歴代御法主上人への誹謗悪口は、成仏の善因となるか、堕獄の悪因となるか。顕正会(妙信講)や正信会が血脈を否定したのと、今、自身が行なっている「指導」と、どこが違うというのか。総本山への参詣を止めることは、果たして成仏のためになるかどうか。将来の創価学会の隆盛の因となるか、滅亡の因となるか。牧口・戸田両会長の意思に適うかどうか。御本尊の讃文である「頭破作七分」とは、一体、何を意味するか。
 これでも、総本山に弓を引く心が静まらなければ、その人は既に日蓮大聖人の弟子檀那ではない。外道の弟子である。お題目を唱えても、詮ないことである。血脈を否定しながら、御本尊を受持しているのは、正信会の輩と何ら変わるものではない。
 私たち一般僧俗にとって、「血脈法水」というものは、御法主上人の「御指南」を通じて、はじめて信受することができるのである。御法主上人の御指南を、素直に拝受してこそ、私たちの色心に、日蓮大聖人以来の「血脈法水」が流入するのである。池田氏をはじめとする創価学会幹部のように、御法主上人の「御指南」に対して、否定・反発するところには、決して「血脈法水」は流れないことを確認しなければならない。
 このような幹部が、日蓮正宗信徒であり、創価学会員である純真な人々を「指導」することは、まことに恐ろしいことである。現に、一般会員の多くは、その実状を知らされずに、ただ宗門批判をせよとの命令のもとに、わけも判らず御法主上人の悪口をいい、僧侶の非難に終始し、日蓮正宗の化儀・化法に背いて罪障を積んでいるのが、その現状ではないか。
 創価学会幹部に、大切な総本山への登山会の運営を任せられないのは、もはや自明の理であろう。
 ある意味では、やむを得ないことであり、ある意味では「時」でもある。現在は、地方寺院の添書を持って総本山に登山するという、日蓮正宗本来の姿をもって登山参詣し、大功徳を積まなければならない時である。
 創価学会の功績のみを強調して、「登山会のお陰で大石寺が潤った」などというのは、本来、邪宗の人たちの感覚である。本来ならば、信徒会員各々に広大な功徳を与えてくださり、創価学会を発展させてくださった大御本尊に感謝申し上げ、内拝をお許しくださった御法主上人に御礼申し上げなければならないはずである。


8.添書登山方式による登山名簿登録の理由

 創価学会では、今回の改正は登山会による檀徒づくりの一環であるといっているようである。また、創価学会員は、全員日蓮正宗の信徒であるから、登山信徒名簿に記入する必要はないといっているともいわれる。
 考えてみれば、もともと寺院の所属信徒であれば、寺院から正しい信仰について、あるいは信仰の在り方について、教えられるのは当然である。住職が、所属信徒に対して、血脈付法の御法主上人の御指南や宗務院の方針、また総本山の指示を伝達するのは、ごく当たり前のことで、むしろ、住職の義務である。名簿の提出を義務付けようがどうしようが、学会組織から、あれこれいわれる問題ではない。
 所属信徒に対する住職の教導を妨害すれば、現在、創価学会が信徒団体を名乗っているとはいえ、謗法に当たるのである。
 それはさておき、新登山方式で、改めて登山信徒登録をすることには、
1.御授戒を受けた時点から時間が経つと死亡、退転、移
 動等があって、最初の状態は異なってしまうので、その
 確認をする必要がある。
2.現状を把握しているはずの創価学会組織は、信徒名簿
 を寺院から要求されても、提出しようとしない。そのた
 め所属信徒かどうかの確認(寺院所属の地域の住人かど
 うかの確認もしなければならない。)ができない。
3.新しく建立された寺院では、信徒の状態を確認できな
 いので、登録が必要となる。
4.本宗の信仰の原点の確認をする。
等の理由によるのである。
 しかも、登山を希望する場合、1回登録すれば、記載事項に変更のない限り、再登録をする必要はないから、さして難しい手続きが必要ということもない。もっとも、創価学会組織が、快く名簿を提出すれば、全て簡単にことは解決するのである。しかし、創価学会の大幹部の中に、日蓮正宗の信徒を「我が物」と思う「信徒泥棒」の根性が存するようであるから、おそらく名簿は提出されないであろう。


9.添書登山を妨げようとする真意をあばく

 以上のように、創価学会が、今回の添書登山について非難することには、何の根拠もないのである。つまり、
1.会員が寺院に行って、登山信徒名簿を提出するに当た
  り、今回の問題の真相を知り、創価学会で流している
 「指導」の、いかに虚偽に満ち満ちているかを知ってし
 まうこと。
2.総本山内に、「登山センター」などの足がかりを失っ
 たので、創価学会の「指導」の空白地帯ができた、すな
 わち「学会指導」の「催眠状態」から、信徒が目覚めて
 しまうこと。
3. 信徒を大御本尊にお目通りをさせれば、功徳の真因
 (大功徳の原因が、池田氏の指導ではなく、大御本尊と
 御法主上人にましますこと)を知ってしまうこと。
等々、現在の創価学会幹部が最も恐れていることは、一般会員に真実を知られてしまうことである。つまり、御法門・御法主上人・宗門・僧侶について、学会で流している「噂」が、皆、嘘であることを知られると困るので、会員の総本山登山を妨げようとしているのである。
 もっとも、去る7月1日の新聞紙上では、創価学会広報局の某氏が、「登山も会員の自主的な判断に任せてあり、ブレーキをかけたことなどない」(朝日新聞7月1日第2社会面)旨のコメントをしていた。このように、『創価新報』等の記事や、学会内部に流されている情報にかかわらず、創価学会本部の方針としては、信徒の登山を止めてはいないということであろう。それならば、学会所属の信徒各位は、遠慮なく総本山への登山・御開扉を、寺院に願い出られるとよいのである。
 もし、地方幹部等で、登山についてあれこれいう者がいたならば、その人は本部の方針に逆らう者であるから、無視してよいのである。それ以上、登山しないよう、無理に強要する人があれば、信教の自由をうたった憲法に違反するのであり、間違いなく人権侵害に当たるのである。


   おわりに  

 創価学会組織に流されている「噂」に惑わされないように、疑問があれば、地元寺院なり総本山登山事務所なりに、信徒各位が自分で、電話等によって確認をされるとよい。悠々とした参詣ができるように、大石寺内事部が取り計らっているので、何も心配することはない。
 『四条金吾殿御返事』の、
「今此の所も此くの如し仏菩薩の住み給う功徳聚の砌なり、多くの月日も送り読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空にも余りぬべし、然るを毎年度度の御参詣には無始の罪障も定めて今生一生に消滅すべきか、弥はげむべし・はげむべし」(全集1194)
との御文をよくよく肝に銘じ、総本山への登山参詣を、信心生活の重点目標に置き、機会あるごとに参詣できるよう、心掛けていきたいものである。

   以  上