日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

御内証を拝し奉る信心

2024-03-07 | 御住職指導

正林寺御住職指導(R6.3月 第242号)

 三月は桃の節句があり、女児のために雛を飾るひな祭りです。
 宗祖日蓮大聖人は『上野殿御返事』に、
「女子は門をひらく」(御書1494)
と仰せであり、法華経提婆品に竜女の女人成仏が説かれるように、桃の節句には、八歳で悟りを開いた竜女の故事に因んだ、女子へと成長する女児の幸福を願う祭りともなります。法統相続の大切な教えであります。広宣流布のため女子は正法正師に随順して極理の師伝から開かれた、法門を広める尊い意義があると拝します。まさに「女子は門をひらく」であります。その功徳として、『日女御前御返事』に「かゝる御本尊を供養し奉り給ふ女人、現在には幸ひをまねき、後生には此の御本尊左右前後に立ちそひて(中略)日女御前をかこ(囲)みまぼ(守)り給ふべきなり」(御書1388)と。

 その門をひらくについて、御法門的に大聖人は同抄に、
「三月三日は法の一字のまつりなり、辰を以て神とす。」(御書334)
と仰せであり、本年は十二支の辰年であります。毎年三月三日は題目の妙法蓮華経である「法」の一字のまつりになります。
 そして『御講聞書』には、
「妙法蓮華経を弘めて終には本法の内証に引き入るゝなり」(御書1844)
と仰せであり、御本仏の内証である境界、本門戒壇の大御本尊へと引き入られて、絶対的幸福の即身成仏へとひらかれていきます。「弘めて」の「弘」は、四弘誓願の「弘」であり、その仏法と申す道理の上から依正不二の原理により天変地異をも沈静化する仏国土実現があると拝します。
 さらに日蓮大聖人の御内証を拝し奉る信心において、建長5年(1253)3月28日、法界に対する内証の題目の宣示、富士の立義においては、宗旨建立の内証宣示があります。御内証を拝し奉る原点ともなる非常に重要な心肝に染めるべき内証宣示であると拝し奉ります。まさに宗旨建立の内証宣示は、御内証を拝し奉る原点です。
 ゆえに、大聖人は『清澄寺大衆中』に、
「建長五年三月二十八日、安房国東条郷清澄寺道善の房持仏堂の南面にして、浄円房と申す者並びに少々の大衆にこれを申しはじめて」(御書946)
と仰せであります。三月の宗旨建立は顕正に即する破邪の説法を面とされて、少機のために大法を示され、四月の宗旨建立は破邪に即する顕正の説法が面となり、万機のために題目を弘通せられた意義があると富山の蘭室に交わる富士の立義では拝します。そして、時々の御法主上人は血脈相伝の御内証から時機を冥鑑あそばされ、三月と四月に時機相応の意義を面として、宗旨建立法要を奉修され、3月28日は「立宗内証宣示報恩会」を総本山において厳粛に奉修されます。

 さて、日蓮正宗で説かれる仏・菩薩には外用と内証があります。
 外用とは、外に表れてくる働きのことで、衆生を教化するため必要に応じていろいろな姿・形をとって表れることなどをいいます。
 内証とは、内心の真実の悟り、本体・本意をいいます。
 日蓮大聖人は、外用の立場では上行菩薩の再誕であり、内証は久遠元初自受用報身の再誕であらせられます。
 総本山第二十六世日寛上人は、『蓮祖の本地内証外用の事』に、
「凡そ蓮祖大聖人は若し外用を論ぜば本化上行菩薩の再誕、諸抄の中に或は仏の御使と云ひ、或は霊山相伝等と云ふが如き是れなり。若し内証を論ずれば、久遠元初の本因妙の教主釈尊なり。諸文の中に、日蓮は日本国の一切衆生の主師親等と云ふが如き是なり」(富要3巻304)
と御教示であります。
 『御講聞書』に、
「開解とは教主釈尊の御内証に此の分ををさへ玉ふを、願はくば開かしめ玉へ、同じく一会(いちえ)の大衆の疑ひをも解かしめ玉へと請ずるなり」(御書1848)と。
 その「教主釈尊の御内証」について、御法主日如上人猊下は、
「『観心本尊抄』を拝しますと、
『此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし。月支・震旦に未だ此の本尊有さず』(御書661)
と仰せであります。
 この御文は、皆様もよく御存じのことと思いますが、この御文のなかで『地涌千界』と仰せられ、また『本門の釈尊を脇士と為す』仏様とは、一体いかなる仏様であられるのかと申せば、『本門の釈尊を脇士と為す』とのお言葉から拝して、それは本果脱益の釈尊ではないことは明らかであります。
 つまり、ここで大聖人様が『地涌千界』と仰せられた仏様とは、久遠元初の妙法を御所持あそばされる人即法、法即人の仏様、すなわち内証久遠元初の御本仏、末法御出現の宗祖日蓮大聖人様御自身のことであります。」(大日蓮 第937号 R6.3)
と御教示あそばされております。それはまさに『本尊抄』だけに説かれる「内証の寿量品」(御書657)との意義が存すると拝します。

 つまり「内証久遠元初の御本仏」とは、日蓮大聖人が『御義口伝』に、
「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(御書1773)
と仰せのように、法宝である御本尊と仏宝である御本仏日蓮大聖人は、人法一箇であり、一体不二の関係にあります。久遠元初における御本仏の悟りはそのまま妙法(法宝)であり、その妙法がそのまま御本仏大聖人の御内証になります。
 しかし、この人法一箇の御本尊が世に出現されても、正しく相伝される僧宝の存在がなければ仏法は断絶してしまいます。
 大聖人は『真言見聞』に、
「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」(御書608)
と仰せのように、三宝は一体であることから、仏宝・法宝と同様に、心から僧宝である御法主上人の御内証を尊崇するところに功徳は流れかよいます。まさに血脈の尊崇です。
 その尊崇において、日寛上人は下種の僧宝について『当家三衣抄』に、
「南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山・付法・南無日興上人師。南無一閻浮提の座主、伝法・日目上人師。嫡々付法歴代の諸師」(六巻抄225)
と嫡々付法の御歴代上人は、総じての僧宝であることを示されています。

 さらに御内証を拝し奉る信心とは、「血脈の次第 日蓮日興」との付嘱の上から伝授されて、大聖人滅後、末法万年尽未来際を見据えられた歴代の御法主上人猊下の胸中であり、大聖人が御生涯をかけて弘通された三大秘法の仏法、本門戒壇の大御本尊に具わる化儀化法の一切を内に秘められた尊い御意のことであります。御内証を拝し奉る時には、三宝一体と拝することが富士の立義として日蓮正宗には存し、お目通りの際には御法主上人猊下に対し奉り合掌礼をもってお迎え申し上げます。御内証の拝し方を正しく理解できない一部の方には、法主信仰ではとの見解をなされますが、合掌礼は御内証を拝し奉る信心と三力成就を願う不軽菩薩の振る舞いであり、法主信仰とはいいません。御内証を拝し奉る信心の振る舞いです。
 また、日寛上人は『三宝抄』に、
「若し内体に約せば実に是れ体一なり。所謂、法宝の全体即ち是れ仏宝なり。故に一念三千即自受用身と云い、又十界具足を方に名づけて円仏と云うなり。亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり。故に三宝一体なり。若し外相に約せば任運勝劣あり。所謂、仏は法を以て師と為し、僧は仏を以て師と為すが故なり。故に法宝を以て中央に安置し、仏及および僧を以て左右に安置するなり」(歴全4巻392)
と仰せのように、文底下種の三宝には、内証の法体に約した一体の義と、外用の相に約した勝劣の義との二義が存します。
 外用に約せば、仏は法を師と仰ぎ、僧は仏を師と仰ぐため、法・仏・僧の勝劣次第が存します。
 したがって、総本山客殿の御本尊奉安様式においては、中央に法宝の漫荼羅御本尊、向かって左に仏宝の大聖人、右に僧宝の日興上人の御影を御安置いたします。
 また、内証の法体に約せば、仏宝・法宝は元来体一ですから勝劣はありません。僧宝については、唯授一人の血脈相承によって、本仏本法の法体が御歴代上人の内証に止住し、師弟不二の境界を成じているため、勝劣はありません。

 なお、御内証を拝し奉る信心の原点を亡失した創価学会は、令和5年(2023)11月18日、創価学会創立の日に発行された「創価学会教学要綱」には、日蓮正宗の富士の立義とは明らかに異なる僧宝論を「言を巧みにして」(御書224)公表し、三宝の仏宝は日蓮大聖人、法宝は南無妙法蓮華経、僧宝は創価学会と正式に発表しています。日蓮大聖人の御書に文証として明らかに存在しない異流義化した僧宝論であり、創価学会の新「三宝論」を標榜しました。過去、「血脈の次第 日蓮日興」との教えを守らず創価仏法を確立するため、手始めに日蓮正宗国際センター構想をかかげましたが、第六十六世日達上人に却下され、その後、昭和52年(1977)にも創価仏法の確立を試みて、再度、平成2年(1990)11月16日を皮切りに、よく平成3年(1991)初頭からエスカレートし、その年の11月に「魂の独立」を宣言して令和の現在まで、日蓮正宗に劣悪な印象操作と誹謗を創価新報等に繰り広げてきたのです。創価仏法をさらに進化させて創価学会仏の実現をめざし異流義化に拍車をかけることが予測されます。明らかに御内証を拝し奉る信心の原点を亡失した現証であり、「体曲がれば影なゝめなり」(御書1469)との依正不二の原理である国土世間に今まで以上の悪影響をもたらされることを危惧します。まさに宗旨建立の内証宣示である、御内証を拝し奉る原点を亡失した創価学会の新「三宝論」は邪論であります。

 日蓮正宗の公式な御遺命に当宗の僧宝を重んずる①「血脈相承に随順せよ」とあります。まさしく、御内証を拝し奉る信心のことです。
 『御本尊七箇之相承』に、
「師の曰わく、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり。」(聖典379)
と、第九世日有上人『化儀抄』に、
「手続の師匠の所は、三世の諸仏高祖已来、代代上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし」(聖典974)
と御指南であり、時の御法主上人猊下を尊崇申し上げる基本的な心得るべきことです。
 御内証を拝し奉る信心には、「常住此説法」との御本仏の御振舞、末法万年尽未来際まで御化導あそばされることを拝し奉ることになります。その御振舞は出世の御本懐として本門戒壇の大御本尊が在す御姿であり、三宝一体との重要な意義が存します。それは『生死一大事血脈抄』に、
「過去の生死・現在の生死・未来の生死、三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云ふなり」(御書514)
と御指南のとおり、大聖人から日興上人へと受け継がれた唯授一人の血脈相承(法華の血脈相承)により、大御本尊の冥の照覧による御威光に照らされて絶対に血脈相承は断絶することなく、末法万年尽未来際までも一切衆生を救済するために、信仰の寸心を改めて尊崇申し上げられるべきことになります。その果報として三世間の浄化・仏国土実現と真の広宣流布があることを確信することが、御内証を拝し奉る信心です。
 
 最後に、御内証を拝し奉る信心の基本は、日蓮正宗における三宝尊信の姿を心に刻み、宗祖日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ、本門戒壇の大御本尊を信じ、さらに血脈承継の御法主上人の御指南に信伏随従して、折伏弘教に邁進するところにあります。
 まさに、この三宝尊信の信行に徹するとき、自他共に即身成仏の大利益を得ることができます。それがまさしく法華は宝塔である「聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり」(御書792)との我が身に、功徳として賜ることのできる御内証を拝し奉る信心に徹した尊い境界であります。

 

宗祖日蓮大聖人『阿仏房御書』に曰く、
「末法に入って法華経を持つ男女(なんにょ)のすがたより外には宝塔なきなり。若し然れば貴賤上下をえらばず、南無妙法蓮華経ととなふるものは、我が身宝塔にして、我が身又多宝如来なり。妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり、宝塔又南無妙法蓮華経なり。今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり。然れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此より外の才覚無益(むやく)なり。聞(もん)・信(しん)・戒(かい)・定(じょう)・進(しん)・捨(しゃ)・慚(ざん)の七宝(しっぽう)を以てかざりたる宝塔なり。」(御書792)

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